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第二章
53、卯の花腐し
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朝にもかかわらずどんよりと黒ずむ空の下で、セルジュは腰を深く落とし、二本の刀を振るい続けていた。
(月影、逆風、臓抜き、臓詰め、葦刮ぎ)
右手の刀で上弦の月を描き、左手の刀で強烈な突きを繰り出す。突き刺した刀で斜め下方に斬り伏せ、手首を返して振り上げる。そして最後に、右手の刀を振り下ろす。
セルジュがいま、自分の他には誰もいないルーフバルコニーで行っているのは、二振りの刀に寄る型の演習だ。
思い浮かべる仮想敵は、セルジュと同等か、それ以上の力を持った戦士たち。
上官のシリウス。母星にいた頃から、実力が拮抗していると周囲からまことしやかに囁かれているアキリーズ。そして地球における最大の敵、ルビーメダリオン。
演武は徐々に苛烈さを増し、次々に敵を斬り伏せていく。
(双魔二遍返し)
セルジュは二本の刀を交差させ、実際にはそこにいないルビーの首を刎ね飛ばすと、次なる獲物を仕留めるべく刃を返した。
だが──。
渾身の突きを繰り出そうとしていたセルジュは、右腕を思いきり引いた姿勢でぴたりと止まった。すぐ目の前で佇んでいる、アクアの姿を前にして。
無論、いまこの場にアクア本人がいるわけではない。すべては、セルジュが思い浮かべている幻だ。アクアが悲しげに眉尻を下げているのも、なにかを訴えるように瞳を潤ませているのも、なにもかもがセルジュの妄想だ。
セルジュは、顎の骨が砕けるのではないかというほど強く奥歯を噛み締め、前へと大きく踏み込んだ。
刀の切っ先が、アクアの腹部を裂いて、背を貫く。
『……せ、る、じゅ、さ……ん……』
幻のアクアに呼びかけられ、セルジュはびくりと肩を強張らせた。アクアの不可思議な瞳からぽろぽろと流れる涙が、セルジュの心臓に沁みて、鈍い痛みとなる。
やがて冷たいような、生温いような風が戦ぎ、アクアを攫って行ってしまった。急速に溶けた蝋を吹き散らすように、アクアの姿がバラバラになって、空に広がっていく。
辺りがしん……と、静けさに還る。すべての幻が消えて、セルジュはただひとり、そこに立ち尽くしていた。
(……問題ない、いつでも戦える。いつでも……誰が相手でも)
腕が鈍っていないことを確認するも、セルジュの心は依然、この曇天のように湿っており、晴れない。
その薄靄のかかる心に呼応するように、ぽつり、ぽつりと、雫まで降り注いできた。
セルジュは忌々しげに空を睨んでから、二本の刀を黒腕に、黒腕を影に戻し、重い足取りでルーフバルコニーを後にする。
家の中に入る頃には、暗雲が空を覆い尽くし、大粒の雨となって地面を叩いていた。
※:
リビングダイニングに足を踏み入れると、小麦の焼けるいい匂いが漂ってきて、セルジュはいっそう眉間を歪ませた。ダイニングテーブルに近づけば、そこにはサラダとスープ、ホットサンドと、色鮮やかな朝食が並べられているではないか。
テーブルの傍らには、なにやら満足げなシリウスがいる。
「俺も結構、手慣れてきたもんじゃないか。この星は食材が豊富でいいな、料理が楽しくて仕方がないよ」
こさえた朝食の出来栄えと地球を褒め称えつつ、シリウスはルーフバルコニーから戻ってきたセルジュを見やる。
「ほら、清十郎。謹慎期間が終わって、今日からまた学校だろ? いつまでもセルジュの格好してないで、さっさとエニグマチップをつけて準備してこい」
この期に及んで、と、セルジュは嫌悪感をあらわにする。
「いつまでこんな茶番を続けるつもりだ」
「茶番?」
なんのことだ、とでも言いたげなシリウスの間抜け面を前に、セルジュの怒りはついに頂点に達した。奇襲をかけるような足取りで素早くシリウスに近づき、その胸倉を捕まえてセルジュは凄む。
「地球人の真似事をした、この生活のことだ!」
一度、堰が切れたように叫んでしまったら、もう止められなかった。
「忘れたとは言わせないぞ、シリウス。地球を侵略すると決めたのは、他ならぬお前ではないか! なぜ戦いに向けて準備をしない!」
