英国紳士の熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです

Episode01:You should marry with him

10

　まだ何も分かっていない女性を置いて、シャワールームに消えて行ってしまうなんて、なんと冷たい男だ。

　特に期待もしていなかったけれど、案の定いい顔をしていたのは祖母たちの前だけだった。

　一緒に暮らすといえども、部屋は別々。

　部屋に入る前に、萌衣は手渡された紙に書かれた文字に目を通す。

「週末は一緒に過ごすこと。特別な仕事や友人との約束がない限り共に食事をすること。食事を一緒に取れない場合は、必ずお互いに連絡をすること……なにこれ」

　食事の他にも、ジャンの招待されたパーティーには、必ず萌衣も同行することや、年に二回はイギリスに帰省し、ジャンの家族に会うことなど様々な制約が記載されていた。
　　
　まるで契約書のように書かれた文字を読み上げて、萌衣は深いため息をついた。

　萌衣にあてがわれた部屋には、ワンルームのマンションに置いてあったはずの荷物がすべてそのまま届いている。

　ベッドやカーテン、絨毯などは新しいものに置き換えられていた。

　慌ててメッセージを確認すると、萌衣のマンションは既に引き払われた後だったらしい。

　結局、萌衣が「イエス」と答えようが「ノー」と答えようが、関係はなかったということだ。

　こういうことをされなために、絹江から逃げていたのに、実力行使されてしまったら抗うことができない。

　確かに、ジャンとの結婚は普通の女の人からしたら願ってもないレベルの話だろう。

　しかし、萌衣の気持ちもお構いなしに、裏で動かれ準備をされてしまうと、果たして自分の存在意義とは何だろうと思ってしまう。

　どうせ文句を言ったところで、聞いてくれる家族はいない。

　この行き場のないストレスをどうやって発散させればいいのだろうか。

　クイーンサイズのベッドに倒れこんで、萌衣はスマートフォンで英会話の検索を始めた。

　今のところ、あの冷徹なイギリス男をあっと言わせるためには、流暢なイギリス英語を話せるようになることくらいだ。

「見てろよ」

　母国語の日本語ですら負けっぱなしということをすっかり忘れて、萌衣はまだ見ぬストレスの発散のはけ口に思いを馳せるのだった。