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番外編(宮迫一花)
3 草間傑の恋愛事情
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「あれ?草間?」
頭上から降ってきた女の人の声につられて、一花は上を向いた。
目の前には、黒いストレートの髪を左右に垂らした女の人。
着飾っている風ではないのに、どことなく落ち着いてみえる。多分、一花より年上だ。
「あぁ、三井か」
「えー? めっちゃ偶然!」
どうやら、傑の知り合いらしい。
三井と呼ばれた女の子は、耳にかかる黒い髪をかき上げながら、傑に親しげに話しかけた。
「山田たちと、お昼食べて帰るって言ってなかったっけ?」
「食べた。で、もう解散済み」
「あ、そうなんだ。私は、ユミたちとたまたま来て……」
向けた視線の先に女の子が二人。スマホを弄りながら、こちらの様子を伺っている。
「草間の家って、この近くなの?」
「別に。そんなに近くはないけど」
一花の知らない名前、砕けた口調。
内容から察するに、高校の知り合いなのだろう。
一花が入ることの出来ない会話。
邪魔しないように、俯いてノートを見た。
一花のことなど見えていないかのように、三井の弾むような声が、無遠慮に降り注ぐ。
「そういえば、クラス会の日取り決まったって聞いた? 12月24日。終業式の日だって」
「ふぅん、そうなんだ」
「24日って、クリスマスイブだけど、終業式の後だから、ちようどいいって話になったみたい。二学期の打ち上げって感じするでしょ? まぁ………夜は、各々予定がある人は、帰っていいらしいけど?」
三井は、フフと軽く首を傾げて笑った。まるで大人っぽくみえるように、振る舞っているみたい。
「予定ない人は、そのまま皆でファミレスで夜ご飯だって。クラス会、草間も来るんだよね?」
「そのつもりだけど」
草間と、彼の同級生の会話は、中学時代にも、幾度となく見聞きしている。
図書委員の人や、図書室に来て言葉を交わす人。もちろん、中には女の子もいた。
それと、同じ。ただの友だち同士の会話だよ。
そう思うのに……
なのに、どうしてだろう。二人がすごく遠くにいるような壁を感じる。
中学生と高校生の違いなの?
それとも……ーーー
すると、ふいに、三井の声が少しだけ上ずった。
「あのさ、草間……その日、夜ご飯も来る?」
一瞬だけ、視線がこちらに投げられた気がした。嫌な予感がした。
不安定で、居心地が悪い。
「まぁ、特に予定はないからね」
傑がいつものように淡々と答えた。
三井が、「そっか……」と、小さく呟いた。明らかな喜色を含んだ声で。
「ふぅん。予定、ないんだ……」
また、視線がチラチラとこちらに向く。
あぁ、やっぱり。
コレ、気の所為なんかじゃない。漫画とかで、よくあるヤツだ。ナナちゃんも、前に城崎杏奈にされていたやつ。
私、今、牽制されてる。
この人、傑のことが好きなんだ……
好き……なんだーーー
理解した途端、重い鉛が腹の中に落ちてきた。
他の誰かが、傑のことを好きだったとしても、一花には、どうしようもないことなのに……
なのに……
受験生で、しかも、ただの中学時代の後輩でしかない一花は、クリスマスイブも冬期講習だというのに、この女の人はクラス会とはいえ、傑と遊ぶんだ。
そう思うと、埋めようのない年の差に、ギュンと押し潰されそうな気がした。
俯いたまま身体を固くして、ノートを睨んでいるだけの一花の耳に、傑の声が届いた。
「あのさ、三井。悪いけど僕、今、後輩の勉強みてるから」
一花は、思わず顔を上げた。その目に映った三井の顔は、あからさまに曇っていた。
だが、彼女は、すぐに愛想の良い笑顔に切り替えて、「あぁ、後輩さんなのね……」と、一花の方を振り返る。
「ごめんなさい。その……妹さんかと……」
