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第三章 私を探して
償きれない罪
しおりを挟む8月の京都は25年前でも本当に暑かった。温暖化の進んだ現代なら熱中症で息絶えただろう。
娘を2人授かって、やっと心が愛で満たされ生きる希望と充実感を味わったのに‥‥幻だったのか。
生きている意味も気力も失ったのに、死ぬことすらできない。
私たちの心中は失敗に終わる。
やっぱり私に死んで欲しくない。
自分が死ぬのも確かに怖いけどやっと心が通じると思える人に出会えたのに、その私に死んで欲しくない。
彼は私に薬を吐き出すように言った。大量に薬を飲んで、死ぬ事ができたのかわからないけど
その時の私は海の中で彼の声を聞いてるみたいに耳が聞こえなくなっていた。それは確かに薬のせいだ。
意識はもうろうとしていた。
自分が拉致監禁したと警察に申し出る、それが嫌なら自分と一緒にどこか遠くへ逃げて誰も知らないところで
人生をやり直したいと、彼がそう言っているのが鈍く鈍く聞こえてくる。
私だって一緒に死ぬ事で君は1人じゃないよって、私も1人じゃないよって、思いたかったから
孤独の中で生き地獄にいるような15の私を救えるような錯覚を信じたからの結果で
彼を苦しめたくない。彼が私を拉致したなんてそんなの絶対にダメだ。
家に帰らず朝を迎えてしまった以上、もう元の生活になんて帰れるはずもなく何がなんでも死にたかった。
こんなことになって私が1人彼を置いて死ねたとしても
この子は一生自分を責めてしまうだろう。それでは意味がない。
一緒に死んでくれる人を探していたのは私の方だった。馬鹿だな、1人でさっさと死んでしまえばよかった。
この時は、本当にそうしか思えなかったんです。本当に馬鹿です。
諦めて、彼と一緒に京都に行くことにした。
少し前に1ヶ月だけ一緒に工事のバイトをした時の先輩が京都にいるから、そこなら大丈夫だよと
説得するように彼に言われた。
所持金はわずか2万円ほど。本当の片道切符だった。
市役所で離婚届をもらい、誰もいない隙に1度家に寄り、持てるだけの荷物を持って家を出た。
どうしてこんな事になっちゃったんだろう。会いたいな、本当にごめんね。でも私がいなくても大丈夫なんだね。
振り返ると娘の顔が浮かんで離れられなくなるから、振り切るように急いで家を出た。
お父さんや姑にどんな顔をして会えたとしても、人間のクズとして責められる事に耐えられない。
私の心がここまで追い詰められるほどの事だとは、きっと誰にもわかってもらえないから。
子供が幼稚園に通い出して、週末お姑さんちに泊まりに行ってくれるなんて楽になっていいじゃない。
きっとそう思われるだろう。
隙間なく、2人の娘で埋め尽くされている毎日。どれだけ幸せに満たされていたか。
私にとって、2人の娘がどんどん大きくなってこの手から離れてしまう事は
死んだように生きてるのと同じだった。
そんな心は誰にも理解されないことくらいわかっているから。
行きの電車でも、京都に行ってからもずっと考えていたのは
この10才も若い男の子がこのまま家出状態でいられるはずがない。
きっといつかこの状況を後悔して、私を責める日が来るだろう。
誰も信じられないとか、誰にも愛されていないとか、友達は上辺だけとか
そんな事そんな気持ちは、家にいられるから思うのであって
家に帰れないって日が続けば、絶対に戻りたくなる日がくる。そしてそう思った時私を責めるだろう。
どうして家出を止めなかったんだ、大人なのになんでこんな選択に同意したんだって。
必ず思う日がくる。
家出したままの生活なんて不自由極まりないし、世の中行方不明の人間になるのは容易い事じゃない。
その日が来たら、その日が来るまで一緒にいよう。
最後、もうひとりの自分のようなこの子が、暗闇の渦に飽き飽きしてちゃんと生きたいって思える日まで。
あの時‥‥彼が死ぬのが怖いと白状した時、あぁこの子は生きる子だなって確信した。
私は生きる事の方がずっとずっと怖いから。
密かに、そのいつかが来たら私は1人で死のう。
そう思いながら京都の生活が始まった。
結局、当てにしていた知人も20歳そこそこの子で、家出の2人の面倒も見れるはずもなく
私達は灼熱の京都で1週間野宿することになった。
知人の勧めでキャバクラのお試し入店で1日6000円稼いでは、それを次の日の交通費やご飯代に充てた。
公園や学校のベンチで一晩過ごし、昼間はパチンコ屋や旅館を訪ね歩きなんとか住み込みで働ける所を必死で探した。
彼は身分を証明出来るものもなければ、そもそも18才だと嘘をつかなければならないから
働けるところは選んではいられない。
お風呂も入れない、荷物は重たい、クラクラするほど暑い京都。彼の携帯にはバンバン知人や親から連絡が入る。
