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がんばれ、負けるな

第640話

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 ミーンミンミンミンミン


 ミーンミンミン



 ジジジジ…





 彼と出会ったのは、ある晴れた日のことだった。

 剣道だけが取り柄の坊主頭と、摂氏30度の午後。

 夏休みに入った7月の終わり、キーちゃんに海に行こうと誘われ、自転車を漕いで出かけた。

 昼下がりのことだった。






 「…誰?あいつ」


 「アタシの友達。亮平って言うんや」


 初めて彼を見た時、やけに色黒の坊主頭がいるなぁ…、という印象だった。

 瀬戸内海の海と、夏。

 白いビーチの上で黙々と竹刀を振っている、いかにも体育会系の子供の姿が見えた。

 同じ少年野球チームに入っている子だと、その時にキーちゃんに聞いた。


 「紹介するわ」


 この日私はキーちゃんに、キャッチボールを一緒にやろうと誘われていた。

 彼とキーちゃんが、家の近い幼馴染だということを、この時に知った。

 そして、バッテリーを組む候補になっていたことも。




 「…おっす」


 無愛想な挨拶をされ、思わず会釈をする。

 彼はどこかぎこちなく、それでいてヨソヨソしく、いかにも人見知りが強そうな口数の少なさで、じろりと私を睨むように眉を顰めていた。


 「苗字は木崎。木崎亮平」


 「…どうも」


 涼しいくらいの風が吹いている海辺のそばで、青色の空が真っ逆さまに降って来ていた。

 眩しいくらいの光の下で、海の水面がキラキラしていた。


 最初の印象は『どこにでもいるガキ』。

 元気だけが取り柄で、剣道しか興味がないような絵に描いたような『少年』。

 私は彼のことを「亮平」、と呼んだ。

 キーちゃんと同じように。




 私たち3人は、よく海に出かけた。

 グラブとボールと、バットを持って。


 キーちゃんがピッチャー。

 私がキャッチャー。

 そして、亮平がバッター。


 キーちゃんに誘われ、西須磨ドルフィンズという少年野球チームに入った私は、4年生の夏から、野球を始めた。

 私たちがお互いに「親友」と呼べるようになったのも、野球を始めたことがきっかけだった。



 「楓、海行くぞ!」


 彼は、休みの日によく私の家に遊びに来た。

 キーちゃんも同じだった。

 地元の海にいちばん近かったのは、私の家だったから。



 3人と出かけるのは、子供の頃の青春だった。

 日本一の剣士になるという夢を持つ亮平。

 プロ野球選手になりたいと意気込むキーちゃん。

 私は剣道にも野球にも全然興味がなかったけれど、2人の情熱に巻き込まれ、いつしか海が、私の中で欠かせない「場所」になった。



 私は自分を思い返す時、必ずこの3人で過ごした時間を思い出す。

 それはきっと幼馴染だった2人が、他のどんな人よりも近い距離にいたからだとも思う。

 子供の頃に誓い合った、3人だけの約束。

 大きな「夢」。

 大人になればなるほど薄れていく気持ちがあっても、3人で誓い合ったことだけは、いつも忘れなかった。

 須磨の海岸で、誓い合ったこと。

 いつか大人になっても、3人でキャッチボールをしよう。

 そんな平凡で、大したことのない「夢」も、私たちにとっては大事で、かけがえのないものだった。



 灰色の空の下に落ちる雨。

 街角のコンクリートの上を走る風。

 交差点に往来する車。

 夜空の上に流れる星。



 海面の反射光が時々目の中に入り、思わず帽子を深く被る。

 砂浜の上は踏ん張りが効かず、グラウンドの上とは勝手が違った。

 遠い水平線の向こうには船が見えた。

 それから、積乱雲。
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