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第一幕 事件
4 三通目の手紙
しおりを挟む園枝有朋との晩餐の翌日。
「お嬢様、あの……これ。」
学校から帰るなり、イツに差し出されたソレを見た瞬間、桜子はため息をついた。
「また?」
見覚えのある桜色の封筒。
「どう……しましょう?」
桜子は、逡巡するイツの手からサッと取り上げると、机からペーパーナイフを取った。
ピッと一太刀で開けると、中の手紙を無造作に取り出す。
どうせ、歓迎すべき手紙ではない。
中を読んで、案の定また、ため息。
「今度は、どんな……?」
不安げな瞳を向けるイツに、手紙をポイッと渡した。
「これはっ?!」
「えぇ。園枝さまとの婚姻を見合わせるように、ってことみたいね。」
「そんな! せっかく、良いお相手のようですのに、誰がこんな邪魔を?」
これを書いた人は、桜子が、園枝有朋と会ったのを知っているのかもしれない。
「誤解しないで。私はまだ、園枝さまに決めたわけではないわ。」
「え……えぇ。それは、そう……ですね。他にも、藤高少尉も、……樹さまも………いらっしゃいますしね……。」
桜子は、イツの手からスッと手紙を抜き取ると、
「まぁ、どちらにしても、」
真ん中から、真っ二つに破った。
「質の悪いイタズラだわ。」
前回と同じように、屑籠に放り投げると、慌てたイツが、
「お父様や時津さんに、ご報告しなくてもよいのですか?」
「言わなくていいわ。」
桜子は、俗に言う、『お転婆娘』だと思う。
財閥令嬢としての教育は受けているが、生来の気質は、自由を好み、ときには周囲の人間を悩ますほどに、活動的。それこそ、思い立ったら夜中に家をぬけだしてしまうように。
そんな桜子の性格を良くわかっているからこそ、わざわざ、父は、3人の婚約者候補を準備したのだ。
一方的に誰かを決めて、当てがうよりは、候補をあげて、本人に選ばせて納得させようという腹づもりだろう。
そんな父が、この手紙のことを知ったらどうなるのか。
おそらく、桜子の日常は、著しく制限される。
イツだけではなく、それこそ、時津が周囲を彷徨き、桜子の一挙手一投足まで監視されるだろう。
時津は口煩くて、何かと細かいことまでアレコレ注意をしてくる。このままでは、女学校に行くのも、寄り道するのも、時津がベッタリ横について見張られる羽目になるかもしれない。
こんな手紙一枚で、そんなことになるのは、まっぴらゴメンだった。
「園枝さまとの婚姻はするなって言っているだけで、別に、私に危害を加えるって言ってるわけでもないし。イツも内緒にしておいてちょうだい。」
「…………」
その時、イツが肯かなかったのを、桜子は見落としていた。
◇ ◇ ◇
「あの……」
書斎に茶を運んだイツは、主人が湯呑を置いて、一息ついた頃合いを見て話しかけた。
「どうした? 私に何か用かな?」
この屋敷の主にして、雇い主、湖城 重三郎がイツに、鷹揚に尋ねた。
「何か、困ったことがあったのかね?」
「はい……いえ、あの……」
この期に及んで、イツは迷っていた。
言うべきか、言わざるべきか。
重三郎がため息をついた。
こういう仕草一つが、桜子とよく似ている。やっぱり親子だ。
「桜子には黙っているから、何があったのか、言いなさい。」
さすが百戦錬磨の経営者は、イツの逡巡を、お見通しとばかりに告げた。
その目は、決して責めるようではなく、しっかりとイツ話を、聞こうとする主らしい器をみせている。
それで、イツも心を決めた。
前掛けの衣嚢から取り出したものを、重三郎に渡す。
真っ二つに引き裂かれた桜色の便箋。桜子の部屋の屑籠から拾っておいたもの。
「これは?」
「先日、桜子お嬢様に届いたものです。」
送り主は、不明であること。これが、ニ通目で、2回とも桜子が破り捨ててしまったことを説明する。
重三郎は、「桜子も困ったものだな。」と、苦々しく言うと、
「時津には?」
「お伝えしました。」
「何と言っていた?」
「ただのイタズラだろう、と。念の為、お嬢さまの周囲に気をつけるように言われました。」
本当は、その淡白な反応が気になっていた。