それから、傑に向かって愛想よく
「邪魔して、ごめんね。じゃあ、また……学校で」
と、別れの挨拶を告げ、去っていった。
その背は、どことなく、怒っているようにみえた。
三井がいなくなると、傑が改めて、一花のほうを向き直って、頭を下げた。
「ごめん。勉強の邪魔しちゃって」
怒っているようでもあり、申し訳無さそうでもある。
「いえ……私、先輩の妹に見えたんですね」
言いながらも、多分、違うと分かっていた。
正確に言うと、あの目は、『妹だったらいいな』と期待していた目だ。
あれだけ分かりやすく傑に好意を寄せていたのだから、本当に妹だと確信していたら、最初から挨拶しただろう。
傑が一花を「後輩」と紹介し、優先したことに対して、明らかに落胆の色がみえた。
「今の人、高校の友だちですか?」
「うん。同じクラス」
「もしかして………」
どうしよう。聞いちゃダメかな。
聞いたら、かえってヤブヘビになるかもしれない。
それでも、やっぱり聞いておきたかった。
「草間先輩の彼女……だったりしますか?」
すると、傑は大きく目を見張って、「まさか?!」と驚いた。
「彼女だったら、『他の女の子といるから帰れ』とか言うわけないでしょ?」
「あ……」
そっか。そりゃあ、そうだ。
一花の知っている『草間先輩』は、そうだろう。
でも、あの人は、傑のことが好きだ。絶対に。
傑は、気づいてないのかな……
まじまじ見つめる一花の視線から逃れるに、傑が顔をそらした。軽くメガネを押し上げて、
「それに、そもそも僕、好きな子いるから」
あまりも唐突なカミングアウトに、一花の脳内が瞬間的にフリーズした。
今まで、本の話や学校の話は、たくさんしてきたけれど、傑がこういった話題を持ち出すのは、初めてだった。
「えっと……好きな子っていうのは、あの……彼女ってこと、ですか?」
こんなことを聞いて、望まぬ答えが返って来たら、どうするのか。さっきズンと沈んだ時の比じゃないくらいに落ち込むだろう。
だが幸いなことに、傑は、すぐに否定した。
「いや、違う。僕が一方的に好きなだけ」
良かった。いや、いいのかな……?
「えっと……あの、その………ど……どんな人なんですか?」
ゴクリと唾を飲み込んだ。思わず尋ねたものの、心臓の鼓動が急速に早まっている。
少し息苦しいほどに呼吸は浅くなり、口がカラカラと乾いた。
傑は、明後日の方向を向いたまま、口元を手で覆って答えた。少し照れているようにもみえる仕草で。
「……僕とは、ちょっと違う感じの……違う世界を見せてくれるような人……かな」
「草間先輩とは、違う人……?」
それは、どんな人だろう……
想像しようとしたが、すぐに、それが何のヒントにもなっていないと気づく。
一花から見た草間傑は、読書家で、年齢のわりに落ち着いていて、穏やかな人。
他人に腹を立てることはほとんどないし、基本的には、自分の感情や葛藤、不満を自分で処理してしまう人。でも、案外、人をよく見ていて、ふとした時に、グッとくるようなフォローをくれる。
だから、傑と同じような人なんて、どこにもいない。『違う世界を見せてくれるような人』なんて基準は、傑の中でしか判断できないものだ。
それならばーーー
心の中に芽生えたのは、一抹の期待。
私……ってことも、あり得るかしら?
一花と傑の関係性は悪くないはず。定期的に会うし、本を貸す仲だし、勉強にだって付き合ってくれる。
だから、その相手が私っていう可能性だって、ゼロじゃないよねーーー
そう考え出すと、今度は、また別の緊張で心臓が高なった。
いっそ私の気持ちを伝えてみるのも、ありなの?
唇を強く結んで、おそるおそる、傑の顔をゆっくりと見あげた。
すると、傑が手のひらで口元を覆いながら言った。
「一応、僕からは……好きだってことは、伝えたつもりだけど」
「え……?」
伝えた?
誰に、何を……?
