彗星と遭う

皆川大輔

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第一部

1-17「神様のいたずら(3)」

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 家に着いても、一星の興奮が冷めることはなかった。フルスロットルなまま母の夏木なつきに彗と会ったことを伝えると「え、空野くんってあの?」とエプロン姿のまま目を丸くした。

「そっ。去年の世界大会の時に一緒だったアイツ」

 そこまで言い切ると、一星はカレーをかき込んだ。別に何か工夫をしていると言うわけでもない、市販のルーを使ったなんてことのない普通のカレーのはずだけれど、いつもよりも数段美味しく感じられていた。

「埼玉出身だってことは知ってたけど、まさか会うとは思わなかったよ」

 埼玉県は路線の関係で、左右に移動するよりも上下に移動する方が楽と言われる県であり、東と西の交流はほぼないに等しい。
 そんな埼玉の西部に住んでいた武山家と、東部にすんでいた空野家が交流するはずもなく、シニアの試合でも対戦機会がないまま、世界大会で鉢合わせたという格好になる。
 そんな中で、父の転勤と一星の進学が重なって、東部への引っ越しを敢行したわけだが、引っ込み思案なことに加えて、野球という最大のコミュニケーションツールを失っていた一星を案じていた母は、思わぬ知った名前の出現に「良かったね」と頬を緩ませていた。

「会ったってどこで?」

「それがさ、まさかの同じ学校だったんだ」

「えっ、空野くんも彩星⁉」

「そう。ビックリだよね」

 埼玉は甲子園の優勝回数こそ少ないものの、プロ野球選手を多数輩出している強豪県の一つ。そんな中で、野球への未練も断ち切るため、わざわざ弱い高校を探したという経緯があったから、驚くのも無理はない。

「でも、なんで空野くんが……? あの子だったら引く手数多だったでしょ」

「うーん……なんでだろうね。わからないや」

 会っただけで、友達にはなってないと続けようとするも、母は友人ができたと思い込んでいるのだろう、すっかり上機嫌に「ま、なんにせよ良かった良かった」と繰り返すばかりだ。

「しっかし、一星と空野くんが同じ高校なんてねぇ……野球続けてたら甲子園とかもあったかもね」

 ――甲子園……か。

 上機嫌の母からふっと振ってきた、その単語が、一瞬で頭を駆け巡る。
 野球を好きになるきっかけでもあり、夢でもあった。
 黒い、独特な土のグラウンド。陽炎の漂うフィールドで、汗と涙と、数々の伝説が眠る聖地――甲子園。

 忌まわしいとさえ感じていたその甲子園という景色が、今はたまらなく輝いている。
 そんな夢を諦めるために入学したこの彩星高校で、幸か不幸か、あの怪物と出会ってしまった。
 あの怪物と自分が力を合わせれば、可能性は、十二分にある。
 甲子園という莫大な夢に挑戦するため、必要な自信ももう取り戻した。

 一星は、スプーンを置いて自分の両手を見つめてみた。
 まだ、バットを握った感触が残っている。
 目を瞑ってみた。
 まだ耳には、キャッチボールの音とあの捉えた瞬間の音が残っている。
 やっぱり、野球が好きだ。
 野球が、やりたい。
 甲子園に行きたい。

「あのさ……今更、やっぱ野球やるって言ったらどう思う?」

 帰り道と同じ。
 心から溢れ出た感情が、言葉として母を襲った。

 カレーを食べていたその手が止まり、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で「一星……それ、本気?」と、呟いた。

「ダメ、かな?」

「……まずは理由を聞かせてほしいかな」

「今日さ、少しだけ野球をやったんだ。空野と」

「……それで?」

「あれだけ嫌だった野球がさ、また楽しいって思えたんだ」

「……そう」

「今、改めて僕さ、甲子園に行きたいって思ってる」

「……本気ね?」

「うん。もう逃げない。だから、野球をやらせてください!」

 そう言って立ち上がると、深々と頭を下げる一星。
 情けない。意地を張っていた。迷惑をかけた。そんなことはわかっている。

 いくら親だといっても、振り回したことには変わりはない。許しが出なかったら――許してもらうまで頭を下げる。そんな覚悟の礼。

「よし!」と震える一星の頭を母はそっと撫でた。

 母から返ってきたのは予想外の答えに「えっ?」と間抜けな声を漏らす一星。

「い、いいの?」

 恐る恐る顔を上げると、母は若干涙ぐみながら「なーに心配してんのよ」と笑っていた。

「子供が……一星がやりたいことやるって言ってるんだから。応援するのが親の努めってもんでしょ!」と言い切ると、母は人差し指を立てて「その代わり」と続ける。

「悔いは残さないこと! 全力でやりなさい! それが私からの条件!」
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