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~7話~
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まるで針の莚。
笑顔のコンラッド先生は、紅茶を飲む私の一挙一足を観察しているし、背後からの無言の圧力は多分ニイゾノさんや、壁際に静かに佇む女の子たち。
5人の視線が突き刺さるような居心地の悪さ。
それは突然現れた【聖女】なんて胡散臭いと思っているんだと、その無言の圧力の中に感じる。
私は私でしかないし、聖女としての役目もまだ定かではない。
それでも、私に愛を教えて覚えさせてくれたテセウスさまの支えにも、毎日仕えてくださるノースさん達にも報いたいとは思う。
今までのエミーリア・フローレンスの日常とは違うこれからの聖女エミーリアとしての生活は、貴族階級の生活習慣が模倣されてるんだと思う。
御祓があったりはどちらの世界でも一般的ではないだろうけれど、湯浴みの度に身支度をされることや、食事作法も、そう。
そしてこの茶話会というか、茶会はきっと貴族階級では大事な習慣なのだろう。
ここで及第点を得られなければきっと不味い事になりそうで、必死に記憶を掘り返す。
テセウスさまのお庭で、小さな頃から時々『秘密ですよ?』とお招き頂いたお茶。
3段に重なったお皿、お茶、カップ...それらをテセウスさまはどのようにサーブしてくださっていたかを思い出す。
執事のニイゾノさんが居るのにも関わらず私の横へと置かれたポット。
注いだ時のコンラッド先生とニイゾノさんの反応から考えてもテセウスさまの動きをトレースするのは間違いではないようだった。
お茶うけとして出されているプティフールと小さなサンドイッチ、無骨なスコーン...。
確か...テセウスさまは下のお皿、サンドイッチから摘まんでらした。
それからスコーンはナイフで割らず、『スコーンは賢者の石を模しているんですよ。だから敬意を込めてナイフは使わないんです。面白いでしょう?』って...。
テセウスさまの姿を思い返すだけで胸の中がほっこりと暖かい。
『背筋を伸ばして、腰は浅めに掛けて。真っ直ぐに座ると更に可愛いですねエミーリア。お姫様の様ですよ』って微笑んでくださったのは、8歳の誕生日のお祝いだと、テセウスさまとの二人だけのお茶会へと呼んでくださった時だったっけ...。
紅茶ひとつ取っても、こんなに沢山の思い出があるんだ...私とテセウスさまには...。
嬉しい。
心の中で微笑むテセウスさまに、にっこりと微笑む。もう大丈夫。
きっと大丈夫。
「コンラッド先生もどうぞ」
お勧めして、自分のお皿に小さなトングでサンドイッチから取り上げる。キューカンバーサンド。
何故かテセウスさまのお茶会では最初の一口目は必ずキューカンバーのサンドイッチだった。
そしてそれを摘まみながら、テセウスさまが笑うのだ。
本当は好きではないけどこのサンドイッチを最初に食べる事は式様美だと。
「...慣れてらっしゃるんですね...。聖女エミーリア様。」
静かな微笑みに鋭い視線を包んでコンラッド先生が語りかけてくる。
「いいえ...お茶会の真似事だけは、何度か...。こうした作法は不慣れで、あまり見られると恥ずかしいです。これからコンラッド先生にご指導頂けると助かります。」
素直に、真っ直ぐに。
教えていただけると助かりますと、伝える。
行儀作法が聖女に必要なのかは不明だけれど、私の知っている庶民の行儀作法とは多分一線を画しているんだろうから教本があるのだろうし、御簾越しの話し方なんて見当もつかないもの。
「...先程の祝福も...度胸の良さも...私の予想を越えてくる。...いいでしょう。
聖女エミーリア。貴女を試そうとした私が悪かった。明日から授業を進めよう。今日は言うなればこの場での...互いの顔見せだね。」
コンラッド先生の笑顔の雰囲気が変わる。
先程までの綺麗すぎる笑顔ではなくて、もっと親しみやすい笑顔になった。
紅茶を飲み干して、コンラッド先生が立ち上がる。
「明日からの授業は書斎で行う。ニイゾノ、ここへ姿見を用意しておきたまえ。」
今日はこれで帰ると笑いながら、コンラッド先生が私に耳打ちをした。
「エミーリア様?聖殿側の従士のみを側仕えにしているのはどうしてだ?