「あの……その人に告白した……ってこと、ですか?」
すぅっと自分の心が深い闇に吸い込まれた気がした。
ノートの上で、ぎゅっと握りしめた拳が震える。
一瞬でも、自分かもしれないって都合の良い期待を抱いたことが、恥ずかしい。
「それで、その人からの返事は……なんて?」
明るいフードコートの喧騒が、遠く聞こえる。
椅子ごと、暗い沼の中に引きずり込まれているように、重く、息苦しい。
「うん。返事は……」
さっきまで遠くを見ていたはずの傑が、いつの間にか一花に視線を戻していた。
「返事は……急がないけど、くれたらいいなって思っている」
メガネ越しの瞳は、スッキリとした一重。
年よりも落ち着いてみえる傑の大人っぽい雰囲気が好きだった。でも、今は、その姿を見るのが辛い。
二人の間に、居心地の悪い沈黙が流れた。
やがて、傑が目を逸らした。
「……ごめん。僕らしくもなく、余分な話をした」
再びメガネを押し上げて、前を向いた顔は、もう、いつも通りの草間傑。
「やろうか」
「え?」
「勉強の続き」
「あ………」
聞きたいことは山ほどあった。でも、同時に、何も聞きたくない気もした。
だから、精一杯、何でもないふりして答えるしかなかった。
「……はい」
私は、受験生なんだ。
そんなこと、考えている暇はない。
恋だのなんだのって、現を抜かしている場合じゃないもの。
そう言い聞かせてみたけど、それでもやっぱり一花の心中はぐちゃぐちゃで、シャープペンシルを持つ右手が、酷く重たく感じた。
◇ ◇ ◇
終業式の日の教室。
帰り支度をしようと、机の中の荷物をカバンに詰めていた一花の腕を、七緒が掴んだ。
「一花、どうかしたの?」
「……え?」
「顔色、悪いよ? 目の下に、酷いクマができてる」
指摘されて、思わず下瞼に触れる。心なしか、ぷくりと膨れている気がする。
「何日か前から、気になっていたの。一花、体調悪そうだなって……」
「え、ホント? あー、大丈夫。ワタシ、勉強のしすぎかなぁ?」
わざと戯けたように肩を竦めたが、七緒は納得していないらしい。
「勉強も大事だけど、ちゃんと寝てる?寝ないと身体壊すよ!」
寝てる……つもりなんだけどな。
でも、どんなに一生懸命勉強しようと思っても、ふとした瞬間に、どうしても傑との会話を思い出してしまう。それで、頭がぼんやりして、コレじゃダメだって、また参考書を開いて……の繰り返しだ。
ものすごく効率の悪いことをしてるっていう自覚はあった。
でも、仕方ないじゃない。どうしようもないんだもの……
一花は無理やり口角をあげた。
「平気、平気!今までだって、本読んでて気づいたら明け方~~みたいなこと、何回もあったし」
「何言ってるの。一花にとって、読書と勉強は、違うでしょ?」
努めて軽い調子を装ったが、七緒の目は全く笑っていない。
「本を読むのは趣味の時間でしょ?私もそうだけど、なんていうか、落ち着くし、心の癒やしとか、潤いとか、楽しい時間で、勉強とは根本的に違うよ」
心の癒やしとか、潤いとか……ーーー
小さいときから本が好きだった。
手に汗握るような冒険、心の機微。ただの文字なのに、その字を追うごとに得られる没入感に夢中になって、ページを捲った。
読んでいた頃は、まるで自分のことのように感じたけれど……
思わず口から、「ハハ」と乾いたけど笑いが漏れた。
「現実は、オハナシみたいに上手くは、いかないね」
そういえば、以前、似たようなことを七緒に言った気がする。
でも、その時よりも、今のほうがずっと、実感がこもっている。
ポツリと呟いた言葉に、七緒が耳聡く反応した。
「一花、もしかして…草間先輩と何かあった?」
「え?!」
期せずして出た想い人の名に、一花は動揺した。
「な……んで、草間先輩?」
七緒が、机に置いてあった一花のノートを手に取って、ペラペラと捲った。
「だって……これ、また草間先輩でしょう?」
開けたページの下部を指した。
