22 / 179
第一部
1-17「神様のいたずら(3)」
しおりを挟む
家に着いても、一星の興奮が冷めることはなかった。フルスロットルなまま母の夏木に彗と会ったことを伝えると「え、空野くんってあの?」とエプロン姿のまま目を丸くした。
「そっ。去年の世界大会の時に一緒だったアイツ」
そこまで言い切ると、一星はカレーをかき込んだ。別に何か工夫をしていると言うわけでもない、市販のルーを使ったなんてことのない普通のカレーのはずだけれど、いつもよりも数段美味しく感じられていた。
「埼玉出身だってことは知ってたけど、まさか会うとは思わなかったよ」
埼玉県は路線の関係で、左右に移動するよりも上下に移動する方が楽と言われる県であり、東と西の交流はほぼないに等しい。
そんな埼玉の西部に住んでいた武山家と、東部にすんでいた空野家が交流するはずもなく、シニアの試合でも対戦機会がないまま、世界大会で鉢合わせたという格好になる。
そんな中で、父の転勤と一星の進学が重なって、東部への引っ越しを敢行したわけだが、引っ込み思案なことに加えて、野球という最大のコミュニケーションツールを失っていた一星を案じていた母は、思わぬ知った名前の出現に「良かったね」と頬を緩ませていた。
「会ったってどこで?」
「それがさ、まさかの同じ学校だったんだ」
「えっ、空野くんも彩星⁉」
「そう。ビックリだよね」
埼玉は甲子園の優勝回数こそ少ないものの、プロ野球選手を多数輩出している強豪県の一つ。そんな中で、野球への未練も断ち切るため、わざわざ弱い高校を探したという経緯があったから、驚くのも無理はない。
「でも、なんで空野くんが……? あの子だったら引く手数多だったでしょ」
「うーん……なんでだろうね。わからないや」
会っただけで、友達にはなってないと続けようとするも、母は友人ができたと思い込んでいるのだろう、すっかり上機嫌に「ま、なんにせよ良かった良かった」と繰り返すばかりだ。
「しっかし、一星と空野くんが同じ高校なんてねぇ……野球続けてたら甲子園とかもあったかもね」
――甲子園……か。
上機嫌の母からふっと振ってきた、その単語が、一瞬で頭を駆け巡る。
野球を好きになるきっかけでもあり、夢でもあった。
黒い、独特な土のグラウンド。陽炎の漂うフィールドで、汗と涙と、数々の伝説が眠る聖地――甲子園。
忌まわしいとさえ感じていたその甲子園という景色が、今はたまらなく輝いている。
そんな夢を諦めるために入学したこの彩星高校で、幸か不幸か、あの怪物と出会ってしまった。
あの怪物と自分が力を合わせれば、可能性は、十二分にある。
甲子園という莫大な夢に挑戦するため、必要な自信ももう取り戻した。
一星は、スプーンを置いて自分の両手を見つめてみた。
まだ、バットを握った感触が残っている。
目を瞑ってみた。
まだ耳には、キャッチボールの音とあの捉えた瞬間の音が残っている。
やっぱり、野球が好きだ。
野球が、やりたい。
甲子園に行きたい。
「あのさ……今更、やっぱ野球やるって言ったらどう思う?」
帰り道と同じ。
心から溢れ出た感情が、言葉として母を襲った。
カレーを食べていたその手が止まり、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で「一星……それ、本気?」と、呟いた。
「ダメ、かな?」
「……まずは理由を聞かせてほしいかな」
「今日さ、少しだけ野球をやったんだ。空野と」
「……それで?」
「あれだけ嫌だった野球がさ、また楽しいって思えたんだ」
「……そう」
「今、改めて僕さ、甲子園に行きたいって思ってる」
「……本気ね?」
「うん。もう逃げない。だから、野球をやらせてください!」
そう言って立ち上がると、深々と頭を下げる一星。
情けない。意地を張っていた。迷惑をかけた。そんなことはわかっている。
いくら親だといっても、振り回したことには変わりはない。許しが出なかったら――許してもらうまで頭を下げる。そんな覚悟の礼。
「よし!」と震える一星の頭を母はそっと撫でた。
母から返ってきたのは予想外の答えに「えっ?」と間抜けな声を漏らす一星。
「い、いいの?」
恐る恐る顔を上げると、母は若干涙ぐみながら「なーに心配してんのよ」と笑っていた。
