レイラ王女は結婚したい

伊川有子

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十一話・夢の終わり

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 関所を出発し馬車に揺られること1時間、レイラはずっと膝を立てながら両手で持っている指輪を眺め続けていた。穴が空くほど見つめ続けて、やがてはフィズも呆れるほど。

「本体ほったらかしじゃないですか」
「はは、まあレイラらしいよな」

 よほど嬉しかったのか指輪に夢中のレイラ。そしてお決まりのごとく何かに夢中なレイラは周りの声が一切聞こえない。おかげで本人(おれ)が狭い馬車の中で目の間にいるというのに眼中になし。

 ずっと持っていたなんて気持ち悪がられても仕方ないと思っていたから、捨てることもできず持ち歩いていたあの指輪は一生レイラに見せるつもりがなかった。だけどこんなに喜んでもらえるなら渡せてよかったと心の底から思う。

 想いが通じたというのに放置されている俺が忍びないのか、フィズは気が重そうにため息を吐く。

「はあ、明らかに邪魔だろうと思って同乗は嫌だったんですけど、今は別の意味でいたたまれないです」
「ははは」

 俺は十分すぎるくらい幸せなんだけどな。指輪を見つめるレイラは少し頬を染めて、幸せそうで。

「ほら、それに首が固定されてちょうどいいと思わないか?」
「まあ固定具としては優秀ですね」

 レイラの首の傷は浅く縫わずに済んだが、早く治すためにも動かさない方がいい。指輪を見つめたまま動かないのは好都合だった。

 結局あの後フランシスはすべてを自白した。レイラに会うために幽霊騒動を意図的に起こしたことも、ヘレンを使って俺をレイラから遠ざけようとしたことも。
 そしてフランシスは思っていたよりずっと馬鹿な人だった。あの指輪はお前のじゃないよと伝えるまで自分が贈った指輪をレイラが大切にし続けていたと信じていたんだから。俺はあの時はっきりとレイラを見つめながら『どれだけ愛していたかわかるか』って言ったのに。

 フランシスのものに比べたらずっとお粗末な指輪だけど、彼女の言葉を聞いた後でそれを出すのに迷いはなかった。愛を伝えるのにも。まさかレイラに好きだと言ってもらえるなんて。

「はあ、幸せで酔いそう」
「へー」

 やっぱり別の馬車がよかった、なんてフィズは真顔で遠くを見つめだす。

「城に着くまでやることないし、レイラの可愛いとこ交互に挙げてくか」
「すみませーん。やっぱり乗り換えますので停めてもらえますか」
「席空いてないんだから諦めなって」
「馬上でも屋根の上でも構いませんので」
「んな無茶な」

 レイラが指輪を見つめる姿を見ながらフィズのあまりの嫌がり様に笑う。
 こんな幸せが待っているのだと過去の自分に教えたらきっとすごく驚くんだろう。信じないかもしれないな。

 頬の筋肉がだらしなくも緩み、城に帰るまでずっとレイラを眺め続けた。
















 城から戻った父様と母様たちに報告すると、部屋はシーンとしてなんだか空気が重かった。あれ?思ってた反応と違う。もっと笑顔全開で祝福されると思ってたのに。

「お前ら、やっとか」

 いの一番に口を開いた父様は眉間に皺を寄せて頭を抱えている。

「え?やっとって?」
「こっちはずーっとやきもきしながら待ってたんだからな!遅すぎ!」

 母様まで。
 私は首を傾げた。確かに剣技大会からは少し経ってるけど、皆が呆れるほどは遅くないんだと思うんだけど。

 母様は大きくため息を吐くと「仕方ない奴だな」と笑って言った。

「まあとにかくおめでとう。結局回り回って最初のとこに行きついたって感じだな」
「最初のとこって?」
「だってお前、昔はゼンと結婚するーってずっと言ってただろ?最初のとこ戻って来てんじゃん」

 は?

 ゼンと結婚する、ってなにそれ。私が言ってたの?
 ゼンの方を見れば彼は光の速さでそっぽを向いた。父様と見れば頷き、アルを見れば頷き、シルヴィオを見れば頷き、議長を見れば頷き、宰相を見れば頷き・・・・。

「うそ、うそ、うそおおおお!?」

 私そんなこと言ってたの?脳みそ捻ってよくよく思い出してみればそんなこと言っていたような気も・・・!しないこともないけど!

「なんで!?なんで言ってくれなかったの!?」

 しかも忘れてたの私だけ!?