そこには、草間の筆圧の薄い尖った字で、以前とは違う『謎の落書き』が書いてあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
M F W ② M S D
・・・・・・・・・・・・・・・・
頭上から降ってきた女の人の声につられて、一花は上を向いた。
目の前には、黒いストレートの髪を左右に垂らした女の人。
着飾っている風ではないのに、どことなく落ち着いてみえる。多分、一花より年上だ。
「あぁ、三井か」
「えー? めっちゃ偶然!」
どうやら、傑の知り合いらしい。
三井と呼ばれた女の子は、耳にかかる黒い髪をかき上げながら、傑に親しげに話しかけた。
「山田たちと、お昼食べて帰るって言ってなかったっけ?」
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「あ、そうなんだ。私は、ユミたちとたまたま来て……」
向けた視線の先に女の子が二人。スマホを弄りながら、こちらの様子を伺っている。
「草間の家って、この近くなの?」
「別に。そんなに近くはないけど」
一花の知らない名前、砕けた口調。
内容から察するに、高校の知り合いなのだろう。
一花が入ることの出来ない会話。
邪魔しないように、俯いてノートを見た。
一花のことなど見えていないかのように、三井の弾むような声が、無遠慮に降り注ぐ。
「そういえば、クラス会の日取り決まったって聞いた? 12月24日。終業式の日だって」
「ふぅん、そうなんだ」
「24日って、クリスマスイブだけど、終業式の後だから、ちようどいいって話になったみたい。二学期の打ち上げって感じするでしょ? まぁ………夜は、各々予定がある人は、帰っていいらしいけど?」
三井は、フフと軽く首を傾げて笑った。まるで大人っぽくみえるように、振る舞っているみたい。
「予定ない人は、そのまま皆でファミレスで夜ご飯だって。クラス会、草間も来るんだよね?」
「そのつもりだけど」
草間と、彼の同級生の会話は、中学時代にも、幾度となく見聞きしている。
図書委員の人や、図書室に来て言葉を交わす人。もちろん、中には女の子もいた。
それと、同じ。ただの友だち同士の会話だよ。
そう思うのに……
なのに、どうしてだろう。二人がすごく遠くにいるような壁を感じる。
中学生と高校生の違いなの?
それとも……ーーー
すると、ふいに、三井の声が少しだけ上ずった。
「あのさ、草間……その日、夜ご飯も来る?」
一瞬だけ、視線がこちらに投げられた気がした。嫌な予感がした。
不安定で、居心地が悪い。
「まぁ、特に予定はないからね」
傑がいつものように淡々と答えた。
三井が、「そっか……」と、小さく呟いた。明らかな喜色を含んだ声で。
「ふぅん。予定、ないんだ……」
また、視線がチラチラとこちらに向く。
あぁ、やっぱり。
コレ、気の所為なんかじゃない。漫画とかで、よくあるヤツだ。ナナちゃんも、前に城崎杏奈にされていたやつ。
私、今、牽制されてる。
この人、傑のことが好きなんだ……
好き……なんだーーー
理解した途端、重い鉛が腹の中に落ちてきた。
他の誰かが、傑のことを好きだったとしても、一花には、どうしようもないことなのに……
なのに……
受験生で、しかも、ただの中学時代の後輩でしかない一花は、クリスマスイブも冬期講習だというのに、この女の人はクラス会とはいえ、傑と遊ぶんだ。
そう思うと、埋めようのない年の差に、ギュンと押し潰されそうな気がした。
俯いたまま身体を固くして、ノートを睨んでいるだけの一花の耳に、傑の声が届いた。
「あのさ、三井。悪いけど僕、今、後輩の勉強みてるから」
一花は、思わず顔を上げた。その目に映った三井の顔は、あからさまに曇っていた。
だが、彼女は、すぐに愛想の良い笑顔に切り替えて、「あぁ、後輩さんなのね……」と、一花の方を振り返る。