召し使いとしてならあの女達も有能だ。是非使って見ることをお奨めしよう。」
きょとんと見返すけど、もうコンラッド先生は扉へと向かい、私に背を見せて歩いて行ってしまうところだった。
そのコンラッド先生へ御辞儀で見送るニイゾノさんと女の子たち。
壁際に直立不動のノースさんとウェスさん。
コンラッド先生を見送った後はニイゾノさんが女の子達に無言の指示をしたのか、目配せだけで、女の子達が頷いて、ワゴンの押手を手に退室していく。
ニイゾノさんは、チラリとノースさん達を見た後、私へと向き直りゆったりと御辞儀をする。
「コンラッド様がお認めになった様でございますね、聖女様。」
低く重い声でニイゾノさんが語りだし、真っ直ぐに私を見た。射抜く様な視線が私を信用していないとはっきり語る。
「わたくし共をお除きになる聖女様の思惑は謀り知れませんが、儀式の前には数多くの貴族の訪問が予想されます。
このまま聖殿従士のみでこの離宮をお回しに成られますのも宜しいかとは存じます。
しかし聖女様の御威光を考えますと、侍従を今までの様に排除なさらず改める事を御一考願います。」
そう言い放って、ニイゾノさんは再び一礼すると女の子達と出ていってしまった。
取り残される形になって、私はノースさんとサウスさんを見るしかない。
「私...排除?...してました...?」
肩をすくめ、サウスさんが首を傾げる。そのままノースさんへとサウスさんは視線を向ける。
「私が...。王宮神殿の間者をエミーリア様の御側に置くのは如何かと考えました。」
しれっ...とノースさんが平淡ないつもの声で答えてくれた。珍しくちょっと不機嫌な表情で。
ええと...それはノースさんが排除して来たって事ですよね...。
でも、多分それも私を思っての事だと思うと、今更どうしてと問うことは出来ないし、離宮へ来たばかりの頃の自分を思い返してみても、多分区別がどうのとは判らなかっただろう。
第一、聖殿と神殿の区別が今一判らない。
私が今居るのは聖殿の離宮なのは確かだ。
花祭りまでは神殿と聖殿、2つの名称がそれぞれ別であるのを知らなかった。多分町の皆もあまり気に留めてはいないと思う。礼拝堂がある場所を神殿って言ってたし、花祭りや結婚式、出生式をする祭壇のある方の建物を聖殿って言ってたくらいだ。
「ええと...ごめんなさい。聖殿と神殿の違いが私、判らないんですけれど...違うんですか?」
「そうですね。聖従士、聖騎士の説明ならできますので、まずはそちらから説明します。
我々聖従士は聖殿側の所属になります。聖殿とは国の護りの要。神殿は国の運営面を担っています。
聖殿は各町にそれぞれ配置されてますが、神殿は王宮神殿だけなのです。なので王宮神殿をトップに、ここ王国聖殿から下はそれぞれの街聖殿という形式になります。神殿では王宮軍がありますが、聖殿は聖従士隊とその上の聖騎士団が護る形になります。神官職はまた組織の縦割りが違うので私では説明しかねますが...。」
問い掛けるとノースさんは淀みなく答えてくれる。
「ノースさん、今更ですが、聞いてもいいですか?」
「はい、なんなりと。」
ソファーへ腰掛けた私の側で跪きながら、ノースさんは私を恭しげに見つめる。
「最初にお会いしたときに、私がメイド職の方と勘違いしてしまって...そのせいでメイド職の方々のお仕事まで任されてしまった、という事はありませんか?」
「いいえ。エミーリア様が我々をどんな役目であっても、召し抱えてくださる歓びに勝る栄誉はありません。御側でお護りするだけではなく、貴女様に触れられる誉れを頂けるだけで、光栄なのです。
それにお側仕えをしているお陰で食事に毒が盛られる危険もなく、湯浴みの際も別室待機ではないお陰で身辺警備は万全です。」
「あの聖女様?我々がメイドではないと...気がつかれたのですか?」
サウスさんがそっと跪きながら聞いてくる。
初めて聞くはずの低く優しい声は男性特有の声で。
触れた事はないはずだけど、サウスさんの優しい手を知っている様な気がする。
「なんとなく...朝...ふとそう思ったのです...。あの...今までごめんなさい。メイドさん...いえ、女性だなんて思ってしまっていて...。思い込んでたんですね、私...。」
座っている私よりも跪いているサウスさんの方が背が高いのに。
ゆったりとした服の上からでも、ちゃんと見るとわかるのに。
全然肩も首も背中も私よりも大きいし、逞しい。
「私...浮かれてたんです。きっと。聖女だなんて突然こんな豪華な生活をさせていただいて、周りが見えないくらい...浮かれてたんです。ごめんなさい。」
サウスさんは私をとても優しい目で眺めて...それはまるでお兄ちゃんと喧嘩した後に謝った時みたいな優しい目で。
ニコッと笑って。
「謝らないでください。聖女様。俺達も貴女が多分誤解してるんだろうと思ってましたが何も言わなかった。俺達も浮かれてたんです。聖女様の御側に居られる幸せに。」
メイドさんを改めてお願いするかどうかを聖殿のトップであるテセウスさまに後で相談しよう、と話し合い、一度部屋へと戻る事にした。
案の定ノースさんに抱き上げられながら...。
歩けますって何度も言ってみたが、そこは譲れませんと頑なに拒まれる。
離宮にはまだ私が知らない部屋が沢山ある。
先程の書斎もそう。
普段は自室だと与えられている部屋と、食堂、湯殿位しか行かないのだから仕方ないけど。
御祓の場所は離宮から少し離れた聖殿の地下。
ここへは週末に行くのだけれど、部屋を降りて廻り階段のある玄関ホールから直接馬車へと乗り、すぐ隣の聖殿へと移動するだけだ。
結構どころか、本当に小さなお城みたいに広く、多分一人では確実に迷子になるだろうと思っている。
この離宮の中にニイゾノさんや、あの女の子達もいるのだろうか?
