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【SIDE:悪役王子】凍った心を溶かすもの
しおりを挟むドア越しの会話の後、ミアは身支度をすると言って部屋に戻った。
脱衣所に1人残されたグレンは、濡れた服を脱いで衣装掛けに吊す。
ーーグレンさん。
そうやって自分を呼ぶミアの声は甘かった。脳内で繰り返すと、じんわりと幸福感が込み上げる。まるで、ゆっくりと廻る遅効性の毒のようだ。
これは幸せの形そのものだ、とグレンは思った。何の危険もない同じ屋根の下に愛しい婚約者が居て、朝起きれば食事を作っておはようと言ってくれる。
グレンは鏡に映る自分を見つめた。騎士団長をしていたころよりも、格段に血色が良い。裏切られてノラム公国を追放されたはずなのに、皮肉なものだ。
ーー王子としての、なんの不満も危険もない生活。
いつも身につけている革の眼帯を外し、伸ばした前髪を掻き上げる。すると、鏡に映る視力を失った右眼と目が合った。
ーーグレン、お前だけが幸せになるのか。
大昔に死んだ友の声が聞こえた気がした。
友の遺品の槍も部屋に置いたまま、使う事もなくなった。だから、この声を思い出すことも減った。
左眼には守るべき美しい日常や、愛しい彼女が映るのに。
眼帯の下の右眼にはまだ、戦いに身を投じて来た時の光景が、焼き付いて消えない。
王子らしく豪奢な服を着て着飾っても、一枚服を脱げば、現れるのは傷だらけの獣の体。我ながらアンバランスで、おぞましいと思う。
だが、古傷の残る手を見て、ミアは恐ろしくはないと言ったのだ。
この手が、自分のためにお茶を入れてくれたのだと。
清廉潔白に生き、愛されて育ったであろう彼女に言われると、自分が人間として認められたような、生きることを赦されたような気持ちになる。それに確かに救われたのだ。
ミアの柔らかそうな頬に触れたい。長い髪を手で梳いて、キスして、くすぐったいと笑う彼女を抱きしめたい。思い切り甘やかして、自分の全てをかけて幸せにしたい。
ーーめちゃくちゃにして、全部自分のものにしたい。
グレンの中の、ほの暗い欲望がかすかに頭をもたげた。
(ーー俺は、ミアを愛している)
改めて頭の中で反芻した言葉に、心臓を掴まれたような衝撃を感じた。叫び出したいような、このままじっと蹲っていたいような、激しい感情に苛まれる。
ミアを愛していると、正式に婚約者としてずっと一緒にいて欲しいと、今すぐにでも伝えたいと思う反面。
自分にそんな資格はない、もっとふさわしい者がいるという葛藤に悩まされて、行き場のない感情を制御できずにいる。
ーーつまるところ、恋に正直になるには、彼はあまりに不器用で、自分のことが嫌いすぎたのだ。
彼の心の氷を溶かすには、温かい愛情が必要に違いない。
そしてそれを与えることが出来るのは、たった一人、ミアだけに違いないのだ。
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