時津はいつも、桜子に対して、かなり過保護だ。
桜子本人は呑気な性格だから、あまり気づいていないようだが、使用人たちの間では、「第二の父親」、「いや、下手したら実父以上」などと囁かれている。
時津が知ったら、桜子など、屋敷から一歩も出さないと言いかねない。桜子に恨まれることを覚悟のうえで告げたのに。
時津は思った以上に冷静で、「ただの恋文のように見える。お嬢さまを傷つける意図は、今のところ、感じない。」と、言った。
本当にそうだろうか。
イツは、時津の言うことに疑問を抱いた。
本当に、ただ婚姻をやめてほしいだけなのか。桜子さまを傷つける意図はないのか。
何かあってからでは遅い。
だから、イツは、時津の意向を無視して、今、旦那さまに話している。
時津の指示より、桜子の身の安全の方が、イツにとっては大事だから。
重三郎は、手紙を伏しておくと、
「心配ない。」
続く一言が、イツを驚愕させた。
「時津の言う通り、これを書いたものが、桜子に仇なすことないだろうからな。」
「誰からのものか……わかった……のですか?」
重三郎はその問いに黙秘したまま、じっとこちらを見た。まるで何かを探られているような居心地の悪さを感じる。
これはーー
(旦那さまは、誰が書いたものか分かったんだ。たぶん、時津さんも知っていて……)
それなら、あの淡白な反応にも、説明がつく。
途端に、自分が、酷く差し出がましいことをシてしまったと恥ずかしくなった。
すみません、と謝ろうとすると、重三郎の低く響く声が、
「ご苦労。また何かあったら、報告するように。」
労いの言葉に、責めている様子はない。
ただ、それ以上、イツが何かを尋ねる権利はなかった。
旦那さまや、時津さんが知っている方なら、心配する必要はないのかもしれない。
そう思っていたのに、状況が変わったのは、二日後の朝食の席だった。
その日は、いつもなら、かなり早い時間に朝食を済ますはずの重三郎が、珍しく桜子と食卓を囲んでいた。
「お父様、今日はゆっくりなのですね。」
「あぁ、たまたま、予定がなくてな。」
重三郎と桜子が、イツの淹れた食後の紅茶を飲んでいた、そのとき。
「お嬢様。」
時津が慌ただしく部屋に入ってきた。
「あら、時津。どうしたの?」
時津は、桜子の側に歩み寄ると、小声で耳打ちしながら何かを取り出した。
イツはその手に握られたものをみて、思わず、「あっ…」と小さく悲鳴を上げた。
声につられた時津が、一瞬、イツのほうに、視線を寄越した気がしたが、すぐに桜子に向き直り、その桜色の封筒を差し出す。
「桜子お嬢様に、至急ということで、どこからか分からぬ使いの者が持ってきたそうなのですが、よろしければ、私が開けても?」
桜子は、ちらりとその封筒に視線をむけると、肩をすくめた。
「いいわよ、開けなくても。」
「しかし……」
「あとで見るから、私の部屋に置いておいて。」
多分、桜子は、見ないで屑籠に捨てるつもりに違いない。
イツは、今度は、重三郎のほうに視線を向けた。昨日は、心配ないと言った重三郎だ。多分、口は挟まないだろう。
しかし、重三郎は、ジッと二人を睨むように見ていた。
「わかりました。それでは、お嬢様のお部屋に……」
答えかけた時津を制して、
「寄越しなさい。」
重三郎の低い声が響いた。
「時津、その手紙を、こちらに寄越しなさい。」
「お父さま、それは見なくても……」
焦った桜子に、
「お前はどうせ見ないで捨てるつもりだろう。」
その一言で、桜子は父親がすべて知っていることに気づいたらしい。そして、誰が告げ口したのかも。
イツは、後ろめたさに、桜子から目をそらした。
「時津。」
重三郎に呼ばれた時津は、手紙を携え、桜子のもとを離れた。
時津から、手紙を受け取った重三郎は、ペリペリと指で破るると、中から手紙を取り出し、読んだ。
中身はどうせ、桜子の婚姻を止めるようなことが書いてあるのだろう。前回と同じだ。
けれど、重三郎の反応は、昨日とは違っていた。
重三郎は、手紙をしまうと、去り際、一言告げる。
「これには、対処が必要だ。」
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