それとも従士の皆さんのように従士舎という別の建物で生活しているのかも、私は知らない。
もしお願いして召し使い?侍従?として来てもらうにしても、何処へ声を掛けるのかも判らないんだから。
改めて考えても、やっぱり浮かれていたんだろう。溜め息が出てしまう...。
部屋へと戻り、教本を再び手に取る。
二冊目のマナーの本。
じっくりとこれを読んで考えなければ、と決意し、ページを捲る。ひとつずつ、判らない部分はノートへと書き写しながら。
ふ、と気がつくと部屋は薄暗くなりつつあった。
窓へと視線を巡らせると、バルコニーの向こうは赤い夕陽が沈む所で、思わずバルコニーへと出てみた。
階下に広がるのは綺麗に整えられた庭。
色とりどりの花が咲いている。
そこを静かに歩く人影が見えた。
「テセウスさま!」
綺麗に撫で付けられたシルバーグレイの髪を淡く夕陽の緋色に染めながら、こちらを見上げるテセウスさまに、嬉しくて端ない程大きな声で呼んでしまった。
ふっと微笑んで、テセウスさまが手を振ってくださった。
「今そちらへ行きますね、エミーリア。」
長い神官服の裾がテセウスさまが歩く度にはためいて、肩から掛けられた幅広のストラが揺れる。
ストラの刺繍が夕陽を受けてキラキラして、テセウスさまが更に格好いい。
朝に伝えられた通りにまたいらしてくれて、嬉しくてドキドキして、頬が勝手に緩んでしまう。
部屋のなかでそわそわと彷徨いてしまうのはどうしてでしょう?
しばらくすると控えめなノックの音と、「エミーリア、入りますよ?」とテセウスさまの声がして、思わず声が裏返ってしまう。
「どうぞ」だなんて短い返事なのに。
「エミーリア。」
そっと部屋へと入ってこられるテセウスさまが、私を見て微笑んで両腕を広げる。
「ただいま、と言ってみてもいいでしょうか?」
はにかんだ笑みで少し首を傾げる。そんなテセウスさまが格好可愛いのですが、どうしたらいいでしょうか?
大人のテセウスさまに可愛いだなんて、失礼でしょうか...?
「ん?エミーリア?」
広げた両腕をちょっとだけパタパタと動かして、おいで?と囁かれる。
照れと喜びと愛しさとがごちゃ混ぜになりながら、駆け寄る。
「おかえりなさい...テセウスさま」
きゅっと抱きつくと、胸元に収まった私の旋毛のあたりでテセウスさまが深呼吸する。
「ああ...幸せです。どうしたらいいんでしょうね?ただいま、と言っておかえりと言われる...なんて私は幸せなんでしょうね?エミーリア。」
旋毛にぐりぐりと頬を寄せるテセウスさま。なんて可愛い仕草をされるんでしょうか?!
再びきゅっと抱き締められて、頬を両手で挟まれ、上を向かされて唇へと軽く触れるキスを落とされる。
離れ際に、唇をはむっと唇で食まれた。
やだもう!可愛すぎますテセウスさま!
「今日は初授業でしたね。コンラッド先生は如何でした?」
ん?と優しい眼差しで微笑んでくださるテセウスさまを、お話をするためにマントルピースの前のソファーへと誘う。対面しながらテセウスさまが腰を落ち着けた所で、話始める。
「コンラッド先生とは、書斎でお茶を致しました。それから......