だからこそこの数日、自分は歯を食いしばりながら鍛錬をしていたというのに、と、セルジュは憤りを隠せない。
「……お前、戦えるのか?」
沈痛な色を伴った声で、シリウスが問う。
「アクアマリンメダリオンに命を救われて、彼女と戦いたくないって、そう思ったんじゃないのか?」
たった一言で核心を突かれたような気がして、セルジュは一瞬、声を詰まらせた。それでも無理やり喉を絞り上げ、絶叫する。
「俺を愚弄する気か!? 俺は、俺は陛下より暗殺者の称号を賜ったジェバイデッドの兵士、殺戮こそが俺の本分! 敵を選ぶなど、以ての外だ!!」
セルジュの息が上がっても、シリウスは微動だにしない。やがて、ゆっくりと目を伏せて、呟いた。
「手が震えてる」
そう指摘された瞬間、セルジュは荒々しく手を引いた。尚も暴れ続けている手を、血が滲むほど握り締めてもみたが、止まらない。
「……武者震いだ」
セルジュ自身も戸惑わずにはいられないほどに、弱々しい声だった。
「……ウィルの手前、地球侵略に乗り出すとは言ったが、俺はまだ地球との交渉を諦めたわけじゃない」
にわかには信じがたい言葉が、シリウスから放たれた。
そして、驚きに目を見開くセルジュが問うよりもはやく、シリウスが真意を述べ始める。
「ケイが地球侵略に踏み切ったっていうのが、どうしても信じられないからな。俺はいまでも、ケイが何事もなく地球に移住することを願っていると思ってる」
「馬鹿も休み休み言え! 陛下の御心がどうあれ、白の女王の敵意は明らかだ! “超次元波動砲”がすべてを物語っている、俺たちにはもう、戦う以外に道はない!」
セルジュが被弾した、触れただけであらゆる生命体を跡形もなく消し飛ばす、“超次元波動砲”。あれは、ジェバイデッドの一切を許さず、拒絶し、根絶させてやるという、白の女王ファイブの意思そのものだった。
それを前にして尚、地球との交渉を試みたいなどと、平和的移住を夢見るなどと、馬鹿げている。
「白の女王がだめでも、アクアマリンメダリオンは違う」
シリウスは至極真剣な面持ちで、断言した。
「白の女王の眷属である彼女が、“超次元波動砲”の威力を知らないわけがない。それでもお前を助けるために、臆することなく“超次元波動砲”の軌道に飛び込んだ……彼女はおそらく、本当にジェバイデッドの行く末を案じてくれていたはずだ」
──そんなことは、言われるまでもなくわかっている!
誰よりも多くアクアと対峙してきたセルジュが、一番よく、誰よりも、誰よりも。
それでもセルジュは、その事実を忘れようと必死だった。
意識してしまえば、次に相対したとき、きっと刃が鈍ってしまうから。
「なんとかアクアマリンメダリオンと連携が取れれば、まだ光明はあると踏んでいるんだがな……」
溜め息と共に吐き出されたシリウスの言葉が、波紋となってセルジュの胸を打つ。
やめろ、それ以上なにも言うな。希望を抱きかねないことなど、聞きたくない。
「……ああ、そうだ。アクアマリンメダリオンで思い出した」
次の瞬間、シリウスから放たれたのは、セルジュがまったく予期していなかった名前だった。
「保刈ミラ」
死角から後頭部を殴られたような衝撃に、セルジュはしばし固まった。
ミラ、保刈ミラ。
なぜいまこの流れで、シリウスの口からミラの名前が出てくる。いや、そもそも、シリウスはミラのことを知っていただろうか。
問い質したいことはいくつもあるはずなのに、セルジュがそのいずれもを言葉にできず困惑している間にも、シリウスは記憶の断片を繋ぎ合わせるかのように、ミラのことをぽつりぽつりと語り続けていた。
「似てる似てるとは聞いていたが、本当にアクアマリンメダリオンと瓜二つで驚いた。あれで別人だっていうのが、未だに信じられん」
口振りからして、シリウスがミラと会ったのは疑いようがない。
セルジュは固く目を閉じ、シリウスから顔を逸らす。
「あの阿魔の話はするな! あんな、男狂い……」
自身でそう吐き捨てておきながら、セルジュの心臓は穿たれたかのような痛みに襲われた。ミラは持病ゆえに、精液を摂取しなければ平穏な日々を過ごせない。そんなミラを“阿婆擦れ”の一言で片づけるのは、あんまりではないか、と。
