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模擬戦
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~~☆☆~~
俺の名前はクリストフ。どういうわけか過去に戻ってきた。そして幸か不幸かソフィア・ベアグルントと偽装結婚といえ一緒になれた。
そんな彼女と結婚生活をこれから送る予定だったのに、大司教から命が下ったため、俺はドラゴンの巣を破壊しに遠征していた。
「なぜせっかく彼女と想いが通じたのに、こうタイミングが悪いのだ」
俺は司祭として神官達を束ねる立場にあるため、人々に害をなす存在を許しはせぬ。
私情を挟まずに自分の任を全うするのが本来の俺の役目。
だがそれでもソフィーを殺すことだけはしたくなかった。
俺はずっと彼女に恋慕の気持ちがあったからだ。
「クリストフ司祭! 本日は一緒に参加できて光栄です!」
初老に入ったばかりの大神官の一人が馬で並列してきた。年齢が俺より上なのに、みくびることなく上官として扱ってくれるのはありがたい。
「こちらこそ、トマス大神官と一緒に戦えることは光栄であります。勇猛な戦いは私にまで届いております」
だがトマスは謙遜するように手を前に振って否定した。
「クリストフ司祭ほどではありませんよ。ミノタウロスの軍勢をお一人で止めたのは、未だかつて貴方様以外におりません。流石は隣国に轟く黒獅子ですな」
「あれは周りに助けられただけです。私を信じて誘導してくれたからこそ、土地を上手く利用できたに過ぎません」
事実、俺一人では被害を最小限になんかできなかった。
常に自分に慢心してはならない。未来では俺の武勲なんぞ何の意味もなかったのだから。
「ときに、クリストフ司祭もとうとう身を固められたとか」
トマスがその話題に触れたことで、唐突に彼女とのベッドでの記憶が蘇る。
彼女があまりに細く、小さく、それでいて魅力的な女性であるため、何度も理性がなくなりかけた。
彼女をちゃかしたのも、そうでもしないと恥ずかしさで死んでしまいそうだったからだ。
これほどまで帰るのが楽しみな遠征は初めてかもしれない。
「おやおや、それほど顔を赤くされるとはさぞ魅力的なのでしょうね」
「ええ。私にはもったいないくらいです」
ふむふむ、とトマスは話を聞いてくれたが、急に声を低くして、周りに聞こえないようにする。
「ですが、お相手が元王太子殿下の婚約者殿と伺っておりますが、その辺は大丈夫でしょうか」
トマスは俺の身を案じてくれているようだ。
本国からも色々と問い合わせが多い彼女との結婚。素直に彼女が魔女の末裔だと告げたら、すぐに強制執行されるだろう。
「ええ。必ず彼女と幸せになってみせます」
この程度の障害なんぞ元から想定していた。こんなのは俺が頑張れば済む話だ。
「クリストフ司祭がそう仰るのでしたら大丈夫でしょう。ただあの忌まわしき組織がまさか我らの町に拠点を構えていようとは思いませんでしたな」
ソフィーの進言によってすぐに変なサーカスを摘発した。
だがすでにもぬけの殻になっていたため、組織の逃げ足の速さに舌を巻いた。
組織の名前は不明、またボスについても謎が多い。
本国でも組織が裏社会を牛耳っており、正教会はかなりの被害を出していた。
一番危険なのは、構成員がボスに謎の忠誠を誓って、破壊を楽しんでいることだ。
「奥方も異端者に目を付けられてお可哀想に」
「ええ。ですので、私が居ない間はアベル大神官に護衛をお願いしております」
色々と察しのよい男なので一番の適任であろう。
いざとなれば盾にもなるので、ソフィーの危険が少しだけ減る。
「それは安心ですな。剣の称号を持つ騎士の家名でも、流石に令嬢まで剣を持てるわけはないですからな」
「いいえ、彼女は紛れもなく騎士の血を引いていますよ」
「はい?」
「そろそろ渓谷を通りますので先頭を行きます」
あまりおしゃべりをしていては、付いてくる者達に示しが付かないため、私は馬を早めてトマスを引き離した。
元々、アベルに護衛としての能力を期待したわけではなく、器用に立ち回るため、彼女のサポートにうってつけだと思っただけだ。
