636 / 698
風の通り道
第635話
しおりを挟むぶつかる直前、私は、そのすぐ目の前にいた。
手を伸ばして、彼女の手を掴もうとしたんだ。
逃がすわけにはいかないと思って。
横になぎ倒された体。
こめかみを打ったのか、顔から血が出ている。
急いで駆け寄り、声をかけた。
「大丈夫ですか!?」
意識はあったし、大事には至らなそうだった。
すぐに救急車を呼び、トラックの運転手は、安全なところに寝転がれるよう彼女を運んだ。
私もそれを手伝った。
他に怪我がないか見て、様子を伺う。
軽い脳震盪があり、最初のうちはしゃべれないみたいだったが、そのうちに意識がハッキリし始めた。
「ほんとに、大丈夫ですか??」
「…え、ええ」
今は、事件のこととかはどうでもいい。
彼女が無事かどうか、冷静に対処しなきゃ…。
「痛いところとかは!?」
「…大丈夫だと思う」
大丈夫なわけない。
血が出てる。
トラックとぶつかったんだ。
すごい音がした。
ごめんなさい…
わけがわからなかった。
どうすればいいのかわからなくなって、手は震えてて。
「救急車は呼びましたから!」
「…ありがとう」
女の人は落ち着いていて、道端のブロックに座っている間、終始にこやかだった。
さっきまでの緊迫感は薄れて、言葉の語尾はどれも柔らかく、たどたどしい私とは裏腹に、物腰が柔らかだった。
聞きたいことはたくさんあった。
公平くんのことや、ここまでの時間。
…でも、思うように喋れなかった。
もしかしたら…、という不安もあった。
追ってきたのは間違いで、事件とは何も関係もなかったかもしれないこと。
女の人は私を見ては、すぐに目を逸らした。
私もつられたように目を逸らした。
静かな時間が、慌ただしい事故現場の周囲とは裏腹に、しんと広がっていた。
亮平もその場に合流した。
なにがあったんや!?って聞いてくるから、とにかく今は救急車が来るまで、安静にしておかなきゃっていうことを伝えた。
現場に駆けつけた隊員に連れられ、女の人は病院に向かった。
私たちは、それにはついて行かなかった。
ただ、別れ際、彼女の懐に手紙を入れた。
メールアドレスも、ラインのIDもわからなかったから。
午前10時過ぎ。
皆と合流して、今回の事件について、ひとまず様子を見ようって話をした。
「犯人で、間違いないん?」
「…多分」
「ってことは、公平くんの失踪は誘拐やったんやな」
「…多分」
「なんや、楓、元気なくない?」
…うん?
そうかな…
でも、そうかも
ちょっと、心臓に悪い出来事だったから。
「その人、大丈夫なん?」
「わからん」
「でもさ、追いかけて事情説明した方が良くない?」
「事情?」
「いや、まあ、仮にその人が犯人なら、再犯の可能性だってあるやろ?」
再犯…?
ああ、でも、たしかに。
その可能性はゼロじゃない。
でも、追いかけてなにか言ったって、ちゃんと聞いてくれるかどうかもわからない。
悪い人には見えなかった。
あの場から急に逃げたのも、もしかしたらびっくりしただけかもしれなかったし…
だから、手紙を書いて渡したんだ。
今回の騒動のことの説明と、理由を言葉にして。
「説明って。それでちゃんと伝わる?」
「わからん」
彼女が、トラックとぶつかった時の残像が、繰り返し頭の中で再生されていた。
あの音。
あの、クラクション。
自分が経験した時と同じ光景や音が、頭の中でフラッシュバックしていた。
交差点を横切る犯人を追いかけていた時、点滅する青色の信号の前で、何度も足が止まりそうになった。
事故のあの日に、硬直した体を思い出したように。
フロントガラスに乗り上げた顔。
宙に浮く2本の足。
ヘッドランプが砕け散り、右腕が反対に曲がる。
鎖骨が折れたのか、喉の下は枝が突き刺さったように皮膚が伸びていた。
痛みは、無い。
…ただ、息ができなかった。
気道がちぎれてしまったように。
その、事故の記憶。
…まさか、自分が事故に遭うとは思わなかった。
そう思っても、もう間に合わないっていうことが、時間の岸辺に続いているにしても。
爆走する「現在」という淵に、立つ。
その横でトラックの影が近づき、クラクションが鳴る。
(…あぶない!)
そう思った時には、世界は変わってた。
季節外れの雪に、まぶしい光。
未来に向かって歩いてた足が止まる。
そしてその先の「道」に、もう行けない気がするのは、気のせいだろうか?
「現在」の向こう側に立つこと。
心臓を動かせるタイミング。
私は「過去」にいるのか、「未来」にいるのか、それすらもわからなくなる境界に立って、見渡した360度の視界。
ここはどこ?
今は…、いつ?
