令和トリップデート

永瀬 史乃

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2020夏

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 昼下がりの駅の北口の待ち合わせスポットで、さきは慣れないヒールを履いて待っていた。
 靴ずれが痛く、絆創膏には血が滲んでいる。
 着信音が短く鳴って、携帯に一件のメッセージが入った。

「ごめん、行けなくなった」

 待ち人からは理由など一切告げられず、それだけだった。
 今日は三回目のデートだった。咲は張り切って映画のチケットを押さえ、一週間前から毎日念入りなスキンケアや半身浴をした。
 三回目のデートで告白するのがセオリー通りであるらしい。彼とは良い感じだったし、告白されるのでは、と淡い期待をしていた。というか、彼から告白されなかったら自分からしようとさえ思った。

 それなのに待ち合わせ時間を十分は過ぎてから来た一件のメッセージによって、デートは無しになった。咲は淡いピンクのネイルをじっと見つめた。
(体調悪いとかそういうことかもしれないじゃない? とりあえずメッセージ入れておかなきゃ)

 咲は震える指先で「具合でも悪いの? 今日はいいから、また今度ね」と綴る。
 今日のために張り切ってきたネイルが痛々しいほど鮮やかだった。
 送信ボタンを押そうとしたとき、咲の目の前に柄の悪そうな二人組の男がやってきた。

 二人の男はいかにも遊び人といった風体だ。
「おねーさん、暇?」
(こんなときにナンパ?)
 ナンパなんて一度もされたことがなかったのに、どうしてこんなときに。
「ずっとここにいるけど誰か待ってるの?」
「待ってないなら俺たちと遊びに行かない?」
 男の片方は咲が持っている携帯を見て、「連絡先交換しようよ」としつこく言ってくる。
(怖いよ、誰か助けて)

「お待たせ」
 一人の青年が咲の方へやってきた。歳は二十歳くらいだろうか。こざっぱりとした今時のおしゃれな青年だった。

「ごめん、待たせたよね」
 青年は咲の隣に立った。ハイヒールを履いた咲より十五センチは高そうである。
 咲は青年の顔を見上げた。色白の綺麗な肌に目は大きく、高い鼻、薄い唇、と一つ一つのパーツが整っている。こんなイケメンと今までご縁がなかったのは言うまでもない。

 青年が来ると、しつこかったナンパ男たちは一目散に逃げていった。
「バイバーイ」
 青年は茶目っぽく言う。

「足、痛かったでしょう? 肩掴まって」
 青年は絆創膏をくれる。しかも結構良いやつだった。
「使い切っちゃったでしょう? 使って」
「……ありがとうございます」
「ほら、もうすぐ三時だよ! 映画始まっちゃう」
 青年は咲の手を引いた。なぜだろうか、初対面なのにどこか懐かしい感じがした。

        *

 映画自体は陳腐な洋画だった。可もなく、不可もなく、話題になっている割には普通というのが率直な感想だった。
 ただ、異性と映画を観に行ったことなどなかった咲が、内心思ったのは気まずい場面がなくて良かったということだった。そして、驚くべきことは隣にイケメンが座っていても、本来の待ち合わせ相手といるときよりも緊張しなかった。

「そういえば、名前なんて言うんですか?」
「そういえば言ってなかったね」
 青年は鞄から手帳とペンを取り出し、きれいな字で余白に「物」の下に「心」と書いた。今時古風な感じがする。
そうっていうんだ、俺」
「良い名前ですね」
「でしょ!」
 若者は微笑んだ。

「咲さん、次どこ行こうか?」
「何で私の名前知ってるんですか?」
「秘密。あと敬語禁止。だって今の咲さん、俺より年上でしょ?」
「何歳なんですか?」
「明日でハタチ」
 確かに四回生の咲より年下だ。
「だから内緒。別にストーカーとかそういうんじゃないから安心して」
 はっきり言って安心できない。

「ねぇ、次どこ行く?」
 惣は大きな目で見つめてくる。少し怖いけど、今までしたことのなかった冒険をしてみたくなった。

        *

 他愛のない話をしているうちに、昔ながらの喫茶店へたどり着いた。
「変わらないなぁ、ここも」
「よく来るの?」
「いや、子供の頃、母親と。ここのオムレツ美味しくて好きなんだ」
 無邪気な惣はなんだか可愛かった。自分より背の高い男の子を可愛いというのもおかしい話なのだが。

「どれにする? 俺はオムレツね」
「じゃあ私もオムレツにしようかな」
 注文して十五分ほどで黄色いふわふわのオムレツが運ばれてきた。予想以上に美味しくて、すぐに食べ終えてしまった。食後に咲は紅茶、惣はコーヒーを頼んだ。

「惣くんって携帯見ないんだね」
「え?」
「さっきも手帳に書いて見せてくれたし」
「そんなに携帯見るの? 他の人」
「うん。私いても携帯ばっかり……」
 咲は待ち合わせ相手のことを思い出していた。
「好きだったの? そいつのこと」
 誰、とは言っていないのに惣はまるで見てきたかのような口ぶりで言う。この人には何もかもお見通しらしい。
「分からない。でも、私には他にいないから」
「ううん、そんなことない。咲さんにはもっと素敵な人がいるよ」
 惣は上品にコーヒーをすする。
「じゃあ惣くん、私と付き合える?」
 惣は思わず吹き出してしまう。
「え、唐突だねぇ」
「ほら、やっぱり無理でしょう?」
 咲は「冗談だよ」と言って誤魔化した。

        *

 喫茶店から出ると、日は翳り始め、茜色の夕日がきれいだった。

「少し歩こうか」
「うん」
 暑さも落ち着いていて過ごしやすい。
「咲さん、今日は楽しかった」
「私もだよ」

 誰もいない通りで惣は「咲さん」と静かに呼んで、肩を抱いた。
「わ、私こういうのは……」
 咲は動揺した。今日初めて会った人とハグをするなんて。

「もっと早くこうしていればよかった」
 そう言った惣の声は切なげだった。
「なんだか不思議だね。初めて会った気がしないよ、惣ちゃん」
 無意識のうちに「惣ちゃん」と呼んでいた。そして緊張はなく、妙な安心感があった。

「……さん」
 消え入るような声で惣は言った。何と言ったかは分からなかった。
 ひとしきり時間が経って、惣は咲を離した。

「ねぇ、また会える?」
 咲は連絡先は交換しなくても再び惣に会えるような気がした。
「うん、もちろん会えるよ。だからそれまで待っていてね」
 惣はにっこりと笑って手を振った。
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