レイラ王女は結婚したい

伊川有子

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三話・私の知らないあなた

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 挨拶を済ませて即退場はさすがに失礼だろうと、私はできるだけ人と会わないように距離を置いて思う存分にお酒を楽しむことにした。一番の鬼門だったパトリックとの再会も何事もなく終わり、あとはつつがなく披露宴を過ごして国に帰るだけ。鉛のように沈んでいた気分も今は開放感でいっぱいだ。

 グレスデンの果実酒サイコー。

「姉さん」

 後ろから声をかけられ、傾けていたグラスをテーブルに置いて振り返る。

「ルイス・・・とシンシアも。シンシア、ルイスから聞いたわ。おめでとう」
「ありがとうございます」

 ルイスの妻であるグレスデンの長姫シンシアは、少し顔色は良くないがきっちりとした装いで礼を取った。彼女は決して美人ではないけれど容姿には賢さと父親譲りの意志の強さが現れている、不思議と人目を引く子。ルイスの腕がしっかりと彼女の腰に周り身体を支えている。

「無理しないでちょうだいね。ルイスも心配でしょう」
「シンシアは僕が言っても聞かないからねえ」
「あらまあ、尻に敷かれてるの?」

 そりゃそうか。ルイスはあまり自己主張の強いタイプではないし、逆にシンシアは猪突猛進というか熱血タイプと言うべきか我の強い性格だから必然とそうなる。

 シンシアはクスリと小さく笑った。

「大丈夫ですよ。普段はほとんど休ませてもらってるから今日くらいは部屋から出たくって。気分転換にもなりますし。
ふふ、レイラ様にもお会いしたかったから無理言って出席させてもらったんです」
「私もシンシアに会えて嬉しいわ。しかもお腹に甥か姪がいるんだもの」

 赤ちゃんかあ。あの小さく尊い存在を思い浮かべてジーンとする。そして我が子を抱きしめるルイスとシンシアの姿を想像して、胸が暖かくなるような切なくなるような・・・。もし私が結婚できていたら今頃は自分の子どもを授かっていたんだろうか。

「姉さん?」
「ああ、ごめんなさい。少しぼーっとしていたわ」
「飲みすぎなんじゃない?」
「バレちゃった?」

 無言で見つめてくるゼンの視線がグラスに注ぐ度に鋭くなっていくのは未だに気付いていないフリをする。だって、美味しくってつい。

「お目出度い日に飲むお酒は格別よね」
「姉さんはいっつも飲んでるじゃん。ベロッベロになっていっつもゼンに迷惑かけて」
「い、今はちゃんと悪酔いしないように気を付けてるもの・・・」

 弟に言われるほど酷い有様なのか、私。思い返せば確かにいつのまにか酔い潰れて起きたら朝、だなんてことは良くあったけれど。

 ルイスは苦笑しながら頷く。

「まあ色々あったからね。とにかく、姉さんも無理しないでよね」
「わかってるわよ」
「あと、また変な男に引っかからないでよね」
「・・・はーい」

 実はパトリックに引っかかっちゃいましたー、だなんて心の中で自虐しながら笑った。人に言われるとやっぱり心に刺さるものがある。ルイスはシージーのようにズカズカ言うタイプではないから余計に傷つくわ。

 グラスをぐいっと煽って一気に飲み干した。

「あまり飲まないように気を付けるから気にしないで」
「目の前で一気飲みされてそれ言われても信用できないんだけど・・・」

 はいはい、行った行った、と二人の背中を押して奥へと追い遣る。あなたたちもホスト側なんだから挨拶で忙しいんでしょう。ちゃっちゃと行きなさい。

 ルイスとシンシアがいなくなり、改めてもう一杯とグラスを差し出したがとうとうゼンは注いでくれなくなってしまった。もうちょっとだけだから、と目でゼンに訴えても彼は動く気配なし。

「レイラ王女」

 ぎゃっ、また来た緑頭!

 先ほどしつこく縁談を進めてきたノースロップの男が何食わぬ顔で声をかけてきてげんなりした。せっかく人がいい気分でお酒を飲んでいるのになんで邪魔するのかしら。

「ごきげんよう。さっきお会いしましたけどもね」
「マリア王女のドレス姿、美しゅうございましたね。もちろんレイラ王女の方が更にお美しいですが」
「それは主役に失礼ではないかしら?」
「真実ですから仕方ありませんよ。絶世の美姫の花嫁姿、ぜひ拝見したいものです」