その答えを知れるタイミングは、まだ、存在していない。
2014年、9月10日が来るまでは、「私」が生きてるか死んでるかの答えは、きっと、どこにもいないんだ。
私という「時間」が、そこにたどり着くまでは。
亮平は、私が生存する確率は99%だと言ってた。
少なくとも、
2014年9月10日、7時33分52秒44
に、私がもう一度死ぬ確率は、限りなく0に近い。
それは、それに至るまでのプロセスや、たくさんの要素が絡み合ってるからだ。
1番の要因は、私が「未来」を知ってること。
だから普通は、“99%の向こうには立てない”と言っていた。
100%の「未来」は、まだ存在していないからだって。
クロノクロスの開発を通じて、人類が発見したことは、「時間」という地平が、過去と未来のその双方に於いて、100%同じ目を出せるサイコロの目を持てないと言うことを「現在」に“連続できる”ということだった。
嘘をつこうと思えば、いつでも嘘をつける。
だから「世界」は、実体を持たない『円周率π』のような存在だって。
みかんはみかんで、りんごはりんごだ。
誰もが皆、そう思う。
でも実際は、そうじゃない。
AとBの境界を完璧に区切れるものは世界のどこにも存在しない。
アスファルトの向こう側にも、水平線の彼方にも。
そんな言葉を聞き、私は不安になった。
過去にも未来にも、もし、存在することができなくなったら?
そう思うことの「理由」が、どこから発生したのかはわからない。
ただ、もしも自分が、今、生きているということを証明できなければ、それこそ、“存在してる”って言えないんじゃないか…?
私という未来や過去が、「世界」に存在していたのはいつ?
タイムリープした過去の自分に、聞いてみる。
だけど、返事はないんだ。
シーンとしてる。
胸に当てて聞いてみても、反響する言葉さえなくて。
その日の夕方、亮平のバイクに乗せられ、海沿いの街道を走った。
夕暮れ時に沈む太陽の下、背中に顔を埋める。
ほのかな柑橘系の香り。
パタパタと揺らめくポロシャツの袖。
「あのさ、もし未来に行けるとしたら、どっか行きたいとこない?」
「なんやねん、急に」
「私は色々あるよ?ブラジルとか、北海道とか。あとアイスランド!世界を色々旅してみたい」
「…おかんみたいなこと言うなや…」
「ブラジルは地球の裏側でしょ?北海道はプリンが美味しいっていうし、アイスランドは世界最大の露天風呂がある!」
「へー」
「真面目に聞く!」
「…イタッ!プリンなんてどこでも食えるやんけ」
「ここらへんにプリン専門店なんてないやろ?北海道は乳製品が特産やから、そういうのもあんねん」
「俺はあんま甘いもん好きやないし」
「あんたはどうでもええねん!私が食べたいの!」
バイクの風と、夕闇のオレンジ。
いつの間にか、亮平が近くにいる。
「…それにしても、ビックリしたで。ほんま」
「なにが?」
「犯人追いかけていったやろ?」
「…ああ」
「あんまムチャすなよ」
「うん…」
「でも、おかげで捕まえれたけどな」
「…私のせいで事故に遭ったやん」
「不可抗力やろ」
「全然。追いかけなきゃ良かった」
「…そんなん言うとキリないで?大体、お前はあの場から逃げんかったやろ?」
「それが?」
「おかげで救急車もすぐに呼べたし、肝心なことも伝えれたやん」
「手紙を読んでくれるかどうかはわからへんよ。それに…」
「ん?」
「もし犯人やなかったらどうしよ」
「たぶん、それは大丈夫や。車ん中に公平くんの写真があったから」
「え?」
「道の真ん中で車乗り捨てていったやろ?事故に繋がるし、後続車の邪魔になるから、すぐ横の空き地まで移動してもろたんや。あのあとすぐ」
「写真っていうのは?」
「あの人と一緒に映っとる写真や。公平くんの知り合いなんかは知らんが」
「そうなんや…」
「公平くんを拐うつもりやったかどうか、ホンマのことは分からん。けど、公平くんは無事や」
「…うん」
「で、なんて書いたん?」
「え?」
「手紙や手紙!」
「とくになんも。…ただ、「もし、違ってたらごめんなさい」って前置きは入れておいた」
手紙の内容は、ごくシンプルだ。
『ーー須磨西中学校、未来新聞部より。
私たちは未来から来たものです。
6月13日午前8時10分頃に公平くんが家の庭先から失踪しました。
未来では、公平くんはまだ見つかってません。
私たちは公平くんがいなくなった手がかりを探しています。
もし何か知っていましたら、西中の情報学習室まで。』
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
雨上がりに僕らは駆けていく Part2
平木明日香
青春
学校の帰り道に突如現れた謎の女
彼女は、遠い未来から来たと言った。
「甲子園に行くで」
そんなこと言っても、俺たち、初対面だよな?
グラウンドに誘われ、彼女はマウンドに立つ。
ひらりとスカートが舞い、パンツが見えた。
しかしそれとは裏腹に、とんでもないボールを投げてきたんだ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
切り札の男
古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
しゅうきゅうみっか!-女子サッカー部の高校生監督 片桐修人の苦難-
橋暮 梵人
青春
幼少の頃から日本サッカー界の至宝と言われ、各年代別日本代表のエースとして活躍し続けてきた片桐修人(かたぎり しゅうと)。
順風満帆だった彼の人生は高校一年の時、とある試合で大きく変わってしまう。
悪質なファウルでの大怪我によりピッチ上で輝くことが出来なくなった天才は、サッカー漬けだった日々と決別し人並みの青春を送ることに全力を注ぐようになる。
高校サッカーの強豪校から普通の私立高校に転入した片桐は、サッカーとは無縁の新しい高校生活に思いを馳せる。
しかしそんな片桐の前に、弱小女子サッカー部のキャプテン、鞍月光華(くらつき みつか)が現れる。
「どう、うちのサッカー部の監督、やってみない?」
これは高校生監督、片桐修人と弱小女子サッカー部の奮闘の記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる