上 下
21 / 54
高校本気編

やめよう

しおりを挟む
 ちょっと驚いてしまった。久しぶりに下の名前で呼ばれたからではない。こんな優紀の顔を見たことがなかったからだ。

 泣きそう、悲しそう、そうとも言えるが、もっと何というか、懸けているというか、訴えかけているというか……。

「どうしたの、荻窪田くん? おいにいも待ってるよ」

 待ちかねたであろう葉月さんが声をかけに来た。

「あ、うん……」

「異世界行くの、成功しちゃうかもしれないんでしょ? 成功しちゃったら、健児は私たちを見捨てることになるんだよ」

 父ちゃんと、母ちゃんと、綺羅星、それから目の前にいる優紀のことが頭に浮かんだ。父ちゃんと母ちゃんはさっき見た体勢で浮かんできたので、すぐに頭からかき消して、夕飯食ってる姿に記憶を上書きした。

 違う、俺は見捨てるつもりなんてない。そう言い返そうとしたが、なぜだか声にできなかった。多分うすうす自分でも気付いているからだろう。

 ただそれは、確かに見捨てるのとも違うのだ。裏切るのとも違う。もちろん逃げるのとも違う。何かそれは、手放す、というのに近いのかもしれない。

 俺は異世界に行って勇者になりたい。その、渇望とも言える攻めの姿勢はあるにはある。ただ、行ってはいけない、という思いが心のどこかにあるのもまた確かなのだ。

「荻窪田くんを待ってる世界があるんだよ!」

 俺が何も言えずにいると、葉月さんが声をかけてきた。

「あ、うん……」

「そこは、こことは違う素晴らしい世界なの!」

 葉月さんは、ギュッと、俺の腕を掴んだ。おぅふ!となるところだが、なんかちょっと怖い。必死だ。こんな必死な葉月さんは初めて見た。

「行かなきゃ、絶対後悔するよ!」

 絶対、ってなんでそんなに簡単に言い切れるのだろう? そして、掴んだ腕を、今度は自分の腕と絡めてきた。ヌフ!となるところだが、必死さを感じる。こんな必死な葉月さんは初めて見た。

「健児! 行かないの? ……行くの?」

「俺は……行くよ」

 そう、俺は、行くと決めたのだ。今更変えるわけにはいかない。

「健児!」

 そう言って、優紀は右腕を振り上げた。ひっぱたかれる、と思った俺は身を固くした。しかし、その腕は振り降ろされることはなかった。優紀は振り上げた手で勢いよく頭を掻き出した。

「くぬぅぁあ……!」

 優紀は、言葉にならぬ心の叫びを零しながら、手品師に騙されたオランウータンのようにひとしきり頭を掻いた。そして、

「健児のばーか!」

 と、小学生並みの貧困なボキャブラリーの悪口を俺に向かって吠えたて、闇の中へ走っていった。


 俺と葉月さんと原先生は水の少なくなった川へ降りていった。綺羅星はタブレットを預かり、橋の上で待機ということになった。

 降りてみると、そこは地獄絵図だった。橋の上からでは暗くてわからなかったが、地面が露出した至る所で魚が跳ねていた。わずかに水の残っているところには避難した魚で溢れている。

 異世界へ行くことに気をとられすぎて、川の水を堰き止めた当然の帰結にまで思いが及ばなかった。これは俺たちの罪だ。

 ならば、せめて早く異世界への入り口を見つけるか、それとも見切りをつけるかしなくてはならない。俺は急いで黒廻川と白廻川が交差する、その中心点へと走った。

「オギー、そこらへんが大体交差する中心点だ」

 息急き切って、ここだろうと当たりをつけたところまで辿り着くと、橋の上から綺羅星が声を上げた。

「何かあるかい?」

 続けてそう問いかけられたが、何もない。石が転がり、魚が跳ねているだけだ。

「上からは何か見えないか?」

「特に変わったところはないよ」

 俺は手近にある岩や大きめの石をどけてみたが、サワガニがカサコソと逃げていっただけで、それらしきものは見当たらない。

「おーい。なんか歪んだところはないかい?」

 原先生が呑気らしくそう言い、のんびり歩きながらこちらに向かってくる。この惨状を見て、よくそれだけ呑気にしてられるなアンタ。それでも教員か。

「いや、何も……」

 イライラしつつ返答したので、ぞんざいな物言いになってしまった。

「うわぁ、キモッ! 魚マジキモい! やだあ、こっち来ないでよ!」

 葉月さんの悲鳴もこだまする。

 なんか、俺の中で興醒めしてしまった。

 さっきまでの浮ついた気分はどこへやら、にわかに強烈な現実を感じた。次いで、取り返しのつかないことをしでかしてしまった恐怖が襲ってきた。

 勢い込んでここに来たものの、このザマだ。自分のありもしない妄想のせいで、多くの生物が犠牲になろうとしている。おまけに幼馴染まで俺の元を去った。

 やめよう。

 俺は水門を一刻も早く開くため、橋の上の綺羅星に声をかけようとしたその時だった。

 川上の方から低い唸り声が聞こえた。すわっ、怪獣か!と思い、音のする方を見ると、黒い塊がこちらに向かってくるのが見えた。しかも、一方だけではない。黒廻川と白廻川の両方からだ。二つの黒い塊が俺たちがいるこの交差点の一点に向かってやってくる。