「日頃の行いだな」

 父様ひどい。

 目でゼンに訴えれば彼は苦笑しながら私の頭の上に手を乗せた。

「まあ、昔のことだからな」
「うわぁ、本当なのね・・・。
ほんと、ほんとごめんなさい」

 ゼンはもちろん覚えているんだろうな。プロポーズよりも先に婚約指輪を用意するだなんて変だなと思ってたけど、まさか既に約束してただなんて。

 私、ほんとにとんでもないことを・・・。
 全身からサーッと血の気が引いていった。

「子どもの口約束だから。書面に残したわけでも仲介人を立てたわけでもない。レイラは悪くないよ」
「ゼンはレイラを甘やかしすぎなんだよー。少しくらい怒っていいんだぞ?」

 母様からのクレームに一同は深く頷いた。

「そうよ、怒っていいわよ、ゼン!」

 忘れた私が悪いんだからと彼の方に向き直れば、ゼンは少し考え込んだ後私の額を軽く指で弾いた。デコピンとも言えないくらいのそれはペチョと情けなくも可愛らしい音を立てる。

 そんなんじゃなくて!もっとガッと!

「いいのよ遠慮しないで!痛くしても大丈夫!」
「でもなあ・・・」
「痛くていいの!」

 今まであなたにした仕打ちに比べたらこんなもの、本来なら刺されても仕方ないくらいのことをしたのに。
 ゼンはいつも通り微笑んでいるけど私が納得できない。

「無理しなくても」
「無理じゃないわ。ちゃんとして」
「うーん・・・。じゃあいくよ?」

 パコン

 今度のデコピンはさっきのよりほんの少しだけ痛かった。ほんの少しだけ。ジンジンする額を両手で押さえて蹲る。

「ご、ごめん、ちょっと力加減が難しくて・・・」
「・・・大丈夫っ」
「涙目になってるじゃないか。やっぱり痛かったよな、ごめん」

 焦った様子で額を抑えた私の手の上から何度も擦ってくるゼン。

「ねえ、猥談に聞こえたのあたしだけ?」
「お前だけだろうな」
「イチャついてるのはわかりますけどねー」

 もう母様ったらまた好き勝手言ってるし。なんだか恥ずかしくなってきた。

「ううぅ、とにかくそういうことだからもう部屋に戻らせてもらうわ」

 皆からのニヤニヤ顔に居たたまれなくなり、私は逃げるように部屋から出て自室へと向かった。城に着いて早々仕事の山を片付けていた私はすぐにソファに座って脚を伸ばす。

 やっぱり自分の部屋が最高。

 ダラッとしてくつろいでいると遅れてやってきたゼンが私の真隣に座った。ゼンが至近距離にいる緊張から私は背筋を正すと、彼の差し出してきたものを見て目を丸くする。

「これ、箱だけなんだけど」
「指輪の?」
「うん」

 ゼンがくれたのは貰った婚約指輪の箱。白くてツヤツヤのそれは開くと指輪を置く台座があった。

 よかった、裸のままだと失くしそうで怖かったから。さっそく指輪を台座にはめると箱を両手の平に乗せて眺めた。
 綺麗だな、ゼンが私のために用意してくれた指輪。見ているだけでじーんと心の奥底が暖かくなるような不思議な幸福感に包まれる。それがたまらなくって目が離せない。あのゼンがどんな風にこの指輪を選んでくれたんだろうとか、どんな風に買ったんだろうとか、ずっと頭の中で想像してしまう。
 しかも10年もの間ずっと捨てずに持っていてくれたのだから、この指輪はまるでゼンの私への愛の証のようなものだ。

 侍女たちがお茶の用意をする音を聞きつつ指輪に夢中になっていると、突然髪の毛に違和感を覚えて意識がゼンへと移った。彼は私が指輪を眺めている横で私の髪の毛を一房手に取りいじり始める。

「――っ」

 ゼンにこんなことされるだなんて思わなくって、私は身体にぎゅっと力を込めて出そうになった声を押し殺す。髪だから感触はないけどゼンに触られていると思うだけで顔がカーッと熱くなった。控えている侍女たちはクスクス笑っているし恥ずかしくて堪らない。

「ゼン・・・」

 咎めるように名を呼んでも彼は髪をいじるのに夢中で「んー?」と聞く気があるのかないのかよくわからない返事。

「恥ずかしいんだけど・・・」
「そっか」

 やっぱり適当な返事。
 どうしよう、と困っていると侍女たちがクスクス笑いながら部屋から出て行ってしまった。気を利かせてくれたのはわかるんだけど、部屋には2人きりになってしまいもっと「どうしよう」な状態に。

 チラッとゼンを見れば彼は私の視線に気づいた途端に口角を上げる。

「やっとこっち見た」
「・・・うん」
「気に入ってもらえて嬉しいけど、指輪と入れ替わりたいくらい熱く見つめてたから」
 
 入れ替わりたい・・・って、み、見つめてほしいってこと?

