年下の彼は性格が悪い

なかむ楽

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7、八千代18歳、菊華23-24歳─初夏~晩秋

43.幸せなキスをしよう④

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 夏と秋が入り交じるある日、菊華は会社の先輩である日下部から「報告したいことがあるの」と仕事帰りに食事に誘われた。
 落ち着いたダイニングバーで食事をしながら、日下部がはにかんで菊華に話す。

「結婚前提にお付き合いですか! わぁっ! 日下部さん、よかったですねぇ」

 長年拗らせていた片思いに終止符を打った日下部は、件の彼とを結婚するのだという。菊華の記憶ではかなりおぼろげで曖昧だが、相手の男性はかなり背が高くスラリとした日下部とお似合いだった覚えがある。

「式は来年の六月なの。真田さんにお願いがあったのだけれど……やっぱりやめておくわ」
「お祝いごとなんですから、私にできることがあるなら手伝わせてください」
「でも、赤ちゃんいるんじゃないの?」

 口に入れた炭酸水を吹き出しそうになるほど、菊華は驚いた。同情している日下部は続ける。

「大変よね。パパが高校生だと……」
「違いますよ! 私、妊娠していません」
「え? そうなの?」

 聞き返したいのは菊華のほうだった。なにがどうしてそうなっちゃってるの? と。

「ほら、真田さん、最近早く帰るでしょ?」
「ジムに通ってるんです」
「ちょっと痩せたのは?」
「夏バテですよ」
「今日だって、食前酒も飲んでないわよね?」
「禁酒しているんです」
「なんで? お酒好きでしょう?」
「好きですけど、少しでも飲んじゃうと悪癖が出るまで飲んじゃいそうなんで、やめているんです」
「つわりでも、赤ちゃんへの影響でもなく?」
「違いますっ」

 せっかちな質問に答えて肩で息をする菊華に、日下部はニコリと笑った。

「あら。私の勘違いだったのね。誰かに言う前でよかったわ」

 勘違いも甚だしい。妊娠するようなことは致していないのだ。そう思うとちょっと悲しい。
 なんにせよ、変な噂話を流される前に誤解がとけてよかったと、胸を撫で下ろした。

「よくよく考えれば、真田さんの彼……斎賀くんだっけ? しっかりしているみたいだし、それはないわよね」

 はい。しっかりしすぎていてガードが固いんです。本格的に受験勉強するようになったら、煩悩を捨てて悟りを開いたんです。とは言えない。
 菊華が指をそわそわさせていると、日下部が「悩み事?」と静かに微笑んだ。打ち明けたところで、友達と同じ答え「菊華から襲えばいいじゃん」だと思っていたのだが、日下部は違っていた。

「彼は学生なんだから勉強をするのは当たり前よ。斎賀くんからしてこないのは、ちゃんとわかっているからでしょ?」
「なにをですか?」

 八千代と接点がない日下部にそう言われ、菊華はちょっと面白くない。不満を態度に表すことはしないけれど。

「いちゃつきたいからって、志望大学のランクを落とされて真田さんは嬉しい?」
「……嬉しくない、ですね」
「それをわかっているんでしょ。将来ずっと一緒にいたいから、今我慢して勉強してるんじゃないの?」
「……そうだといいな」

 知らない間に欲深くなって、一番大切な約束を忘れていた。勉強をおろそかにせず学生らしい生活をおくるという、約束だ。
 八千代は一緒にいるために約束を守っているのに、反対に自分は勝手なことばかり思っている――そう思うと情けない。もっと自分も努力しないと。そう思って日下部に頭を下げた。

「ありがとうございます、日下部さん」
「どうしたしまして。受験、無事に終わるといいわよね」
「はい。きっと……絶対に無事合格しますよ」
「その笑顔なら大丈夫そうね。真田さんに受け付けお願いしてもいいかしら?」