「ごめんなさい。その……妹さんかと……」
それから、傑に向かって愛想よく
「邪魔して、ごめんね。じゃあ、また……学校で」
と、別れの挨拶を告げ、去っていった。
その背は、どことなく、怒っているようにみえた。
三井がいなくなると、傑が改めて、一花のほうを向き直って、頭を下げた。
「ごめん。勉強の邪魔しちゃって」
怒っているようでもあり、申し訳無さそうでもある。
「いえ……私、先輩の妹に見えたんですね」
言いながらも、多分、違うと分かっていた。
正確に言うと、あの目は、『妹だったらいいな』と期待していた目だ。
あれだけ分かりやすく傑に好意を寄せていたのだから、本当に妹だと確信していたら、最初から挨拶しただろう。
傑が一花を「後輩」と紹介し、優先したことに対して、明らかに落胆の色がみえた。
「今の人、高校の友だちですか?」
「うん。同じクラス」
「もしかして………」
どうしよう。聞いちゃダメかな。
聞いたら、かえってヤブヘビになるかもしれない。
それでも、やっぱり聞いておきたかった。
「草間先輩の彼女……だったりしますか?」
すると、傑は大きく目を見張って、「まさか?!」と驚いた。
「彼女だったら、『他の女の子といるから帰れ』とか言うわけないでしょ?」
「あ……」
そっか。そりゃあ、そうだ。
一花の知っている『草間先輩』は、そうだろう。
でも、あの人は、傑のことが好きだ。絶対に。
傑は、気づいてないのかな……
まじまじ見つめる一花の視線から逃れるに、傑が顔をそらした。軽くメガネを押し上げて、
「それに、そもそも僕、好きな子いるから」
あまりも唐突なカミングアウトに、一花の脳内が瞬間的にフリーズした。
今まで、本の話や学校の話は、たくさんしてきたけれど、傑がこういった話題を持ち出すのは、初めてだった。
「えっと……好きな子っていうのは、あの……彼女ってこと、ですか?」
こんなことを聞いて、望まぬ答えが返って来たら、どうするのか。さっきズンと沈んだ時の比じゃないくらいに落ち込むだろう。
だが幸いなことに、傑は、すぐに否定した。
「いや、違う。僕が一方的に好きなだけ」
良かった。いや、いいのかな……?
「えっと……あの、その………ど……どんな人なんですか?」
ゴクリと唾を飲み込んだ。思わず尋ねたものの、心臓の鼓動が急速に早まっている。
少し息苦しいほどに呼吸は浅くなり、口がカラカラと乾いた。
傑は、明後日の方向を向いたまま、口元を手で覆って答えた。少し照れているようにもみえる仕草で。
「……僕とは、ちょっと違う感じの……違う世界を見せてくれるような人……かな」
「草間先輩とは、違う人……?」
それは、どんな人だろう……
想像しようとしたが、すぐに、それが何のヒントにもなっていないと気づく。
一花から見た草間傑は、読書家で、年齢のわりに落ち着いていて、穏やかな人。
他人に腹を立てることはほとんどないし、基本的には、自分の感情や葛藤、不満を自分で処理してしまう人。でも、案外、人をよく見ていて、ふとした時に、グッとくるようなフォローをくれる。
だから、傑と同じような人なんて、どこにもいない。『違う世界を見せてくれるような人』なんて基準は、傑の中でしか判断できないものだ。
それならばーーー
心の中に芽生えたのは、一抹の期待。
私……ってことも、あり得るかしら?
一花と傑の関係性は悪くないはず。定期的に会うし、本を貸す仲だし、勉強にだって付き合ってくれる。
だから、その相手が私っていう可能性だって、ゼロじゃないよねーーー
そう考え出すと、今度は、また別の緊張で心臓が高なった。
いっそ私の気持ちを伝えてみるのも、ありなの?
唇を強く結んで、おそるおそる、傑の顔をゆっくりと見あげた。
すると、傑が手のひらで口元を覆いながら言った。
「一応、僕からは……好きだってことは、伝えたつもりだけど」
「え……?」
伝えた?
誰に、何を……?