概詰まんで、今日のお茶会のこと、ニイゾノさんの事、ノースさん達のこと...を話した。
予習の後にどう話そうかと考えていたので、スムーズに話せたとは思うけれど、テセウスさまは難しい顔をなさってしばらく考え込んだ。
「そう...ですね。神殿の言い分も判りますし、ノース君の疑念も判ります。しかしここで強固に拒むのも得策ではない。
一度ニイゾノとエミーリアで話をしてみませんか?こういうことは早い方が宜しいでしょう。夕食の後なら大丈夫でしょうから。」
善は急げと言いますし、とテセウスさまはマントルピース横の壁の筒状の花を象った装飾品...ダチュラに似ている金属の筒を開けて、中の紐を引っ張る。
あ、こうやって使うんだ、これ。
言葉にこそ出さなかったけれど、謎の装飾品の用途にこれは便利ツールだったのか、と感心していた。
そんな私を振り返り、テセウスさまは「エミーリアは、側仕えを呼ぶ事をしなかったのですか?」と苦笑していた。
呼ぶ必然性がなかったというか、食事や湯浴みはノースさんがお迎えに来てくれていたから、多分知っていても呼びつけたりはしなかったと思います、と素直に答えると、幼子にするように頭を撫でられた。なぜ?
直にノックの音がして、扉の向こうでウェスさんの声がする。
「御呼びでございますか?エミーリア様。」
わぁ、本当にきたー...。
「キルバート・ウェスダー、入りなさい」
テセウスさまが硬質な声で応えるとウェスさんが、「失礼します」と短く応えて入ってくる。
いつもの高めな可憐な声ではなくて、鋭く、聞くだけで背筋が伸びるような凛々しい声だった。
そっか、キルバートさんって言うのか...ウェスさんは...。
「午後のニイゾノ達との話を聞いた。本人に話を聞きたい。夕食後...そうだな談話室を調えさせよう。ウェスダー、警護を頼む。」
「承知致しました。サンドーム神父長官、我々はもうメイルメイド卒業ですか?」
にやっと悪戯っぽく笑ってウェスさん...いや、ウェスダーさんが私を見る。
申し訳なさと居た堪れなさに、眉尻が下がってしまう。
そんな私に優しい笑みでウェスダーさんが話し掛けた。
「エミーリア様。そんなお顔なさらないでください。私たちもかなり役得...いえ、楽しかったので。
本来の身辺警備だけでは知れない女中侍女の仕事も覚えられましたし、何より貴女が可愛い...おっと、失礼。
聖女様が尊い存在であることに嬉しく思っております。」
巫山戯るようにクスクスと笑って、それからスッと流れるように敬礼をするウェスダーさんは、柔らかい表情から一変し厳しさを覗かせる視線で私とテセウスさまを見る。
「神殿側に伝えて参ります。」
昨日まで見ていた楚々とした仕草ではなく、きびきびと歩く後ろ姿が扉から消えて。
いつの間に隣にいたのか、テセウスさまに肩を抱き寄せられる。頭を撫でられながら額に落とされるキス。
「私も知っていながら侍女侍従を放置してましたからね、エミーリア。大丈夫ですよ、ニイゾノとの話し合いには私も居ますから。」
チュッチュッと軽いリップ音をさせながら、額に目蓋に頬にとキスの雨が降る。
愛を確め合ってからのテセウスさまは、甘い触れ合いが...スキンシップが激しい気がする。
イヤじゃないけど照れ臭い。
胸の中にはモヤモヤしてる物があったけれど、こうして甘い触れ合いをしていると、モヤモヤが晴れていく様だ。
甘える様にテセウスさまに凭れかかって眼を閉じる。
「緊張する?エミーリア。」
すりすりと胸元に頬を寄せると、私を抱いた肩から私の腰へと手を下ろし、ぐいっと密着するように体を引き寄せられ、するすると太腿を撫でてくる。
そこに厭らしさはなくて、ただ撫でているだけの優しい手つき。
「緊張...します。でも大丈夫です。テセウスさまが居てくれるから。」
昼のあの冷たい視線のニイゾノさんと、ノースさんの無表情とは違って、拒絶からの無表情な女の子達を思い出すと、少しだけ胃のなかがモヤモヤするけれど。
『蔑ろにされている』状態だと感じているのなら、それを解きほぐして、互いにより良い状態にしたいとは思う。
歩み寄って貰えるだろうか...。
ううん。私から近寄らせて貰わなくちゃ。
世界に比べてこんなにも狭い離宮という囲いの中で、胸襟を開けないのは哀しいから。
※【後書き】※
