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高校本気編
やめよう
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ちょっと驚いてしまった。久しぶりに下の名前で呼ばれたからではない。こんな優紀の顔を見たことがなかったからだ。
泣きそう、悲しそう、そうとも言えるが、もっと何というか、懸けているというか、訴えかけているというか……。
「どうしたの、荻窪田くん? おいにいも待ってるよ」
待ちかねたであろう葉月さんが声をかけに来た。
「あ、うん……」
「異世界行くの、成功しちゃうかもしれないんでしょ? 成功しちゃったら、健児は私たちを見捨てることになるんだよ」
父ちゃんと、母ちゃんと、綺羅星、それから目の前にいる優紀のことが頭に浮かんだ。父ちゃんと母ちゃんはさっき見た体勢で浮かんできたので、すぐに頭からかき消して、夕飯食ってる姿に記憶を上書きした。
違う、俺は見捨てるつもりなんてない。そう言い返そうとしたが、なぜだか声にできなかった。多分うすうす自分でも気付いているからだろう。
ただそれは、確かに見捨てるのとも違うのだ。裏切るのとも違う。もちろん逃げるのとも違う。何かそれは、手放す、というのに近いのかもしれない。
俺は異世界に行って勇者になりたい。その、渇望とも言える攻めの姿勢はあるにはある。ただ、行ってはいけない、という思いが心のどこかにあるのもまた確かなのだ。
「荻窪田くんを待ってる世界があるんだよ!」
俺が何も言えずにいると、葉月さんが声をかけてきた。
「あ、うん……」
「そこは、こことは違う素晴らしい世界なの!」
葉月さんは、ギュッと、俺の腕を掴んだ。おぅふ!となるところだが、なんかちょっと怖い。必死だ。こんな必死な葉月さんは初めて見た。
「行かなきゃ、絶対後悔するよ!」
絶対、ってなんでそんなに簡単に言い切れるのだろう? そして、掴んだ腕を、今度は自分の腕と絡めてきた。ヌフ!となるところだが、必死さを感じる。こんな必死な葉月さんは初めて見た。
「健児! 行かないの? ……行くの?」
「俺は……行くよ」
そう、俺は、行くと決めたのだ。今更変えるわけにはいかない。
「健児!」
そう言って、優紀は右腕を振り上げた。ひっぱたかれる、と思った俺は身を固くした。しかし、その腕は振り降ろされることはなかった。優紀は振り上げた手で勢いよく頭を掻き出した。
「くぬぅぁあ……!」
優紀は、言葉にならぬ心の叫びを零しながら、手品師に騙されたオランウータンのようにひとしきり頭を掻いた。そして、
「健児のばーか!」
と、小学生並みの貧困なボキャブラリーの悪口を俺に向かって吠えたて、闇の中へ走っていった。
俺と葉月さんと原先生は水の少なくなった川へ降りていった。綺羅星はタブレットを預かり、橋の上で待機ということになった。
降りてみると、そこは地獄絵図だった。橋の上からでは暗くてわからなかったが、地面が露出した至る所で魚が跳ねていた。わずかに水の残っているところには避難した魚で溢れている。
異世界へ行くことに気をとられすぎて、川の水を堰き止めた当然の帰結にまで思いが及ばなかった。これは俺たちの罪だ。
ならば、せめて早く異世界への入り口を見つけるか、それとも見切りをつけるかしなくてはならない。俺は急いで黒廻川と白廻川が交差する、その中心点へと走った。
「オギー、そこらへんが大体交差する中心点だ」
息急き切って、ここだろうと当たりをつけたところまで辿り着くと、橋の上から綺羅星が声を上げた。
「何かあるかい?」
続けてそう問いかけられたが、何もない。石が転がり、魚が跳ねているだけだ。
「上からは何か見えないか?」
「特に変わったところはないよ」
俺は手近にある岩や大きめの石をどけてみたが、サワガニがカサコソと逃げていっただけで、それらしきものは見当たらない。
「おーい。なんか歪んだところはないかい?」
原先生が呑気らしくそう言い、のんびり歩きながらこちらに向かってくる。この惨状を見て、よくそれだけ呑気にしてられるなアンタ。それでも教員か。
「いや、何も……」
イライラしつつ返答したので、ぞんざいな物言いになってしまった。
