彗星と遭う

皆川大輔

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第二部

2-38「とある暴君の投球方法(4)」

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 アドバイスの引き換えだから身構えていたが、予想外に軽めのお願いに拍子抜けした彗は「別に、いいっすけど……」と携帯を取り出した。

「よっしゃ!」

 単なる連絡先の交換だけで喜ぶ風雅。そんなピッチングとはかけ離れたイメージを見せてくる暴君に思わず「そうっすよね」と彗は呟いた。

「ん?」

「いや、実は……兵動さんにアドバイス貰う前に、全日本の時のチームメイトに電話したんすよ。〝ストレートの投げ方を教えてくれ〟って」

「ほう? 一個下で全日本……八神翼、だな?」

「ご明察です」

 言い当てたことに驚きつつ、彗は「で、そいつに言われたんすよ。敵に塩を送るわけにはいかないって」と訝しむ。

「敵に塩、ねぇ」

「学校の先輩に話をした時も同じような感じで言われて……俺、間違ってますかね?」

 なぜ、こんなことをたった二回しか話していない他校の先輩に話したのだろうか、と自分の言動に疑問を持ちつつ、風雅の答えを待っていると「怪物くんさ、〝敵に塩を送る〟の語源知ってる?」と風雅はその場に座って語り出した。

「あんまし詳しくはないっすけど……武田信玄が塩に困っていたところに、ライバルだった上杉謙信が塩を送って助けてあげた、って感じっすよね?」

 彗も座り込んで話を聞く。

「通説はそう。ただ、歴史の真実って言うのはまた別なんだ」

 にかっと笑いながら風雅は「実は、謙信は自分たちがより有利になるために、信玄に塩を送ったんだ」と言い切った。

「え? どういうことです?」

 意図が汲み取れず、彗が聞き返すと「簡単なことだよ」と風雅は地面に〝上杉〟と〝武田〟、それに話題に現れなかった〝今川・北条〟と雑に書き記して「武田は内陸の土地で塩が貴重品で、この三国から貰ってたんだ」とそれぞれの勢力から矢印を武田に向けて書く。

「三つの国からなら安定しそうですね」

「始めはそうだったんだけど、時は戦国。領地が接してるだけで小競り合いがある時代。当然上手く行かなくてさ、この今川と北条が塩を送るのやめよーぜってハブったんだ」

「……いじめじゃないっすか」

「ま、戦略だからしょうがない。で、頼みの綱は上杉しかなくなったわけだけど……」

 そこまで言いかけて、風雅は「必要な量は変わらないのに、くれる量が減った。ここをビジネスチャンス! って考えた謙信が、この二勢力分の塩を送ってあげたってワケ」と武田と上杉を丸で囲った。

「……なるほど」

「俺も同じだよ。敵に塩を送って、後のことを考えた」

「後のこと?」

「そっ。君がぐんぐん成長してくれれば、俺らも負けないようにさらに強くなる。ね? ウィンウィンでしょ?」

 そう語る風雅の目は、酷く自信に満ち溢れていた。
 頂だけ見ている、曇りのない眼。自分たちがナンバーワンだと考えてないと据えられないその確固たる意志に、負けじと彗も「そうっすね。俺もそう思います」と言い残して立ち上がった。

「じゃ、気を付けて」

「はい。また夏、試合で会いましょう」

「いいね。上等上等」

 言葉を交わしてから、彗は帰路についた。


       ※


 練習試合前日、ブルペンでは異様な緊張感が漂っていた。
 その様相は、さながら期末試験前の教室のようで、一言誰か喋り出したら全員で睨みつけるような空間で、投手陣は各々のメニューをこなす。

 ――遅いなー……。

 この緊張感を生み出す原因となった彗の姿が見えず、ソワソワを隠せずにいた。
 先ほどまで打撃練習に参加して大きな当たりを飛ばしていたことは確認しているが、そこからはすっかり行方不明。先週の金曜日から、ブルペンに入るのは練習終了後、部員みんなが帰ってから。
 入部する前に行っていた秘密特訓。いい格好をみんなに見せたい、という考えなのだろう。
 まだ出会って数日ではあるが、〝カッコつけたがり〟という単純明快な思考回路をしているため意図を汲み取ることはできる。

 ――けど、待たせられる身にもなってほしいよなぁ。

 心の中で呟いていると、一足遅れてようやく主役が登場した。

「遅れましたー」

 ロードワークにでも行ってきたのだろうか、ユニフォームは汗でビショビショになっている。付き合わされたのか、一星も息を切らせながら「すみません」とキャッチャーの防具を付けながら登場した。

「ずいぶんと走り込んだな」

「試合後半でも投げられることの証明っす」

「ほー、言ってくれる」

 軽口をたたきながら、彗はブルペンに立った。
 他の投手陣もちょうど練習を切り上げる形になり、彗の独壇場となる。
 先ほどまでのピリピリとした緊張感の中に、ワクワクの雰囲気が出てきたことを感じ取った音葉は「はい、これ」とボールを手渡した。

「お、サンキュ」

「完成したの?」

「それは見てのお楽しみってことで」

「はいはい」

 簡単な会話を済ませてから、彗はピッチングを開始した。
 まずは肩慣らしの十球。ドンッ、と恐ろしさを感じさせるミットの音が鳴り響く。

 ――これ以上って……どんなボールなんだろ。

 自信に満ち溢れている彗を見て、不安はすっかり吹き飛び、音葉の感情はワクワクで一杯になった。
 静かに移動を始めた矢沢に着いていって一星の背後に回り込むと「よーし、じゃあ行くぞー」と彗がGoサインを出した。

「ルールの確認だ。持ち球は三十球。内、二十五球以上でクリアだ」

「へいへい」

 彗は軽く応えると、大きく振りかぶった。
 そこまではいつもと同じ。しかし、テイクバックに入ったところで音葉は変化に気づく。

 ――あれ?

 いつもは〝一連の流れ〟でスムーズにピッチング動作に入るのだが、今は腕を振り下ろす瞬間に〝タメ〟が発生していた。

 ワンテンポ遅れる演出は、さながら矢を引き絞る弓のように力を溜めているようで――その溜め込んだ力を一気に開放すべく、胸を大きく張った。

 ――来る!

 驚くべきスピードで振り下ろされた腕から、ボールが放出された――かと思うと、もう次の瞬間には、ズバンッ、と一星のミットに収まっていた。

 その投げ込まれたボールを見て音葉は「浮き上がってる……」と呟く。

 東京ドームに見に行った時に見た、アーサーを想起させる軌道。
 より間近で見ると、そのボールの威力がより伝わってくる。次に発するべき言葉を見失って呆然としている音葉に反して彗は「さ、次だ」と満足気に声を上げていた。


       ※


 その日、彗が投じたのは、矢沢との約束通りに、三十球。
 三十球全てが、ライジングカットの軌道を描いた。
 見事課題をクリアした彗は、その場で翌日に控えた桜海大葉山の先発を言い渡された。
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