6話~8話(7と8の間の閑話含む)はエロ無し回となっております。ただ、その後のエロに行くための布石(布石だなんて大風呂敷広げた気もする...)でもあり、エロ書きたい小説なのにエロないじゃん(*>д<)ってジレンマしてます。
あと...百合もこれからは所々増えていくので笑って流して頂けると嬉しいです。
笑顔のコンラッド先生は、紅茶を飲む私の一挙一足を観察しているし、背後からの無言の圧力は多分ニイゾノさんや、壁際に静かに佇む女の子たち。
5人の視線が突き刺さるような居心地の悪さ。
それは突然現れた【聖女】なんて胡散臭いと思っているんだと、その無言の圧力の中に感じる。
私は私でしかないし、聖女としての役目もまだ定かではない。
それでも、私に愛を教えて覚えさせてくれたテセウスさまの支えにも、毎日仕えてくださるノースさん達にも報いたいとは思う。
今までのエミーリア・フローレンスの日常とは違うこれからの聖女エミーリアとしての生活は、貴族階級の生活習慣が模倣されてるんだと思う。
御祓があったりはどちらの世界でも一般的ではないだろうけれど、湯浴みの度に身支度をされることや、食事作法も、そう。
そしてこの茶話会というか、茶会はきっと貴族階級では大事な習慣なのだろう。
ここで及第点を得られなければきっと不味い事になりそうで、必死に記憶を掘り返す。
テセウスさまのお庭で、小さな頃から時々『秘密ですよ?』とお招き頂いたお茶。
3段に重なったお皿、お茶、カップ...それらをテセウスさまはどのようにサーブしてくださっていたかを思い出す。
執事のニイゾノさんが居るのにも関わらず私の横へと置かれたポット。
注いだ時のコンラッド先生とニイゾノさんの反応から考えてもテセウスさまの動きをトレースするのは間違いではないようだった。
お茶うけとして出されているプティフールと小さなサンドイッチ、無骨なスコーン...。
確か...テセウスさまは下のお皿、サンドイッチから摘まんでらした。
それからスコーンはナイフで割らず、『スコーンは賢者の石を模しているんですよ。だから敬意を込めてナイフは使わないんです。面白いでしょう?』って...。
テセウスさまの姿を思い返すだけで胸の中がほっこりと暖かい。
『背筋を伸ばして、腰は浅めに掛けて。真っ直ぐに座ると更に可愛いですねエミーリア。お姫様の様ですよ』って微笑んでくださったのは、8歳の誕生日のお祝いだと、テセウスさまとの二人だけのお茶会へと呼んでくださった時だったっけ...。
紅茶ひとつ取っても、こんなに沢山の思い出があるんだ...私とテセウスさまには...。
嬉しい。
心の中で微笑むテセウスさまに、にっこりと微笑む。もう大丈夫。
きっと大丈夫。
「コンラッド先生もどうぞ」
お勧めして、自分のお皿に小さなトングでサンドイッチから取り上げる。キューカンバーサンド。
何故かテセウスさまのお茶会では最初の一口目は必ずキューカンバーのサンドイッチだった。
そしてそれを摘まみながら、テセウスさまが笑うのだ。
本当は好きではないけどこのサンドイッチを最初に食べる事は式様美だと。
「...慣れてらっしゃるんですね...。聖女エミーリア様。」
静かな微笑みに鋭い視線を包んでコンラッド先生が語りかけてくる。
「いいえ...お茶会の真似事だけは、何度か...。こうした作法は不慣れで、あまり見られると恥ずかしいです。これからコンラッド先生にご指導頂けると助かります。」
素直に、真っ直ぐに。
教えていただけると助かりますと、伝える。
行儀作法が聖女に必要なのかは不明だけれど、私の知っている庶民の行儀作法とは多分一線を画しているんだろうから教本があるのだろうし、御簾越しの話し方なんて見当もつかないもの。
「...先程の祝福も...度胸の良さも...私の予想を越えてくる。...いいでしょう。
聖女エミーリア。貴女を試そうとした私が悪かった。明日から授業を進めよう。今日は言うなればこの場での...互いの顔見せだね。」
コンラッド先生の笑顔の雰囲気が変わる。
先程までの綺麗すぎる笑顔ではなくて、もっと親しみやすい笑顔になった。
紅茶を飲み干して、コンラッド先生が立ち上がる。
「明日からの授業は書斎で行う。ニイゾノ、ここへ姿見を用意しておきたまえ。」
今日はこれで帰ると笑いながら、コンラッド先生が私に耳打ちをした。
「エミーリア様?聖殿側の従士のみを側仕えにしているのはどうしてだ?
