水辺のリフレイン

平木明日香

文字の大きさ
上 下
2 / 2
海に浮かぶ町

第2話

しおりを挟む

 この肌の横でいつも感じているのは、ただの海かそうでないのかのぼんやりとした境界線が、水彩画のように陸続きになって一つの光景を形作っているということで、海が青色なのではなく、それを取り巻くすべての景色が、海に近づくに連れて流れるように青色に彩られているということだ。

 海の音が、生活の音になるように、海と、家と、私の下に聳える地面は、パレットの上の多彩な青色のように、自由に場所を変えることができる。


 唄が私の家に遊びに来たときは、終始感動しきりに「ここに住みたい」とか「写真を撮りたい」とかはしゃぎ回り、その横で私はその良さがわからずに、何を見てそんなに嬉しくはしゃいでいるのか不思議に思う感情に苛まれた。

 だって海っていうのは、私にとっては日常なんだ。

 食卓のテーブルのようにすぐ横にある。

 だから特別なものはなにもない。

 だけどそれこそが特別なのだと思えるくらいの、横つけになって届いて来る聞き慣れた波の音が、さざ波になって私の生活の音を揺らす。

 唄は、それには気付かない。

 唄は、山の子だから。

 海には少し遠いその育ちの土地と山々からは、私がいつも聞き慣れている音とは違う波の音が、聞こえているはずだった。

 唄の日常の中にある景色の向こう側には、私の知らない日常があるんだ。

 私は逆に、山に登るのが好きで、その時に感じる普段の日常の風景や色とは違うギャップが、森の緑の横で視界の中を泳いでいる。

 それはきっとまだ触れ合い慣れていない視界の中にある記憶が、新しい情景を切り取っていく真新しさとなって、鼻の先に感じる自分たちの日常の「外」の匂いを、敏感に敏感に拾い取っているからなんだろう。

 ——きっと。


 私の生活の横にある「青」は、唄が感じているよりもずっと濃い。

 それだけに、時々嫌気が指すほど、海の中に緑を求める時がある。


 私は家に帰ってきて、町の村の人たちに挨拶をした。

 ここは、この舟屋という民家の密集地域は、海が目の前に隣接しているように、海岸の縁(ふち)を横一列に並びながら、隣合わせになったたくさんの家が、狭い空間の中で集まっている。

 庭なんてものはないし、玄関を出れば、すぐ隣の人たちの生活音や人の気配が感じられる。


 ここにいる人たちは、家族も同然だった。

 古い民家だから、私と同い年の子や、近い年齢の子なんかは今のところいないけど、少ない民家の集落の中で、話したことのない人は一人もいなかった。

 隣もその隣も、目の前の今井田さんだって、私が家に帰ってくるなり、お帰りと言って挨拶を交わしてくれる。

 今日はカマスやカワハギが採れたよと言ってバケツ一杯の魚をバシャバシャと扱いながら、その奥の家の方では一匹のイワシが小さなバケツからはみ出ちゃって、地面の上でバタバタ過呼吸になりながら暴れている。

 ジタバタと。


 潮風になびかれて、魚の匂いがする。

 だってここは漁村だし。

 皆が皆、漁師を夫に抱えているのが普通で、食卓に魚が並ばない日なんてほとんどない。

 ここは観光名所でもあるから、民家の中には宿泊施設を商売にしている人たちもいる。

 ま、何にしても出てくる料理は色とりどりの海の生き物たちであって、山菜なんかはテーブルの端の端の方に追いやられて見る影もない。

 スーパーに買い出しに出かけても、買うものはいつもパンとかバターとか洋食ものばかり。

 魚なんて見る必要ないし、野菜なんかも集落の裏の山の麓を耕して、皆この時期には作っているから、それが集落全体に出回って潤う。

 だからほぼほぼカゴの中に収まることはない。

 芋も、キャベツも、にんじんも。


 なんにせよ、私の体は魚で出来ている。

 今日の夜はカレーライスだけど、魚介の出汁(ダシ)だ。

 バーモンドカレーでいいじゃないか。

 なんでわざわざ魚を鍋にぶっこむんだ!と食卓で料理を手伝うお姉ちゃんに言ってやったら、「もったいないでしょ」、とかなんとか。

 もったいないとか言ってる暇があったら、その魚を海に離して、元気に泳いで帰って行ったのを見届けてやればいいじゃないか。

 うちのフライパンで焼かれている姿を見るのは辛い。

 だって毎日だよ?

 魚には魚の事情があるんだから、一匹も残さず競売に出すとか皆で腹の足しにするとか、そんな強欲に接してあげなくても、たまにはもう一度海に返す時間があっていいじゃない。

 たまにバケツで泳いでいる名前も知らない可愛い小魚をひょいっと摘んで海に返してやったら、怒られる怒られる。

 それはもう怒涛の勢いで。

 あんなに小さいんだから大きくなってまた取ればいいじゃないと言ってやったら、一度逃がした魚はもう二度と帰ってこないんだから離しちゃだめ、だってさ。

 そいつが命からがら逃げ延びても、この海にはたくさんの魚がいるんだから、別にいいじゃないかとも思う。

 漁師の皆はそれを許さないんだけど。


 私は家に着くなり、脱ぐもの脱いで、2階に上がった。

 部屋の窓を開けて、そのガラス戸のレールの下に腰を下ろしながら、窓辺に座った。

 ハヤブサが、何羽か海の向こうで泳いでいる。

 水面(みなも)の上で小魚を捕ろうとクチバチを下に向けながら、ヒラリと舞って、伊根湾のたくさんの舟達や水の音の中に飛んでいく。

 青色の原色が、夏の景色の向こうに漂っている。

 空から零(こぼ)れてくる雲の模様が、風を受けて流れていく白い斑点になって、微かに揺らめきながらどこかへ消える。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

私の日常

友利奈緒
青春
特になし

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

私たち、博麗学園おしがまクラブ(非公認)です! 〜特大膀胱JKたちのおしがま記録〜

赤髪命
青春
街のはずれ、最寄り駅からも少し離れたところにある私立高校、博麗学園。そのある新入生のクラスのお嬢様・高橋玲菜、清楚で真面目・内海栞、人懐っこいギャル・宮内愛海の3人には、膀胱が同年代の女子に比べて非常に大きいという特徴があった。 これは、そんな学校で普段はトイレにほとんど行かない彼女たちの爆尿おしがまの記録。 友情あり、恋愛あり、おしがまあり、そしておもらしもあり!? そんなおしがまクラブのドタバタ青春小説!

処理中です...