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駆け落ち

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 ソフィーをこの手で殺した。
 もう彼女と喋ることも出来ず、彼女を幸せにもできない。

「俺のせいで! なんで俺に力が無い!」


 地面を何度も殴った。拳が壊れても、気にせず何度も殴った。

「ソフィーッ、ソフィーッ!」

 また地面を叩こうとしたときに、急に体を包み込まれた。

「クリス、しっかりして!」

 ソフィーの声が聞こえる。幻聴かと思ったがそれにしてははっきりと聞こえた。
 顔を上げるといつの間にかソフィーは訓練用の服に着替えていた。
 場所も荒れ狂った戦闘の跡が消え去り、よく見慣れたソフィーの私有地だった。
 戸惑っている俺を赤ん坊をあやすように彼女は背中を擦ってくれた。

「大丈夫だよ、私はいるよ。だからそんなに泣かないで!」
「どうしてソフィーが……いいや、そんなことはどうでもいい!」

 彼女を逆に抱きしめる。もう声も聞こえないと思っていた彼女の存在をもっと感じたかった。

「ちょっと、クリス! みんなが見ているから!」

 照れ隠しするように彼女は慌てる。彼女が困っていたとしてもしばらくは独占したい。

 ~~☆☆~~

 ようやく落ち着いたクリストフと供に屋敷へ戻る。
 拳を何度も打ち付けて血が流れていたので、包帯を取ってきたが自分で治療していた。
 ソファーの隣に座り、彼が用意した紅茶を飲んだ。

「便利ですね、神聖術は」
「そうでもない。色々な制約もある。そんなことよりも――」

 急に髪を手のひらに持ち上げられて、髪にキスをされる。
 綺麗なまつげから覗く神秘的なほど澄んだ黒い瞳にドキッと心臓が高鳴った。


「本当に生きていてよかった……時を戻す力が発動したのか?」
「たぶん……そうだと思うけど……」
「たぶん?」
「最後を覚えていないの……どうして死んだのかを……」


 記憶の最後は魔女の秘薬を飲んだところまで。
 頭が猛烈に痛み出したところまでは覚えており、痛みが無くなったと思ったら、過去に戻ってしまっていた。

「知らなくていい!」

 急に彼は血相を変えた。いったい何があったのかを知りたいが、彼はそれを口にしたくないようだった。

「でもガハリエを倒すには少しでも情報を――」
「それは考えなくていい。もうあいつは狙わない」
「え……」

 理由を聞こうとしたときに急に眠気が襲ってきた。
 耐えることもできずに彼にもたれかかってしまった。

 ガタンっと体が揺れた。目を開けて顔を上げると彼の顔があった。
 どうやら膝の上で寝てしまっていたらしく、慌てて起き上がった。

「ご、ごめんなさい! 寝てしまうなんてはしたない!」

 よだれが垂れていないか心配になった。よっぽど疲れていたのだろうか。
 ふと今いる場所が屋敷ではなく、馬車だと気付いた。

「どこかへお出かけですの?」

 彼は答えなかった。不審に思い、外を見たが誰も護衛がいない。
 侍従すら付けずに外出することなんてあるのだろうか。
 じーっと彼を見るとバツが悪そうな顔をする。
 これはいわゆる――。

「もしかして……駆け落ちですか!?」


 これは大変なことになったと思い絶叫したが、彼はそう言われると思わず面を食らっていた。

「たしかにこれは駆け落ちだな。なるほど、教会に来る者達はこういう気持ちを伝えていたのだな」
「冷静にならないでください! どうしてこんなことをしたのですか! ガハリエのせいで大変な時に――」
「もういいのだ」

 彼は全てを諦めたかのように私を抱きしめた。

「クリス……」

 その声にはとても悲しい気持ちが混じっている。
 もしかすると記憶が無い死ぬまでの間に何かがあったのだろうか。

 馬車の中で二人とも沈黙してしまい、気まずい時間が流れる。
 小さな町にたどり着く頃には陽が落ちようとしていた。


「宿はどうしますか?」
「ふむ……少し散策して探してみよう」

 彼は何の迷い無く歩き出したため、信用して任せたがそれは私が馬鹿だった。
 ものすごく高そうな高級宿に入り、クリストフは何の疑問もなく宿泊手続きをしようとした。
 店主が疑いの目を向けるのに気付かないとは。