召し使いとしてならあの女達も有能だ。是非使って見ることをお奨めしよう。」
きょとんと見返すけど、もうコンラッド先生は扉へと向かい、私に背を見せて歩いて行ってしまうところだった。
そのコンラッド先生へ御辞儀で見送るニイゾノさんと女の子たち。
壁際に直立不動のノースさんとウェスさん。
コンラッド先生を見送った後はニイゾノさんが女の子達に無言の指示をしたのか、目配せだけで、女の子達が頷いて、ワゴンの押手を手に退室していく。
ニイゾノさんは、チラリとノースさん達を見た後、私へと向き直りゆったりと御辞儀をする。
「コンラッド様がお認めになった様でございますね、聖女様。」
低く重い声でニイゾノさんが語りだし、真っ直ぐに私を見た。射抜く様な視線が私を信用していないとはっきり語る。
「わたくし共をお除きになる聖女様の思惑は謀り知れませんが、儀式の前には数多くの貴族の訪問が予想されます。
このまま聖殿従士のみでこの離宮をお回しに成られますのも宜しいかとは存じます。
しかし聖女様の御威光を考えますと、侍従を今までの様に排除なさらず改める事を御一考願います。」
そう言い放って、ニイゾノさんは再び一礼すると女の子達と出ていってしまった。
取り残される形になって、私はノースさんとサウスさんを見るしかない。
「私...排除?...してました...?」
肩をすくめ、サウスさんが首を傾げる。そのままノースさんへとサウスさんは視線を向ける。
「私が...。王宮神殿の間者をエミーリア様の御側に置くのは如何かと考えました。」
しれっ...とノースさんが平淡ないつもの声で答えてくれた。珍しくちょっと不機嫌な表情で。
ええと...それはノースさんが排除して来たって事ですよね...。
でも、多分それも私を思っての事だと思うと、今更どうしてと問うことは出来ないし、離宮へ来たばかりの頃の自分を思い返してみても、多分区別がどうのとは判らなかっただろう。
第一、聖殿と神殿の区別が今一判らない。
私が今居るのは聖殿の離宮なのは確かだ。
花祭りまでは神殿と聖殿、2つの名称がそれぞれ別であるのを知らなかった。多分町の皆もあまり気に留めてはいないと思う。礼拝堂がある場所を神殿って言ってたし、花祭りや結婚式、出生式をする祭壇のある方の建物を聖殿って言ってたくらいだ。
「ええと...ごめんなさい。聖殿と神殿の違いが私、判らないんですけれど...違うんですか?」
「そうですね。聖従士、聖騎士の説明ならできますので、まずはそちらから説明します。
我々聖従士は聖殿側の所属になります。聖殿とは国の護りの要。神殿は国の運営面を担っています。
聖殿は各町にそれぞれ配置されてますが、神殿は王宮神殿だけなのです。なので王宮神殿をトップに、ここ王国聖殿から下はそれぞれの街聖殿という形式になります。神殿では王宮軍がありますが、聖殿は聖従士隊とその上の聖騎士団が護る形になります。神官職はまた組織の縦割りが違うので私では説明しかねますが...。」
問い掛けるとノースさんは淀みなく答えてくれる。
「ノースさん、今更ですが、聞いてもいいですか?」
「はい、なんなりと。」
ソファーへ腰掛けた私の側で跪きながら、ノースさんは私を恭しげに見つめる。
「最初にお会いしたときに、私がメイド職の方と勘違いしてしまって...そのせいでメイド職の方々のお仕事まで任されてしまった、という事はありませんか?」
「いいえ。エミーリア様が我々をどんな役目であっても、召し抱えてくださる歓びに勝る栄誉はありません。御側でお護りするだけではなく、貴女様に触れられる誉れを頂けるだけで、光栄なのです。
それにお側仕えをしているお陰で食事に毒が盛られる危険もなく、湯浴みの際も別室待機ではないお陰で身辺警備は万全です。」
「あの聖女様?我々がメイドではないと...気がつかれたのですか?」
サウスさんがそっと跪きながら聞いてくる。
初めて聞くはずの低く優しい声は男性特有の声で。
触れた事はないはずだけど、サウスさんの優しい手を知っている様な気がする。
「なんとなく...朝...ふとそう思ったのです...。あの...今までごめんなさい。メイドさん...いえ、女性だなんて思ってしまっていて...。思い込んでたんですね、私...。」
座っている私よりも跪いているサウスさんの方が背が高いのに。
ゆったりとした服の上からでも、ちゃんと見るとわかるのに。
全然肩も首も背中も私よりも大きいし、逞しい。
「私...浮かれてたんです。きっと。聖女だなんて突然こんな豪華な生活をさせていただいて、周りが見えないくらい...浮かれてたんです。ごめんなさい。」
サウスさんは私をとても優しい目で眺めて...それはまるでお兄ちゃんと喧嘩した後に謝った時みたいな優しい目で。
ニコッと笑って。
「謝らないでください。聖女様。俺達も貴女が多分誤解してるんだろうと思ってましたが何も言わなかった。俺達も浮かれてたんです。聖女様の御側に居られる幸せに。」
メイドさんを改めてお願いするかどうかを聖殿のトップであるテセウスさまに後で相談しよう、と話し合い、一度部屋へと戻る事にした。
案の定ノースさんに抱き上げられながら...。
歩けますって何度も言ってみたが、そこは譲れませんと頑なに拒まれる。
離宮にはまだ私が知らない部屋が沢山ある。
先程の書斎もそう。
普段は自室だと与えられている部屋と、食堂、湯殿位しか行かないのだから仕方ないけど。
御祓の場所は離宮から少し離れた聖殿の地下。
ここへは週末に行くのだけれど、部屋を降りて廻り階段のある玄関ホールから直接馬車へと乗り、すぐ隣の聖殿へと移動するだけだ。
結構どころか、本当に小さなお城みたいに広く、多分一人では確実に迷子になるだろうと思っている。
この離宮の中にニイゾノさんや、あの女の子達もいるのだろうか?
