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異国から愛を込めて

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「Dr.タイガ。今日のランチはいかがしますか?」

研究室でパソコンに向かっている大河に、所長の女性秘書のレベッカが声をかけた。

「あー、そうだね。君に任せるよ」

「了解です。買ってきますね」

レベッカはウインクすると、大河の研究室を出て行った。
大河がニューヨークに来てからひと月が経った。
渡米したのは、伊丹の元で書き上げた研究論文を、マサチューセッツ工科大学のマイク教授にメールしたのがきっかけだった。
ダメ元で送った、人工知能におけるエネルギー資源と言う研究論文は、マイク教授の目に留まり自分の研究室に来ないかと誘われた。
まさかその後、ボストンからニューヨークに向かうとは大河も思っていなかった。
NASAで開発するロケットの、人工知能の研究を進める研究所に、マイク教授推薦で正式採用されたのだった。
所長の助手と言う立場で、好きな研究に没頭できた。
今の生活に慣れてくると、伊丹と出会った底辺の昔の自分を忘れそうになる。
そして命の恩人であるはずの、伊丹の事すら忘れてしまいたい衝動にかられる。愛しすぎた故に。
大河の気持ちに全く気づいていない伊丹は、気持ちよく背中を押してくれた。
そうして大河は、もう二度と会えない覚悟で渡米したのだった。
昼休みを告げるチャイムが鳴る。
レベッカが買ってく来てくれたランチを、仕事を一休みにして食べ始めた。
食事に関しては、大河はさほど不満は無かった。ニューヨークには日本食の店も多いので、口に合わない事もなく食事に困る事はなかった。
夕方になりまだパソコンとにらめっこをしていると、研究員のダニエルが大河の研究室にやってきた。

「熱心だなぁ。まだ帰らないの?」

ダニエルは背の高い、知的な感じのイケメンだった。いつも大河を気にかけてくれる。
自身が日本に留学経験があるので、日本人に対してもフレンドリーだった。

「たまには息抜きに僕の家に来ないか?兄貴と二人暮らしだから、余計な気兼ねはいらないよ」

ダニエルはにっこり笑う。大河はその笑顔に癒された。

「……じゃあ、遠慮なくお邪魔するよ」

たまには良いかな。と大河も思った。その返事に、正直ダニエルは驚いた。
大河は伊丹への辛い気持ちに堪えきれず、伊丹から逃げるようにマイク教授からの誘いを受けアメリカまで来てしまった。
後悔はないが、背中を押してくれた伊丹や、渋々送り出してくれたジュリに後ろめたさもあった。
その分アメリカでの生活はストイックで、大河は研究以外興味がない男だと噂されていた。
その大河があっさりとOKを出したことが、誘っておきながらダニエルはびっくりだった。でも嬉しかった。

「何かお土産を買っていくよ。ダニエルのお兄さんは何が好きかい?」

「嫌いなものはないよ。途中でアルコールとデリを買って帰るか」

大河は頷くとダニエルと一緒に研究所を出た。
買い物を済ませ地下鉄に乗ってダニエルのアパートに着いた。
ダニエルについて2階に上がる。ダニエルが鍵を開けて大河を先に入れてくれた。
リビングに入ると人の気配はなかった。

「ヒューはシャワーかな。適当に座って」

落ち着かない気持ちで大河はソファに座った。
カチャリと音がしてリビングの扉が開くと、シャワーを浴びた上半身裸の、ダニエルの兄ヒューが入ってきた。

「あ、失礼。ダニエル、お客さんが居るなら声をかけてくれよ」

バツが悪そうにヒューは言う。

「ごめん、ごめん。飲み物を冷蔵庫に入れていたんだよ。タイミングが悪かったね」

ダニエルが笑いながら言うと、ヒューと大河の間に立った。
大河はヒューを見て固まった。
ヒューの雰囲気が、あまりにも出会った頃の伊丹に似ていて、心臓が止まりそうになった。
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