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夢が覚めないうちに

第268話

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 ザザザザザザザザザ



 せり上がってくる波が、交差点の内側へと入ってくる。

 逆巻くように踊りながら、アスファルトを食い破る。

 信号機は柱ごと倒され、車は車体ごと持ち上げられていた。

 水飛沫が宙に浮き、空気を濡らす。

 割れた地面の傾きは空間を押し潰すように重く、体を浮き上がらせるほど軽やかだった。

 踏みしめた右足は、つま先から逃げていこうとする力を“戻す”ことに終始していた。

 思うように体重が乗っからない。

 体にうまく力が入らない。

 数メートル先の地面でさえ、もう不安定だった。

 手を伸ばしても、彼女には、まだ…


 動け動け動け…!


 世界がぼやける。

 彼女の後ろ姿が、遠く霞む。

 着地した左足の下で、砕けた地面が凹んでいく。

 その拍子にこけそうになった。

 でも、…そんなの関係あるか!

 今止まれば、きっと永遠に届かない。

 それくらい地面が柔らかかった。

 それくらい、…遠かった。


 空間をかき分けるように手を伸ばした。

 雨粒と波の飛沫が衝突し、轟音を立てていく。

 濁流の渦に巻き込まれていく世界の岸辺で、一瞬の静寂も持てないほど、事態は逼迫してた。

 あらゆる物体はなぎ倒され、空は、赤く染め上がる。

 蒸発していく空気と、夏の鼓動。

 通り過ぎたひぐらしの音色は、激しい地響きの中に埋もれていくかのようだった。

 ダダダダと沈んでいく街の風景の中に、——揉まれながら混ざり合い。


 ダンッ…!


 あと一歩のところ。

 もう少しで手が触れようかというその間際、彼女と俺の間に、一本の線が敷かれた。

 地面が割れる。

 それは、まな板の上で勢いよく大根を真っ二つにしたかのような切れ味があった。

 ドンッという大きな音と、目まぐるしく動く高低差。

 体が宙に浮いてしまうかと思うほど、地面が跳ね上がる。

 それと同時に、彼女がいる地面が大きく揺れ動き、切り離されながら遠ざかっていった。

 街が2つに分かれたかのように、巨大な亀裂が目の前に流れ出る。

 その“裂け目”は深く、それでいて広かった。

 グラついた体を持ち直す頃には、千冬はもうずっと遠い場所にいた。


 「…嘘…だろ!?」


 地面が崩れていく。

 全てが、散り散りに砕けていく。

 もう俺の周りには、身動きができるほどの足場がない。

 街の真下には底の見えない大穴が開き、かろうじて残っていた周囲の建造物は、倒れながら滑り落ちる。


 ——全てが、飲み込まれていく。


 さっきまでそこにあった地面が、“空中に浮き上がったような錯覚”に陥るほど、穴は巨大だった。

 ただひたすらに、だだっ広い空洞が広がっていた。

 暗闇が広がる。

 天と地を逆さまにしたように、全てが、広い「空」に投げ出されたかのような…

 

 暗闇の底に沈んでいこうとする彼女の背中を追いかけながら、ジャンプした。

 半径一メートルもいかないほどの地面を蹴り上げ、離れていく千冬を追いかける。

 途端に、最後の足場が崩れた。

 粉々に朽ちて落ちていくアスファルト。

 ミクロの粒子にほどけていく土の破片。


 空から身を投げ出したように、全身にその重力を感じる。

 深い深い暗闇に向かって、激しい空気抵抗を感じた。
 
 光が届く距離に、まだ彼女がいる。

 だけどどんどん、その距離は遠ざかっていく。

 穴の中に流れ込む波。

 その上から覆い被さるように衝突する隕石。



 ドッ……!



 音が聞こえるのは、光が落下するよりも速かった。

 だけどその“振動”は、大気を揺るがすほどに大きく、それでいて“遅かった”。

 空間が“破れる”。

 一本の弦が、張り裂ける。

 風が引き寄せられるかのような引力が、後方から吹き付けていた。

 グッと、体が持ち上げられる感覚が、時間を巻き戻したように通り過ぎた。

 その断片から、空気の揺れが無くなる。

 真空に閉じ込めたような澱みのない静寂が、さっと、駆け抜け。


 一点に収縮する力が、瞬く間に膨張する。

 その距離は、時間を逆算できるほどに“長くはなかった”。

 そこに“隙間”はなかった。

 それにもかかわらず、うねりのような電流が迸った。

 そしてその背後に、全ての時間を吸い込んだような虚空が、広がった。
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