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剣なんて、握ったことはないけれど
しおりを挟むそれから、二人は運動着に着替えて外へ向かった。
アビゲイルが「お気に入りの場所」といってミアを案内したのは、屋敷から少し離れたところにある兵士の宿舎だった。20人程度の兵士たちが外の運動場に出てきており、思い思いに訓練をしている。興味深そうに見ていると、アビゲイルが簡単に案内をしてくれた。
「うちの裏の山脈を境目に、あっちはもうノラム公国だからね。国境付近にもいくつか兵士たちの駐屯地があるんだけど、だいたいはこっちの宿舎で生活してるんだ。兵士たちは大体みんなバドラー領出身の平民だよ」
「そうなのね。アビゲイルはここで剣を習ったの?」
「うん、そうだよ。あ、あそこに居た。教官~~!」
大声で呼ぶと、白髪頭の初老の男性が振り返った。彼は兵士たちに剣の指導をしていたようだが、手を止めてこちらに歩いてくる。初老といっても、騎士然とした威厳のある長身と鋭い目つきで、年齢を思わせない身のこなしだ。どうやら彼が、ここで兵士たちの訓練を行っている教官のようだった。
「アビゲイルお嬢様。おはようございます」
「おはよう! 剣の訓練に混ぜて貰いにきたんだけど、いい?」
「そうですか。しかし、お勉強の時間にお嬢様が来ても相手をするなとバドラー伯からきつく言われておりますが、今はそのお時間じゃなかったですかな?」
「今日は大丈夫! ミアがやりたいっていうから来たんだよ。ねっ、ミア」
彼女は得意そうな顔でミアの方を振り向いた。
「初めまして、私はミア=フローレンスと申します。バドラー辺境伯にお招きいただいて、しばらくこちらに滞在することになりました」
「わたくしはこの兵団で教官をやっている、ギルベルトと申します。しかし、アビゲイルお嬢様が嫌々お料理に付き合わされているのは見たことがありますが、その逆は初めてみましたな」
「私は嫌々じゃありませんので、大丈夫です。ぜひ一緒に訓練させてください!」
ミアは両手をぎゅっと握ってファイティングポーズを取った。
それを見た教官は、一瞬きょとんとした表情を見せた後、わっはっはと豪快に笑った。
「じゃじゃ馬娘のアビゲイル様以外に、我らのような一般兵の訓練に混ざりたがるご令嬢がいらっしゃるとは驚いた」
あちらに訓練用の剣がありますよと教官に促され、令嬢二人は軽くて扱いやすそうなものを選び、訓練をする兵士たちに加わった。
「持ちかたはこう? でいいのかしら」
「もうちょっとこうやって、下の方を持ったら持ちやすいよ。背筋は伸ばして、視線はまっすぐ。そうそういい感じ」
「流石アビゲイル、よく知ってるのね。先生って呼ぼうかしら……」
生まれてこの方、剣など握ったことがなかったミアは、教わりながら覚束ない手つきで素振りをした。アビゲイルは自分の得意分野で頼られて嬉しそうだ。
普段全く女っ気のないであろう周りの兵士たちは、えいえい、と高い声をあげながら一生懸命素振りをするミアをニコニコと見守っている。いや、デレデレと言った方が正しいだろうか。「かわいい」「天使」「目の保養」といった心の声が今にも聞こえてきそうである。
気付けばミアとアビゲイルの回りには若い兵士たちが集まってきていた。兵士たちが剣の手本を見せれば、ミアがすごいすごいと褒めるので、彼らは気を良くして様々な剣技を披露し出す。
そしてミアが一つ素振りをしてみれば、兵士たちはああだこうだとこぞって指導をしたがるので、その様子はまるで取り合いだ。
「も~~! ボクが一人で来たときにはそんなに構ってくれないくせにさ! ミアが可愛いのは分かるけど、ボクたちは真面目にやってるんだから邪魔するならあっち行ってよ!」
アビゲイルは自分で教えてあげたいようで、しっしと兵士たちを追い払う仕草をした。
「ミア様の手本になれるほど、お前たちに剣の自信があったとはな。どれ、わたしにも見せてみろ」
教官がやってきて、全く目が笑っていない笑顔で言ったので、兵士たちは慌てて自分の訓練に戻っていった。
数時間の訓練を終えた後、二人は昼ごはんを食べたり、アビゲイルの部屋に戻ってしばし休憩したりした。
ベッドの下に隠したお手製の訓練グッズもさらに見せて貰ったのだが、こうやって改良したらもっと使いやすいんじゃないか、というアドバイスをしたらアビゲイルは大層喜んだ。また、壊れてしまっているものもあったので、後日また修理道具を調達して一緒に治そうと約束をする。短い時間で、二人の距離はいつのまにか縮まっていた。
「訓練、疲れたけど楽しかったわ。私は運動って、得意ではないんだけど……ああやって習ったことは自分の身になって、絶対いつか役に立つと思うし。きっと続けることが大事なのよね。ここに居る間は通ってもいいかしら」
その言葉に、アビゲイルはうっと言葉に詰まる。
「偉いね、ミアは……。ボクは勉強に対して、同じことは言えないよ。いつか役に立つかもとは思うんだけど」
「何でも役に立つのは間違いないと思うわ。でも、無理せず自分のペースでやればいいのよ」
「わかった。ミアがボクと剣の訓練してくれるんだったら、ボクも少しは勉強頑張ろうかな。毎日遊んでたら、さすがに怒られちゃうし」
「本当に? 偉いわ! アビゲイル」
ミアは感激して、アビゲイルをぎゅっと抱きしめた。くっついたミアの体はやわらかくて、いい匂いがする。アビゲイルは耳と頬を真っ赤にして、ミアを引きはがした。
「ちょっと、ボクを子ども扱いしないでよ! 妹じゃないんだからね」
怒った顔で手を振り上げたが、照れているだけである。しかし、ミアは焦って手を引っ込めた。
「ご、ごめんなさい、アビゲイル」
うん、とアビゲイルは頷く。
「……アビーでいいよ」
「え?」
アビゲイルは目を合わせない。唇をとがらせて、もじもじしながら言った。
「仲のいい人はそう呼ぶんだ。まあ、そんなに友達いないけどね……ミアだったら、アビーって呼んでもいいよ」
ミアは嬉しくなって、もう一度アビゲイルを抱きしめた。
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