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8、番外編(年齢、時列ばらばら)
8-6-03.八千代19歳、菊華25歳─冬
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③【部屋─なんちゃって】
「わぁっ。モデルルームみたい」
縦に横に広いリビングを見て、菊華は声を上げた。
個性的な間取りの3LDKは、天井も高くて窓が大きく開放的だ。大人六人の一週間のチョイ住みでもストレスフリーで過ごせそうだ。
コンドミニアムの利用客は、スパとプールまで使えるのだというから、菊華は水着を買ってこなかったのを悔やんだ。
フロントには日本語ができるスタッフが常駐しているのだという。下手なホテルよりも居心地がいいかもしれない。というもの、日本のゼネコン――菊華の父・和貴が勤務している会社グループのリゾート部門のものだから、日本人目線のサービスが行き届いている。
広いリビングの大きなソファに菊華は腰を下ろした。ふかふかのソファが旅行疲れの身体に心地いい。
ソファの背もたれに腰掛けた八千代が、ペットボトルを菊華に渡した。
「え? 皆ここに泊まらないの?」
もちろん菊華が家族の予定を聞くのはこれが初めてになる。
「こんなに居心地がよさそうなコンドミニアムなのに?」
「初日はここですごすんだよ。次の日から別行動みたいだな。父さんたちはここを拠点にして、車をレンタルしてゴルフと釣り……。気楽にモーテルにでも泊まるんじゃないかな。母さんたちは足を伸ばしてシドニーでニューイヤーオペラだってさ。向こうで一泊してここに戻ってくるよ」
なんとも趣味に生きる両親たちだ。今に始まったことではないが。
「……私たちの予定は?」
「ゴールドコーストでゆっくりでいいんじゃないか? アクアリウムやアミューズメントパークに行って、ホエールウォッチングとかさ」
「私、イルカに会いたいな! それから土蛍も見たい! あと、シュノーケリングやマリンスポーツも!」
「菊華にしては珍しくアクティブだな」
うん! と菊華は拳を握って気合を入れた。
旅行の大きな感動と小さな夢を同じ場所で共有したい。それだけじゃなくて、ビデオ通話でしか会えなかった日々の寂しさを、八千代と笑いながら埋めたいのだ。
「一ヶ月分を取り戻さなきゃ。いつもみたいにゆっくりしないんだから!」
「俺も楽しみにしてる」
「ボルダリングも教えてね?」
「いいよ」
ふたりで笑いながらやりたいことを並べるだけで、幸せな気持ちがどんどん膨らんでいく。
「楽しくなるといいね」
「帰国する時には、〈楽しかった〉になっているよ。菊華とだから」
□
買ってきた衣類を八千代が使っている部屋に片付けてから、日用品を風呂や洗面所に片付け置いた菊華は楽しくてへにゃへにゃ笑っている。
洗面台のコップに仲良く並んだ歯ブラシが二本。
これって、なんだか……。見慣れない部屋に引っ越してきたみたい……!?
気づいてしまったら、心がふわふわする予感しかなかった。近い将来、必ず訪れる幸せの予習のような。
女子にとって仲良く並んだ歯ブラシは、ひとつの幸せのカタチだよね!
きゃーっ! と叫びたいのを無理やり押さえ込んで、広いバスタブを鼻歌交じりで洗い終えた。
今ならなんだって楽しくできそう!
軽やかな足取りで菊華はダイニングに行くと、八千代が使うであろう食器類をざっと洗っていた。そんな姿にも口元が緩んでしまう。
「どうした? そんな……にやにやして」
機嫌よく笑っている八千代の隣で、菊華は食器を拭き始めた。
並んでキッチンに立つことなんて今までいくらでもあったのに、今日が一番楽しいかも。なんて、わくわくにやにやが止まらない。
「んー。そんなににやにやしてる?」
鼻歌を歌いながら菊華は、拭き終えた食器を棚に戻す。フワフワ動くポニーテールはとてもリズミカルだ。八千代じゃなくても機嫌がすこぶるいいのがわかる。
「だってね、なんか……新婚、みたいだなって思ったの」
そう振り返った時、八千代が食器を滑らせていた。
あれ? 変なこと言っちゃったかな?
「えーと。ふたりでいるのはいつもと変わらないけどさ。シャンプーをお風呂に置くとか、並んだ歯ブラシとかね? ……同棲? みたいな?」
婚約をしているからいつかはふたりだけで暮らすにしろ、やっぱり夢見てしまう。
黙ってしまった八千代は、手の甲で口元を押さえている。シャープな頬を赤くしているのを見て、菊華は擽ったい気持ちでいっぱいになった。
いつかふたりで暮らせるのが楽しみだね――そう言おうとした口は、ちゅっと軽いキスで塞がれてしまった。
「早くふたりで暮らしたいな」
はにかんだ八千代が、思っていたことを言ってくれたのが嬉しくて、菊華は八千代の腰に手を回した。
何度かくちびるを啄み合うキスを交わすと、身体も心もふわふわしてくる。
「ん……。やっくん、すき」
という吐息は、菊華から出てきた『ぐうぅぅ』の腹の虫に邪魔されてしまった。
なんでっ、私ってばこうなのよぅ……!
かっこなんてつけられた試しなんかない。だけど、これはあんまりだ。八千代は肩を震わせて笑うのを耐えている。
わ、笑ってもらったほうが助かったのに……!