「うわぁ、キモッ! 魚マジキモい! やだあ、こっち来ないでよ!」
葉月さんの悲鳴もこだまする。
なんか、俺の中で興醒めしてしまった。
さっきまでの浮ついた気分はどこへやら、にわかに強烈な現実を感じた。次いで、取り返しのつかないことをしでかしてしまった恐怖が襲ってきた。
勢い込んでここに来たものの、このザマだ。自分のありもしない妄想のせいで、多くの生物が犠牲になろうとしている。おまけに幼馴染まで俺の元を去った。
やめよう。
俺は水門を一刻も早く開くため、橋の上の綺羅星に声をかけようとしたその時だった。
川上の方から低い唸り声が聞こえた。すわっ、怪獣か!と思い、音のする方を見ると、黒い塊がこちらに向かってくるのが見えた。しかも、一方だけではない。黒廻川と白廻川の両方からだ。二つの黒い塊が俺たちがいるこの交差点の一点に向かってやってくる。
あれは水だ。暗がりの向こうをよく見ると、水門が両方とも開いている。望んだことではあるが、まだ早い! 水の勢いは凄まじく、もうすぐ目の前だ。
「キャーッ!」
「うわあっ!」
あまりの速さに、葉月さんも原先生も言葉を出せず、悲鳴を上げるのが精一杯という有様だ。
綺羅星の仕業か、と思い、橋の上を仰ぎ見ると、困ったような表情の綺羅星の隣には、優紀がいた。手にしているのは……葉月さんのタブレットだ。
「優紀! 何やってんダァーッ、お前!」
「天誅を下してやる」
「何……?」
「目ェ覚ませ荻窪田ァーッ!」
「たばかったかー!」
逃げ惑っていた葉月さんと原先生が水に捕まった。流れは速く、声すら上げられない。流れと共に二人がこちらに向かって流されてくる。もうダメだ。
「少しは頭を冷やせ」
勝ち誇った声が頭上から降ってくる。
「殺す気カァー!」
「夏だからそんなに冷たくないよ」
「俺はァ、泳げねぇんだヨオオオォォー!」
「……ごめん、忘れてた」
「バカモノぉゴポッ……!」
夏でも川の水は冷たい。優紀はそんなこともわからないゴリラであった。全身を針が貫くような冷たさに覆われると同時に、まばゆい光にも覆われた。
水中から水面を見たら、何やらデカい物体が蠢いている。あれが俗に言うクラムボンか?と思ったが、その物体はどんどん大きくなっていく。その物体は水面を突き破り、俺のすぐ目の前まで来た。
それは優紀であった。
泣きそう、悲しそう、そうとも言えるが、もっと何というか、懸けているというか、訴えかけているというか……。
「どうしたの、荻窪田くん? おいにいも待ってるよ」
待ちかねたであろう葉月さんが声をかけに来た。
「あ、うん……」
「異世界行くの、成功しちゃうかもしれないんでしょ? 成功しちゃったら、健児は私たちを見捨てることになるんだよ」
父ちゃんと、母ちゃんと、綺羅星、それから目の前にいる優紀のことが頭に浮かんだ。父ちゃんと母ちゃんはさっき見た体勢で浮かんできたので、すぐに頭からかき消して、夕飯食ってる姿に記憶を上書きした。
違う、俺は見捨てるつもりなんてない。そう言い返そうとしたが、なぜだか声にできなかった。多分うすうす自分でも気付いているからだろう。
ただそれは、確かに見捨てるのとも違うのだ。裏切るのとも違う。もちろん逃げるのとも違う。何かそれは、手放す、というのに近いのかもしれない。
俺は異世界に行って勇者になりたい。その、渇望とも言える攻めの姿勢はあるにはある。ただ、行ってはいけない、という思いが心のどこかにあるのもまた確かなのだ。
「荻窪田くんを待ってる世界があるんだよ!」
俺が何も言えずにいると、葉月さんが声をかけてきた。
「あ、うん……」
「そこは、こことは違う素晴らしい世界なの!」
葉月さんは、ギュッと、俺の腕を掴んだ。おぅふ!となるところだが、なんかちょっと怖い。必死だ。こんな必死な葉月さんは初めて見た。
「行かなきゃ、絶対後悔するよ!」
絶対、ってなんでそんなに簡単に言い切れるのだろう? そして、掴んだ腕を、今度は自分の腕と絡めてきた。ヌフ!となるところだが、必死さを感じる。こんな必死な葉月さんは初めて見た。
「健児! 行かないの? ……行くの?」
「俺は……行くよ」
そう、俺は、行くと決めたのだ。今更変えるわけにはいかない。
「健児!」
そう言って、優紀は右腕を振り上げた。ひっぱたかれる、と思った俺は身を固くした。しかし、その腕は振り降ろされることはなかった。優紀は振り上げた手で勢いよく頭を掻き出した。
