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 バートンが発した言葉に、僅かな間頭が混乱する。
 咄嗟に言葉が出てこなかった。

 こちらの返答を待つように無言でいる彼と、しばらく彼と見つめ合いながらも疑問を整理する。
 冷静さを失わないように努めて、リザリーはゆっくりと訊ねた。

「作者……というのは、貴方がこの世界を作ったということ?創造神とでもいうつもりですか?」
「まあ、言い換えればそうだろうね。この国の世界観と騎士団の設定を作ったのは僕だ」
「信じられない……。まるで狂人の言い分じゃないですか」

 疑いの眼差しを向けるリザリーに、バートンは「それもそうだね」と苦笑する。

 そもそもこの世界が物語であり、読者が魂を巡らせて生まれるという話も半信半疑である。
 しかし捕らえられた誘拐犯たちはそれを頑なに信じており、自分たちは物語に必要のない『背景』なのだと怯えるばかりだった。

「しかしまあ、そうだな。証拠を上げるなら君がこの前見つけたメモかな」
「メモ……?ああ、あの時の」

 先日、この資料室のデスクの上に置いてあった、編集長直筆のメモのことだ。

 エルンスト達が関わった事件の、当事者でしか知らない事実が事細かに書かれていたもの……あれを見たときに自分が感じた違和感を思い出し、思わず眉を跳ね上げながら訊ねた。

「まさか、あれは物語のプロットだったとでも言うんですか?」
「まあ、多少は違うがね。連載当時のことを思い出して書いたんだよ。捜査陣でしか知らないことも書かれていただろう」

 いまだ訝し気な表情を崩さないリザリーに、バートンは懐から手帳を取り出し「見なさい」と差し出す。
 恐る恐る受け取ってぺらりとページをめくると、そこには見慣れたくせ字がつらつらと書きならべてある。

「『花おしろい事件』、『十字架事件』、『偽金貨事件』……これは全部エルンストが担当した事件ですね」

 それは先日リザリーが先日見つけた編集長のメモと酷似している内容だった。

 ただしこちらの方が現場にいた人間の行動、そして細かい受け答えまでが詳しく書いてある。
 それこそ物語のプロットと言っていい仕上がりのそれを読んでいると、ふいに気になる単語が目に入った。

「ミモザ・マーティン誘拐事件……?」

 眉間にしわを寄せながらバートンに視線を転じると、彼はもう少し読んでみなさいとでも言いたげに頷く。
 その態度を少しだけ不満に思いながらも、再び手帳の文字を目で追った。

 最初の部分は己が体験した事件と同様の流れであった。
 ミモザ・マーティンの小説を掲載しているバートン新聞社に、切り取られた指の入った小包が送られてくる。

 そこでエルンスト・ローゼン、カトレア・モリスが調査に乗り出し、聞き込みのためミモザと知り合う。
 そしてその夜、彼女の家に謎の男が押し入り……。
 
 そこからの展開が己の体験したものと違っていて、リザリーは「え」と目を見開く。
 思わずバートンを見上げると、彼は「そうなんだよ」と妙に冷たい表情で頷いた。

「本来ならその事件はね、その日のうちにミモザ・マーティンが誘拐され、エルンストが探しに行くことになったはずなんだ。だが犯人は君が撃退してしまった」
「……私がいたから、展開が狂ったとでも?」

 やや戸惑いながら問いかけるリザリーに、編集長は「いいや」と首を横に振る。

「物語でも君は抵抗した。しかし相手に殴られて気絶してしまうんだ。その隙にミモザは連れ去られてしまう」
「……どうして、そんな変化が起きたんです?」
「侵入した男が別人だったからだよ。アルヴィン・ダンより奴は弱かった」

 さらりと告げられた言葉に、リザリーは首を傾げかけ……しかし納得する。
 確かに自分がカバンで殴りつけた男、ジョナス・クリーバリーは指の送り主ではなかった。

 だが何故バートンの言う『展開』と現実での出来事に違いが出来てしまったのか?
 その疑問を込めて彼を見つめると、男は感情の浮かばない目に冷ややかな光を称える。

「私もね、独自に調べていたんだ。エルンストの周りで起きる事件は、私の記憶と少しずつ違っていたから」
「違い、ですか?」
「エルンストと一緒に駆け付けるはずのカトレアがいなかったり、ごく僅かな差だがね。だが妙に気になった」

