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決闘

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 結局、私はクリストフとの婚約を断ることが出来ずに偽装結婚という形に収まった。
 一年だけ我慢すればいいだけだが、やはりまた未来のように殺されてしまうのではないかという不安があった。
 私は今回こそ生き残れるのか自信がないのでため息が出てくる。

「お嬢様、そのようにため息ばかりでは幸せも逃げますよ。せっかく今日もクリストフ猊下がいらっしゃいますのに」

 リタは私の髪に櫛で整えながら苦言を言う。
 そのクリストフが嫌なのだとは言えないが、心配を掛けてしまっていることを反省した。

 これからは毎日クリストフと食事をしないといけないので、腹を括って立派な令嬢として務めを果たさねば相手にも失礼だろう。
 鏡越しで見えるリタが聞きたいことがありそうな顔をしていることに気づいた。

「どうしたの、リタ?」
「いいえ、ただクリストフ猊下のお話で思い出しまして……お嬢様はいつマカロンなんて食べたのですか? 私の記憶では、庶民の食べ物でしたので、デザートでお出ししたことがなかったと思いますが」

 リタに言われて私も考えてみる。そういえばいつから好きになったのだろう。
 そもそもクリストフはどうして私の好みを知っているのかも謎だ。
 思い出そうとしている時に、部屋の外で走ってくる足音が聞こえた。


「お嬢様、大変です! 王太子殿下が来られております!」
「何ですって!?」

 メイドは外から伝えてくる。まさか約束もなしに来るとは思っておらず、何も準備していない。
 待たせるわけにはいかないので、私はすぐさま部屋から出て玄関へ向かう。
 私は廊下を歩きながら必死に頭を働かせた。

 ──どうしよう、どうしよう、どうしよう。お父様もいないし、言い訳も考えていないよぉ。

 私は来年婚約破棄されるはずだった。しかし私は今がその時だと勘違いしてしまい、一年早く婚約破棄を申し出てしまったのだ。
 多くの人がいるなかでそれを宣言してしまったため、もうその言葉を取り消すことができないのだ。
 私はもう泣きたくなってきて、後ろを歩くリタへ助けを求めた。

「リタぁ、助けてください!」
「ご自身で言ったことなので、もう私ではどうにもできません」

 ──冷たいよ、リタ。

 しかし彼女の言うとおりだ。
 間違えてしまったとはいえ、誰かに責任があるわけでもない。

 覚悟ができぬまま廊下を抜けると、玄関でリオネスが腕を組んで待っていた。
 少しだけ苛立っているようで、私はこのまま素通りしてお部屋まで戻りたかった。
 彼も私に気付き、あちらから近づいてくる。

「待ちわびたぞ!」

 彼がこちらへ来るたびに私の心臓が跳ね上がった。
 言い訳も思いつかないまま彼に接近を許してしまう。

「一昨日のはどういうことだ!」
「それは……そのぉ……」


 実は未来で私は貴方に振られるからです、と正直に言えたらどんなに楽であろうか。
 しかしそんなことをすれば、変な目で見られてしまうだろう。
 困った私はしどろもどろになるしかなかった。
 痺れを切らしたリオネスは手を胸に当てて声を荒げる。

「僕の何がいけなかったんだ! まだ頼りないからか! どうして何も相談してくれない!」


 彼の言葉を聞いて少しだけ冷静になれた。
 私が婚約破棄される前も、彼から何も相談を受けていない。
 突然、私は婚約破棄されて大変な目に遭ったが、彼が私を気にしていたという話は特に聞かなかった。
 どちらかといえば私を捕まえるために懸賞金を掛けていた気がする。
 思い返すとだんだんと婚約破棄を早めるのはよかったのかもしれないと思えてきた。
 私は彼を見つめ返した。

「申し訳ございません。王太子殿下、私の気持ちに変わりはありません」

 私は彼に捨てられてから、何度も元の関係に戻るのを願った。
 しかしそれが叶わない夢だと気付いてからは未練が無くなったのだ。
 もう私の未来に彼と歩む道は無いのだ。

「ソフィア……どうして君は分かってくれない! 君の目を覚まさせないといけないのか!」
「なっ!」

 リオネスは腕を振り上げた。ぶたれてしまうと目をつぶった。
 怖さから目元が熱くなり、目に涙が溢れそうになるのを感じた。
 痛みに備えていたが何も起きない。
 もしかすると途中で止めてくれたのかと目を開けると、彼の顔は私ではなくその後ろを見ていた。
 玄関に白いローブをまとった男性が何かを投げたように、スローイングのポーズをとっていた。

「クリストフ……様?」


 リオネスが急に来たことで忘れていたが、彼が来る約束を思い出した。
 カサッとリオネスから何かが落ちた。
 それは手袋だった。
 するとまるで地獄の底から聞こえてくるような、怒りの声が聞こえてきた。


「人の婚約者に何をしている!」

 クリストフは未来でよく見た黒獅子に相応しい凶暴な目をしていた。
 思わず私は小さく「ひぃ!」と声を出してしまった。リオネスが暴力を振ろうとすることよりも何倍も恐い。
 二人はにらみ合い、そしてリオネスが切り出す。

