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第二章:牡丹は可憐に咲き乱れる
十
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英嗣の隣で和泉は、向かいに座る征十郎の話を相槌をしながら丁寧に聞いた。それぐらいしか和泉には、征十郎にしてあげられることがない。
征十郎は、元々官僚を目指していた。だが、進路を変更し畑違いの軍人になったのは、国に奉仕をしながら、尉官となり微力ながらも和泉の父に恩を返したかったのだと語った。
「二年前、ご挨拶をしたくお屋敷をお伺いしたのですが、旦那さまにも会うことができずこうした報告もお礼も出来ず終いになっていました」
「気に掛けていてくれてありがとう。台灣で暮らす父に手紙で伝えておきます」
征十郎の目標を変えさせてしまった事実を、どう詫びれば良いかわからず、和泉は静かに頭を下げた。
あの時恐慌が起こらなければ、征十郎も目標へ向かっていただろう。けれど、もし恐慌が起こらなければ、遠藤へ嫁ぐこともなかった。
それとも機会で英嗣さんと出会っていたかしら?
隣に座る英嗣をそっと見る。目が合った瞬間の彼は軽く眉を上げた。和泉と征十郎の話は英嗣にとってつまらない話だろう。付き合ってくれている優しさが嬉しい。
「旦那さまたちは台灣で暮らしているのですか。あそこは暖かくて人も温厚だと聞いていますから、きっとお元気なのでしょう」
「そう思っているわ」
征十郎は和泉を見て眉を下げて笑った。
「本当にお嬢さんは嫁がれたんですね」
「……ええ」
花嫁行列もせずに隠れるように嫁いだのは、実家の近所で噂になっていただろう。
「昔、お嬢さんの花嫁御寮のままごと遊びに付き合ったのを思い出します。桜の花びらを風呂敷いっぱいに集めて祝言の真似事をしましたね」
実家の屋敷の満開の桜を見て、祝言の真似事をしたいと幼い頃の和泉がわがままを言い出した。
庭の一角に運ばせた畳を、桜の花びらいっぱいにして花嫁になった和泉が座るままごと遊びだ。三三九度の酒も祝い膳も、全部桜の花びらでやろうとした。しかし、庭の桜では花びらが足りない。
『征十郎、桜の花びらを集めてきてちょうだい』
征十郎と使用人たちに命令して、屋敷近くの桜並木の花びらを風呂敷いっぱいに持ってこさせたのだ。
桜の花びらを敷き詰めたままごとの祝言は、桜色の振袖を着た和泉が花嫁に、学生服を着た征十郎が花婿になった。花びらを集めさせた使用人たちを、ままごと祝言の立会人にさせた遊びをしたのだった。
そんな話を征十郎にされて、和泉は恥じて顔を覆った。
今思えばひどい娘だ、と和泉は恐縮してしまう。使用人にも征十郎にもやらなければいけない仕事があったろうに。
「もう……そんな恥ずかしいことを思い出さないでほしいわ」
「お義姉さんは少女の頃もさぞ美しかったでしょうね」
「英嗣さんもからかいにならないでください」
幼い頃のわがままを思い出した和泉は赤くなった頬を押さえたが、朗らかな笑顔で英嗣が揶揄うから、余計に頬が熱くなる。
そんな和泉を見て、征十郎も柔らかく笑う。
「お嬢さんの花嫁姿の写真をぜひ拝見させてください」
見合い結婚であろうと、新郎新婦の写真を撮るのは当たり前だ。それなのに撮っていないのはどうしてなのか。答えは簡単だ。毅にとって残す必要がないからだ。夫にとって必要なのは家柄だけで和泉自身は興味の欠片もないからだ。
「……写真は撮ってないのよ」
「ご主人が写真がお嫌いなら仕方ありませんね。旦那様のようにお子さんの写真を使用人に配るようになるかもしれませんよ」
「そうかしら?」
「もしかして、もうお母さんにおなりですか?」
和泉は俯き、紅茶が僅かに残るティーカップを見つめた。
どう会話を切り抜ければいいものか。実の兄のように慕っている征十郎に真実も嘘も言えない。
「いえ……。その、主人とは手すら繋いだこともありません……から」
慌てた征十郎も俯くと会話が途切れてしまった。そんな二人の様子を静かに見ていた英嗣が懐中時計を出した。
「お義姉さん、そろそろ出ますか?」
「え、ええ。英嗣さん、付き合わせてしまってごめんなさい」
「いいんですよ」
英嗣に合わせて席を立った和泉に、征十郎が身を乗り出した。
「お嬢さん……! 旦那さまからお預かりしている万年筆があるのです」
「征十郎さん?」
「旦那さまにお返しできなければせめてお嬢さんにお返したいのです! せめて住所を教えてくださいませんか?」
「そのまま征十郎さんが使ってくださってけっこうよ?」
「いいえ。これもなにかの縁ですから、お嬢さんにお渡しするのが義理だと思います」
真面目で誠実なところは昔と変わらないと、微笑んだ和泉はウエイターから紙と鉛筆を借りた。
「近くに来ることがあればお立ち寄り下さい」
「……はい。お引き留めして申し訳ありませんでした」
「ええ。征十郎さん。お仕事も大変でしょうけど、お身体を大切になさってください」
兄のような親しい征十郎に、和泉はにっこり微笑んで別れの挨拶を続けた。
征十郎は、元々官僚を目指していた。だが、進路を変更し畑違いの軍人になったのは、国に奉仕をしながら、尉官となり微力ながらも和泉の父に恩を返したかったのだと語った。
「二年前、ご挨拶をしたくお屋敷をお伺いしたのですが、旦那さまにも会うことができずこうした報告もお礼も出来ず終いになっていました」
「気に掛けていてくれてありがとう。台灣で暮らす父に手紙で伝えておきます」
征十郎の目標を変えさせてしまった事実を、どう詫びれば良いかわからず、和泉は静かに頭を下げた。
あの時恐慌が起こらなければ、征十郎も目標へ向かっていただろう。けれど、もし恐慌が起こらなければ、遠藤へ嫁ぐこともなかった。
それとも機会で英嗣さんと出会っていたかしら?
隣に座る英嗣をそっと見る。目が合った瞬間の彼は軽く眉を上げた。和泉と征十郎の話は英嗣にとってつまらない話だろう。付き合ってくれている優しさが嬉しい。
「旦那さまたちは台灣で暮らしているのですか。あそこは暖かくて人も温厚だと聞いていますから、きっとお元気なのでしょう」
「そう思っているわ」
征十郎は和泉を見て眉を下げて笑った。
「本当にお嬢さんは嫁がれたんですね」
「……ええ」
花嫁行列もせずに隠れるように嫁いだのは、実家の近所で噂になっていただろう。
「昔、お嬢さんの花嫁御寮のままごと遊びに付き合ったのを思い出します。桜の花びらを風呂敷いっぱいに集めて祝言の真似事をしましたね」
実家の屋敷の満開の桜を見て、祝言の真似事をしたいと幼い頃の和泉がわがままを言い出した。
庭の一角に運ばせた畳を、桜の花びらいっぱいにして花嫁になった和泉が座るままごと遊びだ。三三九度の酒も祝い膳も、全部桜の花びらでやろうとした。しかし、庭の桜では花びらが足りない。
『征十郎、桜の花びらを集めてきてちょうだい』
征十郎と使用人たちに命令して、屋敷近くの桜並木の花びらを風呂敷いっぱいに持ってこさせたのだ。
桜の花びらを敷き詰めたままごとの祝言は、桜色の振袖を着た和泉が花嫁に、学生服を着た征十郎が花婿になった。花びらを集めさせた使用人たちを、ままごと祝言の立会人にさせた遊びをしたのだった。
そんな話を征十郎にされて、和泉は恥じて顔を覆った。
今思えばひどい娘だ、と和泉は恐縮してしまう。使用人にも征十郎にもやらなければいけない仕事があったろうに。
「もう……そんな恥ずかしいことを思い出さないでほしいわ」
「お義姉さんは少女の頃もさぞ美しかったでしょうね」
「英嗣さんもからかいにならないでください」
幼い頃のわがままを思い出した和泉は赤くなった頬を押さえたが、朗らかな笑顔で英嗣が揶揄うから、余計に頬が熱くなる。
そんな和泉を見て、征十郎も柔らかく笑う。
「お嬢さんの花嫁姿の写真をぜひ拝見させてください」
見合い結婚であろうと、新郎新婦の写真を撮るのは当たり前だ。それなのに撮っていないのはどうしてなのか。答えは簡単だ。毅にとって残す必要がないからだ。夫にとって必要なのは家柄だけで和泉自身は興味の欠片もないからだ。
「……写真は撮ってないのよ」
「ご主人が写真がお嫌いなら仕方ありませんね。旦那様のようにお子さんの写真を使用人に配るようになるかもしれませんよ」
「そうかしら?」
「もしかして、もうお母さんにおなりですか?」
和泉は俯き、紅茶が僅かに残るティーカップを見つめた。
どう会話を切り抜ければいいものか。実の兄のように慕っている征十郎に真実も嘘も言えない。
「いえ……。その、主人とは手すら繋いだこともありません……から」
慌てた征十郎も俯くと会話が途切れてしまった。そんな二人の様子を静かに見ていた英嗣が懐中時計を出した。
「お義姉さん、そろそろ出ますか?」
「え、ええ。英嗣さん、付き合わせてしまってごめんなさい」
「いいんですよ」
英嗣に合わせて席を立った和泉に、征十郎が身を乗り出した。
「お嬢さん……! 旦那さまからお預かりしている万年筆があるのです」
「征十郎さん?」
「旦那さまにお返しできなければせめてお嬢さんにお返したいのです! せめて住所を教えてくださいませんか?」
「そのまま征十郎さんが使ってくださってけっこうよ?」
「いいえ。これもなにかの縁ですから、お嬢さんにお渡しするのが義理だと思います」
真面目で誠実なところは昔と変わらないと、微笑んだ和泉はウエイターから紙と鉛筆を借りた。
「近くに来ることがあればお立ち寄り下さい」
「……はい。お引き留めして申し訳ありませんでした」
「ええ。征十郎さん。お仕事も大変でしょうけど、お身体を大切になさってください」
兄のような親しい征十郎に、和泉はにっこり微笑んで別れの挨拶を続けた。
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