編在する世界より

静電気妖怪

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神国『勇者誕生祭』

勇者の器と化物の巣

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 神国と覇王国の国境近くに一人の老人が暮らしていた。
 何かと黒い噂が絶えない辺境の地での隠居生活に選んだ一風変わった老人。彼の一日は食事と土いじり、そして趣味の時間で埋まっていた。その趣味というのは——、

(あの格好⋯⋯法服か?これまた変な奴が現れたのぉ)

 通行人を『る』ことだ。

 覇王国との国境付近に位置するため通る人もまた訳ありが多い。
 逃亡者、密兵、流れ者、暗殺者、なんでもござんあれだ。老人は彼ら彼女らに食べ物を恵むときもあれば、対話するときも、殺し合うときもあった。そして、どんな相手であっても必ずしたことは『診る』ことだった。

 老人にとっての『診る』はただ外面を見るにあらず。内側を深く、淵まで覗く。そして、覗き込んだ相手を理解し相手に診せる。それはまるで、鏡写のように、同じでありながら違うものを感じさせる。

(一緒にいるのは貴族の娘か?ということは、法服の男は護衛かのぉ。どれどれ、ちとからかってみるか)

 老人はいつも通り鏡写を行う。
 地面から伝わる心臓の鼓動を感じとる。そして、同じリズムを刻むように鍬を地面に振り下ろす。
 相手が一歩近づけば自分は一歩下がる。畑を耕す動きに沿うように、流れに身を任せる。一振り、一歩、一振り、一歩、一振り、一歩——

(——っ!もう気づきおったとな!?)

 ——しかし、唐突に男の足音が止まる。同時に、老人は男からの視線を強く感じる。仕草の一つ一つをつぶさに見る視線がヒシヒシと肌に刺さる。

(なるほど、この男強い。おそらく、儂が出会った中で一番⋯⋯もしかすれば、伝説に聞く初代勇者と同じくらいか?これは虎の尾を踏んでしまったか⋯⋯?)

 法服の男からの凄まじい圧迫感に晒される。万が一に襲われれば老人には手の打ちようがなかった。それほどまでに、実力差があった。男の気持ち一つで老人の命は右にも左にも転ぶ。老人は祈った——

(同調は解けている。もう奴は何も感じていないはずじゃ!頼む!このまま立ち去ってくれ!)

 ——そして、神は老人を見放さなかった。いや、自称神は老人を見捨てたともとれる。
 法服の男は老人から視線を外し、足早に歩き始めた。面倒ごとを避けるようにか、君の悪い場所から逃げるためか。ともかく、老人は法服の男の反感を買わずに済んだ。

(⋯⋯足音が聞こえる。た、助かった!助かったのじゃな!いやはや、儂の命もまだまだ捨てたもんではないのぉ!)

 神への感謝も忘れ、老人は歓喜する。そして、老人はふと思い出す。恐怖心から忘れてしまっていたもう一人の人物の存在を。そして、

 ——あれほどの強者に守られている貴族の娘とはどんな人物なのか?と。

(まぁ、どうせ零れていたかもしれん命じゃ。ここまできて、やらずに後悔するよりはやって後悔じゃな)

 思い立ってからの老人の行動は速かった。
 耳をすませ、大地との呼吸を一つにし、鍬を振り下ろす。一振り、一歩、一振り、一歩、一振り、一歩。少女の鼓動と同調する。そして——

(——オエェ!!な、なんじゃこりゃぁ?!)

 ——老人は吐き出した。
 今朝食べた物が酸味を帯び、胃の中から強制的に飛び出さされた。ビチャビチャと汚い音を立てながら足元を汚していく。しかし、老人の鍬を握る手を緩めることはできなかった。それは、農夫としての誇りだとか、遊び心への狂酔などではない。老人を動かしているのは——、

(⋯⋯みて、いる)

 恐怖。圧倒的な畏れだった。
 少女からの視線が背中を突き刺してくる。痛いほど感じる。だから、老人は鍬を振るのを止めることはできなかった。もし、万が一、億が一でも止めてしまったら——

(⋯⋯見られて!いるッ!)

 ——化け物少女に見つかってしまうから。
 可愛らしい少女の皮を被った化け物、これが老人から診た少女の全てだった。

(⋯⋯ばけ、もの)

 身の毛がよだつような悪臭に香水で無理やり誤魔化しているような気味悪さ。

(⋯⋯化け物!)

 確かに居るのに、他の人には見えていないし、気づいてないという不自然さ。

(圧倒的なッ!化け物ッ!)

 張り付いた笑顔の下から見える凶暴性と凶悪性を隠しきれていない不器用さ。

 ただただ、理解できなかった。
 たった一瞬、ほんの少し写しただけでも、根の張ったカビのように拭えない。それを体の中に宿すなど正気の沙汰ではないと老人は思った。
 ゴクリと生唾をのみ老人は改めて自分の体に鞭を打つ。鍬を放り出しそうな手に力を入れる。震えて止まりそうな足を引きずる。どうにかして老人は一連の流れを続ける。そしてついに——

(⋯⋯行ったか?)

 ——迫り来る魔の手から逃れた。少女が老人から離れていくのだ。

「⋯⋯ふうぅぅ」

 体の力が穴の空いた風船のように萎む。呼吸すら止めていたことに、今になって老人は気づいた。額からは滝のように汗が流れる。痺れる腕で拭うことで生きている、生きながらえらという実感が湧き上がる。

「あの化け物⋯⋯この道を進むということは目指しているのは神国か。となると、アレは覇王国が作ったか⋯⋯?じゃが、あの感じどこかで⋯⋯」

 頭を捻る老人。しかし、すぐに雷に打たれたような衝撃で思い出すと「まずいッ!」と言いながら重たくなった体を勢いよく上げる。
 そして、テキパキとした足取りで茅葺かやき屋根の立派な家に入ると棚の奥から一つの箱を取り出した。

「もし⋯⋯もし、儂が間違っていなければ、あの化け物は⋯⋯あの化け物が——」

 箱に入っていたのは白と青を基調とした神官服。
 過度な装飾はないが、袖や襟には細かい金刺繍が施されている。そして、生地の滑らかさは人肌のようで、長らく着ていなかったとは思わせないほどに状態がいい。

「——勇者の呪いの元凶じゃ!」

 バサリと神官服のマントを羽ばたかせた老人——神国【元枢機卿】クロウェル・キャバレッジ卿は使命感に燃えながら出立した。
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