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六話・レイラの脅迫
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しおりを挟む執務室は人の出入りが多いが今日は締め日なので何時にも増して慌ただしかった。ドアが開いたり閉じたりでドッタンバッタンと喧しく、集中できないのでドアはやがて開けっ放しの状態に。
「こちら人事はどういたしますか」
「素行調査はどうなったの?報告書まだもらってないわ」
「申し訳ありません、すぐに」
「レイラ王女、サインをいただきたいのですが」
てんてこ舞いになりながらひとつひとつこなしていると、ひときわ喧しいのが部屋の中へ飛び込んで来た。
「レイラー!」
シージーだ。城に来るには珍しく簡易な普段着で息を切らしながら私に詰め寄る。
「ちょっと!ちょっと!どういうことなの!?」
「シージー、悪いけど今忙しいのよ」
「仕事なんて後回しにしなさい!」
えー、と文句を言ったのにフィズは勝手に人を部屋の外へ追いやってしまった。
ちょっと何を勝手なことしてるの。
フィズに不満顔を向けると、彼は無表情のまま淡々と頭を下げる。
「少し休憩された方がよろしいかと。すぐに召し上がれるものをご用意しますので何か胃にいれてください」
そして部屋から出ていくと外側から鍵をかけられた。時計の針を見ればいつの間にか夕方になっていて、昼食を食べ損なったことに今やっと気がついた。バタバタしてたから時計を見ることすら忘れていたらしい。
顔を真っ赤にしたシージーは鼻息荒く、勢いよくテーブルに両手をついて大声を上げる。
「どういうこと!?剣技大会で優勝者と結婚するなんて頭湧いてんじゃないの!?」
さすがシージーだ。王女に向かってここまでド直球で言える人は中々いない。
「湧いてんじゃないわよ。熟慮した上で決めたの」
「いくらゼン様に振られたからって・・・」
「振られたって言わないで」
それ本気で傷つくから。
早く仕事を片付けたいけど仕方ないか、シージーは納得するまでここを出て行ってはくれなさそう。
私は観念するとペンを置いて話し始めた。
「あのねシージー、広く公募したらもしかしたらゼンの耳にも届くかもしれないわ。そして万が一私に気持ちが残っているなら来てくれるかもしれない」
「来たところで他の男と結婚することになるかもよ!?」
「そこはいったん置いといて」
どうどう、と鼻息の荒い彼女を宥める。
「もうゼンは絶対に私に会いに来てくれないわ。私も彼に会いに行く資格ない。だからこんな方法しか思いつかなかったの」
「会うためにここまで?」
「そうしなきゃいけないのよ」
卑怯なのはわかってる。例え私に気持ちが残っていなくても、理想を捨てて好きでもない男と結婚せざるを得ない私にゼンは罪悪感を抱くだろう。そしたらもしかしたら来てくれるかもしれないじゃない。
罪悪感でも同情でもなんでもいい。彼が会いに来てくれるなら。
「ゼン様、怒ると思う」
「そうかもね。もしくは呆れるかも」
「捨て身が過ぎない?」
「ううん」
ゼンを失った時点でもう結果は同じ。私は一生理想の結婚はできないししようとも思えない。
「これが最後の賭けよ」
賭けるのは私の今後の人生、そこまでしてようやく彼と対等に取引する権利が得られる。ゼンが会いに来てくれれば私の望みは叶い、ゼンが無視すればそれで全てが終わり。
だってゼンは私の所為で罪を犯し全てを失った。私だけなんのリスクも負わないなんてフェアじゃないから。
シージーは大きなため息を吐いて項垂れる。
「そんな、あんた、何でも持っててなんでもできるのに、そんな恵まれて生まれて来た子がなんでこんなことに・・・」
「シージーが悲しむことないのよ」
全て自業自得なの。今まで経験した恋愛は私の為の恋だった。今となってはあれが恋と呼ぶのかどうかも疑わしいほど自分勝手で、夢の中にある理想を叶えるためだけの恋。幸せな結婚を夢見るあまり私は相手と向き合うことも深く考えることもしなかった。
ゼンの言う通りだ。フランシスは不誠実で家庭を守るような人ではないから、結婚した後喧嘩ばかりするのが目に見えていた。
