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終章.嘘つきたちの本音。

01.二度と来ない今日の始まり

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 ☽・:*



 それがいつだったのか、細かい日にちは覚えていない。
 セキのことをあまり知らなかった頃で、代替──代理品の関係になって間もなくだったのは間違いない。
 そして、真冬だったのは、確か。


 珍しく早朝覚醒をしたわたしは、隣で静かな寝息を立てている男のぬくもりから、密やかに抜け出して脱ぎ散らかした部屋着を身につけて、静かにカーテンを開けた。
 そしてまだ暗いベランダへ出た。つっかけは冷たいし、数分もしないうちに鼻の頭が冷たくなったし、せめて厚手のカーディガンを着るか毛布を奪ってくるんだと、ちょっぴり後悔をした。吐く息も白かったから、そういう季節だった。

 真っ暗な天蓋には3つ4つ、それくらいしか星がない。
 この寂しい夜空がわたしの知る夜の空だ。天体に興味を持っておらず、野外学習の空をろくすっぽ覚えていないわたしには、いつか行きたいグラストンベリーや憧れのイーハトーブの夜空は、ネットの向こうの世界だ。

「こんなところにいたの?」

 カーディガンを着て、さらに毛布を肩にかけた眠たそうなセキは、来てそうそうにタバコにシュボッとオイルライターで火をつける。オイルの焼けた臭いとタバコの臭いがわたしを不快にさせるが、セキはまったく気にしていない。寒さのせいで、吐いた紫煙は息より真っ白だった。

「こっちの夜の空は寂しいね」

 わたしが感じていたことをセキが口にすると、まるで詩のようだった。低いのによく通る声をしているから?

「渡米してしばらくは、へんぴな田舎にいたんだよ。なにもない乾燥したところだったけれど、広い夜空にはわけがわからないくらい星があったんだ」

 セキが吐いた言葉と紫煙は、寂しい夜へ掻き消える。
 アメリカのド田舎がどんなところか、日本の都会の片田舎から出たことがないわたしには、想像がうまくつかない。あまり洋画を嗜んでいないのもある。
 それでもわたしが適当な相づちを打たないから、セキはタバコを吸いながら話を続ける。

「すごい田舎だったからね。ニホンジンってだけでイジメのタゲにされるんだよ。いくら祖父母が日系アメリカ人でも。新参者だったのも手伝ってさ。よく泣いてたからね、おもしろかったんだろう。……ビデオ通話で譲によく泣きついてたよ」

 お兄ちゃんは頼れる兄貴分だったと、セキは告白した。その思いが友情ではなく、一方的な愛情に変わるのに時間はかからなかった、とも。
「まさか自分が好きになった人が同性だとは思わなくて、初めの頃はずいぶん戸惑ったよ」そう、困ったように過去を懐かしみ静かに笑った。

「譲と話す時は、いつも真夜中だったんだ。ときめいて眠れなくてね、窓から屋根に登ってぼけっと夜空を眺めていたんだよ。小さな流れ星も見える真夜中、ずっと空を見ているとね、ひとりで宇宙に放り込まれた感じがするんだ。怖いんだけど、でも、ひとりになりたくて、ただ空を見上げていたよ」

 宇宙に放り込まれた感じとは、プラネタリウムを独り占めしているような感じだろうか? プラネタリウム自体、小学生の校外学習以来行ってなくて、よくわからない。

「セキはひとりだったの? 心の中にお兄ちゃんがいたのに?」
「……いつも孤独だったよ。報われないのはわかってたからね。譲に想いが知られてしまうくらいなら、いっそ死んだほうがいいって、あの頃は悩んでたんだ」

 思春期ならではの悩みというやつだろうか? 

「お兄ちゃん以外を好きになろうとした時期があったから気持ち的にわからなくはないけど、死んだほうがいいなんて考えたことないよ。この先、死のうだなんて悩んだら殴ってあげる」
「……はは、キユは強いね」
「ふん」

 真夜中が終わる前の真っ暗な空に変わる。東の端から紫に縁取られた朝の始まりをセキは静かに見つめていた。
 真夜中が後退していくように、朝焼けが空を紫から赤、赤から橙へ、まばたきを惜しむスピードで刻一刻と変わっていく。天体ショーのマジックアワー。
 宇宙ステーションでは見飽きると聞く、地球に朝日が差し込む景色。日頃はギリギリまで寝ているわたしにとっては、魔法マジックではなく、奇跡のような風景だ。
 こんな都会の片田舎でも朝は……なんて美しいのだろう!

「キユ。寒いよ。風邪ひいちゃう」

 いつの間にかタバコを吸い終わっていたセキが、わたしを背後から抱きしめて毛布で包む。タバコ臭いのに抗議するよう、ベランダ用のつっかけを脱いでセキのふわふわのスリッパの上に足を乗せた。

「ほら、キユ。髪もほっぺたもこんなに冷たい」

 シャープな頬がわたしの頬や首筋にぴたっとくっつく。くすぐったいけれど、わたしとセキはそんな甘えた関係じゃない。ただの代替品だ。そして、恋敵でも主婦の座を巡るライバルでもある。



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