だがセルジュには、ミラが自分以外の男と睦んだというのがどうしても許せなかった。許せなくて、冷たく突き放してしまった。
「……なにがあったかなんて野暮なことを聞くつもりはないが、彼女、かなり気に病んでる様子だったぞ。お前が学校に来なくなったのは、自分が傷つけたせいだとか言って」
シリウスの口から、さすがに聞き流せない情報が出てきて、セルジュはゆっくりと目を開く。
「俺には、お前が華奢な女の子に傷つけられるっていう場面が想像つかないし、彼女の方がよほど傷ついているように見えたけどな」
そうは言われても、セルジュは実際にショックを受けたのだ。ミラが精液を得るためだけに、自分に性行為を持ちかけてきたのだと知って。セルジュの他にも、精液を与えてくれるような存在がいるのだと知って。
確かに、精液をいくらでもやると打診したのはセルジュだ。だが、作業的な交わりを望んでいたわけではない。
セルジュは肉体のみならず、心の奥底まで深く深く、ミラと繋がることを求めていた、いたはずだ。それの意味するところが、ミラに対しての恋心なのかどうかは未だにわからないが、これが嘘偽りない、セルジュの本心だった。
その想いが踏みにじられたような気がして、セルジュは怒りに喘ぐ。
「俺の知ったことではない!」
「……それとなく、俺たちが姿を消すかもしれないと伝えたら、泣いてたぞ」
説き伏せるようなシリウスの言葉に、胸の鼓動がどんどん強くなる。
「清十郎と離れ離れになるのは嫌なんだってよ、セルジュ」
セルジュの脳裏に、刺し貫いたアクアの姿が蘇り、ミラの姿と重なった。ミラも、アクアと同じように頬を濡らしたのか。なぜ、どうして。その涙は、精液を得られなくなることを嘆いたものか。それとも、純粋に別れを惜しんでくれているのか。
ミラの心が、わからない。
「なあセルジュ、ちゃんとわかってるのか?」
哀れむような、慈しむようなシリウスの声音に、セルジュは重たい頭を持ち上げた。
「侵略を始めてしまったら、もう二度と、地球人として生活することはできなくなるんだぞ」
地球侵略。それはすなわち、ジェバイデッドの思想と絶対的支配を地球に敷くことを意味している。地球の民たちがこれまで築き上げてきた文化や歴史を凌辱し、これまで当たり前のように行われてきた営みをすべて洗い流し、真っ平にした上でだ。
そうなれば当然、地球人に扮して生きていくことなど不要になる。シリウスがいまこうして繰り広げている朝の風景も、セルジュが一介の高校生として過ごすことも、なにもかも。
──美影清十郎の存在が、消失してしまう。
それはつまり、ミラとの接点がなくなることと同義であって──。
目を背け続けていた現実をまざまざと突きつけられて、セルジュは今度こそ言葉を失った。
呆然とするセルジュを尻目に、シリウスは椅子を引いて、そこに腰を深くかける。
「俺はこのまま、地球人として生きたくなった」
もはや何度目になるかもわからぬ、耳を疑うようなシリウスの告白であったが、セルジュはもう驚きもしなかった。
「戦いに戦いを重ねる日々に疲れたのかもしれないな、俺は」
「……それが、宇宙の覇者として君臨し続けてきた戦の民たる者の吐く言葉か? シリウス、お前の身体に流れているのは、本当にジェバイデッドの血か?」
セルジュの問いかけになにを思ったのか、シリウスは自嘲気味に微笑んだ。
「流れてるよ。お前とおんなじ……ジェバイデッドの血が流れてる」
どことなく、含みが感じられる。しかしセルジュが探りを入れるよりも早く、シリウスが切り返してきた。
「お前はどうなんだ、セルジュ。血の命ずるままに、この先も戦い続けるのか? ほんの少しでも、地球人のように穏やかな日々を送りたいって、そう思い始めているんじゃないのか?」
セルジュは──否定も肯定もしなかった。否、できなかった。
わからない。ミラの心と同様に、己の意思がまるで常世の闇に呑み込まれてしまったかのようで、なにも見えない。
リビングにはしばらく、窓を叩く雨の音だけが響いていたが、やがてシリウスが口を開いた。
「……とにかく、学校には行け。いざ戦争が始まったとしても、上の空になっているお前は使えない。これまで通り地球人として生活して、自分の気持ちに決着をつけろ。いいか、これは上官命令だ」