それとも従士の皆さんのように従士舎という別の建物で生活しているのかも、私は知らない。
もしお願いして召し使い?侍従?として来てもらうにしても、何処へ声を掛けるのかも判らないんだから。
改めて考えても、やっぱり浮かれていたんだろう。溜め息が出てしまう...。
部屋へと戻り、教本を再び手に取る。
二冊目のマナーの本。
じっくりとこれを読んで考えなければ、と決意し、ページを捲る。ひとつずつ、判らない部分はノートへと書き写しながら。
ふ、と気がつくと部屋は薄暗くなりつつあった。
窓へと視線を巡らせると、バルコニーの向こうは赤い夕陽が沈む所で、思わずバルコニーへと出てみた。
階下に広がるのは綺麗に整えられた庭。
色とりどりの花が咲いている。
そこを静かに歩く人影が見えた。
「テセウスさま!」
綺麗に撫で付けられたシルバーグレイの髪を淡く夕陽の緋色に染めながら、こちらを見上げるテセウスさまに、嬉しくて端ない程大きな声で呼んでしまった。
ふっと微笑んで、テセウスさまが手を振ってくださった。
「今そちらへ行きますね、エミーリア。」
長い神官服の裾がテセウスさまが歩く度にはためいて、肩から掛けられた幅広のストラが揺れる。
ストラの刺繍が夕陽を受けてキラキラして、テセウスさまが更に格好いい。
朝に伝えられた通りにまたいらしてくれて、嬉しくてドキドキして、頬が勝手に緩んでしまう。
部屋のなかでそわそわと彷徨いてしまうのはどうしてでしょう?
しばらくすると控えめなノックの音と、「エミーリア、入りますよ?」とテセウスさまの声がして、思わず声が裏返ってしまう。
「どうぞ」だなんて短い返事なのに。
「エミーリア。」
そっと部屋へと入ってこられるテセウスさまが、私を見て微笑んで両腕を広げる。
「ただいま、と言ってみてもいいでしょうか?」
はにかんだ笑みで少し首を傾げる。そんなテセウスさまが格好可愛いのですが、どうしたらいいでしょうか?
大人のテセウスさまに可愛いだなんて、失礼でしょうか...?
「ん?エミーリア?」
広げた両腕をちょっとだけパタパタと動かして、おいで?と囁かれる。
照れと喜びと愛しさとがごちゃ混ぜになりながら、駆け寄る。
「おかえりなさい...テセウスさま」
きゅっと抱きつくと、胸元に収まった私の旋毛のあたりでテセウスさまが深呼吸する。
「ああ...幸せです。どうしたらいいんでしょうね?ただいま、と言っておかえりと言われる...なんて私は幸せなんでしょうね?エミーリア。」
旋毛にぐりぐりと頬を寄せるテセウスさま。なんて可愛い仕草をされるんでしょうか?!
再びきゅっと抱き締められて、頬を両手で挟まれ、上を向かされて唇へと軽く触れるキスを落とされる。
離れ際に、唇をはむっと唇で食まれた。
やだもう!可愛すぎますテセウスさま!
「今日は初授業でしたね。コンラッド先生は如何でした?」
ん?と優しい眼差しで微笑んでくださるテセウスさまを、お話をするためにマントルピースの前のソファーへと誘う。対面しながらテセウスさまが腰を落ち着けた所で、話始める。
「コンラッド先生とは、書斎でお茶を致しました。それから......