「彼女がもっと弱ければ、俺も未来では取り逃がした言い訳が出来ようはずもないではないか」
もちろん未来では彼女との戦いは手加減をした。だがそれは彼女から見ての話だ。他の者達は誰一人とて、真剣な戦いだったと口を揃えて言っていたのだからな。
~~☆☆~~
騎士達が訓練場の一画で、アベルと模擬戦を行っていた。だがアベルに負けて騎士の威厳がなくなってしまうことを恐れて、私が彼と戦うことになった。
私は木刀の切っ先をアベルへと向けて、宣戦布告をした。
すると後ろからリタが心配そうな声を出す。
「ソフィアお嬢様……」
「止めないで! これでも私は副団長よ!」
リタは知らないだろうが、これでも私は剣の腕前には少しだけ自信がある。
「いいえ。とても言いにくいのですが、腕が震えていらっしゃいますよ」
腕がぷるぷると震えてしまっており、木刀をずっと掲げるのに限界がやってきた。
周りの騎士達も不安そうな顔で、本当に戦っても怪我しないのかと言いたそうだった。
慌てて剣を下ろした。
「こ、これは!? 昨日の筋肉痛が取れていないだけよ!」
昨日は久々に剣の稽古をクリスとして、さらには組織を追いかけるために走ったりもした。
そのせいで怠けに怠けたこの体は、今もなお疲れが残っているのだ。
私の補佐役のランスロットが止めに入る。
「お嬢様、どうかそのへんにしましょう。何かあればお父君から私の首が飛ばされます」
大の大人とは思えないうるうるとした瞳を向けるせいで、思わず決意が揺らぎそうになった。
だけどこのままでは、騎士達のやる気が低下してしまう。
木刀を肩に乗せているアベルは口パクで「手加減しますよ」と言ってきた。
周りの反応にとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「もう! みんな馬鹿にしないで! 副団長命令よ! そこで黙って見ていなさい! アベルも手加減したら許さないからね!」
観客の波を抜けて私はアベルの真正面に立った。
これでようやく戦えると思っていたら、アベルから提案があった。
「ソフィアちゃん、戦うのはいいがしっかり防具は付けたほうがいいよ」
アベルは自身が身につけている正面側の上半身を守るブレストプレートを指で差す。
「防具ですか?」
そういえばみんなも訓練中とはいえ、しっかりと装備は付けている。
普段から顔を出さない私はそんな基本も知らず、騎士達も「そこからか……」と天を仰いでいた。
だがリタはすぐに機転を利かす。
「ソフィアお嬢様、すぐに全身をお守りできるようにフルプレートを持ってきますね」
「いらないよ! みんなが着ているやつにして!」
全身鎧なんて私の力では動くだけで精一杯だ。時間が経つごとに私を心配する声がどんどん増えていく。そんな声に居心地の悪さを感じながらも、やっとリタが上半身だけを守るブレストプレートを持ってきてくれた。
「申し訳ございません。余りのものしかありませんした」
「ううん、ありがとう。じゃあ着よう……臭っ!」
着ようとしたらものすごく臭いが強烈だった。
どうやら前に誰かが着たようで、これ以外に予備がないのなら我慢して着るしかない。
ようやく準備も終わって私とアベルの模擬戦が始まる。
審判を務めるのは、ランスロットだ。
「ではお互いに剣が胸に当たった方の負けにします。ただし、お嬢様の安全が第一ですので、何かあれば僕の指示に従ってもらいます」
これは譲歩するべきだろう。アベルも異論はないようで頷いてくれた。
小さな旗を持って、それを上へ持ち上げた。
「では始め!」
勢いよく下ろされた直後に、私は走り出した。
「なっ! いきなりですか!」
アベルも予期していなかったようで少しだけ慌てる。こういうのは先手必勝だ。私はさらに踏み込んで相手が油断している隙を突こうとする――つもりだった。
「あぎゃっ!」
足がもつれて思いっきり胸から地面に転んだ。鎧のおかげでダメージがなかった。顔もどうにか地面に擦らずに済んでよかったが、周りから無言の視線が痛い。
「えっと……大丈夫っすか?」
アベルもそんなチャンスでも私を憐れんで待ってくれている。