「くぬぅぁあ……!」
優紀は、言葉にならぬ心の叫びを零しながら、手品師に騙されたオランウータンのようにひとしきり頭を掻いた。そして、
「健児のばーか!」
と、小学生並みの貧困なボキャブラリーの悪口を俺に向かって吠えたて、闇の中へ走っていった。
俺と葉月さんと原先生は水の少なくなった川へ降りていった。綺羅星はタブレットを預かり、橋の上で待機ということになった。
降りてみると、そこは地獄絵図だった。橋の上からでは暗くてわからなかったが、地面が露出した至る所で魚が跳ねていた。わずかに水の残っているところには避難した魚で溢れている。
異世界へ行くことに気をとられすぎて、川の水を堰き止めた当然の帰結にまで思いが及ばなかった。これは俺たちの罪だ。
ならば、せめて早く異世界への入り口を見つけるか、それとも見切りをつけるかしなくてはならない。俺は急いで黒廻川と白廻川が交差する、その中心点へと走った。
「オギー、そこらへんが大体交差する中心点だ」
息急き切って、ここだろうと当たりをつけたところまで辿り着くと、橋の上から綺羅星が声を上げた。
「何かあるかい?」
続けてそう問いかけられたが、何もない。石が転がり、魚が跳ねているだけだ。
「上からは何か見えないか?」
「特に変わったところはないよ」
俺は手近にある岩や大きめの石をどけてみたが、サワガニがカサコソと逃げていっただけで、それらしきものは見当たらない。
「おーい。なんか歪んだところはないかい?」
原先生が呑気らしくそう言い、のんびり歩きながらこちらに向かってくる。この惨状を見て、よくそれだけ呑気にしてられるなアンタ。それでも教員か。
「いや、何も……」
イライラしつつ返答したので、ぞんざいな物言いになってしまった。
「うわぁ、キモッ! 魚マジキモい! やだあ、こっち来ないでよ!」
葉月さんの悲鳴もこだまする。
なんか、俺の中で興醒めしてしまった。
さっきまでの浮ついた気分はどこへやら、にわかに強烈な現実を感じた。次いで、取り返しのつかないことをしでかしてしまった恐怖が襲ってきた。
勢い込んでここに来たものの、このザマだ。自分のありもしない妄想のせいで、多くの生物が犠牲になろうとしている。おまけに幼馴染まで俺の元を去った。
やめよう。
俺は水門を一刻も早く開くため、橋の上の綺羅星に声をかけようとしたその時だった。
川上の方から低い唸り声が聞こえた。すわっ、怪獣か!と思い、音のする方を見ると、黒い塊がこちらに向かってくるのが見えた。しかも、一方だけではない。黒廻川と白廻川の両方からだ。二つの黒い塊が俺たちがいるこの交差点の一点に向かってやってくる。
あれは水だ。暗がりの向こうをよく見ると、水門が両方とも開いている。望んだことではあるが、まだ早い! 水の勢いは凄まじく、もうすぐ目の前だ。
「キャーッ!」
「うわあっ!」
あまりの速さに、葉月さんも原先生も言葉を出せず、悲鳴を上げるのが精一杯という有様だ。
綺羅星の仕業か、と思い、橋の上を仰ぎ見ると、困ったような表情の綺羅星の隣には、優紀がいた。手にしているのは……葉月さんのタブレットだ。
「優紀! 何やってんダァーッ、お前!」
「天誅を下してやる」
「何……?」
「目ェ覚ませ荻窪田ァーッ!」
「たばかったかー!」
逃げ惑っていた葉月さんと原先生が水に捕まった。流れは速く、声すら上げられない。流れと共に二人がこちらに向かって流されてくる。もうダメだ。
「少しは頭を冷やせ」
勝ち誇った声が頭上から降ってくる。
「殺す気カァー!」
「夏だからそんなに冷たくないよ」
「俺はァ、泳げねぇんだヨオオオォォー!」
「……ごめん、忘れてた」
「バカモノぉゴポッ……!」
夏でも川の水は冷たい。優紀はそんなこともわからないゴリラであった。全身を針が貫くような冷たさに覆われると同時に、まばゆい光にも覆われた。
水中から水面を見たら、何やらデカい物体が蠢いている。あれが俗に言うクラムボンか?と思ったが、その物体はどんどん大きくなっていく。その物体は水面を突き破り、俺のすぐ目の前まで来た。
それは優紀であった。
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