 言って彼は後ろを振り返り、デスクの上に散らかったままの眺めて息を吐く。

「最初はわからなかった。だがミモザの事件が起こる日付が迫るころに妙な一団がうろついていることに気付いてね」
「その一団って……」
「恐らく君の言う自らを『背景』と名乗る連中と一緒だろう。ジョナス・クリーバリーも同じようなことを言っていたし」

 唐突にクリーバリーの名前が出て、リザリーは首を傾げる。
 己の疑問に気付いているのかいないのか、バートンは酷く暗い口調で朗々と続けた。

「私は君たちが襲われたとき、アパートメントの外にいたんだ。そして出てくるクリーバリーを見た」
「え?」
「彼の後をつけ、話を聞こうとしたよ。しかし口にするのは『背景』だの『物語』だのでまるで会話にならなかった」

 やはりあの時編集長の左頬を殴ったのは、ジョナス・クリーバリーで間違いなかったのか。
 既に消えた傷の場所をなぞりながら、バートンはまたゆっくりと振り返る。

「しかし私はこれで確信した。私の物語を変えようとする人間が、私と同じようにこの世界に来ていると」

 彼の目には先ほどよりもずっと強く冷たい光が宿っていた。
 そこから滲み出る感情は、憎とも哀とも取れない。

 ただ並々ならぬ執念が感じられて、リザリーはぞくりと背筋を震わせる。

「……もし貴方の言っていることが本当として」
「ああ」

 目の光を抑えぬまま頷かれて、一瞬ためらうがそれでも問う。

「心当たりはあるんですか?貴方の物語を滅茶苦茶にするような、そんな人物の心当たりが」

 ぴくり、とバートンの片眉が小さく跳ね上がり、そして緩やかに元に戻っていく。
 湧き上がった怒りを無理矢理押さえつけたのだと、何となく察した。

 自分の感情をコントロールするためか眼鏡のブリッジをぐい、と押し上げて、男は静かに告げる。

「あるよ。私を殺した男だ」
「え……?」

 一瞬リザリーは呼吸をすることを忘れた。
 それほどまでに男の言った言葉を理解するのに時間がかかった。

 殺した?しかしバートンはまだ生きている。
 何かの比喩か?と訊ねる間もなく、編集長は憎々し気にすっと目を細めた。

「『ローゼンナイト』の展開が気に入らないと幾度も『ファンレター』を送ってきた男。あの男もこの世界に先生してきているのだと気づいた」
「あの、殺されたって、いうのは……?」
「もちろん、そのままの意味だ。私はロジャー・バートンに転生する前にあの男に殺されているんだよ」

 あまりにも真っ直ぐにこちらを見つめ放たれた言葉に、リザリーは再び何も言うことが出来なくなってしまった。
 しばらくただ呼吸をするだけの時間が過ぎ、バートン編集長の目を見つめる。

 彼の目は相変わらず冷え冷えとした光が宿り、ここにいない誰かへの感情で溢れていた。
 その表情にごくりとつばを飲み込み、おっかなびっくり、浮き上がってきた疑問を口にする。

「……その方は、それほどまでにこの世界を憎んでいるんですか?」
「愛と憎しみは紙一重とも言うが、彼の場合はまさにそうだったんだろうね。愛しすぎて気に入らない展開は存在すら許せなくなったんだ」
「確かに、そういうファンはいるかもしれませんが……」

 新聞社に送られてくるファンレターにも、内容が気に入らなくて激高する言葉がつづられていたことがある。
 だがその感情が人を殺すまでに成長するか疑問に思い……いいや、と首を横に振る。

 脳裏にファンレターが……新聞社に送られたものではなく、自分たちに送られてきた例の手紙をが浮かび上がったのだ。
 あの便せんに書かれていた言葉は、確かに愛とも憎しみともつかないものだったのかもしれない。

 文字越しにも感じられる熱量、そして自分たちの行動を逐一監視するような人間ならば、作品への愛と憎しみのために殺人もいとわないのではなかろうか?

 背筋を凍らせるような恐ろしさとともに理解すると、編集長はリザリーに言った。

「それで、どこの誰に成り代わっていたんだ?彼は。私も随分探したのだが、それらしい男は見当たらなくてね」

 まとう空気が研いだ刃のようだ。
 感じる凄みにごくりと息を呑みながら、リザリーはためらいつつも静かに首を横に振る。

「いいえ、その方は男性ではないんです」

 ここで再び編集長の目が驚きで見開かれる。
 じっと彼の様子をつぶさに観察しながら、リザリーは告げた。

彼女・・の名前はクララ・クリス。『カフェテリア・ギャレイル』の女性オーナーです」
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