 あれは水だ。暗がりの向こうをよく見ると、水門が両方とも開いている。望んだことではあるが、まだ早い! 水の勢いは凄まじく、もうすぐ目の前だ。

「キャーッ!」

「うわあっ!」

 あまりの速さに、葉月さんも原先生も言葉を出せず、悲鳴を上げるのが精一杯という有様だ。

 綺羅星の仕業か、と思い、橋の上を仰ぎ見ると、困ったような表情の綺羅星の隣には、優紀がいた。手にしているのは……葉月さんのタブレットだ。

「優紀! 何やってんダァーッ、お前!」

「天誅を下してやる」

「何……?」

「目ェ覚ませ荻窪田ァーッ!」

「たばかったかー!」

 逃げ惑っていた葉月さんと原先生が水に捕まった。流れは速く、声すら上げられない。流れと共に二人がこちらに向かって流されてくる。もうダメだ。

「少しは頭を冷やせ」

 勝ち誇った声が頭上から降ってくる。

「殺す気カァー!」

「夏だからそんなに冷たくないよ」

「俺はァ、泳げねぇんだヨオオオォォー!」

「……ごめん、忘れてた」

「バカモノぉゴポッ……!」

 夏でも川の水は冷たい。優紀はそんなこともわからないゴリラであった。全身を針が貫くような冷たさに覆われると同時に、まばゆい光にも覆われた。

 水中から水面を見たら、何やらデカい物体が蠢いている。あれが俗に言うクラムボンか?と思ったが、その物体はどんどん大きくなっていく。その物体は水面を突き破り、俺のすぐ目の前まで来た。

 それは優紀であった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活

SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。 クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。 これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。

蒼穹のエターナルブレイク-side イクトス-

星河由乃(旧名:星里有乃)
ファンタジー
 旧タイトル『美少女ハーレムRPGの勇者に異世界転生したけど俺、女アレルギーなんだよね。』『アースプラネットクロニクル』  高校生の結崎イクトは、人気スマホRPG『蒼穹のエターナルブレイク-side イクトス-』のハーレム勇者として異世界転生してしまう。だが、イクトは女アレルギーという呪われし体質だ。しかも、与えられたチートスキルは女にモテまくる『モテチート』だった。 * 挿絵も作者本人が描いております。 * 2019年12月15日、作品完結しました。ありがとうございました。2019年12月22日時点で完結後のシークレットストーリーも更新済みです。 * 2019年12月22日投稿の同シリーズ後日談短編『元ハーレム勇者のおっさんですがSSランクなのにギルドから追放されました〜運命はオレを美少女ハーレムから解放してくれないようです〜』が最終話後の話とも取れますが、双方独立作品になるようにしたいと思っています。興味のある方は、投稿済みのそちらの作品もご覧になってください。最終話の展開でこのシリーズはラストと捉えていただいてもいいですし、読者様の好みで判断していただだけるようにする予定です。  この作品は小説家になろうにも投稿しております。カクヨムには第一部のみ投稿済みです。

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

クラス転移で神様に?

空見 大
ファンタジー
集団転移に巻き込まれ、クラスごと異世界へと転移することになった主人公晴人はこれといって特徴のない平均的な学生であった。 異世界の神から能力獲得について詳しく教えられる中で、晴人は自らの能力欄獲得可能欄に他人とは違う機能があることに気が付く。 そこに隠されていた能力は龍神から始まり魔神、邪神、妖精神、鍛冶神、盗神の六つの神の称号といくつかの特殊な能力。 異世界での安泰を確かなものとして受け入れ転移を待つ晴人であったが、神の能力を手に入れたことが原因なのか転移魔法の不発によりあろうことか異世界へと転生してしまうこととなる。 龍人の母親と英雄の父、これ以上ない程に恵まれた環境で新たな生を得た晴人は新たな名前をエルピスとしてこの世界を生きていくのだった。 現在設定調整中につき最新話更新遅れます2022/09/11~2022/09/17まで予定

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

【異世界ショップ】無双 ~廃絶直前の貴族からの成り上がり~

クロン
ファンタジー
転生したら貴族の長男だった。 ラッキーと思いきや、未開地の領地で貧乏生活。 下手すれば飢死するレベル……毎日食べることすら危ういほどだ。 幸いにも転生特典で地球の物を手に入れる力を得ているので、何とかするしかない! 「大変です! 魔物が大暴れしています! 兵士では歯が立ちません!」 「兵士の武器の質を向上させる!」 「まだ勝てません!」 「ならば兵士に薬物投与するしか」 「いけません! 他の案を!」 くっ、貴族には制約が多すぎる! 貴族の制約に縛られ悪戦苦闘しつつ、領地を開発していくのだ! 「薬物投与は貴族関係なく、人道的にどうかと思います」 「勝てば正義。死ななきゃ安い」 これは地球の物を駆使して、領内を発展させる物語である。

処理中です...