「子供が……一星がやりたいことやるって言ってるんだから。応援するのが親の努めってもんでしょ!」と言い切ると、母は人差し指を立てて「その代わり」と続ける。
「悔いは残さないこと! 全力でやりなさい! それが私からの条件!」
「そっ。去年の世界大会の時に一緒だったアイツ」
そこまで言い切ると、一星はカレーをかき込んだ。別に何か工夫をしていると言うわけでもない、市販のルーを使ったなんてことのない普通のカレーのはずだけれど、いつもよりも数段美味しく感じられていた。
「埼玉出身だってことは知ってたけど、まさか会うとは思わなかったよ」
埼玉県は路線の関係で、左右に移動するよりも上下に移動する方が楽と言われる県であり、東と西の交流はほぼないに等しい。
そんな埼玉の西部に住んでいた武山家と、東部にすんでいた空野家が交流するはずもなく、シニアの試合でも対戦機会がないまま、世界大会で鉢合わせたという格好になる。
そんな中で、父の転勤と一星の進学が重なって、東部への引っ越しを敢行したわけだが、引っ込み思案なことに加えて、野球という最大のコミュニケーションツールを失っていた一星を案じていた母は、思わぬ知った名前の出現に「良かったね」と頬を緩ませていた。
「会ったってどこで?」
「それがさ、まさかの同じ学校だったんだ」
「えっ、空野くんも彩星⁉」
「そう。ビックリだよね」
埼玉は甲子園の優勝回数こそ少ないものの、プロ野球選手を多数輩出している強豪県の一つ。そんな中で、野球への未練も断ち切るため、わざわざ弱い高校を探したという経緯があったから、驚くのも無理はない。
「でも、なんで空野くんが……? あの子だったら引く手数多だったでしょ」
「うーん……なんでだろうね。わからないや」
会っただけで、友達にはなってないと続けようとするも、母は友人ができたと思い込んでいるのだろう、すっかり上機嫌に「ま、なんにせよ良かった良かった」と繰り返すばかりだ。
「しっかし、一星と空野くんが同じ高校なんてねぇ……野球続けてたら甲子園とかもあったかもね」
――甲子園……か。
上機嫌の母からふっと振ってきた、その単語が、一瞬で頭を駆け巡る。
野球を好きになるきっかけでもあり、夢でもあった。
黒い、独特な土のグラウンド。陽炎の漂うフィールドで、汗と涙と、数々の伝説が眠る聖地――甲子園。
忌まわしいとさえ感じていたその甲子園という景色が、今はたまらなく輝いている。
そんな夢を諦めるために入学したこの彩星高校で、幸か不幸か、あの怪物と出会ってしまった。
あの怪物と自分が力を合わせれば、可能性は、十二分にある。
甲子園という莫大な夢に挑戦するため、必要な自信ももう取り戻した。
一星は、スプーンを置いて自分の両手を見つめてみた。
まだ、バットを握った感触が残っている。
目を瞑ってみた。
まだ耳には、キャッチボールの音とあの捉えた瞬間の音が残っている。
やっぱり、野球が好きだ。
野球が、やりたい。
甲子園に行きたい。
「あのさ……今更、やっぱ野球やるって言ったらどう思う?」
帰り道と同じ。
心から溢れ出た感情が、言葉として母を襲った。
カレーを食べていたその手が止まり、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で「一星……それ、本気?」と、呟いた。
「ダメ、かな?」
「……まずは理由を聞かせてほしいかな」
「今日さ、少しだけ野球をやったんだ。空野と」
「……それで?」
「あれだけ嫌だった野球がさ、また楽しいって思えたんだ」
「……そう」
「今、改めて僕さ、甲子園に行きたいって思ってる」
「……本気ね?」
「うん。もう逃げない。だから、野球をやらせてください!」
そう言って立ち上がると、深々と頭を下げる一星。
情けない。意地を張っていた。迷惑をかけた。そんなことはわかっている。
いくら親だといっても、振り回したことには変わりはない。許しが出なかったら――許してもらうまで頭を下げる。そんな覚悟の礼。
「よし!」と震える一星の頭を母はそっと撫でた。
母から返ってきたのは予想外の答えに「えっ?」と間抜けな声を漏らす一星。
「い、いいの?」
恐る恐る顔を上げると、母は若干涙ぐみながら「なーに心配してんのよ」と笑っていた。