「主人、二人で泊まれる部屋を――」
「ちょっと待ちなさい!」

 慌てて彼を引っ張って引き留めた。突然のことに戸惑っているが、今は説明している暇は無い。
 宿から少しだけ離れた小道に隠れた。

「どうしたというのだ?」
「こっちのセリフですよ! わたくしたちは駆け落ちなのですよ! それなのにこんな高い宿に泊まったら、すぐに居場所を特定されるでしょ!」


 そんな考えは無かったと、彼は目を丸くしていた。
 貴族が突然にも予約無しで泊まろうとすれば疑われて当然だ。
 それにクリストフと私は少なからず目立つ特徴があるので、朝には居場所がバレている可能性が高いだろう。

「もう! いつもは質素な生活をしようとしますのに、今日に限ってどうしてこんな贅沢をされるのですか!」
「すまぬ。其方に少しでも快適に過ごしてもらいたくてな……」


 気持ちは嬉しいが、それでも彼の世間知らずなところに苦労しそうだ。

「もっと安い宿で大丈夫ですよ。未来では外で寝たくらいですから、そんなに贅沢は言いません」

 一番酷かったのはやはり外で寝ることだ。
 起きたら虫がわんさか居て、本当に地獄だった。
 それに比べたら屋根があるだけマシだろう。

「それにこれから生活をするのでしたらあまり無駄遣いもいけませんよ」

 別の場所に移動しようかと思って彼の腕を引っ張ったが動かない。
 どうしたのかと思ったら私を凝視していた。

「どうかしましたか?」
「いいや意外だと思ってな。てっきり勝手なことをした俺に怒っているものだと思っていた」

 何を今さらな。ここまで来てしまったら二人で助け合うしかない。
 しかし普段とは違いびくびくしているのは、私を勝手に連れ出した罪悪感と慣れない非行のせいだろうか。
 少しばかり自信を無くしているため、少しでも元気になってもらいたい。

「怒っていますよ」
「うっ……」
「でもせっかく駆け落ちしているのですから、二人で色々なところを回ってみたいではありませんか。何かあったら守ってくださいね」


 彼の腕に掴まって精一杯甘えてみせた。
 すると彼の迷いが少しは無くなったのか、いつもの精悍な顔に戻っていった。

「もちろんだ。ソフィーは必ず守ってみせる」

 彼のやる気も戻り、一緒に宿を探す。だがどこも満室で残っているのは、大部屋で雑魚寝をする宿しかなかった。
 看板も汚れており、食事も自分たちで用意しないといけなかった。


「野宿よりはマシな程度ですね。でもお金は安いのでここにしましょうか」
「もう少しだけ探さないか? 俺は大丈夫だが其方にここは……」
「あれだけ探してなかったのですから諦めましょう。それよりも食材を買ってきましょうか」


 このままでは本当に宿すら借りられなさそうなので、無理矢理に納得させた。
 市場はほとんど閉店していたが、まだ食材が残っているお店へ寄ってみた。
 といってももう閉店準備をしているのだが。

「おじ様、まだ売っていただけますか?」
「ん? ああいいとも。残り物だから半額でいいよ」
「本当! やった!」

 しかしどれを買えばいいか分からない。するとクリストフが「シチューにしよう」と材料を決めていく。

「クリスは料理ができるのですか?」
「ああ。修業時代は自分で用意せねばならなかったからな」

 ということは彼の手料理が食べられるということだ。味も楽しみだが、彼の料理がどんなものか好奇心が湧く。

「しかしどれの野菜も半額で定価くらいだな。これも不作の影響か?」
「ええ、そうですよ。一部の野菜はもう高すぎて誰も買えなくなっているくらいだ。お隣のグロールング領は事前に対策していたらしいから。本当にあそこのお貴族様は魔女なのかもしれねえな。未来を見ているに違いねえ!」


