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しおりを挟む「ううーん……ふわふわするぅ……あたま痛え~」
喉が渇いて体もだるい。ぐったりとベッドに横たわる。
飲みすぎてやらかした俺を、ジークは嫌な顔もせず丁寧に介抱してくれた。具合が落ち着いたのは深夜だ。朝から畑に出てしまうジークの世話になるのは気が引けたが、酒を嗜むのも悪酔いするのも初めてだった。
結局ジークの好意にずるずると甘えている。これも末っ子の才能か──俺って天性のヒモなのかも。
「ごめん……ジーク……じぶんが情けないわ……」
「僕に気を遣わないで。かわいそうだけど、二日酔い確定だね」
「だって、飲んでたらなんか、良い気分になっちゃったんらもん」
「お酒だからね。しかも王室ブランドだよ?」
「ちがうし」
「え?」
「ブランドだから飲んだんじゃねーしっ」
「カミーユ……」
「ジークの酒や料理は、おまえが王族だからうまいんじゃねーよ。ブランドとか王家とか関係ねーんだ。ジークがジークだからうまいんだよ。あーっ、うまく言えん! うう~あたま痛ぁ~死にたくねぇ~」
水を陶器のデキャンタに汲んできてくれたので、行儀が悪いのは承知で遠慮なく飲んだ。はー、水うまー、しみわたるー。水の旨さを確認するために人は酒に酔うんだろうな。なんか一周回って、今ならジークと腹を割って話せる気がした。
「ジーク、訊いてたよな? 俺がやってきた目的……俺な、復讐したかったんだよ。ひいひいばあちゃんを振ったクソ王子に。そしたら子孫どころか王族みんな死んじゃってて。どうしようか悩んで王家の末裔を探したんだ。クソ王子の代わりに、おまえのこと一発ぶん殴って、とっとと海に帰るつもりだった」
「ひいひいばあちゃん? カミーユの? 長生きだね」
「もう死んでる」
「あ、そ、そうか、そうだよね、ひいひいおばあちゃんだもんね、ごめんね」
焦ったジークはいつもの余裕がなくて面白い。取り澄ました顔より、慌ててる顔のほうがずっといい。
「ひいひいばあちゃんは死んじゃったけど、おとぎ話になって残ってるんだ。『人魚姫』って話」
俺はひとつ深く息を吐き、新しい空気を吸った。
「ジーク。耳穴かっぽじってよく聞けよ。おまえのご先祖様を助けたのは、俺のひいひいばあちゃんだったんだからな! だけど王子様は命の恩人を勘違いして、よその王女と結婚しやがった。ばあちゃんは人間になるために自分の声を犠牲にしていて、口をきけなかった。助けたのはあたしだよって言えなかったんだ。俺は、ばあちゃんを泣かせた王子が許せねえ。……王族なんて滅んで正解だよ」
俺が実は人魚だってことと、ひいひいばあちゃんの話。だーっと一気に話し終えると、静かすぎるほどの沈黙が流れた。ジークは立ちすくんだまま、うつむいて黙り込んでいる。
「ほ、滅んで正解とまでは……言うべきじゃなかった。すまん」
俺はがばっと起き上がって、ベッドの上でかしこまった。ジークの表情は固い。にこやかさのかけらもない。だけど少しして、穏やかな声で話し始めた。
「そういえば……何代か前にいたっけ」
ジークは眉を寄せ、指を顎に当てた。
「運命の人だと思って結婚したけど、しばらくして、相手を間違えた~って大騒ぎして離婚した王太子の話。その人が騒ぎ立てるまで、王族は離婚が許されなかった。王家って世間と隔絶してるし、変人や変態が多いから、今まで気にしたことなかったな」
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「溺れた王子を助けたとき、王子に少しでも意識があったなら……とか。そういうほんの些細なさじ加減の積み重ねだったんだろうな。二人が添い遂げる未来だって、あったかもしれないんだ。あれ、もしそうなってたら、俺は生まれてなかったのか? やっぱ王子クソだなー」
うんうんと俺はひとりで納得する。
「運命の相手、か……」
ぽつりとジークがつぶやいた。
「ご先祖様の気持ちを本当に想うなら、僕たちにできることって、一つしかないんじゃないかな……?」
なんか小難しいこと言い出した。「あ?」と間抜けな顔をする俺の前に向き直ると、ジークは、すうぅ~っと深く息を吸った。なんか、気合い入れてる?
「カミーユ。僕たち、付き合おうじゃないか!!」
ジークがベッドの前で片膝をつき、俺に向かって手を差し伸べる。
「ちょ、え……?」
戸惑う俺に対し、ジークは眉尻と目尻をいっぺんに下げ、「……告白しちゃった」といって頬をかく。照れてるように見えるんだが、ジークから飛び出した言葉と表情に、頭が追いつかない。
「あの、ジーク今……なんて??」
「すれ違って結ばれなかった人魚姫と王子の末裔がこうして巡り会えたんだ! 運命としか言えないよ!」
俺はぴしりと固まった。頭を使いすぎたせいか、ジークがおかしくなったようだ。
「運命、いや、奇跡と言ったって過言じゃない!」
「……うんめい、しんじない……まったく、かんじない、ですね」
柄にもなく、俺の口から敬語がこぼれた。いきなり運命とか言われてみろよ。動揺しないほうが無理だって。
そんな俺に、ジークはさらにたたみかけた。
「僕ときみが仲良くすれば、ひいひいおばあさまへのいい供養になると思わないかい?」
「ぁー……供養という概念、海の生き物には、存在しない、ですね……」
じりじりとジークから身を離すが、ジークも両手を広げて俺ににじりよってくる。心なしか、目がらんらんと輝いている。なんでだよ、夜なのに。暗めの室内なのに。こわいだろうが!