 もう一度チラッと盗み見るように視線だけでゼンを見たけどすぐに逸らしてしまった。顔が融解しそうなくらい熱くて心臓は今にも口から飛び出そう。こんなんじゃゼンを見つめるなんて無理すぎる。

「レイラ」

 ゼンが私の名前を呼ぶのを今まで何度聞いただろう。
 呼ばれてしまえば自然の顔が向いてしまう。身体が勝手に反応する。

「レイラ」

 琥珀色の瞳に囚われた。

「・・・はい」
「はは、顔真っ赤だな」

 ゼンが笑うから私も思わず笑ってしまう。やっぱりゼンにも分かるくらい顔が赤くなってしまってたのね。

「へ、平気になるよう頑張るわ」

 2人きりだろうがイチャつこうがゼンが満足できるくらいの女性になりたい。こんなモジモジしたポンコツではなく。

 ゼンは少しだけ眉尻を下げて笑った。

「そのままでいいって言っただろ?レイラはレイラなんだから。
良いところも悪いところも全部受け入れてくれる奴と結婚できるって、前に言ったじゃないか」
「叶ったわね」
「叶ったな」

 ちゅっと右手の甲にキスされて再び全身がカチカチになる。手の甲なんて挨拶でキスをされることもあるのに、ゼンのキスは私にとって全く別物。関所でしたことを思い出し更に顔が赤くなってしまった。

「あ、でもこんなに赤いと熱出した時気づけないな」

 それは困るって言いながらゼンは笑う。

「うん。顔あっつい」
「俺も」
「・・・嘘」

 ゼンを見ても顔が赤いどころかいつも通りで変わりはない。

「俺、あんまり顔に出ないみたいだな」

 ほら、と掴んでいた私の右手を自分の頬にピタリとつけるゼン。どうしよう、頬っぺた触っちゃった。離そうにも右手はしっかりゼンに掴まれていて動かせない。

「うーん、わかんない」

 だって私が既に熱いんだし計り様がないでしょ、と言うとゼンも気づいて笑った。

「それもそうか」
「・・・手、放してくれないの?」
「ん、もうちょっとだけ」

 私の手が頬に触れているのをいいことにゼンは私の手の平に頬擦りしてきた。恥ずかしくて戸惑ったけど、その様子が甘えてくる猫みたいで可愛くてきゅんとする。

 その時頭の中でシージーと母様が『心と股を大きく開け!』の大合唱を始めた。うるさいなあ、いくらなんでもできることとできないことがある。ゼン相手にそんなこと・・・無理無理!想像しただけでも無理!

「どうした?」
「・・・なんでもない」

 さすがに股を開くのは無理だけど、ゼンには謝ってばかりでまだお礼を言ってなかったんだっけ。

「ゼン、ありがとう」

 彼に支えてもらったから今の私がある。全部ゼンのお陰だ。

 ゼンは少し目を大きくした後、「どういたしまして」と言ってくれた。その優しい声色に嬉しくなって少しだけ勇気を出してみる。ゼンの方へ座ったままジリジリとにじり寄り、ぴったりと密着するほど近づいた後ゼンの顔を見上げる。

 彼は何をするでもなくただジッと私の顔を見下ろしていた。すると掴んでいた私の手を解放して今度はゼンの手が私の頬を撫で始める。何度も人差し指で優しく撫でられて、私はそのくすぐったさに目を細めて彼の服の裾を掴んだ。
 次に頬から離れた手が私の顎を掴み親指で唇を撫で始める。これはくすぐったいと言うよりも恥ずかしい。

「レイラ、愛してる」
「わっ、たしも・・・」

 溶けてしまいそうなほど甘い声にヒィって情けない声が出そうだったけど耐え抜いた。おかしかったのか嬉しかったのか、ゼンは喉を鳴らして小さく笑う。

「夢を見てるみたいだ」

 夢って、ゼンもそんな風に思うものなのね。

 顎を上に持ち上げられて、優しく押し当てるだけのキスをされる。すぐに離れたけど唇にはしっかりゼンの感触があって鼓動の速さはピークに達した。

「夢じゃない。夢を見るのはもう止めたもの」

 吐息すら甘い、熱い。繰り返し唇を押し当てられて息の仕方を忘れそうになる。目を閉じれば後頭部にゼンの手が周りもっと深く食まれるようなキス。
 彼の服を握っていた手に力を込めると、ゆっくりとゼンは離れて行った。

「・・・だけど、現実が夢よりもっと幸せだなんて思わなかったわ」
「じゃあもっと幸せになろうか。二人で」
「うん」

 手を握って、額を合わせて、幸せを分かち合う。ずっとずっと。







おしまい
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