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前編
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漆黒に染まってしまった翼を丸め、目の前でへらりと嗤う悪魔に掴みかかった。
「ひどいッ……信じてたのに! しないって言ってたのに! 嘘つき、嘘つき…………」
堰を切ったように涙がこんこんと流れ落ちていく。目頭が熱く、胸や喉が苦しい。
堕天させられた、堕天させられた。
わたしが知らない間に、薬でおかしくなってるのをいいことにもてあそばれた。薬を飲んだわたしが悪い──わかってるけど、責めずにはいられなかった。
壁にもたれかかるディアンシャは、悪魔にしては本当に絵になる容貌をしている。そのぐるんと曲がった禍々しい角や大きな蝙蝠の翼がなければ、熾天使にだって見えるだろう。
銀髪が光に砕けて煌めき、鮮やかな青眼は遠い深みをみせる。すっと通った鼻筋に、気怠そうな口調や態度のわりに甘く怜悧な目許。無意識に見蕩れていたのに気づき、わたしは首を振った。
ディアンシャはわたしの手を掴み、嘲るように言った。
「お前が頼んだんだろ? 俺は何度もやめようとしたぜ?」
「でも、だけどッ……」
仮に悪魔と交わってしまっても、最後に悪魔が精を注がなければ堕天しないはずだった。それなのにこの悪魔は、ご褒美とか、あげるとか、あんな甘い声で……。
ディアンシャはぐずぐずと泣きつづけるわたしの頬を撫で、涙を拭うように目元を擦った。
「ほんとかわいい。もっと泣いて」
眼をきっと鋭くさせる。掴まれていた腕を払った。
「うるッ、さい、ッ」
「昨日は好きって言ってくれてたのに。大好きって、俺の名前呼んでよがってたくせに」
カッと体が熱くなり、誤魔化すように目を擦る。
「あれは……ちが。薬のせいでッ。それにディアンシャが何度も、好きとか……言う、から……。本音じゃない、よがってたのも薬のせい。薬飲まなかったら、あんなふうに……」
あの人間たちが変な薬を飲ませなかったら、こんなことにはならなかったのに。いや、何度もディアンシャを信用したわたしが悪いのだ。わたしが甘すぎたのだ。馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ。
──でも、彼の言うとおりだ。
無理やり引き出された言葉とはいえ、わたしはディアンシャのことが好きだった。好きだったんだ、好きだったのに。
ベッドに座り、ぽろぽろと流れ落ちる涙を何度も拭う。嗚咽が止まらない。過呼吸のように肩が何度も上下する。
……それでも堕天はしたくなかった。
懸命に目を据え、できうる限り強い口調で言う。
「本当に、好きじゃない! ック。堕天させたっ、悪魔のことなんて、嫌い、大嫌い! ぜんぶ、薬のせい!」
「へえ? 薬のせいなんだ?」
ディアンシャはベッドのほうへつかつかと歩みよる。ただならぬ雰囲気に、逃げようと立ちあがろうとすれば、腕を取られそのまま押し倒された。
「じゃあもう一回抱いてあげる。泣いてるお前を犯すのも悪くねえ」
眼が嗤い、唇がすいと持ちあがる。両腕を頭上で固定したまま、顎をすくった。噛みつくようにキスをして、少し唇を離し湿った吐息を漏らした。
「ちゃんとかわいがってあげる。素直になれるように」
潤んだ瞳で睨みつける。そんなのしなくていい。ディアンシャとはもう一緒にいたくない。嘘つきで最低の悪魔なんて、そんな悪魔を好きになっちゃったわたしなんて…………。
どうしてこうなっちゃったんだろう。
あの日あの時、カジノ店になんて行かなかったら。客の男についていかなかったら。あんなにドラッグを飲まなかったら────。
「よぉし、乾杯しよう!」
