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しおりを挟む観覧車の中で甘いなにかがあるわけでもなく、逆にギスギスしてしまった。期待などしていなかったが、雰囲気が悪いと尻の座りがよくない。
デパートのレストランに向かう時も、佐知子は高史のほんの少し後ろを歩く。今の女房にはない、この態度は寂しく味気ない。
(今じゃ、佐知子の方から腕を取ってくるのにな)
しかし、気の利いた言葉が言えない。この歳でも変わらずに不甲斐なさを持っている。
(俳優やジゴロじゃあるまいし、大の男が言えるかっ)
「…………ほら、おまえ」
「あなた……?」
腕を少し開けて佐知子に見せたものの、腕を組んでくれるかどうか。たった一言『腕を組まないか?』ですら口から出てこない大根役者だ。
そっと前に出た、視界の下の慣れ親しんだ高さの佐知子の髪は黒々としていてまるで別人だ。だが、紛れもなく長年連れ添った女房だと高史は迷いなく思う。
(──まあ、夢なんだし、格好くらいつければよかったのか)
「なんだか若い子たちみたいね」
くすぐったげに頬を染める女房の横顔に、頬紅とは違う紅が差しているのが初々しくて可愛らしい。
憂鬱さと猜疑心など放り出して、夢の中を楽しめばいいのだ。
***
懐かしさと古さのあるデザインが鮮明なレストランの店内は、ピアノの曲が静かに流れている。歌謡曲しか知らない高史だが、どことなく懐かしさを覚える曲だった。
窓際の明るい席から街の様子がよく見える。建設中のビル群、懐かしい形の自動車はミニチュアの玩具のようだし、遠くには青く霞む山が見える。夢の中なのに景色が細部にわたって鮮明なのが、本当にタイムスリップでもした気分にさせた。
「まぁくんが幼稚園に行っている間に、大人だけこんな贅沢なんてやっぱりずるいわね。今度は三人で来ましょう?」
まぁくん──将士は幼稚園児らしい。年少組ならば加奈子が産まれる前のできごとかと、並べられる定食を眺めながら思う。
「ふふっ。いただきます」
デミグラスソースがたっぷりかけられたオムライスの横には、コロッケとエビフライが乗せられている。それを気取って食べようと、佐知子は不慣れな手つきでナイフとフォークを使っている。妙に現実味があり面食らってしまった。
まだ庶民には洋式の暮らしは憧れる部類であった時代。昭和三十、四十年代とは違うのは、若者にパワーがあり経済の枝葉はぐんぐん上へ勢いよく伸びていた。戦後の暗い影が薄らいで街の夜はネオンで眠ることを然として知ろうとしない。
自分はがむしゃらに働いていたなと、当時を振り返った。社員はみんなモーレツだったのに、ストライキをして働き手の地位を向上させようとしていた若い社会。懐かしいが戻りたいとは思えない時代だ。
六十近い高史なら普段頼まないハンバーグ定食を頼んだのは、夢の中で若返ったのだから、若い頃に好んでいたものを頼んでいた。
皿にどすんとのせられたメインのハンバーグは、赤みがかったデミグラスソースが嫌という程かけられている。形よいエビフライと高く盛られた付け合せのキャベツ。見た感じベチャッとしたポテトサラダの隣りには、半月切りのトマトが添えられている。
レトロなメニューで微笑ましくなったが、カツレツと並び昭和五十年代のトレンドだったのを片隅で思い出した。
現代では百貨店の大衆食堂の看板メニュー然とした料理は姿を消してしまった。代わりに、オーガニックだ、イタリア産だ、国産和牛だと、高価な料理が現れては消える。あくせく働くサラリーマンは高価なランチにありつけず、女房たち主婦が優雅に小洒落たランチを楽しむ。
仕事帰りの居酒屋だって、浮かれていた時代とは違いシンプルなメニューを少量しか頼まない。加齢のせいもあって、脂っこいものや雑味の強いものは弱くなった胃腸が受け付けないだけだが。
若くもなければ年老いすぎていない。五十代六十代は中途半端な世代は生きにくいのかもしれないと、ふと考えた。
「あなた、お食べになりませんの? それもと心配事でもあるんですか?」
かしこまった変な喋り方のせいで吹き出しそうになったが、ぬるくカルキ臭い水とともに飲み込んだ。
「ああ、いただくよ」
ふっくらとしたハンバーグをナイフで切ったが、じゅわりとした肉汁が出てこなくて少々ガッカリした。ソースを絡めて口に運ぶと、肉の味よりもデミグラスソースの味しかしない。しかも、まろやかではないソースの舌触りは、香辛料の嫌な臭いが鼻に残る。
皿に盛られた白飯で口の中をリセットするが、米もパサパサでうまくない。
(炊飯器で炊いてないのか? それとも、夢の中だから美味くないのか?)
この時代の炊飯器には、現代のように高い性能の保温機能がついていないのを、台所に立たない高史は知らない。ガス釜で炊いた白米は保温ジャーに入れるが、時間の経過とともに水分が飛び白米の美味さが飛んでしまう。
ポテトサラダは見た目通りマヨネーズでベチャッとしていたが、タマネギが入っているのが懐かしかった。
昔はこんな物がご馳走のひとつのはずだった。女房が作る美味い料理に慣れたのか、自分の舌が肥えたのか、両方かなどとぼんやり思うと、歳の数だけシワが増えた女房の顔が頭に浮かんだ。
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