もう限界が見え始めた頃、なんとか住み込みで働かせてくれる旅館に出会った。
女将の息子夫婦が駆け落ちで一緒になったとかで、訳あり風の私達に同情とチャンスをくれたのだ。
私は仲居、彼は中番という厨房と仲居の橋渡のような仕事で、料理運びや宴会場の支度や片付け
お布団敷きや何でも雑用係と言った感じだった。
私達は添乗員用の狭い客室に住むことを許された。
私は彼にわからないように、娘たちの事を思い出して毎晩泣いていた。
彼は私にわからないように友達と連絡を取っていた。
四苦八苦しながらもシーズンオフの旅館では仕事を丁寧に教えられ、徐々に私達は慣れていった。
仲居さん達はみんな60歳を超えていて、若い私達を可愛がってくれた。
着の身着のまま状態の私達に、それこそ歯ブラシや生理用品まで用意してくれたり
秋が来れば若い頃着ていたお下がりや、着物まで譲っていただいた。
やがて京都は紅葉の繁忙期に入り、修学旅行生や一般のお客様の賑わいで
自分達が一体何者なのか考える暇がなくなっていた。
とにかく休憩時間も休みもどんどん減っていき、それと同時に体の疲れも限界に来ていた。
京都での生活は半年で終わりを迎えることになる。
忙しくなりすぎて体の疲れがピークになると、まだ15才の自分がなんでこんなに辛い仕事をしてるのか
彼が私に対して苛立ち始めたことがきっかけだった。
つまり来るべき時が来たのであった。
些細なことで口論になれば全部私のせいだと言うようになった。
それはそうだ。もう自由にしてあげなくてはならないし、この経験があればきっと帰っても死にたいだなんて
2度と思わないだろう。
最初は1人で帰すつもりだった。
でも何度も話し合ううちに半狂乱になった彼がこんな風に言う。
自分が1人で帰ってもダメだよ、一緒に半年いたんだ。1人になったらまた死のうとするでしょ?
そんな事を俺がどうでもいいと思うわけがないでしょ?こんなに疲れてクタクタで八つ当たりしたって
一緒に帰らなければ安心しないよ。
一緒に帰ったフリしてまた1人で戻ってくるのもやめてよ。立ち直る俺をずっと見ててよ。
俺を楽にしたいなら、一緒に帰るしかないよ、俺のために帰ってよ。
思ってることを全部言われてしまった。
私よりもずっと大人だった。もう自由にしてあげよう。最初からわかっていたじゃない。
私が死なないように、自分の成長を見届けてだなんて
そばにいてくれたのは彼の方だ。
1月も終わりを告げる頃彼は16歳になった。
灼熱の京都が雪景色に変わるまで、本当に初めて経験する色々なことがあった。
旅館で働いてる人たちは殆どが県外から来ている。誰も私達に深い事情を聴き出そうとしないのは
言うまでもなくみんなさまざまな事情を抱えているからに違いない。
親切に、とても親切にして下さった皆さんに見送られて
猛吹雪の中、私達は五条大橋を後にした。
電話で、静かに穏やかに帰っておいでといったお父さん。
帰ってから私は全部経緯を打ち明けた。彼が私を帰るように促した事も、また1人京都に行かせないようにした事も。
お母さんは帰ってこなければよかったのに、落ち着いたらまた京都に帰ったら?と言った。
私に再会する時は水死体かもしれない覚悟はしていたよ。とまで言わせてしまった。
ここにいても辛いだけだから、子供に会えないくらいの事をしてしまったのだから
京都にいた方が私の為になるんじゃないかという事だと私は受け止めた。
2人の幼い子を置いて、10才も若い子と駆け落ちした。
これが普通の捉えられ方だから。そうじゃない事を説明したところで理解してもらえない
絶対してはいけない事をしたのだから。
どこにどれだけの迷惑がかかってしまったのかを、この後少しづつ知る事になる。
そして知れば知るほど、お母さんの京都に戻れば?の意味がじわじわ浸透してくる。
あの後どれだけ娘達を寂しくさせてしまったか、張り裂けそうになる気持ちを
私は全力で生きる力に変えなくてはいけない。
この時実家にはお姉ちゃんと1才半と3才の甥っ子達が生活していた。
それがとても救いになったし、癒しにもなった。
しばらく適当に料理屋でアルバイトをしたけれど、私は美容室に就職して美容師になる事を決めた。
1日も早く娘達に会いたい。でも会えた時にはちゃんと謝って、お母さんなりに頑張ったよって言いたかったから。
取り返しがつかない事をしてしまったけど、それでも頑張ってやり直したよって言えるように。
私はずっと宇宙と現実の間をふわふわと漂いながら駄々をこねていたんだ。
いつまでも引越し先に馴染めないで、メソメソ転校前の学校を思い出してる子供のように。
この時期からキッパリと心の穴に蓋をして、全力で生きる決心をした。
もう遅いかもしれないけど、これ以上最低な人間にならないように。
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