概詰まんで、今日のお茶会のこと、ニイゾノさんの事、ノースさん達のこと...を話した。
予習の後にどう話そうかと考えていたので、スムーズに話せたとは思うけれど、テセウスさまは難しい顔をなさってしばらく考え込んだ。
「そう...ですね。神殿の言い分も判りますし、ノース君の疑念も判ります。しかしここで強固に拒むのも得策ではない。
一度ニイゾノとエミーリアで話をしてみませんか?こういうことは早い方が宜しいでしょう。夕食の後なら大丈夫でしょうから。」
善は急げと言いますし、とテセウスさまはマントルピース横の壁の筒状の花を象った装飾品...ダチュラに似ている金属の筒を開けて、中の紐を引っ張る。
あ、こうやって使うんだ、これ。
言葉にこそ出さなかったけれど、謎の装飾品の用途にこれは便利ツールだったのか、と感心していた。
そんな私を振り返り、テセウスさまは「エミーリアは、側仕えを呼ぶ事をしなかったのですか?」と苦笑していた。
呼ぶ必然性がなかったというか、食事や湯浴みはノースさんがお迎えに来てくれていたから、多分知っていても呼びつけたりはしなかったと思います、と素直に答えると、幼子にするように頭を撫でられた。なぜ?
直にノックの音がして、扉の向こうでウェスさんの声がする。
「御呼びでございますか?エミーリア様。」
わぁ、本当にきたー...。
「キルバート・ウェスダー、入りなさい」
テセウスさまが硬質な声で応えるとウェスさんが、「失礼します」と短く応えて入ってくる。
いつもの高めな可憐な声ではなくて、鋭く、聞くだけで背筋が伸びるような凛々しい声だった。
そっか、キルバートさんって言うのか...ウェスさんは...。
「午後のニイゾノ達との話を聞いた。本人に話を聞きたい。夕食後...そうだな談話室を調えさせよう。ウェスダー、警護を頼む。」
「承知致しました。サンドーム神父長官、我々はもうメイルメイド卒業ですか?」
にやっと悪戯っぽく笑ってウェスさん...いや、ウェスダーさんが私を見る。
申し訳なさと居た堪れなさに、眉尻が下がってしまう。
そんな私に優しい笑みでウェスダーさんが話し掛けた。
「エミーリア様。そんなお顔なさらないでください。私たちもかなり役得...いえ、楽しかったので。
本来の身辺警備だけでは知れない女中侍女の仕事も覚えられましたし、何より貴女が可愛い...おっと、失礼。
聖女様が尊い存在であることに嬉しく思っております。」
巫山戯るようにクスクスと笑って、それからスッと流れるように敬礼をするウェスダーさんは、柔らかい表情から一変し厳しさを覗かせる視線で私とテセウスさまを見る。
「神殿側に伝えて参ります。」
昨日まで見ていた楚々とした仕草ではなく、きびきびと歩く後ろ姿が扉から消えて。
いつの間に隣にいたのか、テセウスさまに肩を抱き寄せられる。頭を撫でられながら額に落とされるキス。
「私も知っていながら侍女侍従を放置してましたからね、エミーリア。大丈夫ですよ、ニイゾノとの話し合いには私も居ますから。」
チュッチュッと軽いリップ音をさせながら、額に目蓋に頬にとキスの雨が降る。
愛を確め合ってからのテセウスさまは、甘い触れ合いが...スキンシップが激しい気がする。
イヤじゃないけど照れ臭い。
胸の中にはモヤモヤしてる物があったけれど、こうして甘い触れ合いをしていると、モヤモヤが晴れていく様だ。
甘える様にテセウスさまに凭れかかって眼を閉じる。
「緊張する?エミーリア。」
すりすりと胸元に頬を寄せると、私を抱いた肩から私の腰へと手を下ろし、ぐいっと密着するように体を引き寄せられ、するすると太腿を撫でてくる。
そこに厭らしさはなくて、ただ撫でているだけの優しい手つき。
「緊張...します。でも大丈夫です。テセウスさまが居てくれるから。」
昼のあの冷たい視線のニイゾノさんと、ノースさんの無表情とは違って、拒絶からの無表情な女の子達を思い出すと、少しだけ胃のなかがモヤモヤするけれど。
『蔑ろにされている』状態だと感じているのなら、それを解きほぐして、互いにより良い状態にしたいとは思う。
歩み寄って貰えるだろうか...。
ううん。私から近寄らせて貰わなくちゃ。
世界に比べてこんなにも狭い離宮という囲いの中で、胸襟を開けないのは哀しいから。
※【後書き】※
6話~8話(7と8の間の閑話含む)はエロ無し回となっております。ただ、その後のエロに行くための布石(布石だなんて大風呂敷広げた気もする...)でもあり、エロ書きたい小説なのにエロないじゃん(*>д<)ってジレンマしてます。
あと...百合もこれからは所々増えていくので笑って流して頂けると嬉しいです。
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