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9話・神官の思惑
(1)
しおりを挟むザフセンの誘いに乗るべきか否か。―――私の答えは一択だ。
舞踏会の翌朝、起きて朝食をいただいた後に地図を膝の上で広げる。ドローシアの城は非常に広大ではあるが決して造りは複雑じゃない。小鳥ちゃんたちの言っていた神官庁とやらの位置はすぐにわかった。敷地内の最奥にある、一部だけ本城と廊下が繋がっているのみでほとんどが独立している六角形の建物。
「何見てるの?」
先ほど起きて顔を洗いに行っていたルイスが戻って来た。さっきまでは大欠伸で半分眠っているような状態だったのに、今はシャキッと白いシャツを着こなした普段通りの姿に戻っている。
「ちょっと・・・地図を」
ルイスは訝しげに私の手元を覗き見た。
「地図?城の?何か気になるの?」
「ええ、まあ」
私は考え込んだ。ルイスには昨日のことを話すべきだろうか。
私はまだ彼を完全には信用してはいない。何を考えているのかわからないので私の手に負えるタイプの人ではないのは確かだ。
だけどルイスはなんだかんだでいつも私のことを助けてくれるし、何か特別酷いことをされてはいない。むしろ助けてもらっていることの方が多い。口は悪くて苛つくことも多々あるが所詮は口だけ。今のところ実害はない・・・と思う。
「ちょっと神官庁に行こうと思って」
「は?」
ルイスの顔つきと声色が変わった。彼の豹変っぷりに驚いた私は身構える。
「だって・・・ザフセンが私に来いって言ったんだもの」
「ダメだよ。神官庁は絶対ダメ」
ピシャリ、と言い切るルイス。
なによ、味方してくれると思ったから勇気を出して打ち明けたのに。全く予想外の反応に私は慌てて彼を説得する。
「お母様のこと知りたいの。ザフセンは何か知っている口ぶりだったわ。どうしても行きたいのよ」
「それ騙されてるだけだよ」
「簡単に口を割るような人じゃないってことくらいわかってるわ。でも何か分かるかもしれないのに何もしないなんてあり得ない」
素直に教えてもらえると思っているほど私の頭は目出度めでたくない。ただ、ひと欠けらのヒントでもいい。何か得られるものがあるのなら行く価値はある。
「絶対にダメ。あらぬ罪を着せられて投獄されるのが目に見えてる」
「それはルイスの目が腐ってるんでしょ」
「敵の本拠地にのこのこ現れるなんてバカのやることだ」
「いいわよ、バカでも」
いっつも私に向かってバカって言ってるじゃない。今更だわ。
「聞き分けろよ!お前、自分の立場分かってる!?」
ルイスが大声を上げたので私も負けじと声を大きくする。
「わかってるわよ!ド田舎の貧しい国の姫で何の力も持ってないって!だから私にはみんな何も教えてくれないし頼ってもくれない!何もできないから!」
だけど私はよちよち歩きの赤ん坊ではない。生涯グレスデンのために尽くすと誓った王家の人間だ。目も耳も手足も心も、全て国に捧げている身なのだ。ちょっとやそっとの危険に怯えて何もできない臆病者になるなんて許されるものか。
「絶対許さないからな!」
「あんたの許可なんて結構よ!」
「力づくでも止める!」
「上等よ!受けてたつわ!」
そこからはガチの取っ組み合いだった。私はルイスの襟首を掴んで、ルイスは私の腕を掴む。
そして力比べの勝敗はあっという間に決まった。両腕をがっちりと掴まれ動かせない私は身を捩って必死に抵抗する。
「離しなさいよ!」
「お前がちゃんと話を聞くまで離さない!」
「説教なんていらないわ!協力するつもりがないなら引っ込んでて!」
「暴れるなよ!まずは話を聞けって言ってるだろ!?」
「だからそういうのいらない!迷惑なのっ!」
私は思いっきり頭を後に反らすとルイスの額めがけて突っ込んだ。
―――ゴンッ
重い音を立てたルイスの額と私の頭。あまりの痛みに彼は額を抑えてその場に膝をつき丸くなる。声も出ないらしい。一方、私もかなりの痛みに目に涙が浮かんだが我慢できないほどじゃなかった。
