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14話・ミランダの罪

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 病気も全快しルイスが仕事へ復帰した数日後、彼は部屋へ帰って来るなり上着を脱ぎながら口を開いた。

「今日の夜、行けるよね」

 ―――きた。

 私は奥歯をぎゅっと噛み締めた。首を長くして待ちに待ったミランダ様との面会日だ。

 陛下たちには内密にミランダ様の居場所を特定して会いに行くなんてルイスの協力がなければできなかった。ルイスには感謝してもしきれない。

「うん。本当にありがとう・・・助けてくれて」
「お礼は全部終わった後に纏めてもらうからいいよ」

 えげつない請求が来そうで怖いんだけど。

「寝静まった時間に行くから冷えないように上着を用意しておいて」
「わかったわ」

 私はクローゼットの奥に仕舞っていたグレスデンの防寒着を思い出して確認する。内側にファーの付いたローブはこの時期のドローシアでは暑すぎるけれど、夜間で目的地が地下牢のような寒々しい場所だったならこれくらい暖かい方がいいかもしれない。

「絶対に他言しないようにね。態度に出ないように」
「わかってるわ」
「侍女にもだよ」
「もちろん」

 私は何度もルイスに向かって首を縦に振り、今夜に向けて気合いを入れた。
















 そろそろ侍女たちも眠ってしまっただろうという時間帯。今夜の月は眩しいくらいに輝いて廊下は松明が要らないほど明るかった。

 ルイスと二人、物音を立てないようにこっそりと部屋を出る。ルイスによると衛兵には手を回しているとのことで、彼らは私たちの姿が見えていないフリをしてくれた。誰にも声を掛けられることもなくただ無言で進むルイスの後をついて行く。

 どうしよう、緊張してきた。ミランダ様に何を言われるのかと思うと痛いくらいにぎゅっと小さくなる心臓。静かにしなきゃという緊張感からか普通に息をするのも難しく感じて、私はひたすら前を歩くルイスの足元を見つめ続けた。

 そしてどれくらい歩いただろうか、体感時間は狂っていてわからなかったけれど、いつの間にかそれらしき場所に到着していた。一方が鉄格子状になっている部屋が乱立しているゾーンに入り、罪人を収容する場所だと一目で分かる。

 見た感じではそれほど酷い場所じゃない。ベッドやテーブルと椅子が置かれており、人目に晒されないよう衝立で仕切られたお手洗いまで用意されていて、鉄格子こそあれど普通の暮らしができる清潔な部屋だ。
 なんならグレスデンの庶民よりも良い生活を送っているかもしれない。ドローシアは罪人ですらグレスデンの庶民より上なのだと思うと少し複雑だった。もっと凍えるような風の吹きすさぶ薄暗い場所をイメージしていたから、ミランダ様が酷い暮らしを強いられていないようなのでホッとしたけれど。

「警備の交代の時間があるからあまり長くはいられない。それだけは頭に置いてて」

 ルイスは囁くような小声で言う。許可もなく来たのだから長居は危険だと承知済みだ。

「陛下にバレないかしら・・・」
「バレると思うよ、遅かれ早かれいつかはね。いくら僕でも人の口に戸は立てられない」
「そう」

 ルイス、怒られるんだろうな。

 私は今回の見返りになるようなものを彼に差し出すことができるんだろうか。最近はルイスに頼ってばかりで迷惑をかけることが多いのでちゃんと恩を返すことができるのか不安だ。

 でも、今はその悩みは後。これからミランダ様から私を殺そうとした理由について聞かなきゃいけないんだから。

 私は肺にある全ての空気を吐ききるほど深く呼吸した。何を言われても淡々と真実を聞き出さなければ。とにかく感情的になっては駄目よ、と何度も自分に言い聞かせた。

「こっちだよ」

 牢にはほとんど人の姿はなく警備兵も見当たらなかった。
 ところが奥の角を曲がった所に2人の兵士が居て、さらに突き当りにある重厚な扉を見てピンとくる。他の牢と違う造り、扉に付いている小さな鉄格子の窓―――この奥の部屋にミランダ様が居る。

 覚悟を決めて大股で歩き出したが、警備の兵士たちが私たちの姿を見るなり人差し指を口元へやり、腕で大きくバツ印を作った。

 なんだ?とルイスと顔を見合わせる。

「人が来てます!」

 若い方の男性がすっ飛んで来て耳打ちした言葉に目を丸くする。

 嘘でしょ、ここに来て先客がいるなんて!

 もちろん他に人が来ていることを知らなかった私たちは焦った。しかもこんな場所まで無断で来れる地位のある人なんてそうそう居ない。

「どうしよう・・・!」
「落ち着いて。誰が来てるの?」

 ルイスに縋りついてパニックになる私。しかしルイスはあくまで冷静な様子で兵士に尋ねた。

「ザフセン神官長です」
「えっ・・・やっぱり!」

 ミランダ様と神官には接点なんてなかったはず。やっぱり神官が黒幕なんだわ、と私はすぐに確信した。じゃなければこんな場所までザフセンがわざわざミランダ様を訪ねるなんて考えられない。

「一旦退こう」
「っでも・・・!」

 ここまで来たのに何もできずに帰るなんて嫌だ。ルイスが精一杯頑張って手筈を整えたのに無駄になってしまうし、陛下にバレてしまったら次のチャンスは来ないだろう。

 真実が知りたい。彼女の汚名を晴らすためにも。

 私はルイスの制止を無視して木と金属でできた扉の前に立ち、耳を扉に付けるとようやくザフセンの声が聞こえて来た。よし、ちゃんと言葉も聞き取れるわ。ルイスも諦めたように小さくため息を吐くと、私に習って扉に耳を当てて中の会話を盗み聞きし始めた。