カジノ店の個室、黒塗りのソファで三人並んでグラスを掲げる。わたしは男に渡された真っ青のドリンクを一口飲んだ。
「これはなんのお酒?」
「ブルーキュラソーって言うんだ。リキュールだね」
「そうなの。美味しいね」
ディアンシャはいつまでも部屋に来なかった。
「ディアンシャも来るんじゃないの?」
「向こうの女の子と話してるってさ。やっぱり俺たちだけじゃつまんないか?」
彼に促され、また一口お酒を飲む。
ガラス製の小鉢に色とりどりのラムネが置いてあって、スナックとしてぜひ食べてくれと言われた。星型やニコニコマークなど、絵柄が彫られていてちょっとかわいい。よくある甘みの強い砂糖菓子だ。
「また女の人と話してるんだ……」
彼のことも気になったけど、とりあえずこの人たちと連絡先を交換してからにしよう。
わたしは智天使だ。天界の仕事ばかりしていたわたしだけど、実際に生きている人間たちのことを間近でもっとよく知りたくなった。
というのも、恋愛というものに興味が沸いたのだ。人間と天使が愛を交わすことは禁じられていないので、こうして新しい出会いを求めに地上に降りてきている。
本当なら、もっとディアンシャと一緒に観光できると思ってたんだけど……。
ディアンシャは地上に来てからずっと冷たい。今日だってわたしにカジノでお金を稼がせて、自分はひたすら他の女の人と仲良くお喋りしてた。
ディアンシャは悪魔だ。天界で怪我していた彼を助けて、もう四ヶ月になる。
初めは悪魔である彼を警戒していたり、堕天させられるかもと怯えたりしていたけど、等身大で接してくれるディアンシャに今は親しみを覚えていた。地上の文化や人間の素晴らしさを教えてくれたのもディアンシャだ。
だから彼のことは……友達として、人として、すごく好き。
天界にいるあいだは、怪我のせいで悪夢を見るからってよく抱きしめられて寝ていたし、堕天に関しては「もう堕天させる気はないよ」って真実薬で告げてもらっていたので、今は一緒にいると安心感さえある。
それなのに、地上に来てから彼は抱きしめてくれなくなった。キスもそう。わたしは人間とファーストキスをするのは嫌だから、悪魔なら練習にいいと思って許可を出した。
なのに、してくれない。
人間と初めてをするのは嫌だった。ディアンシャは仲良しの友達だから、ディアンシャからキスする分にはいいかなって……思ったんだけどな。わたしは天使なので自分からは言えないけど、ディアンシャが勝手にするならたぶん問題ないはずだ。
もちろんこれは恋愛感情じゃない。
ディアンシャが他の子と仲良くしてるのが嫌なのも……ただ、不誠実に不特定多数の女性と仲良くするのが悪いことだと思うからだ。これ以上に理由なんてない。
わたしは男の人二人に連れられて、カジノ店の奥の個室ルームに連れていかれた。たぶん仲間内でゲームをするための場所なんだと思う。
逆にディアンシャは、煌びやかな服装をした人間の女の子と一緒に、別の部屋でお酒を飲んでるみたいだ。
部屋は外のフロアと同じで、床に赤と黒のタイルが敷きつめられ、HIP HOPのミュージックが爆音で流れていた。近くにいる他の女性は、隣の男の人と体を近づけてキスをしはじめていた。
ただ最初に話しかけてくれた二人組の男は、肩を組んだり軽いボディタッチをする程度で、それ以上のことはしてこなかった。
「──だからさ、ほんとこいつおかしくて! あんなに笑ったのは初めてだぜ?」
「うふふ、本当だね!」
男がここまでゲラゲラ笑っている理由はよくわからなかったけど、二人が楽しんでいるのは嬉しいのでわたしもにこにこ微笑んでいた。お酒がなくなり、また同じブルーキュラソーが注がれる。
なんだかさっきより音楽の音が鮮明に聞こえる気がした。視界がちかちかする。隣の男がわたしの肩に軽く触れるたび、ずきんと体が跳ねた。
酔いすぎた?
天使は食べ物の味を楽しめるし、お酒に酔うこともできる。特に初めて口にしたものや、自分が害だと思っていないもの、楽しむために食事をするときはどれも人間と同じような味覚がある。
お酒もある程度までは人間らしく酔うことができて、フレーバー程度に眠くなったり体の怠さを感じたり、逆に楽しくなったりテンションが上がったりする。
「酔いすぎたみたいで……水をくれない?」
「そうか? 全然そうは見えないけど。眠くならないか?」
「眠く? 多少は眠いけど……完全に寝ることはないと思うよ」
彼はまたにかっと歯を光らせ、わたしの頭をゆっくりと撫でた。髪は特にあまり触らないでほしいのに。
でもなんだかむず痒くて、彼に頭皮を触られるたびにゾクゾクと背中を熱いものが走った。
「体が変……。なんで?」
見れば、いつの間にか他の男女は別の部屋に移動していた。そういえば挨拶された覚えがあるけど、二人が盛りあがっていたのであまり気にしていなかった。
「ほら、よかったらもっと食べて」
「あ……うん……」
何度もお菓子を薦められるので、仕方なくまた三つラムネを口に入れた。さっきよりも甘味が強くてとっても美味しい。芳醇な香りに酔いそうになった。
「もういいよ。薬は効いてんだろ」
「なんで寝ないんだ?」
「大丈夫だろ」
ふたりの男がこそこそと会話をしている。聴覚が異常によくなっているので、はっきり聞きとれた。
あと六つラムネが残っている。もう二つ口に入れ、ブルーキュラソーを飲み干す。喉を冷たい飲み物が通るとそれだけでくすぐったく、また爽やかな清涼感にすっきりした気分になった。
「なんの話? わたしに寝てほしかったの?」
男はこちらを向き、ふたりして机のラムネを食べた。
片方の男がわたしの首筋に手を添え、胸元まで滑らせた。ぞわぞわと快い鳥肌が立つ。
「熱いよな? 一緒に楽しもうぜ」
少し触れられるだけで全身が過敏に反応する。皮膚に悦が走り、中の血管が疼いた。なんだか……熱いし、……ディアンシャに血を吸われたときみたいになってる。どうして?
「さわん……ない、で」
後ろから別の男が抱きしめ、唇に指を入れた。さっきのラムネを無理やり飲まされる。
「どういうこと? な、に?」
このまま力を込めて男たちを引き剥がしたら、誤って殺してしまいそうだった。それくらい感覚がおかしくて、全身をうまく制御できないのだ。でもこのままでいるのは絶対まずい気がする。
頭がぼんやりしてきた。ソファに押し倒される。
天井がぐるぐる回って、店内のBGMのそれぞれの鮮やかな音色に体が掬われそうになる。
音のひとつひとつが美しい、見える光景すべてに感動する。体が高揚してきて、混乱していた気持ちがどこかに消えてしまいそうになった。
「あはは……たのしい」
覆いかぶさってきた男を引き寄せ、思いきり抱きしめた。体が熱い。誰かと重なってると気持ちいい。
「痛い痛い痛い痛い! 強すぎる! 痛いって! セラエル!」
「えぇ……?」
きっと力を出しすぎたんだ。天使が力を出しすぎたら潰れてしまう。かろうじて思い出して、少しだけ緩めた。
男が首筋に唇を這わせた。
気持ちいい感覚と、うっすらと残る嫌悪感が脳内を浸す。
ぞくぞくするのは楽しいし気持ちいい。もっとしてほしい……けど。まだ親しくないのに、ハグはしたくないし、こんなふうに首筋にキスをされるのも嫌だ。
無理やり引き剥がすと、男が目を白黒させている。
「は、はあ? どっからそんな力出せるんだ?」
「えと……ふわふわしちゃって。ごめんね、壊したら嫌だから……おねがい……。きっと退いたほうがいいよ……」
でも誰かに触ってほしい。気持ちいいのに。どうしたらいいのかわかんない。
男はそれでもわたしの首に手をかけ、服を引っ張った。脱がせようとしてる? 熱いから助かるけど……体は見られたくない。
「恥ずかしいし……だめ、だよ」
彼の拳を上から重ねる。男は顔から火を出してもっと力を込めている。いくら頑張っても天使には敵わないのに……でも熱いから、やっぱり脱がしてもらおうかな……。それに誰かに触れられると気持ちよくて。
でも恋人じゃないし、まだそれほど親しくなっていない男の人に……無闇に触られたくないよ。
どうしたらいい?