「あんたなんて、大っ嫌いよ!」
精一杯の捨て台詞を吐いて私は部屋から飛び出す。目指すのはもちろん、城の最奥だ。
地図を置いてきたためたどり着くまで少し迷ってしまった。しかし着いてしまえばこちらのもの、辺りには誰も居ないので侵入するのは拍子抜けするくらいに簡単だった。
堂々と腰高の窓を乗り越えた私は辺りを見回す。本当は入り口から入りたかったのだけど扉のようなものが見当たらなかった。この間警備兵に出会した本城と繋がっている場所もここからだとよく確認できなかったので、お行儀は悪いけど窓から失礼することに。
外観だけではなく内装も全て白で統一されているため不思議な雰囲気があり、人の気配がないために自分の心臓の音が聞こえそうなほど静まり返っていた。
変わった所ね。そんな呑気な感想を抱きながらも、私は神官から話を聞く気満々で廊下を歩き始める。とりあえず最初に出会った人にザフセンを呼んで来てもらわなければ。その前に少しでも話を盗み聞きできたらいいのだけど。
廊下、廊下、廊下。歩いても歩いても人は全く見当たらない。それどころかまともな部屋にすらたどり着けない。不安になりながら先へ進むと、5分ほど経った頃だろうか、ようやく人の気配を察知して足を止めた。
「―――サイラス王国は儀式を簡略化しようとしているらしいな」
「ああ、聞いたよ。このままじゃ神の権威にヒビが入る。誰も彼も何故神を敬わないんだか」
「おかげでザフセン神官長の機嫌は更に急降下だ」
「怖い怖い」
ザフセンという聞き覚えのある名前にピクリと肩が動いた。廊下の奥から聞こえてくる声は2人。まだ私の存在に気付いていないらしく、ペラペラと喋り続ける。
「この間失態した部下を一人を首にしたと聞いたが」
「ヘンリックか。仕方ないさ、あれは処分せざるを得ない」
「何やらかしたんだ?」
「シンシア王女の件で・・・」
「ああ、あれか」
突然始まった私の話題。タイミングよく居合わせた幸運に感謝し、さらに彼らからは見えづらい位置で小さくなり息を潜める。ここからは絶対に聞き逃したらいけない。中途半端に終わったこの間の二の舞にはなるまいと必死に聞き耳を立てた。
「仕方ないさ。三度も失敗すれば」
「ああ。オリヴィアのスカートの件に、新聞の記事の件は全くの不発。おまけに毒殺も失敗してはな」
「え?」
バッと両手で口を押える。しまった、思わず声を出してしまった。
毒殺って何?それにオリヴィアさんのスカートのことも神官が関わっていたの?いや、今はそれよりも毒殺の件だ。これでもドローシアの正式な客人で王子の恋人だから、命を狙われるなんて想定していなかった。
でも私は自分がドローシアで殺された場合のことを想像した。グレスデンの国民はクラー王妃だけでなく私の命も奪われたという怒りで更に収拾はつかなくなるだろう。そうすれば神官の望み通りドローシアとの戦争がはじまり、負けて自治権を奪われたグレスデンはドローシアに支配されることになる。
神官にとっては完璧なシナリオだ。
「・・・誰かいるのか?」
静かすぎるこの場では私の小さな声も聞こえてしまったらしい。こちらに近づいてくる足音を聞いて隠れる場所がなかった私は身を隠すのを諦めた。立ち上がって全力で走り出すと後ろから声が聞こえてくる。
「おい!誰かいるぞ!」
やっぱり見つかってしまったか。
すぐにでも外へ出たいのに廊下の窓は全て嵌め殺しで出ようにも出られない。しかも部屋がないので私はひたすら廊下を走る羽目になった。後ろから追いかけてくる足音に恐怖しながら慌てて外へ繋がっていそうな場所を探す。
入って来た所まで戻るしかないのに、来た道を思い出す余裕もなく私は思いの向くままに走り続けた。そうしている間にもだんだん人の声が増え、足音が増え、追い詰められていく。走り続けて息も上がり始める。
「その女を捕まえろ!」
どうしよう!