「菊華。買ってきた……チーズ、先に食べる?」
声だって震えている。まったく失礼だ。
「いらないっ」
言った瞬間にまた盛大に腹が鳴ってしまった。その瞬間、とうとう八千代が吹き出した。
「わぁっ。モデルルームみたい」
縦に横に広いリビングを見て、菊華は声を上げた。
個性的な間取りの3LDKは、天井も高くて窓が大きく開放的だ。大人六人の一週間のチョイ住みでもストレスフリーで過ごせそうだ。
コンドミニアムの利用客は、スパとプールまで使えるのだというから、菊華は水着を買ってこなかったのを悔やんだ。
フロントには日本語ができるスタッフが常駐しているのだという。下手なホテルよりも居心地がいいかもしれない。というもの、日本のゼネコン――菊華の父・和貴が勤務している会社グループのリゾート部門のものだから、日本人目線のサービスが行き届いている。
広いリビングの大きなソファに菊華は腰を下ろした。ふかふかのソファが旅行疲れの身体に心地いい。
ソファの背もたれに腰掛けた八千代が、ペットボトルを菊華に渡した。
「え? 皆ここに泊まらないの?」
もちろん菊華が家族の予定を聞くのはこれが初めてになる。
「こんなに居心地がよさそうなコンドミニアムなのに?」
「初日はここですごすんだよ。次の日から別行動みたいだな。父さんたちはここを拠点にして、車をレンタルしてゴルフと釣り……。気楽にモーテルにでも泊まるんじゃないかな。母さんたちは足を伸ばしてシドニーでニューイヤーオペラだってさ。向こうで一泊してここに戻ってくるよ」
なんとも趣味に生きる両親たちだ。今に始まったことではないが。
「……私たちの予定は?」
「ゴールドコーストでゆっくりでいいんじゃないか? アクアリウムやアミューズメントパークに行って、ホエールウォッチングとかさ」
「私、イルカに会いたいな! それから土蛍も見たい! あと、シュノーケリングやマリンスポーツも!」
「菊華にしては珍しくアクティブだな」
うん! と菊華は拳を握って気合を入れた。
旅行の大きな感動と小さな夢を同じ場所で共有したい。それだけじゃなくて、ビデオ通話でしか会えなかった日々の寂しさを、八千代と笑いながら埋めたいのだ。
「一ヶ月分を取り戻さなきゃ。いつもみたいにゆっくりしないんだから!」
「俺も楽しみにしてる」
「ボルダリングも教えてね?」
「いいよ」
ふたりで笑いながらやりたいことを並べるだけで、幸せな気持ちがどんどん膨らんでいく。
「楽しくなるといいね」
「帰国する時には、〈楽しかった〉になっているよ。菊華とだから」
□
買ってきた衣類を八千代が使っている部屋に片付けてから、日用品を風呂や洗面所に片付け置いた菊華は楽しくてへにゃへにゃ笑っている。
洗面台のコップに仲良く並んだ歯ブラシが二本。
これって、なんだか……。見慣れない部屋に引っ越してきたみたい……!?
気づいてしまったら、心がふわふわする予感しかなかった。近い将来、必ず訪れる幸せの予習のような。
女子にとって仲良く並んだ歯ブラシは、ひとつの幸せのカタチだよね!
きゃーっ! と叫びたいのを無理やり押さえ込んで、広いバスタブを鼻歌交じりで洗い終えた。
今ならなんだって楽しくできそう!
軽やかな足取りで菊華はダイニングに行くと、八千代が使うであろう食器類をざっと洗っていた。そんな姿にも口元が緩んでしまう。
「どうした? そんな……にやにやして」
機嫌よく笑っている八千代の隣で、菊華は食器を拭き始めた。
並んでキッチンに立つことなんて今までいくらでもあったのに、今日が一番楽しいかも。なんて、わくわくにやにやが止まらない。
「んー。そんなににやにやしてる?」
鼻歌を歌いながら菊華は、拭き終えた食器を棚に戻す。フワフワ動くポニーテールはとてもリズミカルだ。八千代じゃなくても機嫌がすこぶるいいのがわかる。
「だってね、なんか……新婚、みたいだなって思ったの」
そう振り返った時、八千代が食器を滑らせていた。
あれ? 変なこと言っちゃったかな?
「えーと。ふたりでいるのはいつもと変わらないけどさ。シャンプーをお風呂に置くとか、並んだ歯ブラシとかね? ……同棲? みたいな?」
婚約をしているからいつかはふたりだけで暮らすにしろ、やっぱり夢見てしまう。
黙ってしまった八千代は、手の甲で口元を押さえている。シャープな頬を赤くしているのを見て、菊華は擽ったい気持ちでいっぱいになった。
いつかふたりで暮らせるのが楽しみだね――そう言おうとした口は、ちゅっと軽いキスで塞がれてしまった。
「早くふたりで暮らしたいな」
はにかんだ八千代が、思っていたことを言ってくれたのが嬉しくて、菊華は八千代の腰に手を回した。
何度かくちびるを啄み合うキスを交わすと、身体も心もふわふわしてくる。
「ん……。やっくん、すき」
という吐息は、菊華から出てきた『ぐうぅぅ』の腹の虫に邪魔されてしまった。
なんでっ、私ってばこうなのよぅ……!
かっこなんてつけられた試しなんかない。だけど、これはあんまりだ。八千代は肩を震わせて笑うのを耐えている。
わ、笑ってもらったほうが助かったのに……!
「菊華。買ってきた……チーズ、先に食べる?」
声だって震えている。まったく失礼だ。
「いらないっ」
言った瞬間にまた盛大に腹が鳴ってしまった。その瞬間、とうとう八千代が吹き出した。
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