 にっこり笑う日下部に「ぜひとも引き受けさせてください」と笑って返した。それから日下部の結婚式の話で盛り上がったのであった。
 

 □


 幸福は足音を立ててやってくる。うきうきする気分を隠さないで菊華は、買ったばかりのワンピースとバッグをクローゼットから出した。
 晩秋の今日は菊華自身の誕生日だ。毎年嬉しいのだが、今年は指折り数えたほど嬉しいのだ。

 ひと月前に八千代から「指輪をプレゼントしたい」と、言われて菊華は舞い上がった。色々アクセサリーをプレゼントしてもらっていたが、指輪は初めてだったのだ。
 小さな頃に憧れたあのブルーの箱の中で輝く指輪。そのショップに迷わず決めた。それから、ほぼ1日をかけてコンシェルジュと話し合い、指輪をたくさん試着した。誕生日プレゼントなのはわかっていても、八千代から指輪をもらうのだから一生大切にしたいのだ。
 迷いに迷って菊華が決めた指輪は、シーンを選ばずにずっとしていられるシンプルで細身のデザインだ。

 シルバーリングだったのだが、同じデザインでプラチナがあるとコンシェルジュに言われ、八千代がプラチナにしてしまった。菊華は全力で止めたのだ。だけど、「俺にもワガママ言わせろ」と強引に決めてしまった。
 デザインも据え置きだしグレードが上がったのは嬉しいけど、そのお金は八千代がアルバイトをして貯めたものだから、もっと有効に使ってほしい。そんなことを菊華が言うと、

「このためにバイトもしてたんだよ。予算よりかなり下だったのが想定外。結婚指輪じゃないからかな?」

 菊華がドキッとすることを何気なく言った八千代は「いつか、その時は」そう優しく微笑んだ。

 いつかその時は……。遠い未来だけど、近い将来だ。


 ――思い出して緩む顔で時計を見れば、八千代と出かける時間になっていた。
 慌てて部屋を飛び出すと、玄関に向かう香織と顔を合わせた。

「菊華、まだそんな格好だったの?」
「今から髪を巻くんですぅ」

 室内着の菊華は、誰かの結婚式に行くかのような香織の服装を見て首を捻った。
 昼間の予定は聞いていないが、夜はみんなで食事をする約束だから、それまでに帰ってきてもらえば問題はない。
 
「お母さん、出かけるの?」
「あなたも出かけるんでしょ?」
「そうだけど……え?」

 菊華は、がしっと手を掴まれた。だれに? 母親にだ。

「え? え? なに?」


 □


 香織に車に押し込まれ、和貴が車を運転する。菊華がぎゃーぎゃー喚こうが両親は「静かにしなさい」と言うだけ。
 着いた場所は、超が付くほど有名ホテルだった。

「やっくんとデートの約束してるんだけど?」
「八千代くんなら後で来るから」

 詳しい説明をされず、ウェディングドレスが並ぶショーウィンドウの衣装室に香織に連れ込まれた。呆気に取られているだけで精一杯の菊華は、晴れやかな笑顔の女性スタッフに「本日はご婚約おめでとうございます」と挨拶をされた。

「はい??」
「菊華のために先にドレスを選んであげていたんだから、感謝しなさいよ」
「まってまって、お母さん。説明して」
「説明はエステ受けて着替えてからね」

 バイバイと手を振る香織に見送られ、菊華はスタッフに連れていかれたのであった。


 エステを受けながら菊華は考える。
 どういうことなの?
 婚約? 誰と? まさか、私に親が決めた相手がいて突然の婚約発表とか? それでそれを壊すために、やっくんが後から来る……なんて、マンガの読みすぎよね。

 しかし、両親の様子がおかしかったのを思い出すと、あながち間違った推理ではなさそうだ。

 ……うそだぁ。だって、今日、やっくんから指輪もらうんだよ!
 そんなマンガみたいなことあるわけないよ。……とりあえず、エステ終わったら逃げなきゃ!
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