だけどこれは真剣勝負だ。私は立ち上がって服に付いた土を落とした。
そしてまた剣を構える。
「戦いはこれからよ!」
「そんなどや顔で言われても……参ったな」
アベルは仕方なしと腰を落として、あちらから攻めてきた。
「きゃっ!」
突然の攻撃に驚いた私は後ろ側に腰から倒れる。
それが運が良くもアベルの一撃を避ける形になって、頭上を横一閃が過ぎ去った。
「嘘だろ……」
「運が良すぎるだろ……」
周りからそんな声が聞こえてくる。カンッと音が鳴り、アベルも「へっ……」という間抜けな声が漏れた。
なぜなら私は倒れつつも剣が偶然にもアベルの胸へと当たったのだ。
それを呆然と見ていた審判のランスロットもやっと決着を知らせる。
「そ、それまで! 勝者はソフィアお嬢様です!」
それを聞いた私は、遅れて勝利の喜びを披露する。
「やった! 勝ったよリタ!」
私はリタに喜びを分かち合ってもらおうとすると、彼女もまた目を丸くして驚いていた。だがすぐにハッとなるようにいつもの無表情に戻って駆け寄ってきた。
「流石です。お嬢様、わたしだけは勝ちを信じておりました」
「うんうん、リタはそうだと信じて……その手に持っている紙は何?」
リタの手には何やら私の名前が書いてあるピンクの紙があった。
急にリタはそっぽ向く。
周りを見渡すと他の騎士達もみんなが似たように紙を握りしめて、ピンクの紙を持つ者は喜び、黄色の紙を持っている者は落ち込んでいた。すると審判役のランスロットもほくほく顔をしていた。
「僕も勝ちに賭けておいてよかった――うぐっ!?」
ランスロットが最後まで言う前に、リタが彼の口の中にタオルを詰め込んだ。
彼の言葉を聞いて、私はやっと理解した。
「ほうほう、私という主がいながら、敵に勝利を願う大馬鹿達がいるようね」
この者たちは真面目に見ずに賭け事をしていたのだ。
せっかくみんなの士気を上げようと、私は頑張ったのにただの賭け事としか思っていなかったとは。
私がするべきは、魚を釣ってあげることではなく、魚の釣り方を教えるべきだったようだ。
怒りで体がどんどん震えだした。
「お、お嬢様、違うのです!」
「そうですよ! これは人数を調整するために仕方無かったのです!」
騎士達がどんどん言い訳をしてくる。だがもう私はキレていた。
「私に賭けていた方は許しましょう。だけど、負けに賭けていた方々は訓練場を百周してきなさい! 私が見ている前でサボったら減給にするわよ!」
私の怒りに一斉に負けに賭けていた者達が「ひええ」と走り出した。
これは一から鍛えないと実戦では役に立たなさそうだ。
すると私に賭けていた者達はこそこそ話が聞こえてきた。
「お嬢様ってあんな感じだっけ?」
「いつも、汚らしいとか、臭いので近づかないでくださいまし、とか言っていたよな」
恥ずかしい昔の私のことを話している。それにものまねは全く似ていない。
鞭か何かでぶってあげたい。
「お嬢様、専用の鞭でございます」
リタが先んじて持ってきてくれた。私はそれを手に持ち、地面へ思いっきり打ち付けた。
するとおしゃべりをしている者達がビクッと震える。
「負けてヘラヘラしているとは、ベアグルントの騎士も堕ちたものね。そこになおれ!」
「うわあああああ!」
私は鞭を振って気合いを入れようとしたが、無駄話をする騎士の子達は逃げていく。
私の体力がすぐに限界を迎えたので、今回は勘弁してあげた。
「いやあ、参りましたよ。ソフィアちゃんにやられるなんてな」
敗者のアベルは特に気分を悪くした様子もなく、いつものおちゃらけた様子で来た。
私は息を整えながら答える。
「運が良かっただけですよ。まさか倒れたら偶然にも剣が当たったのですから」
そう、偶然ということが一番いい。急に私が強くなったら私を怪しむ者も出てくる。
全てがアベルを油断させ、なおかつラッキーに見せかけたなんて誰も思うまい。
ただしこけたのは、わざとではない。
「では私ももう少しだけ訓練してから戻りますので、アベルも客人なのだからゆっくりしてくださいませ」
私はリタと供に移動する。その時の私はまだ知らなかった。
私が着ていたブレストプレートをみんなが取り合ったことを。