反省なんてする余裕はない。ゴールの見えない白一辺倒の道をただ突き進んだ。
しかしずっと逃げ続けることはできない。建物の造りを知っている神官たちはいつの間にか先回りしたらしく、2方向から同時にこちらへ向かって走って来たのだ。
神官たちの手にある剣を見て額から嫌な汗が流れる。―――もう戦うしかないのか。
「シンシア!」
思わぬ方角から私を呼ぶ声が聞こえて驚いた。声の主は嵌め殺しにされた窓の向こう側から、私を見てこちらに駆け寄って来た。
「ルイス!?無理よ!この窓開けられないの!」
ガラスの向こう側にも聞こえるように大声で言ったが、ルイスは構わずこちらへ一直線に駆け寄ってきて、あろうことか、剣の鞘を振りかぶってガラスに思い切り叩きつける。
―――ガッシャーン!!
当然ガラスは派手な音を立てて飛び散り、大きく開いた穴からルイスがこちらへ入ってくる。もう神官たちはすぐ側まで迫っていた。
「逃がすな!絶対に逃がすな!」
ピシューっと変な音が聞こえたかと思えば視界はあっという間に白い霧で覆われる。鼻の奥がツーンとして痛みが走り、同時に目が染みてまともに目を開けられなくなった。
「なにこれ!いたっ」
グイッと私の手首を乱暴に掴まれて引き寄せられたかと思えば、ルイスが割った窓に向かって身体が投げ飛ばされるかのように思い切り飛んだ。同時にパーン!!と鼓膜が破けそうなほど大きな破裂音が鳴り響き、訳がわからないうちに私の身体は地面に叩きつけられる。
何が起こったのかわからないまま荒い息をしながら身体を起こすと、目の前には神官たちが、そしてその向かい側に衛兵の人たちが居て私は囲まれていた。ルイスの騎士のフィズさんも居る。
「引き渡してもらう!」
「いいえ、それはできかねます」
両者は敵意剥き出しで言い争っていて、混乱した私はルイスに助けを求めて話しかけた。
「ねえ、ルイス・・・」
しかし、私の下敷きになるようにして横たわっているルイスは起き上がらない。それどころか・・・目を開けない。
「ルイス!?」
バシバシ頬を叩いてもルイスはピクリとも動かなかった。
「ルイス!ねえ!」
どうしよう・・・!
全身から血の気が引いていく。もし、息が無かったらと最悪なことを考えて、恐怖のあまり私はルイスの心臓の音を確認することができなかった。ただ彼の肩を掴んで揺すりながら話しかけ続ける。
「ごめんなさい!私が全部悪かったわ!だから早く起きていつもみたいにバカって言ってよ!」
怖い。ルイスが目を開けないのが怖い。どうしよう、私の所為でルイスが・・・―――。
「落ち着いて下さい」
フィズさんに話しかけられて、初めて私はルイスから目を離して上を向いた。フィズさんはあくまでも落ち着いていて、片膝をついて私と同じ目の高さまで屈む。
「ただの衝撃弾です。命に別状はありません」
「・・・ほんと?」
「気絶しているだけです」
「そう・・・気絶・・・」
私は安堵のあまり震えながら息を吐き出した。
しかし危機的な状況が解決したわけではない。神官たちは怒り心頭で声を張り上げる。
「こいつは侵入者だ!何がなんでも引き渡してもらう!」
「いいえ、ここは神官庁の外です」
「罰を受けるべきだ!」
「ええ。ですがここは神官庁の外。あなた方に裁量権はありません。こちらでしかるべき措置を行います」
神官はギリギリと歯ぎしりが聞こえてきそうなほど奥歯を噛み締めていた。フィズさんの方が言い勝ったらしい。
私は再びほっとしてルイスを見下ろす。もちろん彼に意識はなく、目は固く閉じられたまま。
「処置できる場所まで運びますね」
フィズさんから掛けられた声に私は頷いた。
「あなたも・・・目をやられているようです。医者に見せましょう」
「はい・・・」
そう言えばまだ目が痛い。薬剤でもかけられたかのように目の奥から鼻の奥までツーンとした刺激がある。
ルイスは兵士数人で抱えあげられ運ばれ始めると、私も慌てて立ち上がって彼らの後を追った。
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