「子供が……一星がやりたいことやるって言ってるんだから。応援するのが親の努めってもんでしょ!」と言い切ると、母は人差し指を立てて「その代わり」と続ける。
「悔いは残さないこと! 全力でやりなさい! それが私からの条件!」
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
先輩に振られた。でも、いとこと幼馴染が結婚したいという想いを伝えてくる。俺を振った先輩は、間に合わない。恋、デレデレ、甘々でラブラブな青春。
のんびりとゆっくり
青春
俺、海春夢海(うみはるゆめうみ)。俺は高校一年生の時、先輩に振られた。高校二年生の始業式の日、俺は、いとこの春島紗緒里(はるしまさおり)ちゃんと再会を果たす。彼女は、幼い頃もかわいかったが、より一層かわいくなっていた。彼女は、俺に恋している。そして、婚約して結婚したい、と言ってきている。戸惑いながらも、彼女の熱い想いに、次第に彼女に傾いていく俺の心。そして、かわいい子で幼馴染の夏森寿々子(なつもりすずこ)ちゃんも、俺と婚約して結婚してほしい、という気持ちを伝えてきた。先輩は、その後、付き合ってほしいと言ってきたが、間に合わない。俺のデレデレ、甘々でラブラブな青春が、今始まろうとしている。この作品は、「小説家になろう」様「カクヨム」様にも投稿しています。「小説家になろう」様「カクヨム」様への投稿は、「先輩に振られた俺。でも、その後、いとこと幼馴染が婚約して結婚したい、という想いを一生懸命伝えてくる。俺を振った先輩が付き合ってほしいと言ってきても、間に合わない。恋、デレデレ、甘々でラブラブな青春。」という題名でしています。
【R15】【第一作目完結】最強の妹・樹里の愛が僕に凄すぎる件
木村 サイダー
青春
中学時代のいじめをきっかけに非モテ・ボッチを決め込むようになった高校2年生・御堂雅樹。素人ながら地域や雑誌などを賑わすほどの美しさとスタイルを持ち、成績も優秀で運動神経も発達し、中でもケンカは負け知らずでめっぽう強く学内で男女問わずのモテモテの高校1年生の妹、御堂樹里。親元から離れ二人で学園の近くで同居・・・・というか樹里が雅樹をナチュラル召使的に扱っていたのだが、雅樹に好きな人が現れてから、樹里の心境に変化が起きて行く。雅樹の恋模様は?樹里とは本当に兄妹なのか?美しく解き放たれて、自由になれるというのは本当に良いことだけなのだろうか?
■場所 関西のとある地方都市
■登場人物
●御堂雅樹
本作の主人公。身長約百七十六センチと高めの細マッチョ。ボサボサ頭の目隠れ男子。趣味は釣りとエロゲー。スポーツは特にしないが妹と筋トレには励んでいる。
●御堂樹里
本作のヒロイン。身長百七十センチにIカップのバストを持ち、腹筋はエイトパックに分かれる絶世の美少女。芸能界からのスカウト多数。天性の格闘センスと身体能力でケンカ最強。強烈な人間不信&兄妹コンプレックス。素直ではなく、兄の前で自分はモテまくりアピールをしまくったり、わざと夜に出かけてヤキモチを焼かせている。今回新たな癖に目覚める。
●田中真理
雅樹の同級生で同じ特進科のクラス。肌質や髪の毛の性質のせいで不細工扱い。『オッペケペーズ』と呼ばれてスクールカースト最下層の女子三人組の一人。持っている素質は美人であると雅樹が見抜く。あまり思慮深くなく、先の先を読まないで行動してしまうところがある。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
彼女に振られた俺の転生先が高校生だった。それはいいけどなんで元カノ達まで居るんだろう。
遊。
青春
主人公、三澄悠太35才。
彼女にフラれ、現実にうんざりしていた彼は、事故にあって転生。
……した先はまるで俺がこうだったら良かったと思っていた世界を絵に書いたような学生時代。
でも何故か俺をフッた筈の元カノ達も居て!?
もう恋愛したくないリベンジ主人公❌そんな主人公がどこか気になる元カノ、他多数のドタバタラブコメディー!
ちょっとずつちょっとずつの更新になります!(主に土日。)
略称はフラれろう(色とりどりのラブコメに精一杯の呪いを添えて、、笑)
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる