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摂子が一彦に襲われそうになった事は、鷹雄は美都子には黙っていた。
摂子が辱めを受けそうになった事を、鷹雄自身が一刻も早く忘れ去りたかったからだ。
一彦は両親に顔の傷を問いただされたが、さすがに何も言えず黙り通した。
もちろん同じ敷地に住んではいるが、その日を境に一彦は摂子と顔も合わせなくなった。

「もう、先に帰っちゃうんだもん。お父さんがせっかく桜鍋食べようって誘ってくれたのに」

美都子が不満そうに鷹雄に言う。

「お前は食ってきたんだろ?親子水入らずでたまには良いじゃねぇか」

一緒に行かなくて、摂子を救えて本当に良かったと鷹雄は思っていた時、突然バタバタと足音が響いて、鷹雄達の部屋の前で音は止まった。

「会長!」

ヤスが返事も聞かずに部屋の襖を開けた。

「なんだ、騒々しい」

鷹雄がヤスを見るとヤスの顔は青ざめている。

「組長が、北沢組の鉄砲玉に刺されて、今、病院に運ばれてるって!鉄砲玉はその場で他の若いモンが殺ったらしいですが、すぐに病院に姐さんと向かってくだせぇ!」

「んだとッ!北沢組だと!こないだも因縁つけてきやがって一悶着あったばかりじゃねーか!くそッ!オヤジ!」

鷹雄は直ぐに立ち上がり部屋を出ようとするが、美都子が目を見開いて立ち上がらない。

「美都子!何してんだ!早よ立てッ!急いでいくぞッ!」

「……嘘よ……さっきまで一緒だったのよ……さっきまで……」

鷹雄は放心している美都子を引き上げて立たせると、引きずるようにして家を後にし、摂子はその様子を黙って見ていた。戸灘に牙を向けるほどの抗争があるとは知らなかった。
鷹雄はイラつきながらもヤスの運転で病院に向かっていた。
美都子は一言も口を開かず、鷹雄の隣でただ震えている。
病院に着くと、一緒にいた若頭の三木も斬り付けられたと聞き、鷹雄はとにかく戸灘の無事を美都子と祈った。

「お父さん!お父さん!私、まだ孫の顔見せてないのよ!絶対に助かって!お父さん!」

鷹雄と美都子は手術室前の長椅子に腰掛け、鷹雄は震える美都子の肩を抱き、手術が無事終わるのをただひたすら待った。
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