短編歴史小説集

永瀬 史乃

文字の大きさ
上 下
4 / 8
藍天シリーズ

最憶的故郷

しおりを挟む
 王都の教坊きょうぼうに勤めて三年、わたしとにいさんは、それぞれの故郷の役人になることが決まった。

「薛梁、元気でやれよ」
 哥さんはわたしの肩を叩いた。
「哥さんこそ、ヘマしないでくださいよ」
 三年間尻拭いをしてきた身としてはかなり心配である。
「本当に一言多いな」
 哥さんが年上のくせに心許ないからだろう。

「あ、そうだ。おまえ、故郷に帰ったら祝言だろう? おめでとう」
 哥さんは目を細めた。この人は他人ひとことも自分のことのように喜んでくれる。
「ありがとうございます」

「本当に他の女に目移りしなかったな」
 わたしは一途なんだ! 哥さんが目移りしすぎなだけだ。
「哥さんはもう少し誠実になったほうがいいと思いますが。また振られますよ」
 この間も二股がばれて若い妓女ゆうじょに頬を叩かれていた。
 さらに目のあたりには墨が塗りたくられていて、熊猫パンダのようである。禿かむろたちの攻撃にあったのだろう。

「本当におまえ、塾の頃から七年も一緒だったのにつれないな」
「今生の別れということもないでしょう。ぜひ遊びに来てください」
「確かおまえの故郷は西湖せいこのある街だったな。雷鋒塔らいほうとう白娘子パイニャンズでも拝みに行くか」
 雷鋒塔に鎮められているのは白蛇の化身である。
「蛇女でもいいんですか」
「美人なら何でもいい」
「……本当に呆れた」
 思わず心の声が漏れたらしい。
「今なんか言ったか?」
「いえ、何も。ではまた」
「うん」
 こうして、七年間をともに過ごした兄貴分を後にした。

        ◆◇◆

 七年ぶりの故郷は大して変わっていなかった。行き交う人の中にはたまに知り合いもいて、「おかえりなさい」と声をかけられる。
 うみのほとりで、包子パオズをひとつ買って頬張った。なるほど昔と変わらない味だ。

 家より真っ先に向かったのは、早咲きの梅の香りが香ばしい、懐かしいやしきだった。
 侍女と鞦韆ぶらんこで遊ぶ女性がいた。七年前より大人びてはいるが、笑った顔は相変わらず愛嬌がある。

 侍女がわたしに気付き、鞦韆ぶらんこから降りて、姑娘おじょうさま」と呼びかけた。
 後宮では官女でも、ここでは「姑娘おじょうさま」なのである。

木蘭もくらん姐姐ねえちゃん、久しぶり」

        ◇◆◇

 地方官になって二年後、「拝啓 哥さん」から始まる流麗な文字の文が届いて、俺は薛梁に会いに西湖せいこの街へ行った。
 薛家は大きな門の邸で、街行く人に訊けばすぐに分かった。
 あいつ、清貧なふりをして意外と良いところの少爷わかさまだったらしい。

 門を叩くと、女中のような出で立ちの大女が出迎えた。
「薛梁殿はおられるか?」
 薛梁、と言っただけで、女は思い当たった顔になる。
きょさまでしょう? 主人には良くしてくださったようで」
「主人?」
 女中ではないのか?
「わたくし、薛家の嫁でございます」
 目の前には女将軍のような細くはない細君おくがたがいる。背も薛梁あいつとそんなに変わらないだろう。

「奥方は珊瑚宮さんごきゅうにいらしたと聞いておりますが?」
「後宮ではお妃さまの籠担ぎをしておりました」
 なるほど、そういうことか。

        ◆◇◆

「いやぁ、意外も意外よ」
 俺は街を歩きながら言った。
「何がです?」
「おまえの許嫁って、それはそれは嫋やかな美女かと思ったから」
「それは哥さんの趣味でしょう? 木蘭はわたしが近所の子供たちからいじめられたときすぐに助けてくれたんです」
「初恋か」
 薛梁はこくりと頷く。酒を飲んでもいないのに顔が赤い。

「これが雷鋒塔らいほうとうです」
 薛梁は高い楼閣を指差した。
「ああ、これが」
「あそこには白蛇の精が鎮められている、という伝説があるんです」
白蛇伝はくじゃでんだろう?」
「ええ」
「その話をしてくれたのも、木蘭です」
「悲恋伝説だったな」
「ええ」
「美女の伝説に、きれいなうみ、素敵なところだな。ここは」
「はい。白楽天はくらくてんもこの地に派遣されましたから。洛陽の都に帰るとき、この地をこううたに詠みました」

 わたしは一度、呼吸を整えて言った。
最憶是杭州もっとも思い出深いのは杭州だとね」

        ◇◆◇

「なぁ、また来てもいいか?」
 別れ際、俺は薛梁に訊いた。
「急に神妙な顔して何ですか?」
 いつもバカっぽいのに気味が悪いとか言われる。これしき慣れっこだ。

「だから、また来ていいか? ここへ」
「ご勝手に」
 薛梁は飄々と言いのける。
「それはまたいつでも来いってことだな?」
「だからお好きにしてください」
「だから友達いないんだぞ、おまえ。せいぜい奥方に愛想尽かされないようにな」
「余計なお世話です。哥さんこそふらふらしてないで早く妻帯けっこんしてくださいよ」
 やっぱりかわいくない弟弟おとうとである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

女の首を所望いたす

陸 理明
歴史・時代
織田信長亡きあと、天下を狙う秀吉と家康の激突がついに始まろうとしていた。 その先兵となった鬼武蔵こと森長可は三河への中入りを目論み、大軍を率いて丹羽家の居城である岩崎城の傍を通り抜けようとしていた。 「敵の軍を素通りさせて武士といえるのか!」 若き城代・丹羽氏重は死を覚悟する!

【1分間物語】戦国武将

hyouketu
歴史・時代
この物語は、各武将の名言に基づき、彼らの人生哲学と家臣たちとの絆を描いています。

幕末博徒伝

雨川 海(旧 つくね)
歴史・時代
江戸時代、五街道の内の一つ、甲州街道が整備され、宿場町として賑わった勝沼は、天領、つまり、徳川幕府の直轄地として代官所が置かれていた。この頃、江戸幕府の財政は厳しく、役人の数も少なかったので、年貢の徴収だけで手がいっぱいになり、治安までは手が回らなかった。その為、近隣在所から無宿人、博徒、浪人などが流れ込み、無政府状態になっていた。これは、無頼の徒が活躍する任侠物語。

豊家軽業夜話

黒坂 わかな
歴史・時代
猿楽小屋や市で賑わう京の寺院にて、軽業師の竹早は日の本一の技を見せる。そこに、参詣に訪れていた豊臣秀吉の側室・松の丸殿が通りがかり、竹早は伏見城へ行くことに。やがて竹早は秀頼と出会い…。

わが友ヒトラー

名無ナナシ
歴史・時代
史上最悪の独裁者として名高いアドルフ・ヒトラー そんな彼にも青春を共にする者がいた 一九〇〇年代のドイツ 二人の青春物語 youtube : https://www.youtube.com/channel/UC6CwMDVM6o7OygoFC3RdKng 参考・引用 彡(゜)(゜)「ワイはアドルフ・ヒトラー。将来の大芸術家や」(5ch) アドルフ・ヒトラーの青春(三交社)

妖魔記

ginsui
歴史・時代
今昔物語と常陸国風土記のごった煮です。

大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった――― 関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった ―――鎖国前夜の1631年 坂本龍馬に先駆けること200年以上前 東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン 『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです ※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...