シリウスはそれ以上なにも語らず、何事もなかったかのように食事を開始してしまったので、セルジュも仕方なく食卓についた。
その日の朝食は、なにも味がしなかった。
(月影、逆風、臓抜き、臓詰め、葦刮ぎ)
右手の刀で上弦の月を描き、左手の刀で強烈な突きを繰り出す。突き刺した刀で斜め下方に斬り伏せ、手首を返して振り上げる。そして最後に、右手の刀を振り下ろす。
セルジュがいま、自分の他には誰もいないルーフバルコニーで行っているのは、二振りの刀に寄る型の演習だ。
思い浮かべる仮想敵は、セルジュと同等か、それ以上の力を持った戦士たち。
上官のシリウス。母星にいた頃から、実力が拮抗していると周囲からまことしやかに囁かれているアキリーズ。そして地球における最大の敵、ルビーメダリオン。
演武は徐々に苛烈さを増し、次々に敵を斬り伏せていく。
(双魔二遍返し)
セルジュは二本の刀を交差させ、実際にはそこにいないルビーの首を刎ね飛ばすと、次なる獲物を仕留めるべく刃を返した。
だが──。
渾身の突きを繰り出そうとしていたセルジュは、右腕を思いきり引いた姿勢でぴたりと止まった。すぐ目の前で佇んでいる、アクアの姿を前にして。
無論、いまこの場にアクア本人がいるわけではない。すべては、セルジュが思い浮かべている幻だ。アクアが悲しげに眉尻を下げているのも、なにかを訴えるように瞳を潤ませているのも、なにもかもがセルジュの妄想だ。
セルジュは、顎の骨が砕けるのではないかというほど強く奥歯を噛み締め、前へと大きく踏み込んだ。
刀の切っ先が、アクアの腹部を裂いて、背を貫く。
『……せ、る、じゅ、さ……ん……』
幻のアクアに呼びかけられ、セルジュはびくりと肩を強張らせた。アクアの不可思議な瞳からぽろぽろと流れる涙が、セルジュの心臓に沁みて、鈍い痛みとなる。
やがて冷たいような、生温いような風が戦ぎ、アクアを攫って行ってしまった。急速に溶けた蝋を吹き散らすように、アクアの姿がバラバラになって、空に広がっていく。
辺りがしん……と、静けさに還る。すべての幻が消えて、セルジュはただひとり、そこに立ち尽くしていた。
(……問題ない、いつでも戦える。いつでも……誰が相手でも)
腕が鈍っていないことを確認するも、セルジュの心は依然、この曇天のように湿っており、晴れない。
その薄靄のかかる心に呼応するように、ぽつり、ぽつりと、雫まで降り注いできた。
セルジュは忌々しげに空を睨んでから、二本の刀を黒腕に、黒腕を影に戻し、重い足取りでルーフバルコニーを後にする。
家の中に入る頃には、暗雲が空を覆い尽くし、大粒の雨となって地面を叩いていた。
※:
リビングダイニングに足を踏み入れると、小麦の焼けるいい匂いが漂ってきて、セルジュはいっそう眉間を歪ませた。ダイニングテーブルに近づけば、そこにはサラダとスープ、ホットサンドと、色鮮やかな朝食が並べられているではないか。
テーブルの傍らには、なにやら満足げなシリウスがいる。
「俺も結構、手慣れてきたもんじゃないか。この星は食材が豊富でいいな、料理が楽しくて仕方がないよ」
こさえた朝食の出来栄えと地球を褒め称えつつ、シリウスはルーフバルコニーから戻ってきたセルジュを見やる。
「ほら、清十郎。謹慎期間が終わって、今日からまた学校だろ? いつまでもセルジュの格好してないで、さっさとエニグマチップをつけて準備してこい」
この期に及んで、と、セルジュは嫌悪感をあらわにする。
「いつまでこんな茶番を続けるつもりだ」
「茶番?」
なんのことだ、とでも言いたげなシリウスの間抜け面を前に、セルジュの怒りはついに頂点に達した。奇襲をかけるような足取りで素早くシリウスに近づき、その胸倉を捕まえてセルジュは凄む。
「地球人の真似事をした、この生活のことだ!」
一度、堰が切れたように叫んでしまったら、もう止められなかった。
「忘れたとは言わせないぞ、シリウス。地球を侵略すると決めたのは、他ならぬお前ではないか! なぜ戦いに向けて準備をしない!」
だからこそこの数日、自分は歯を食いしばりながら鍛錬をしていたというのに、と、セルジュは憤りを隠せない。
「……お前、戦えるのか?」
沈痛な色を伴った声で、シリウスが問う。