 胸がズキッと痛んだ。未来を知っていても結局のところ救えたのは自分達の領地だけだ。
 もっとやり方を良く出来たら、違う結果だったかもしれない。

「何を言ってんだい!」

 突如として奥さんだと思われる大柄の女性が主人を殴った。

「痛え! なにしやがる!」
「ここの領主様も農作の切り換えを推奨したのに断ったのはあんたでしょうが! 全く人のせいばかりするから生活が苦しくなるんでしょうが!」
「そ、それは……」

 奥さんにたじたじになりながら、主人は俺たちにどっかへ行けと目で合図を送る。

「で、ではお金は置いていきますね」

 代金を引き換えてそそくさと私達はその場をあとにした。

「なかなか豪快な奥様でしたね」
「そうだな。市井の民はたくましい者が多い。だがやはりそうではない者もいる。どうしても富を持つ者を恨む気持ちが出てしまうのは、人間の性であろう」
「そうですね……でも助かった人もいると聞いて少しだけ嬉しかったです」


 袋に入れた作物を見てじんわりと心が温かくなる。早速宿に戻ってキッチンを借りる。
 クリストフから指示を受けて、包丁を握った。

「えっと斬ればいいのよね」


 まな板に野菜を置いて包丁を使おうとした。

「待ちなさい! そのような持ち方をするでない!」

 慌てたクリストフが後ろから止めに入った。逆に変なところを斬りそうになった。

「びっくりした!」
「それはこっちのセリフだ。指は猫の手にしないと誤って切ってしまう。こうやるのだ」

 彼は後ろに張り付いたまま私の腕を操る。大きな手が私をリードしてくれて、とても男らしさを感じた。

「ごめんなさい……」
「何を謝る?」

 邪魔をしていることを痛感して謝罪をしたが、彼はよく分かっていない顔をしていた。

「だって私のせいで仕事が増えてしまっているでしょ?」
「そのようなことは気にせずともよい。お互いに不慣れなことはある。先ほどの俺のようにな。それにこういう時間もよいではないか」

 ストン、ストンと野菜を切っていく。ただ切っているだけなのにとても特別な時間に感じた。
 時間が掛かったが、二人で笑いながら調理するのは楽しく、普段は使用人達がしてくれることを経験できて良かったと思う。
 シチューが出来上がり、二人でテーブルに座って食べる。


「へへっ、どんな味かな……んっ!」

 食べてみたが悪くは無い。それどころか美味しい。
 前に料理を作ったこともあったが、その時も素人ながらにも美味しかった。
 それは自分が料理したから美味しく感じているのかもしれない。


「美味しいですね! 自分で作るってすごく楽しいですし。といってもクリスが味付けをしてくれたので、わたくしは何もしてませんけど」
「何を言う。二人で作ったのだ。美味しくて当たり前だ」

 お世辞だと分かっているが、それでも嬉しかった。
 彼は満足そうに食べており、大盛りでお代わりをしていた。


「そういえばクリスって最近かなり食べますよね」
「そうか? そういえばそうかもしれない。其方と一緒に居るようになってから、似てきたのかもしれないな」
「いくら私でもそんなに食べませんよ」
「量ではなく、食の好みだ」


 言われてみれば、最近は私から言う前にあのお店へ行ってみようと誘ってくれる。
 てっきり私の好みで選んでくれているのかと思ったが、彼自身が食べたいと思ったお店なのかもしれない。

「もっと色々なお店を回りたいね」


 ぽつりと呟くと彼は頷く。

「これからいくらでも回れる。ソフィーは心配せずとも――」


 彼の言葉を遮るかのごとく、足音が響いてくる。
 何かもめ事かと思うほどドタドタして、その音は私達の食堂に近づいていた。
 すると大勢の剣を持った男達が入ってくる。


「動くな! 通報があって参った! クリストフ猊下とソフィア様のお二人だとお見受けする!」


 クリストフは立ち上がろうとしたが、私が袖を引っ張って邪魔をした。
 だって彼らを呼んだのは私なのだから。

「ソフィー、其方が呼んだのか?」
「うん……」

 裏切られたという顔をする彼と供に、私達は馬車に乗せられるのだった。
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