いつもより感情的になっている。思考が定まらない。
BGMのクラブミュージックに体が反応して、今にも踊りたくなっているし、素晴らしい音楽を作る人間を思って泣きそうにもなった。天井に吊るされたネオンライトが、空中で望む日の出くらい輝いて見える。きれいできれいで、拍手したくなってきた。
もう自分の感情がわからない。どうなってるの?
湿った舌が首筋をぴちゃぴちゃと舐める。全身が戦慄き、あまりの強烈な快感に声が漏れる。
どうかしちゃってる。なんで、わたしになにがあったの。
男はなんとか服の上部を引き裂いて、ブラウスのあいだから下着を覗かせた。服のあいだに手を差し入れ、背中へ回す。
「ん……だ、め……。ぇねえ……」
彼の腕が皮膚を擦り、それが脳を蕩かすくらい気持ちよくてしょうがなかった。どうしよう。
違う男の人がわたしの目を塞いだ。目元に当たる手の感覚にまず体がびくついて、見えないまま体をまさぐられているのにもどきどきしはじめた。
「こんな美人とヤれるとか、最、高ッ……」
男の昂った声が耳を震わせた。熱っぽく膨れた棒が頬に当たる。噎せかえるほどの不快な臭いでいっぱいになった。気持ち悪い、やだ。汗ばんだ垢の臭いがする。いつもより臭いも強烈なのだ。
なに、なにこれ? なに?
わすがに滑りを持ったそれが頬を擦り、擦られること自体には快感を覚えてしまう。
どうしよう。嫌だ、なに、なにこれ。何してるの? どうしたらいい?
涙が出そうになったところで、部屋の扉が開く音がした。
「ひどいッ……信じてたのに! しないって言ってたのに! 嘘つき、嘘つき…………」
堰を切ったように涙がこんこんと流れ落ちていく。目頭が熱く、胸や喉が苦しい。
堕天させられた、堕天させられた。
わたしが知らない間に、薬でおかしくなってるのをいいことにもてあそばれた。薬を飲んだわたしが悪い──わかってるけど、責めずにはいられなかった。
壁にもたれかかるディアンシャは、悪魔にしては本当に絵になる容貌をしている。そのぐるんと曲がった禍々しい角や大きな蝙蝠の翼がなければ、熾天使にだって見えるだろう。
銀髪が光に砕けて煌めき、鮮やかな青眼は遠い深みをみせる。すっと通った鼻筋に、気怠そうな口調や態度のわりに甘く怜悧な目許。無意識に見蕩れていたのに気づき、わたしは首を振った。
ディアンシャはわたしの手を掴み、嘲るように言った。
「お前が頼んだんだろ? 俺は何度もやめようとしたぜ?」
「でも、だけどッ……」
仮に悪魔と交わってしまっても、最後に悪魔が精を注がなければ堕天しないはずだった。それなのにこの悪魔は、ご褒美とか、あげるとか、あんな甘い声で……。
ディアンシャはぐずぐずと泣きつづけるわたしの頬を撫で、涙を拭うように目元を擦った。
「ほんとかわいい。もっと泣いて」
眼をきっと鋭くさせる。掴まれていた腕を払った。
「うるッ、さい、ッ」
「昨日は好きって言ってくれてたのに。大好きって、俺の名前呼んでよがってたくせに」
カッと体が熱くなり、誤魔化すように目を擦る。
「あれは……ちが。薬のせいでッ。それにディアンシャが何度も、好きとか……言う、から……。本音じゃない、よがってたのも薬のせい。薬飲まなかったら、あんなふうに……」
あの人間たちが変な薬を飲ませなかったら、こんなことにはならなかったのに。いや、何度もディアンシャを信用したわたしが悪いのだ。わたしが甘すぎたのだ。馬鹿だ、馬鹿だ、馬鹿だ。
──でも、彼の言うとおりだ。
無理やり引き出された言葉とはいえ、わたしはディアンシャのことが好きだった。好きだったんだ、好きだったのに。