オリヴァーは婿に入ったとしても王家の人間として暮らすのは無理だっただろう。私が市井で暮らすにも安全面で難しく子育てなんて論外。彼に家族を守る器は無かった。
パトリックの国は一夫多妻も珍しくない文化、それに彼は第二王子だから私が嫁ぐことで王位継承争いを起こすことになっただろう。そうなれば野心家のパトリックのことだから、望まずとも私を政治の駒にしていたはず。
「ゼンはちゃんと教えてくれてたのに私が聞く耳を持たなかったから・・・」
気づくタイミングはいくらでもあったはず。寝ている私ににキスしてきた時なんて、あやふやにせずもっとゼンの話を聞くべきだった。そうしたらゼンは気持ちを打ち明けてくれたかもしれないのに。
馬鹿なことをしていたツケが今回って来ただけ。例え私が好きでもない男の元へ嫁ぐことになってもそれは天罰だ。
「みんな悲しむよ?」
「ええ。親不孝者だって言われたわ」
「陛下たちよく許してくれたわね」
「お願いし続けたら納得はしてくれなかったけどしぶしぶね」
どうしても私を嫁にやりたくないなら父様が勝てばいいでしょ、と根気強く言い続けて1か月近くかかってしまった。公示されてから大会まで二か月もないからやることが多くて今はとにかく忙しい。特に引き継ぎ業務が複雑で手を焼いている。
コンコン、とノック音と共に侍女が頭を下げて入室した。
カチャカチャと鳴る食器の音に私は目の前に散乱していた資料や書類を纏めて片づける。侍女たちが用意したのはトマトのスープと小さなサンドイッチ、そしてシージーのためのお茶だ。
「私今から食事なの。シージーもお茶していかない?」
「うん、それはいいけど・・・」
彼女は侍女が用意した椅子に座り大きく肩をすくめる。
「なんでこんなことになっちゃったんだろう」
「そうね」
あの時ああしていればって、今からならいくらでも言えるのに。
「ゼンに会いたいわ」
「それは本人に言わなきゃだめよ」
「・・・うん」
言える日は来るだろうか。最後にもう一度ゼンに会わせてほしい。
それを叶えるためには、大会で彼が現れるのを祈るしかなかった。
カーペットの上を一歩一歩進む度足が痺れるような感覚が増していく。周りの視線は痛いほど突き刺さり、俺がここへ戻って来た覚悟を問われているかのよう。
城の慣れ親しんだ気配も今は全く別物だと感じるのは、城ではなく俺自身が余所者になった証拠だろうか。
「こちらへ」
「はい」
先導した衛兵に頭を下げると開かれた扉を前にしてわからないほど小さく深呼吸した。いつ来てもここは身が引き締まる思いをするが今日は特別に緊張する。
「・・・失礼します」
声をかけて大きく一礼。
もう一度深呼吸をすると意を決して部屋の中へと足を踏み入れた。パッと明るくなる視界に目を細めると真正面に待ち構えていた人物に気付いてもう一度礼を取る。
「この度はお時間を頂戴致しまして誠に感謝いたします、陛下」
レイラの父でありこの国の王である陛下。顔の造作は陶芸士も再現できぬほど異次元のレベルで整っており、完璧な文武の才能は天からの恵みだとも言われている歴代きっての賢王だ。彼の自然に発する圧すら常人のものではない。
「あのような罪を犯していながら温情をいただいたのにも関わらず―――」
「ゼン」
その圧力に名を呼ばれただけで心臓が止まりそうだった。制止されればそれ以上続けることもできず続きの言葉を飲み込む。
「はい、陛下」
「ここへ来た理由はわかっている。剣技大会に名乗りを上げるか」
「・・・はい」
やはり陛下は私の行動もお見通しか。
一度息を止めると意を決して話始める。
「勝手に罪を告白し城を去っておきながら今更レイラ王女を望むなど、厚顔無恥にもほどがあると重々承知しております。しかし何もせずにはいられず・・・」
「勝つ気はあるのか」
「レイラ王女を泣かせるような結果にはしたくありません。命に代えてでも」
「勝つ気はあるのかと聞いている」
陛下は眉をしかめてもう一度問うた。
レイラを妻に、そんなとうの昔に諦めたことを今更罪を犯した身で望もうというのか。何度も自分に問いかければ、俺は幼い彼女との約束が果たされる日を心の奥底でずっと待っていたように思う。