「何度も言いますが、それは貴女には関係ありませんよ。教える義理もありませんしね」
「でもっ・・・、私はここまでやったんですよ!」
「それは貴女自身の所為でしょう?自業自得ってやつです」

 落ち着いたザフセンの声。対してミランダ様は大きな声を上げて強く抗議していた。今の段階では何の話をしているのかわからない。

「しかも失敗するなんて、ハア、ここまで協力して差し上げているというのに使えませんね。もちろん私たちのことは誰にも他言していないと思いますけど」
「言うわけないでしょう」
「でしょうね」

 本当に何の話をしているんだろう。“毒”という単語は一言も出てこない。もっと揉めたり脅されたりしていると思ったけれど、そこまで激しい言い合いもなかった。

「私にこんなことをさせて・・・本当に取り返しがつかないわ」
「バレなきゃ問題なかったんですよ。しかし貴女がしくじったんです。誠に残念ですよ、シンシアが亡き者になればグレスデンとの開戦は待った無しだったのに」

 やっぱり神官の目的はそれか。

 後はミランダ様を助けるための具体的な証言や証拠が欲しい。核心に迫る何かを早く喋って!と心の中で強く祈った。

「・・・」
「ああ、心配いりませんよ。貴女方は丁重に扱いますからね。グレスデンを纏めるには王家の力が必要だから全滅させるつもりはないんです」
「私は貴方を信用なんてしません」
「ですが仕方ないでしょう?私たちの力を借りなければ貴女たちはとっくの昔に終わっていたんですから」
「―――っ!」

 ミランダ様の息を飲むような音が聞こえて、その後は部屋が静寂に包まれる。ザフセンは鼻で嗤って畳みかけるように続けた。

「いいじゃないですか。クラー王妃、邪魔だったんでしょう?人気がありましたからね。側妃として辛い立場だったでしょう。
貴女はクラー王妃が居なくなって清々する、私はグレスデンを掌握できる、立派な共闘関係です」
「邪魔だなんて思ったことは・・・」
「でもじゃないですか」

 一瞬頭が真っ白になる。理解が追い付かなくてザフセンの言葉を何度も頭の中で反芻した。しかし考えている間にもどんどん会話は進んでいって、私はただ一言も聞き漏らさないようにすることで精いっぱいだった。

「貴女がクラー王妃を殺さなければこんなことにはならなかったんですよ。自業自得でしょう。
我々の助けを借りなければ今頃貴女と子どもたちは生きてはいなかったでしょうね。むしろ幸運じゃないですか、私たちという協力者が居たおかげでグレスデンはまだ平和だ」
「その平和を無くそうとしているくせに何を言うんです」
「少しの犠牲で済みますよ。グレスデンはあまりにも・・・ハッ、相手にもならないんでね」

 ミランダ様が殺したって、何。お母様のことを言ってるの?ザフセンがそれを知っているってことは、神官と駆け落ちしたという話は嘘だったの?

 このミランダ様とザフセンの会話は真相を知るには十分だったのに、私は訳が分からなくなって混乱した。足に力が入らなくてその場に崩れ落ちそうになった瞬間、ルイスに手首を掴まれて扉から引き離される。

「逃げるよ!」

 だめよ、まだ聞かなきゃ。だってこのままじゃ・・・。

 抵抗しなきゃって思ったのに身体が言うことを聞かなくて、ただ引きずられるようにしてその場を走り去る。

 部屋へ戻る頃には働かない頭でもだんだん理解できるようになってきて、今まで不思議に思っていたことが急に腑に落ちた。

 ミランダ様がお母様を殺し、その事を神官に知られてしまった。かねてからグレスデンの内政を掌握するためにドローシアに攻め入りたかった神官はミランダ様に協力してお母様が不倫で国外へ逃亡したことにした。神官はミランダ様の弱味を握った形になり、グレスデンと開戦するためにミランダ様を使って私を殺そうとしたのだ。

 お母様が神官と駆け落ちしたと聞いたときから燻っていたモヤモヤが、ようやくパズルのピースがすべて埋まったかのようにスッキリとした。はっきりと何が起こったのか確信できて、私は今までに起こったことを思い返す。

 本当は変だと思っていたの。誰よりも国を愛していたあのお母様が男のために国と家族を捨てるだなんて。だけど。

「・・・てっきり幸せになったものかと―――」

 そう信じていたかったのに。もう、この世にはいなかったなんて。

 ルイスは何も言わない。私は熱くなった目頭を押さえてルイスの方へ振り向いた。

「ちょっと一発殴ってくれない?」
「どうした、急に」
「泣きそうなの」

 早く、と急かしてもルイスは困ったように眉を八の字にして動かない。

「普通に泣けばいいと思うよ」
「ザフセンに泣かされるくらいなら死んだ方がマシよ」

 「うーん、参ったな」と言いながら部屋をうろつき始めるルイス。何やってるんだろうと不思議に思っていたら、ベッドから布団を持ってきて私の身体に巻き付け始めた。更にその上にひざ掛けやらコートやらを雪だるま式にどんどん被せられ、私は重さと息苦しさとルイスの奇行に困惑する。

「ほら、これなら泣いたことにはならないよ」

 どういうこと?と混乱していたが、真っ暗闇の中だと妙な緊張感が消えていく気がする。ルイスは誰も見てないから泣いても大丈夫だって言いたかったのかもしれない。

 私は色々な布を巻きつけられてだるま状になったまま、しばらくそこから動かずにお母様のことを想い続けた。




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