「あの……その人に告白した……ってこと、ですか?」
すぅっと自分の心が深い闇に吸い込まれた気がした。
ノートの上で、ぎゅっと握りしめた拳が震える。
一瞬でも、自分かもしれないって都合の良い期待を抱いたことが、恥ずかしい。
「それで、その人からの返事は……なんて?」
明るいフードコートの喧騒が、遠く聞こえる。
椅子ごと、暗い沼の中に引きずり込まれているように、重く、息苦しい。
「うん。返事は……」
さっきまで遠くを見ていたはずの傑が、いつの間にか一花に視線を戻していた。
「返事は……急がないけど、くれたらいいなって思っている」
メガネ越しの瞳は、スッキリとした一重。
年よりも落ち着いてみえる傑の大人っぽい雰囲気が好きだった。でも、今は、その姿を見るのが辛い。
二人の間に、居心地の悪い沈黙が流れた。
やがて、傑が目を逸らした。
「……ごめん。僕らしくもなく、余分な話をした」
再びメガネを押し上げて、前を向いた顔は、もう、いつも通りの草間傑。
「やろうか」
「え?」
「勉強の続き」
「あ………」
聞きたいことは山ほどあった。でも、同時に、何も聞きたくない気もした。
だから、精一杯、何でもないふりして答えるしかなかった。
「……はい」
私は、受験生なんだ。
そんなこと、考えている暇はない。
恋だのなんだのって、現を抜かしている場合じゃないもの。
そう言い聞かせてみたけど、それでもやっぱり一花の心中はぐちゃぐちゃで、シャープペンシルを持つ右手が、酷く重たく感じた。
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終業式の日の教室。
帰り支度をしようと、机の中の荷物をカバンに詰めていた一花の腕を、七緒が掴んだ。
「一花、どうかしたの?」
「……え?」
「顔色、悪いよ? 目の下に、酷いクマができてる」
指摘されて、思わず下瞼に触れる。心なしか、ぷくりと膨れている気がする。
「何日か前から、気になっていたの。一花、体調悪そうだなって……」
「え、ホント? あー、大丈夫。ワタシ、勉強のしすぎかなぁ?」
わざと戯けたように肩を竦めたが、七緒は納得していないらしい。
「勉強も大事だけど、ちゃんと寝てる?寝ないと身体壊すよ!」
寝てる……つもりなんだけどな。
でも、どんなに一生懸命勉強しようと思っても、ふとした瞬間に、どうしても傑との会話を思い出してしまう。それで、頭がぼんやりして、コレじゃダメだって、また参考書を開いて……の繰り返しだ。
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でも、仕方ないじゃない。どうしようもないんだもの……
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「平気、平気!今までだって、本読んでて気づいたら明け方~~みたいなこと、何回もあったし」
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努めて軽い調子を装ったが、七緒の目は全く笑っていない。
「本を読むのは趣味の時間でしょ?私もそうだけど、なんていうか、落ち着くし、心の癒やしとか、潤いとか、楽しい時間で、勉強とは根本的に違うよ」
心の癒やしとか、潤いとか……ーーー
小さいときから本が好きだった。
手に汗握るような冒険、心の機微。ただの文字なのに、その字を追うごとに得られる没入感に夢中になって、ページを捲った。
読んでいた頃は、まるで自分のことのように感じたけれど……
思わず口から、「ハハ」と乾いたけど笑いが漏れた。
「現実は、オハナシみたいに上手くは、いかないね」
そういえば、以前、似たようなことを七緒に言った気がする。
でも、その時よりも、今のほうがずっと、実感がこもっている。
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「え?!」
期せずして出た想い人の名に、一花は動揺した。
「な……んで、草間先輩?」
七緒が、机に置いてあった一花のノートを手に取って、ペラペラと捲った。
「だって……これ、また草間先輩でしょう?」
開けたページの下部を指した。
そこには、草間の筆圧の薄い尖った字で、以前とは違う『謎の落書き』が書いてあった。
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溺愛系じれじれこじらせラブコメ。
内容が無理な人はそっと閉じてネガティヴコメントは控えてください、お願いしますm(_ _)m
◆レーティングマークは念のためです。
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆アルファポリスさん/エブリスタさん/カクヨムさん/なろうさんで掲載してます。
〇構想執筆:2020年、改稿投稿:2024年
氷の騎士様は実は太陽の騎士様です。
りつ
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イリスの婚約者は幼馴染のラファエルである。彼と結婚するまで遠い修道院の寄宿学校で過ごしていたが、十八歳になり、王都へ戻って来た彼女は彼と結婚できる事実に胸をときめかせていた。しかし両親はラファエル以外の男性にも目を向けるよう言い出し、イリスは戸惑ってしまう。
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