「アクアマリンメダリオンに命を救われて、彼女と戦いたくないって、そう思ったんじゃないのか?」
たった一言で核心を突かれたような気がして、セルジュは一瞬、声を詰まらせた。それでも無理やり喉を絞り上げ、絶叫する。
「俺を愚弄する気か!? 俺は、俺は陛下より暗殺者の称号を賜ったジェバイデッドの兵士、殺戮こそが俺の本分! 敵を選ぶなど、以ての外だ!!」
セルジュの息が上がっても、シリウスは微動だにしない。やがて、ゆっくりと目を伏せて、呟いた。
「手が震えてる」
そう指摘された瞬間、セルジュは荒々しく手を引いた。尚も暴れ続けている手を、血が滲むほど握り締めてもみたが、止まらない。
「……武者震いだ」
セルジュ自身も戸惑わずにはいられないほどに、弱々しい声だった。
「……ウィルの手前、地球侵略に乗り出すとは言ったが、俺はまだ地球との交渉を諦めたわけじゃない」
にわかには信じがたい言葉が、シリウスから放たれた。
そして、驚きに目を見開くセルジュが問うよりもはやく、シリウスが真意を述べ始める。
「ケイが地球侵略に踏み切ったっていうのが、どうしても信じられないからな。俺はいまでも、ケイが何事もなく地球に移住することを願っていると思ってる」
「馬鹿も休み休み言え! 陛下の御心がどうあれ、白の女王の敵意は明らかだ! “超次元波動砲”がすべてを物語っている、俺たちにはもう、戦う以外に道はない!」
セルジュが被弾した、触れただけであらゆる生命体を跡形もなく消し飛ばす、“超次元波動砲”。あれは、ジェバイデッドの一切を許さず、拒絶し、根絶させてやるという、白の女王ファイブの意思そのものだった。
それを前にして尚、地球との交渉を試みたいなどと、平和的移住を夢見るなどと、馬鹿げている。
「白の女王がだめでも、アクアマリンメダリオンは違う」
シリウスは至極真剣な面持ちで、断言した。
「白の女王の眷属である彼女が、“超次元波動砲”の威力を知らないわけがない。それでもお前を助けるために、臆することなく“超次元波動砲”の軌道に飛び込んだ……彼女はおそらく、本当にジェバイデッドの行く末を案じてくれていたはずだ」
──そんなことは、言われるまでもなくわかっている!
誰よりも多くアクアと対峙してきたセルジュが、一番よく、誰よりも、誰よりも。
それでもセルジュは、その事実を忘れようと必死だった。
意識してしまえば、次に相対したとき、きっと刃が鈍ってしまうから。
「なんとかアクアマリンメダリオンと連携が取れれば、まだ光明はあると踏んでいるんだがな……」
溜め息と共に吐き出されたシリウスの言葉が、波紋となってセルジュの胸を打つ。
やめろ、それ以上なにも言うな。希望を抱きかねないことなど、聞きたくない。
「……ああ、そうだ。アクアマリンメダリオンで思い出した」
次の瞬間、シリウスから放たれたのは、セルジュがまったく予期していなかった名前だった。
「保刈ミラ」
死角から後頭部を殴られたような衝撃に、セルジュはしばし固まった。
ミラ、保刈ミラ。
なぜいまこの流れで、シリウスの口からミラの名前が出てくる。いや、そもそも、シリウスはミラのことを知っていただろうか。
問い質したいことはいくつもあるはずなのに、セルジュがそのいずれもを言葉にできず困惑している間にも、シリウスは記憶の断片を繋ぎ合わせるかのように、ミラのことをぽつりぽつりと語り続けていた。
「似てる似てるとは聞いていたが、本当にアクアマリンメダリオンと瓜二つで驚いた。あれで別人だっていうのが、未だに信じられん」
口振りからして、シリウスがミラと会ったのは疑いようがない。
セルジュは固く目を閉じ、シリウスから顔を逸らす。
「あの阿魔の話はするな! あんな、男狂い……」
自身でそう吐き捨てておきながら、セルジュの心臓は穿たれたかのような痛みに襲われた。ミラは持病ゆえに、精液を摂取しなければ平穏な日々を過ごせない。そんなミラを“阿婆擦れ”の一言で片づけるのは、あんまりではないか、と。
だがセルジュには、ミラが自分以外の男と睦んだというのがどうしても許せなかった。許せなくて、冷たく突き放してしまった。
「……なにがあったかなんて野暮なことを聞くつもりはないが、彼女、かなり気に病んでる様子だったぞ。お前が学校に来なくなったのは、自分が傷つけたせいだとか言って」
シリウスの口から、さすがに聞き流せない情報が出てきて、セルジュはゆっくりと目を開く。
「俺には、お前が華奢な女の子に傷つけられるっていう場面が想像つかないし、彼女の方がよほど傷ついているように見えたけどな」
そうは言われても、セルジュは実際にショックを受けたのだ。ミラが精液を得るためだけに、自分に性行為を持ちかけてきたのだと知って。セルジュの他にも、精液を与えてくれるような存在がいるのだと知って。
確かに、精液をいくらでもやると打診したのはセルジュだ。だが、作業的な交わりを望んでいたわけではない。
セルジュは肉体のみならず、心の奥底まで深く深く、ミラと繋がることを求めていた、いたはずだ。それの意味するところが、ミラに対しての恋心なのかどうかは未だにわからないが、これが嘘偽りない、セルジュの本心だった。
その想いが踏みにじられたような気がして、セルジュは怒りに喘ぐ。
「俺の知ったことではない!」
「……それとなく、俺たちが姿を消すかもしれないと伝えたら、泣いてたぞ」
説き伏せるようなシリウスの言葉に、胸の鼓動がどんどん強くなる。
「清十郎と離れ離れになるのは嫌なんだってよ、セルジュ」
セルジュの脳裏に、刺し貫いたアクアの姿が蘇り、ミラの姿と重なった。ミラも、アクアと同じように頬を濡らしたのか。なぜ、どうして。その涙は、精液を得られなくなることを嘆いたものか。それとも、純粋に別れを惜しんでくれているのか。
ミラの心が、わからない。
「なあセルジュ、ちゃんとわかってるのか?」
哀れむような、慈しむようなシリウスの声音に、セルジュは重たい頭を持ち上げた。
「侵略を始めてしまったら、もう二度と、地球人として生活することはできなくなるんだぞ」
地球侵略。それはすなわち、ジェバイデッドの思想と絶対的支配を地球に敷くことを意味している。地球の民たちがこれまで築き上げてきた文化や歴史を凌辱し、これまで当たり前のように行われてきた営みをすべて洗い流し、真っ平にした上でだ。
そうなれば当然、地球人に扮して生きていくことなど不要になる。シリウスがいまこうして繰り広げている朝の風景も、セルジュが一介の高校生として過ごすことも、なにもかも。
──美影清十郎の存在が、消失してしまう。
それはつまり、ミラとの接点がなくなることと同義であって──。
目を背け続けていた現実をまざまざと突きつけられて、セルジュは今度こそ言葉を失った。
呆然とするセルジュを尻目に、シリウスは椅子を引いて、そこに腰を深くかける。
「俺はこのまま、地球人として生きたくなった」
もはや何度目になるかもわからぬ、耳を疑うようなシリウスの告白であったが、セルジュはもう驚きもしなかった。
「戦いに戦いを重ねる日々に疲れたのかもしれないな、俺は」
「……それが、宇宙の覇者として君臨し続けてきた戦の民たる者の吐く言葉か? シリウス、お前の身体に流れているのは、本当にジェバイデッドの血か?」
セルジュの問いかけになにを思ったのか、シリウスは自嘲気味に微笑んだ。
「流れてるよ。お前とおんなじ……ジェバイデッドの血が流れてる」
どことなく、含みが感じられる。しかしセルジュが探りを入れるよりも早く、シリウスが切り返してきた。
「お前はどうなんだ、セルジュ。血の命ずるままに、この先も戦い続けるのか? ほんの少しでも、地球人のように穏やかな日々を送りたいって、そう思い始めているんじゃないのか?」
セルジュは──否定も肯定もしなかった。否、できなかった。
わからない。ミラの心と同様に、己の意思がまるで常世の闇に呑み込まれてしまったかのようで、なにも見えない。
リビングにはしばらく、窓を叩く雨の音だけが響いていたが、やがてシリウスが口を開いた。
「……とにかく、学校には行け。いざ戦争が始まったとしても、上の空になっているお前は使えない。これまで通り地球人として生活して、自分の気持ちに決着をつけろ。いいか、これは上官命令だ」
シリウスはそれ以上なにも語らず、何事もなかったかのように食事を開始してしまったので、セルジュも仕方なく食卓についた。
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