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明日への道

第424話

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 「まだお前に、言ってなかったこと」


 彼は言葉を紡いだ。

 慎重に。

 ライトをかざして、暗闇の中を歩くように。

 あるいは、草むらをかき分けて進むように。


 「なんで野球やってるか、この前聞いてきたよな?」

 「…うん」

 「それはお前に、憧れてたから」

 「…知ってるよ」

 「…俺はお前に人生を変えられた。せやから今度は俺が、お前の人生を変えたい、そう思ってた…」


 言葉が溢れ出てくる。

 時間の歪みから。

 現在の向こう側から。


 「…知ってる、…知ってるよ」

 「…嘘つくな。俺は鈍感やけど、お前も負けないくらい鈍感やろ…?」


 私にしかわからないことがある。

 キーちゃんの記憶を通じて知っているすべてのことは、まだ、この「時間」には存在していないということ。

 何度も過去に戻って、キーちゃんはあんたの気持ちを知った。

 どうして告白してきたか。

 どうしてもう、告白してこなかったか。

 全部わかってたんだ。

 チャンスは一度しかないって。

 人生は、絶対にやり直せないんだ、って。


 もう永遠に「今」が来なくても、あんたの命を救いたかった。

 もう一度あんたと、「夢」を見たかった。

 一緒に甲子園に行こう。

 今度は一緒にグラウンドの上に立とう。

 史上最強のバッテリーで、全国の頂点に立つんだろ?


 …それなのに


 「目を閉じんな!!」


 彼の目の力は次第に薄れていって、代わりに精一杯の力で、その指先に残る僅かな筋肉を動かしてた。

 それを感じて、必死に握りしめた。

 皮膚と皮膚とが擦れ合い、絡み合う死線。

 時間は待ってはくれない。

 それは、考えなくてもわかることだった。

 だけど「止まれ」と思った。

 途切れさせたくないと思った。

 気がついたら叫んでいた。

 彼の名前を呼び続けた。

 返事をしなきゃいけないんだ。

 あんたに届けなきゃいけないものがあるんだ!

 目を開けろ…!

 目を閉じんな!


 「好きや!!あんたのことが!!」



 海の音は程よい心地の風を運んで、そっと時間の中に泳いでいく。

 どこからか飛び立つ鳥の囀りを波の静けさが掴んで、青を世界に滲ませていく。

 「今日」がどこかを探すよりも、時間は速く、流れていた。

 雨の気配は空から消えて、透き通った空気。

 声の「音」は静寂の隙間をついて、永遠の淵を彷徨うように響いていた。

 それが彼の命に届くものであったかは、わからない。

 今さら、そんなことはどうでもよかった。

 弾けそうな心臓の音が鳴っていた。

 「言葉」よりも先に動いている手や足が、風の鳴く方向に傾いていた。


 立ち止まっちゃいけないこと。

 手放しちゃいけない距離。


 瞼の先端に触れる冷たい雫が、雨のように零れていた。

 それがポタポタと彼の血まみれの服の上に落ちて、無造作に染み込んでいく。

 私は、「運命」を変えられるんだろ?

 なのになんで、こんなことになってるんだ?

 キーちゃんは助けたかったんだ。

 あんたのことを。

 それは私だって同じだ。

 返事を届けたいと思ったのは、たんに気持ちを伝えるためじゃない。

 「今日」を、今日起こったことを、本当の意味で変えたかったんだ。

 ——あの時間、この場所。

 その向こう側に広がる地平に、本当の「未来」を作りたかった。


 「…諦めんなよ。夢を…」



 彼のその言葉は、いつかの空を夢見るように、小さく、それでいて確かな息遣いを漏らしていた。

 間に合わないかもしれない「今」を追いかけて、ここまで来た。

 彼に届けたいものが、「時間」の中にあった。

 「夢」はまだ終わらないよね?

 そうだと言ってよ?


 ——ねえ



 
 ザザァァ……………

 ザァァ………

 ザザザァァーー……………



 波の音が聞こえる。

 小さく、速く。


 いちばん静かな音が、夏の終わりの向こうに揺れていた。

 空の端々を歩く雲の瀬が、回転する世界のうねりの中で、加速する刹那への気配をつつくように駆けていた。


 交差点と信号。

 海岸線沿いの線路。


 握りしめた手の奥で、街の喧騒が大きくなる。

 眩しい光がチカチカと照りながら、晴れ間の向こう岸へと飛び去っていく、ひこうき雲。

 まるで鳥が羽を広げているように、それは見えた。

 一瞬の中に過ぎ去る、光と波の記憶のように。
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