そしてアベルが私を疑い始めたことを――。
俺の名前はクリストフ。どういうわけか過去に戻ってきた。そして幸か不幸かソフィア・ベアグルントと偽装結婚といえ一緒になれた。
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「なぜせっかく彼女と想いが通じたのに、こうタイミングが悪いのだ」
俺は司祭として神官達を束ねる立場にあるため、人々に害をなす存在を許しはせぬ。
私情を挟まずに自分の任を全うするのが本来の俺の役目。
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俺はずっと彼女に恋慕の気持ちがあったからだ。
「クリストフ司祭! 本日は一緒に参加できて光栄です!」
初老に入ったばかりの大神官の一人が馬で並列してきた。年齢が俺より上なのに、みくびることなく上官として扱ってくれるのはありがたい。
「こちらこそ、トマス大神官と一緒に戦えることは光栄であります。勇猛な戦いは私にまで届いております」
だがトマスは謙遜するように手を前に振って否定した。
「クリストフ司祭ほどではありませんよ。ミノタウロスの軍勢をお一人で止めたのは、未だかつて貴方様以外におりません。流石は隣国に轟く黒獅子ですな」
「あれは周りに助けられただけです。私を信じて誘導してくれたからこそ、土地を上手く利用できたに過ぎません」
事実、俺一人では被害を最小限になんかできなかった。
常に自分に慢心してはならない。未来では俺の武勲なんぞ何の意味もなかったのだから。
「ときに、クリストフ司祭もとうとう身を固められたとか」
トマスがその話題に触れたことで、唐突に彼女とのベッドでの記憶が蘇る。
彼女があまりに細く、小さく、それでいて魅力的な女性であるため、何度も理性がなくなりかけた。
彼女をちゃかしたのも、そうでもしないと恥ずかしさで死んでしまいそうだったからだ。
これほどまで帰るのが楽しみな遠征は初めてかもしれない。
「おやおや、それほど顔を赤くされるとはさぞ魅力的なのでしょうね」
「ええ。私にはもったいないくらいです」
ふむふむ、とトマスは話を聞いてくれたが、急に声を低くして、周りに聞こえないようにする。
「ですが、お相手が元王太子殿下の婚約者殿と伺っておりますが、その辺は大丈夫でしょうか」
トマスは俺の身を案じてくれているようだ。
本国からも色々と問い合わせが多い彼女との結婚。素直に彼女が魔女の末裔だと告げたら、すぐに強制執行されるだろう。
「ええ。必ず彼女と幸せになってみせます」
この程度の障害なんぞ元から想定していた。こんなのは俺が頑張れば済む話だ。
「クリストフ司祭がそう仰るのでしたら大丈夫でしょう。ただあの忌まわしき組織がまさか我らの町に拠点を構えていようとは思いませんでしたな」
ソフィーの進言によってすぐに変なサーカスを摘発した。
だがすでにもぬけの殻になっていたため、組織の逃げ足の速さに舌を巻いた。
組織の名前は不明、またボスについても謎が多い。
本国でも組織が裏社会を牛耳っており、正教会はかなりの被害を出していた。
一番危険なのは、構成員がボスに謎の忠誠を誓って、破壊を楽しんでいることだ。
「奥方も異端者に目を付けられてお可哀想に」
「ええ。ですので、私が居ない間はアベル大神官に護衛をお願いしております」
色々と察しのよい男なので一番の適任であろう。
いざとなれば盾にもなるので、ソフィーの危険が少しだけ減る。
「それは安心ですな。剣の称号を持つ騎士の家名でも、流石に令嬢まで剣を持てるわけはないですからな」
「いいえ、彼女は紛れもなく騎士の血を引いていますよ」
「はい?」
「そろそろ渓谷を通りますので先頭を行きます」
あまりおしゃべりをしていては、付いてくる者達に示しが付かないため、私は馬を早めてトマスを引き離した。
元々、アベルに護衛としての能力を期待したわけではなく、器用に立ち回るため、彼女のサポートにうってつけだと思っただけだ。
「彼女がもっと弱ければ、俺も未来では取り逃がした言い訳が出来ようはずもないではないか」
もちろん未来では彼女との戦いは手加減をした。だがそれは彼女から見ての話だ。他の者達は誰一人とて、真剣な戦いだったと口を揃えて言っていたのだからな。
~~☆☆~~
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すると後ろからリタが心配そうな声を出す。
「ソフィアお嬢様……」
「止めないで! これでも私は副団長よ!」
リタは知らないだろうが、これでも私は剣の腕前には少しだけ自信がある。
「いいえ。とても言いにくいのですが、腕が震えていらっしゃいますよ」
腕がぷるぷると震えてしまっており、木刀をずっと掲げるのに限界がやってきた。
周りの騎士達も不安そうな顔で、本当に戦っても怪我しないのかと言いたそうだった。
慌てて剣を下ろした。
「こ、これは!? 昨日の筋肉痛が取れていないだけよ!」
昨日は久々に剣の稽古をクリスとして、さらには組織を追いかけるために走ったりもした。
そのせいで怠けに怠けたこの体は、今もなお疲れが残っているのだ。
私の補佐役のランスロットが止めに入る。
「お嬢様、どうかそのへんにしましょう。何かあればお父君から私の首が飛ばされます」
大の大人とは思えないうるうるとした瞳を向けるせいで、思わず決意が揺らぎそうになった。
だけどこのままでは、騎士達のやる気が低下してしまう。
木刀を肩に乗せているアベルは口パクで「手加減しますよ」と言ってきた。
周りの反応にとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「もう! みんな馬鹿にしないで! 副団長命令よ! そこで黙って見ていなさい! アベルも手加減したら許さないからね!」
観客の波を抜けて私はアベルの真正面に立った。
これでようやく戦えると思っていたら、アベルから提案があった。
「ソフィアちゃん、戦うのはいいがしっかり防具は付けたほうがいいよ」
アベルは自身が身につけている正面側の上半身を守るブレストプレートを指で差す。
「防具ですか?」
そういえばみんなも訓練中とはいえ、しっかりと装備は付けている。
普段から顔を出さない私はそんな基本も知らず、騎士達も「そこからか……」と天を仰いでいた。
だがリタはすぐに機転を利かす。
「ソフィアお嬢様、すぐに全身をお守りできるようにフルプレートを持ってきますね」
「いらないよ! みんなが着ているやつにして!」
全身鎧なんて私の力では動くだけで精一杯だ。時間が経つごとに私を心配する声がどんどん増えていく。そんな声に居心地の悪さを感じながらも、やっとリタが上半身だけを守るブレストプレートを持ってきてくれた。
「申し訳ございません。余りのものしかありませんした」
「ううん、ありがとう。じゃあ着よう……臭っ!」
着ようとしたらものすごく臭いが強烈だった。
どうやら前に誰かが着たようで、これ以外に予備がないのなら我慢して着るしかない。
ようやく準備も終わって私とアベルの模擬戦が始まる。
審判を務めるのは、ランスロットだ。
「ではお互いに剣が胸に当たった方の負けにします。ただし、お嬢様の安全が第一ですので、何かあれば僕の指示に従ってもらいます」
これは譲歩するべきだろう。アベルも異論はないようで頷いてくれた。
小さな旗を持って、それを上へ持ち上げた。
「では始め!」
勢いよく下ろされた直後に、私は走り出した。
「なっ! いきなりですか!」
アベルも予期していなかったようで少しだけ慌てる。こういうのは先手必勝だ。私はさらに踏み込んで相手が油断している隙を突こうとする――つもりだった。
「あぎゃっ!」
足がもつれて思いっきり胸から地面に転んだ。鎧のおかげでダメージがなかった。顔もどうにか地面に擦らずに済んでよかったが、周りから無言の視線が痛い。
「えっと……大丈夫っすか?」
アベルもそんなチャンスでも私を憐れんで待ってくれている。
だけどこれは真剣勝負だ。私は立ち上がって服に付いた土を落とした。
そしてまた剣を構える。
「戦いはこれからよ!」
「そんなどや顔で言われても……参ったな」
アベルは仕方なしと腰を落として、あちらから攻めてきた。
「きゃっ!」
突然の攻撃に驚いた私は後ろ側に腰から倒れる。
それが運が良くもアベルの一撃を避ける形になって、頭上を横一閃が過ぎ去った。
「嘘だろ……」
「運が良すぎるだろ……」
周りからそんな声が聞こえてくる。カンッと音が鳴り、アベルも「へっ……」という間抜けな声が漏れた。
なぜなら私は倒れつつも剣が偶然にもアベルの胸へと当たったのだ。
それを呆然と見ていた審判のランスロットもやっと決着を知らせる。
「そ、それまで! 勝者はソフィアお嬢様です!」
それを聞いた私は、遅れて勝利の喜びを披露する。
「やった! 勝ったよリタ!」
私はリタに喜びを分かち合ってもらおうとすると、彼女もまた目を丸くして驚いていた。だがすぐにハッとなるようにいつもの無表情に戻って駆け寄ってきた。
「流石です。お嬢様、わたしだけは勝ちを信じておりました」
「うんうん、リタはそうだと信じて……その手に持っている紙は何?」
リタの手には何やら私の名前が書いてあるピンクの紙があった。
急にリタはそっぽ向く。
周りを見渡すと他の騎士達もみんなが似たように紙を握りしめて、ピンクの紙を持つ者は喜び、黄色の紙を持っている者は落ち込んでいた。すると審判役のランスロットもほくほく顔をしていた。
「僕も勝ちに賭けておいてよかった――うぐっ!?」
ランスロットが最後まで言う前に、リタが彼の口の中にタオルを詰め込んだ。
彼の言葉を聞いて、私はやっと理解した。
「ほうほう、私という主がいながら、敵に勝利を願う大馬鹿達がいるようね」
この者たちは真面目に見ずに賭け事をしていたのだ。
せっかくみんなの士気を上げようと、私は頑張ったのにただの賭け事としか思っていなかったとは。
私がするべきは、魚を釣ってあげることではなく、魚の釣り方を教えるべきだったようだ。
怒りで体がどんどん震えだした。
「お、お嬢様、違うのです!」
「そうですよ! これは人数を調整するために仕方無かったのです!」
騎士達がどんどん言い訳をしてくる。だがもう私はキレていた。
「私に賭けていた方は許しましょう。だけど、負けに賭けていた方々は訓練場を百周してきなさい! 私が見ている前でサボったら減給にするわよ!」
私の怒りに一斉に負けに賭けていた者達が「ひええ」と走り出した。
これは一から鍛えないと実戦では役に立たなさそうだ。
すると私に賭けていた者達はこそこそ話が聞こえてきた。
「お嬢様ってあんな感じだっけ?」
「いつも、汚らしいとか、臭いので近づかないでくださいまし、とか言っていたよな」
恥ずかしい昔の私のことを話している。それにものまねは全く似ていない。
鞭か何かでぶってあげたい。
「お嬢様、専用の鞭でございます」
リタが先んじて持ってきてくれた。私はそれを手に持ち、地面へ思いっきり打ち付けた。
するとおしゃべりをしている者達がビクッと震える。
「負けてヘラヘラしているとは、ベアグルントの騎士も堕ちたものね。そこになおれ!」
「うわあああああ!」
私は鞭を振って気合いを入れようとしたが、無駄話をする騎士の子達は逃げていく。
私の体力がすぐに限界を迎えたので、今回は勘弁してあげた。
「いやあ、参りましたよ。ソフィアちゃんにやられるなんてな」
敗者のアベルは特に気分を悪くした様子もなく、いつものおちゃらけた様子で来た。
私は息を整えながら答える。
「運が良かっただけですよ。まさか倒れたら偶然にも剣が当たったのですから」
そう、偶然ということが一番いい。急に私が強くなったら私を怪しむ者も出てくる。
全てがアベルを油断させ、なおかつラッキーに見せかけたなんて誰も思うまい。
ただしこけたのは、わざとではない。
「では私ももう少しだけ訓練してから戻りますので、アベルも客人なのだからゆっくりしてくださいませ」
私はリタと供に移動する。その時の私はまだ知らなかった。
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そしてアベルが私を疑い始めたことを――。
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