「クリストフ殿、この手袋は私に決闘を挑んだということでよろしいですか?」

 私はそこでクリストフの左手だけ手袋が無いのに気付いた。

 左の手袋は決闘を申し込むための作法だ。
 手袋を投げ、相手がそれを拾い上げたら正式に決闘が承認されるのだ。
 リオネスはためらわずに手袋を拾い上げた。

「貴方が勝手に人の婚約者を奪ったのだ。この決闘で勝った者が彼女を手に入れるというのはどうだ?」

 やめたほうがいいですよ、とリオネスに伝えたい。
 リオネスも何でもこなす完璧人間だが、クリストフはそんななまやさしくはない。
 私の父は騎士団長だが、父よりクリストフの方が何倍も強い。


「いいでしょう。どのような勝負にしますか? 互いに死ぬまで殴り合いますか?」


 クリストフは殺気を抑えようとしているようだが、全然治まっていない。
 むしろ彼の得意分野でボコボコにしようとしていた。聖職者なのだからもっと穏便に済ませてほしい。
 リオネスは馬鹿にしたように鼻で笑った。

「私は王太子で其方は大事な国の司祭。どちらかが死んでしまっては大きな問題になるだろ。そうだな、七日後にある狩りで勝負するのはいかがですか?」

 狩猟大会のことだろう。リオネスは趣味でよく獣を狩っているので、かなり腕前は高い。
 狩り場や獣の習性、その他諸々の運では無い要素をどれだけ知っているかが勝負の決め手になる。
 こればかりはクリストフの方が単純な力比べができない分は不利かもしれない。
 しかしクリストフは頷いた。

「その勝負乗りました。ですがその前に――」

 クリストフがこちらへ歩いてきた。
 リオネスに何かすると思いきや、リオネスを素通りして私の肩を抱いた。

「……えっ?」


 ──ど、ど、ど、どうしてこっちへ来たの! リオネス様も怒りで顔が歪んでますけど!?

 わざわざ火に油を注ぐせいでリオネスの怒りが爆発しそうだった。
 まるでわざとクリストフが挑発しようとしている気がした。

「今日は約束がありましたので、貴方に構っている時間はありません。もしや王太子殿下もお約束されていたのですか?」
「ぐっ!?」

 少し意地悪そうな顔で言っているので、おそらくは約束がないことを見破っていたのだろう。
 まあ、私との面会も侍従に伝えて時間を決めたはずだから、考えたらすぐに分かることかもしれない。
 リオネスは顔を引き攣らせながら言う。

「今日は許すが、また其方らの婚姻について認めたわけではない! 勝敗が決まるまで二人っきりは許さない!」
「ええ、貴方を負かしてからゆっくり二人で愛を育みましょう」

 ──クリストフ様、どうかそれ以上挑発しないでおくんなまし。

 リオネスはキッと睨み、そして体を翻した。

「帰る!」

 ドンドンと強く床を踏みながら玄関を出て行く。
 リオネスがあそこまで怒ったのも未来含めて初めてだ。
 あれほど怒ってくれるのなら最初から婚約破棄なんてしないでくれたらよかったのに。

 といっても、半年くらい経った後に、別の女性に目を奪われて、私はほとんど相手されなくなっていたのだが。
 少しだけ昔のことを思い出して泣きたくなってきた。そしてだんだんと緊張も解けて、腰が抜けてしまい足に力が入らなくなった。


「大丈夫か!」


 クリストフが私が倒れる前に抱きかかえてくれた。
 あやうく怪我するところだった。

「申し訳ございません。腰が抜けてしまいました……」


 リオネスに詰められ、そして目の前には宿敵クリストフまでいる。
 今でも心臓が高鳴っており、私の寿命は未来よりも縮まっていないか心配になった。


「本日はお食事を共に取りたかったが無理そうだな……」

 クリストフは少し残念そうな顔をして、私を腕で包んで運び出す。

「く、クリストフ様、私は自分で歩けますから――」
「さっきの体たらくでよくそんな自信がありますね」

 正論に思わず声が詰まった。

「お部屋にお連れしたら今日は帰りますから、それまで我慢してください」


 ──えっ、帰ってくれますの!

 それはありがたい。少しの間、耐えるだけでいいのなら私も頑張ろう。
 私の部屋に入りながら、クリストフはため息を吐いた。

「それほど嫌ですか?」

 心を読まれ心臓が飛び出そうになった。私は慌てて首を振って否定する。

「そ、そ、そんなわけありませんよ! クリストフ様は多くの令嬢の憧れですから緊張しているだけです!」


 私以外から人気です、というのは伏せといた。
 貴族の女性達から人気なので嘘は言っていない。
 彼は何ともいえない、しょうがないな、という顔で私をベッドに降ろしてくれた。
 これで私も安心できる。
 しかしまだまだ私は油断していたのだ。
 彼の指が私の前髪を上げておでこが見えるようにする。

「では七日後にまた会いましょう。私の愛する人」

 彼が少し近づいたと思ったら、おでこに何かが触れた気がした。
 それは唇のようで、小さく「チュッ」と音を立てた。
 宿敵クリストフからおでことはいえ、キスをされたということだ。

「なっ、なっ、なっ!?」

 状況に付いていけず言葉が出ない。クリストフは「神のおまじないを付けておきました。ではお大事に」と笑顔で言って帰って行く。
 私しかいない部屋で思わず頬を引っ張って夢かどうか確かめる。
 とても痛い。

「クリストフ様が私を好いている……なんてことあるわけないですよね?」

 未来とのギャップが凄すぎて、私はどっちが本当の彼なのか分からなくなってきた。
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