ベッドに座り、ぽろぽろと流れ落ちる涙を何度も拭う。嗚咽が止まらない。過呼吸のように肩が何度も上下する。
……それでも堕天はしたくなかった。
懸命に目を据え、できうる限り強い口調で言う。
「本当に、好きじゃない! ック。堕天させたっ、悪魔のことなんて、嫌い、大嫌い! ぜんぶ、薬のせい!」
「へえ? 薬のせいなんだ?」
ディアンシャはベッドのほうへつかつかと歩みよる。ただならぬ雰囲気に、逃げようと立ちあがろうとすれば、腕を取られそのまま押し倒された。
「じゃあもう一回抱いてあげる。泣いてるお前を犯すのも悪くねえ」
眼が嗤い、唇がすいと持ちあがる。両腕を頭上で固定したまま、顎をすくった。噛みつくようにキスをして、少し唇を離し湿った吐息を漏らした。
「ちゃんとかわいがってあげる。素直になれるように」
潤んだ瞳で睨みつける。そんなのしなくていい。ディアンシャとはもう一緒にいたくない。嘘つきで最低の悪魔なんて、そんな悪魔を好きになっちゃったわたしなんて…………。
どうしてこうなっちゃったんだろう。
あの日あの時、カジノ店になんて行かなかったら。客の男についていかなかったら。あんなにドラッグを飲まなかったら────。
「よぉし、乾杯しよう!」
カジノ店の個室、黒塗りのソファで三人並んでグラスを掲げる。わたしは男に渡された真っ青のドリンクを一口飲んだ。
「これはなんのお酒?」
「ブルーキュラソーって言うんだ。リキュールだね」
「そうなの。美味しいね」
ディアンシャはいつまでも部屋に来なかった。
「ディアンシャも来るんじゃないの?」
「向こうの女の子と話してるってさ。やっぱり俺たちだけじゃつまんないか?」
彼に促され、また一口お酒を飲む。
ガラス製の小鉢に色とりどりのラムネが置いてあって、スナックとしてぜひ食べてくれと言われた。星型やニコニコマークなど、絵柄が彫られていてちょっとかわいい。よくある甘みの強い砂糖菓子だ。
「また女の人と話してるんだ……」
彼のことも気になったけど、とりあえずこの人たちと連絡先を交換してからにしよう。
わたしは智天使だ。天界の仕事ばかりしていたわたしだけど、実際に生きている人間たちのことを間近でもっとよく知りたくなった。
というのも、恋愛というものに興味が沸いたのだ。人間と天使が愛を交わすことは禁じられていないので、こうして新しい出会いを求めに地上に降りてきている。
本当なら、もっとディアンシャと一緒に観光できると思ってたんだけど……。
ディアンシャは地上に来てからずっと冷たい。今日だってわたしにカジノでお金を稼がせて、自分はひたすら他の女の人と仲良くお喋りしてた。
ディアンシャは悪魔だ。天界で怪我していた彼を助けて、もう四ヶ月になる。
初めは悪魔である彼を警戒していたり、堕天させられるかもと怯えたりしていたけど、等身大で接してくれるディアンシャに今は親しみを覚えていた。地上の文化や人間の素晴らしさを教えてくれたのもディアンシャだ。
だから彼のことは……友達として、人として、すごく好き。
天界にいるあいだは、怪我のせいで悪夢を見るからってよく抱きしめられて寝ていたし、堕天に関しては「もう堕天させる気はないよ」って真実薬で告げてもらっていたので、今は一緒にいると安心感さえある。
それなのに、地上に来てから彼は抱きしめてくれなくなった。キスもそう。わたしは人間とファーストキスをするのは嫌だから、悪魔なら練習にいいと思って許可を出した。
なのに、してくれない。
