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鮟鱇とあん肝のロッシーニ風・シェリーソース

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仕事納めでオーシャンに行く日、広重は村瀬に呼び止められてふたりでランチをする事になった。

「奢りだ。好きなもの食え」

そう言う村瀬は最近痩せた気がした。
痩せたと言うより、やつれた感じだった。

「同じもので良いです」

村瀬はパスタランチを2つ頼んだ。

「オーシャン行く前にお前には言っておこうと思って。俺、離婚するんだ」

村瀬の告白に広重はビクッとする。

「離婚って」

「俺がされる方ね。バレたんだよね、貴彦とのこと、奥さんに」

フッと笑う村瀬。
広重は笑えない。
村瀬の告白にドキドキしっぱなしだった。

「貴彦が心配なんだが俺はもう二度と会えない。悪いけど、俺の代わりに見守ってくれないか?あいつ、めっちゃ繊細なんだよ。お前に頼むことじゃないのは分かってる。でも、頼む」

村瀬が頭を下げるのなんて初めてで広重は戸惑う。
それだけ貴彦が心配で、大事なんだと分かった。

「犬神さんにフラれた男に頼むなんて、マジ鬼畜っすね。俺、そんなに安全パイに見えます?犬神さんの弱味に漬け込んで、犬神さんを慰めるって思いません?」

「いっそ、そうなったらって、心のどこかで思ってる」

村瀬の口調は静かだった。

「……嘘だ。俺がそんなことできないって分かってて言ってる」

「かもな。もう、良いんだよ。そんなことも。貴彦が心配なだけで。誰かに頼ってあいつが少しでも楽になるなら、そいつと新しい幸せを見つけるなら、それで。その相手がお前でも」

村瀬の言い草に広重はイライラした。
バンッとテーブルを叩いて立ち上がる。

「ふざけんな!俺の気持ち、弄ぶな!犬神さんはあんたじゃないとダメだって分かってんだろ!離婚するから、自分の恋人を見守れ?あんたがちゃんとしろよ!」

周りがシーンとなり、広重と村瀬を見ている。
村瀬は無表情で広重を見つめる。

「……すみません。言いすぎました」

広重はゆっくり座る。
周りはヒソヒソと小声で話しながら広重と村瀬を見ている。
村瀬は顔色を一切変えない。

「俺こそ悪かった。お前にそんな風に言わせるつもりなかったんだけど、俺もおかしくなってるのかもな。貴彦のことしか考えられない。貴彦のことで頭がいっぱいなんだ。こんな気持ちになるなんてな。俺も年取ったかな」

「離婚の条件なんですか?犬神さんとのこと」

広重の問いに村瀬は首を振る。

「祥子の条件は、慰謝料と娘の養育費。3ヶ月間受ける検査で自分が重大な病気に罹患していたときは、その分の治療費と慰謝料の上乗せ。今後一切、娘とももう一生会わないこと。子供に自分が父親だと名乗らないこと。後は忘れたが、とにかく、結婚自体なかったことにしたいと言われた。もう離婚届けに印鑑も押したから、籍も抜けてるかもな」

広重は思った。
不倫の代償が大きかった事を。
奥さんにしてみれば、女だろうと男だろうと、夫の不貞が許せないのは当然だ。

「マンションは売っても借金しか残らないし、祥子も実家に帰ったんでそのまま暮らすことにした。もう俺だけだ。一緒に住むか?家賃浮くぞ」

力なく笑いながら村瀬は言う。
村瀬も寂しいんだと思った。
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