上 下
30 / 48

【SIDE:悪役王子】凍った心を溶かすもの

しおりを挟む

 ドア越しの会話の後、ミアは身支度をすると言って部屋に戻った。

 脱衣所に1人残されたグレンは、濡れた服を脱いで衣装掛けに吊す。

 ーーグレンさん。

 そうやって自分を呼ぶミアの声は甘かった。脳内で繰り返すと、じんわりと幸福感が込み上げる。まるで、ゆっくりと廻る遅効性の毒のようだ。

 これは幸せの形そのものだ、とグレンは思った。何の危険もない同じ屋根の下に愛しい婚約者が居て、朝起きれば食事を作っておはようと言ってくれる。

 グレンは鏡に映る自分を見つめた。騎士団長をしていたころよりも、格段に血色が良い。裏切られてノラム公国を追放されたはずなのに、皮肉なものだ。

 ーー王子としての、なんの不満も危険もない生活。

 いつも身につけている革の眼帯を外し、伸ばした前髪を掻き上げる。すると、鏡に映る視力を失った右眼と目が合った。

 ーーグレン、お前だけが幸せになるのか。

 大昔に死んだ友の声が聞こえた気がした。
 友の遺品の槍も部屋に置いたまま、使う事もなくなった。だから、この声を思い出すことも減った。

 左眼には守るべき美しい日常や、愛しい彼女が映るのに。
 眼帯の下の右眼にはまだ、戦いに身を投じて来た時の光景が、焼き付いて消えない。

 王子らしく豪奢な服を着て着飾っても、一枚服を脱げば、現れるのは傷だらけの獣の体。我ながらアンバランスで、おぞましいと思う。

 だが、古傷の残る手を見て、ミアは恐ろしくはないと言ったのだ。
 この手が、自分のためにお茶を入れてくれたのだと。

 清廉潔白に生き、愛されて育ったであろう彼女に言われると、自分が人間として認められたような、生きることを赦されたような気持ちになる。それに確かに救われたのだ。

 ミアの柔らかそうな頬に触れたい。長い髪を手で梳いて、キスして、くすぐったいと笑う彼女を抱きしめたい。思い切り甘やかして、自分の全てをかけて幸せにしたい。
 ーーめちゃくちゃにして、全部自分のものにしたい。

 グレンの中の、ほの暗い欲望がかすかに頭をもたげた。

(ーー俺は、ミアを愛している)

 改めて頭の中で反芻した言葉に、心臓を掴まれたような衝撃を感じた。叫び出したいような、このままじっと蹲っていたいような、激しい感情に苛まれる。

 ミアを愛していると、正式に婚約者としてずっと一緒にいて欲しいと、今すぐにでも伝えたいと思う反面。
 自分にそんな資格はない、もっとふさわしい者がいるという葛藤に悩まされて、行き場のない感情を制御できずにいる。

 ーーつまるところ、恋に正直になるには、彼はあまりに不器用で、自分のことが嫌いすぎたのだ。

 彼の心の氷を溶かすには、温かい愛情が必要に違いない。

 そしてそれを与えることが出来るのは、たった一人、ミアだけに違いないのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

処理中です...