人間と初めてをするのは嫌だった。ディアンシャは仲良しの友達だから、ディアンシャからキスする分にはいいかなって……思ったんだけどな。わたしは天使なので自分からは言えないけど、ディアンシャが勝手にするならたぶん問題ないはずだ。
もちろんこれは恋愛感情じゃない。
ディアンシャが他の子と仲良くしてるのが嫌なのも……ただ、不誠実に不特定多数の女性と仲良くするのが悪いことだと思うからだ。これ以上に理由なんてない。
わたしは男の人二人に連れられて、カジノ店の奥の個室ルームに連れていかれた。たぶん仲間内でゲームをするための場所なんだと思う。
逆にディアンシャは、煌びやかな服装をした人間の女の子と一緒に、別の部屋でお酒を飲んでるみたいだ。
部屋は外のフロアと同じで、床に赤と黒のタイルが敷きつめられ、HIP HOPのミュージックが爆音で流れていた。近くにいる他の女性は、隣の男の人と体を近づけてキスをしはじめていた。
ただ最初に話しかけてくれた二人組の男は、肩を組んだり軽いボディタッチをする程度で、それ以上のことはしてこなかった。
「──だからさ、ほんとこいつおかしくて! あんなに笑ったのは初めてだぜ?」
「うふふ、本当だね!」
男がここまでゲラゲラ笑っている理由はよくわからなかったけど、二人が楽しんでいるのは嬉しいのでわたしもにこにこ微笑んでいた。お酒がなくなり、また同じブルーキュラソーが注がれる。
なんだかさっきより音楽の音が鮮明に聞こえる気がした。視界がちかちかする。隣の男がわたしの肩に軽く触れるたび、ずきんと体が跳ねた。
酔いすぎた?
天使は食べ物の味を楽しめるし、お酒に酔うこともできる。特に初めて口にしたものや、自分が害だと思っていないもの、楽しむために食事をするときはどれも人間と同じような味覚がある。
お酒もある程度までは人間らしく酔うことができて、フレーバー程度に眠くなったり体の怠さを感じたり、逆に楽しくなったりテンションが上がったりする。
「酔いすぎたみたいで……水をくれない?」
「そうか? 全然そうは見えないけど。眠くならないか?」
「眠く? 多少は眠いけど……完全に寝ることはないと思うよ」
彼はまたにかっと歯を光らせ、わたしの頭をゆっくりと撫でた。髪は特にあまり触らないでほしいのに。
でもなんだかむず痒くて、彼に頭皮を触られるたびにゾクゾクと背中を熱いものが走った。
「体が変……。なんで?」
見れば、いつの間にか他の男女は別の部屋に移動していた。そういえば挨拶された覚えがあるけど、二人が盛りあがっていたのであまり気にしていなかった。
「ほら、よかったらもっと食べて」
「あ……うん……」
何度もお菓子を薦められるので、仕方なくまた三つラムネを口に入れた。さっきよりも甘味が強くてとっても美味しい。芳醇な香りに酔いそうになった。
「もういいよ。薬は効いてんだろ」
「なんで寝ないんだ?」
「大丈夫だろ」
ふたりの男がこそこそと会話をしている。聴覚が異常によくなっているので、はっきり聞きとれた。
あと六つラムネが残っている。もう二つ口に入れ、ブルーキュラソーを飲み干す。喉を冷たい飲み物が通るとそれだけでくすぐったく、また爽やかな清涼感にすっきりした気分になった。
「なんの話? わたしに寝てほしかったの?」
男はこちらを向き、ふたりして机のラムネを食べた。
片方の男がわたしの首筋に手を添え、胸元まで滑らせた。ぞわぞわと快い鳥肌が立つ。
「熱いよな? 一緒に楽しもうぜ」
少し触れられるだけで全身が過敏に反応する。皮膚に悦が走り、中の血管が疼いた。なんだか……熱いし、……ディアンシャに血を吸われたときみたいになってる。どうして?