婚姻の邪魔をしたのはレイラの幸せのためだという理由を建前にして、結局誰にも彼女を盗られたくないという自分の為にやっていたのかもしれない。だからあの時、レイラがパトリックと婚約破棄をして泥酔し眠った時、彼女に触れたいという思いを抑えきれなかった。
もう伝えることすら許されない身でありながら、俺はレイラに手を出したんだ。心の底では彼女が欲しくて欲しくて堪らなかったから。
「はい。勝ちます」
剣技大会はレイラからの脅迫でありながらレイラがくれた最後のチャンスでもある。退路はない。
何だかんだでレイラは俺のことをよくわかっていると思う。ここまでされては俺が無視できないとわかった上で今回の剣技大会を謀ったんだろう。
陛下はしばらく無言で俺を見つめると、小さく息を吐き出し手で米神を抑えた。
「今回のことはやはりゼンが絡んでいたか。レイラがあのように言い出した時もしかしたらとは思っていたが」
「はい。レイラが優勝者と結婚すると言い出したのはおそらく私の所為かと」
「ずいぶん回りくどいことをする」
「申し訳ありません」
俺の所為で大事な娘が危ない橋を渡ろうというのに陛下は特に怒った様子もなく、ただ先ほどの緊張した様子とは打って変わって脱力しながら言った。
「お前を責めているわけではない。こういうのは双方に責任がある。レイラも悪いんだろう」
「レイラ王女は悪くありません。私が一方的に彼女に好意を・・・」
「いや、あのレイラのことだから何かしたに違いない。まったく誰に似たんだか本当に恋愛下手で困ったものだ」
信用無いなレイラ。
「ただゼンが名乗りを上げるなら少しは俺の気も楽になる。誰にも負けるつもりはないが万が一のことを考えると胃がな・・・」
自分が負けたら娘を嫁にやらなくてはならない陛下のプレッシャーは半端ない。そのご心痛たるや察するに余りある。
「どこの誰かもわからない男に嫁がせるよりゼンに任せたいと思うのは俺の個人的なところだが、レイラもそれを望んでいるならこと更に安心だ。
ちゃんと勝ち上がってこい。でも容赦はしないからな」
「・・・ご贔屓いただき感謝しかありません。ご期待に沿えるよう死力を尽くします」
騎士として陛下の信頼を裏切っていながらレイラを任せたいと望んでいただけるなんて。陛下には本当に感謝しかない。
「ゼン」
「はい」
再び目を見つめられ背筋を正す。
「人生は振り返らねばわからないものだが前を向いてしか進めない。もう迷うなよ」
「―――はい」
恋愛関係になっていつ来るかわからない別れに怯えるのも、罪を理由に差し伸べられたレイラの手を払いのけるのも、先の見えない道に進むことを躊躇する臆病さ故だった。けれどもレイラを手に入れたいと望むなら勇気を出さなければならない。過去を背負いながら暗所だろうと躊躇わず進めるような勇気を。
陛下の言葉は過去の経験や犯した罪に囚われて何もできなかった俺には核心を突いた一言だった。陛下の器の大きさと慧眼に感服する。やはりこの人は凄い方だ。
「もう下がっていい」
「失礼いたします」
深く深く頭を下げて退出する。
安堵のあまり大きく息を吐き出すと、開いた扉に背もたれて腕を組んでいた赤い髪の騎士に気が付いた。彼は陛下付きの専属騎士である俺の父だ。近くに居るだろうとは思っていたがここに居たのか。
「・・・父さん」
「ん、お疲れ」
父も俺とレイラのことは耳にしているだろう。俺は父にも頭を下げて謝る。
「罪を犯して父さんの顔に泥を塗った挙句、このような恥の上塗り行為をして本当に申し訳ありませんでした」
「お前は生真面目だなあ。んなもの気にすんなよ。剣技大会出るんだろ?」
はい、と返事を返すと父はニヤニヤ笑いながら口を開く。
「まあここまでお膳立てしてやったんだからこっちは楽しませてもらうわ。おとぎ話の王子よろしくゼンがレイラ王女を手に入れられるか高みの見物」
「・・・父さん」
またこの人は茶化して。レイラの人生が懸かってるというのに。
「あんま思い詰めんなよ、最悪の結果にはならんさ。それは俺たちがさせない」
「はい」
父がここまで言うからには何か考えがあってのことだろう。レイラの幸せを望んでいるのは俺一人じゃない。
軽く彼に頭を下げると、剣技大会への覚悟を新たにしてその場を去った。
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