「あっ、そんな距離とらないで! ゆっくり考えていいんだよ。……絶対逃さないけどね」
人の気配に怯えた猫を「大丈夫だよ~こわくないよ~ササミいるかにゃ~?」となだめておいて、えげつない罠にかけるみたいな雰囲気だ。いや待て。言葉尻がすげえ不穏じゃねーか。
距離を詰めようとするジークを俺は手で制した。なんだか猛獣使いになった気分だ。猛獣っていうか、相手は運命論者だけど。
「ちょ、ちょっと待てって。ジークの先祖のクソ王子は、やっぱり運命じゃなかった~とかいって奥さんと離婚したんだろ? そーゆークソクソしい血筋なんだろ? おまえだってクソに決まってるじゃん。運命とかほざいても、そんなのおまえの思い込みじゃん、おまえ絶対俺のこと捨てるじゃん、おまえもクソみてーなクソなんだろうがっ!」
「人をクソまみれみたいに言わないでくれないか……だけど、カミーユは口が悪いところも可憐だね。魅力的だよ。僕、なんだかゾクゾクするんだ」
「は……はあああ~⁉︎ おっ、おまえ、脳みそ腐ってんじゃねーの!」
「きみを捨てるなんて愚かなことはしない。ひと目見た時から、運命の人だって確信してたんだ」
さっきからジークなに言ってんだ?
ぷつぷつぷつ。皮膚が粟立ち、背筋にぞわわわ~っと冷たい汗が流れた。
「王子じゃなくなった僕を利用しようとする人はいた。しつこく擦り寄ってくる人もいた。だけど、きみは僕をそういう目で見なかった。金をせびったりもしないし、僕を利用しようともしない。ただ一緒に夕飯を食べて、飲んで、愚痴って……僕はカミーユみたいなひとに側にいてほしい」
「う、うるせぇよ!」
「運命なんて僕の思い込みだろってカミーユは言ったよね? だけど僕たちはもっと昔に出会ってる。僕も覚えてるんだ。海辺で出会った可愛い男の子に、エビを投げつけたこと」
「…………は?」
一瞬、目の前が真っ暗になった。
海辺で出会った男の子に、エビを投げた?
空気が薄くなった気がして、はくはくと浅い呼吸を繰り返した。
「お、おまえ、あのときの、ガキ……?」
じり、と尻を動かして壁際に後退する。口の中がからからだ。
俺にエビを投げた男の子は──たしかにジークと同じ、金髪に緑眼だった。だった、けど、まさか。
「一度だけ、お忍びで父に海辺の避暑地へ連れて行ってもらった。そのとき、海岸ですっごく可愛い男の子に話しかけられた。遊ぼうって誘ってもらえて嬉しかった。綺麗なピンク色の髪に、瞳は穏やかな海の色。カミーユの目と同じ、淡いアクアマリン色だった。くりくりした瞳が飴玉みたいで可愛くて、ああ舐めてみたいなって思った」
「ひっ!?」
ベッドの壁際に背中をくっつけて、俺は小さく悲鳴を上げた。間違いない。こいつにも立派な王家の……変態の血が流れてる!
「避暑はほんの数日だけ。王太子様と入れ替わりに帰らなきゃいけなかった。きみと離れるのがさびしかった。きみに僕の記憶を刻みつけたくて、いじわるしてエビを投げたんだ。そしたらその子、綺麗な目をうるうるさせて海の中に消えちゃった……」
「そ、そんなの嘘だ!」
「おへその下までは人間の姿だったのに、足がなかったよね。お尻から下は、青い宝石みたいな鱗だった。ひょっとしたら僕、海辺でうたた寝して夢でも見たのかもと思って、誰にも言えなかった。だけど今日わかった。あれは夢じゃなかった」
ジークは目もとをゆるめて、幸せそうな笑みを浮かべた。みずみずしい薔薇が、ぱっと音を立てて花開いたかのような笑顔だ。
「あの子は名前を教えてくれたんだ。僕の名前はカミーユだよ、って。あのときもきみは、『女の子みたいだねって言ったら、きらいになるよ』って言ってた。あの人魚はきみだったんだねカミーユ! ああっ、僕たちやっぱり運命だよ!!」
「ふえっ……」
「あっ、あのときのエビはちゃんと美味しくいただいたよ! 別荘の厨房で父と料理して、美味しいサンドイッチにしたんだ。僕はね、王族だってエビサンドくらい作れるんだぞ、って証明したかったんだよ!」
あうあうと口を開いては閉じ、また開いては閉じた。なんか開けちゃいけない蓋を開けてしまった気がする。ジークはヤバい。
俺は転がるようにしてジークの家を飛び出した。
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