「さわん……ない、で」
後ろから別の男が抱きしめ、唇に指を入れた。さっきのラムネを無理やり飲まされる。
「どういうこと? な、に?」
このまま力を込めて男たちを引き剥がしたら、誤って殺してしまいそうだった。それくらい感覚がおかしくて、全身をうまく制御できないのだ。でもこのままでいるのは絶対まずい気がする。
頭がぼんやりしてきた。ソファに押し倒される。
天井がぐるぐる回って、店内のBGMのそれぞれの鮮やかな音色に体が掬われそうになる。
音のひとつひとつが美しい、見える光景すべてに感動する。体が高揚してきて、混乱していた気持ちがどこかに消えてしまいそうになった。
「あはは……たのしい」
覆いかぶさってきた男を引き寄せ、思いきり抱きしめた。体が熱い。誰かと重なってると気持ちいい。
「痛い痛い痛い痛い! 強すぎる! 痛いって! セラエル!」
「えぇ……?」
きっと力を出しすぎたんだ。天使が力を出しすぎたら潰れてしまう。かろうじて思い出して、少しだけ緩めた。
男が首筋に唇を這わせた。
気持ちいい感覚と、うっすらと残る嫌悪感が脳内を浸す。
ぞくぞくするのは楽しいし気持ちいい。もっとしてほしい……けど。まだ親しくないのに、ハグはしたくないし、こんなふうに首筋にキスをされるのも嫌だ。
無理やり引き剥がすと、男が目を白黒させている。
「は、はあ? どっからそんな力出せるんだ?」
「えと……ふわふわしちゃって。ごめんね、壊したら嫌だから……おねがい……。きっと退いたほうがいいよ……」
でも誰かに触ってほしい。気持ちいいのに。どうしたらいいのかわかんない。
男はそれでもわたしの首に手をかけ、服を引っ張った。脱がせようとしてる? 熱いから助かるけど……体は見られたくない。
「恥ずかしいし……だめ、だよ」
彼の拳を上から重ねる。男は顔から火を出してもっと力を込めている。いくら頑張っても天使には敵わないのに……でも熱いから、やっぱり脱がしてもらおうかな……。それに誰かに触れられると気持ちよくて。
でも恋人じゃないし、まだそれほど親しくなっていない男の人に……無闇に触られたくないよ。
どうしたらいい?
いつもより感情的になっている。思考が定まらない。
BGMのクラブミュージックに体が反応して、今にも踊りたくなっているし、素晴らしい音楽を作る人間を思って泣きそうにもなった。天井に吊るされたネオンライトが、空中で望む日の出くらい輝いて見える。きれいできれいで、拍手したくなってきた。
もう自分の感情がわからない。どうなってるの?
湿った舌が首筋をぴちゃぴちゃと舐める。全身が戦慄き、あまりの強烈な快感に声が漏れる。
どうかしちゃってる。なんで、わたしになにがあったの。
男はなんとか服の上部を引き裂いて、ブラウスのあいだから下着を覗かせた。服のあいだに手を差し入れ、背中へ回す。
「ん……だ、め……。ぇねえ……」
彼の腕が皮膚を擦り、それが脳を蕩かすくらい気持ちよくてしょうがなかった。どうしよう。
違う男の人がわたしの目を塞いだ。目元に当たる手の感覚にまず体がびくついて、見えないまま体をまさぐられているのにもどきどきしはじめた。
「こんな美人とヤれるとか、最、高ッ……」
男の昂った声が耳を震わせた。熱っぽく膨れた棒が頬に当たる。噎せかえるほどの不快な臭いでいっぱいになった。気持ち悪い、やだ。汗ばんだ垢の臭いがする。いつもより臭いも強烈なのだ。
なに、なにこれ? なに?
わすがに滑りを持ったそれが頬を擦り、擦られること自体には快感を覚えてしまう。
どうしよう。嫌だ、なに、なにこれ。何してるの? どうしたらいい?
涙が出そうになったところで、部屋の扉が開く音がした。
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