 また結婚話か。もう相手をするのが面倒過ぎて口の端から果実酒が垂れ流しになりそうなんだけど。

「しつこいわね。私は結構だと断っているのだけど」
「しかしレイラ王女も結婚にご興味おありだと聞いております」
「ええ。でも政略結婚には興味ないわ」
「ではぜひうちの次男と会ってください。愛は後から芽生えるかもしれないでしょう?」
「お気遣いは無用よ」
「次男はわが国ではとても人気があるんですよ。レイラ王女と並んでも絵になります。本日レイラ王女がご出席なさると知っていれば連れて参ったのですが・・・」
 
 結構な棘のある言い方をしても少しも引かない男。私はもう説得は無理だと諦め無視してこのまま部屋に戻ることにした。テーブルにグラスを置き早歩きで去ろうとしたものの、男は小走りで追いかけてきて私の行く手を阻む。

 足を止めざるを得なかった私はムッとして彼を睨んだ。

「いくらなんでも失礼が過ぎるんじゃないかしら。そこを退きなさい」
「ぜひ一度会っていただきたいのです。お見合いなどではなく、少しお茶をする程度でも」
「自分の相手は自分で見つけます。余計なお世話はいらないわ」

 祝いの席で揉め事を起こしたくない、それを向こうをもわかっているから更に付け上がって迫ってくる。

「しかしですねえ、ご自分の力で探し出した相手が庶民の上に結婚前に行方を暗ますような男ではねえ」
「―――っ」

 一瞬頭が真っ白になったと同時に、身体が力強く引っ張られて視界が暗転した。

「その言葉、我がドローシアへの侮辱の言葉と捉えさせていただきます」
「ぶっ侮辱!?」

 私の身体はゼンの胸の中にスッポリと覆われていて、上からゼンの声が聞こえていた。驚いて身を捩っても私の腰に回っている腕はびくともしない。

「護衛風情が何を言い出す!お前こそ失礼ではないか!」
「私はドローシア陛下よりレイラ王女の専従騎士に任命された身、主人への冒涜を許すわけには参りませんので」
「冒涜など大袈裟な。私はただだ・・・」

 男は腹部に添えられた銀色の光るものを見て一気に青ざめた。当然私も青ざめた。要人を武器で脅すなんて・・・。

 男は口をぱくぱくさせながら声を出す。

「お前、自分が何を、何をしているのかわかっているのか・・・」
「あなたこそ、ご自分が何をやっているのかわかっていらっしゃいますか。あなたの言う縁談は、ドローシアを敵に回してまでも為さねばならないものですか」

 男は口ももごもごさせると自分が不利な状況を悟って人込みの中へ消えていった。
 ゼンは何も無かったかのようにナイフを懐に仕舞い、私を身体を解放する。

「ゼ、ゼンっ・・・!」

 要人を刃物で脅すようなことをして後でゼンがどんな処分を受けることになるか。いくら人目につかないようにしたとは言え、何かあったと気づいている人たちは何人かいる。会場のど真ん中でやりあったのだから城中の噂になるのは一刻も必要ないほど早いだろう。

「大丈夫だから」

 私は真っ青になっているというのに、ゼンは涼しい顔でいつものように笑う。・・・なによ、文句言おうと思ったのに何も言えなくなったじゃない。

 やり方が強引とは言えど助けられたのは事実。父様たちには向こうが相当な無礼を働いたのだと説得すればお咎めは無しで済むかもしれないけど。
 まったく、無茶をするわね。私は脱力して笑った。

「部屋に戻るわ。・・・助けてくれてありがとう」 
「そんなの当たり前だろ」

 そう、当たり前にゼンは助けてくれる。思い返せばゼンは当たり前に側にいて当たり前に私を守ってくれていた。それは私にとっても当たり前のことで、ずっとずっと昔からゼンは変わらない。

 なのにどうしちゃったんだろう、本当はもう少しゼンの腕の中にいたかったと思うなんて。彼の言動のひとつひとつに心臓を高鳴らせているなんて。


 きっと変わったのは、ゼンじゃなくて私なんだわ。



















 ジャージャー流れる水音も鬱陶しくなり蛇口を閉めた。カーペット張りの化粧室の鏡には青白い顔をして項垂れている情けない私の姿が映し出されてる。

 しまった、飲み過ぎた。

 そんな感想を持つのもこの歳になると数えきれないほど経験したが、今日に限っては心の底から後悔した。まさか会場の中で気分が悪くなり慌てて化粧室に飛び込む羽目になるとは・・・。
 たくさんの人に醜態を見られてしまったため、あとでされるだろう陰口の数々を想像しただけでうんざりした。色々言われるのは慣れているけれど慣れているからって傷つかないわけではない。大きくため息を吐いてもう一度口を濯ぐと、口元をハンカチで拭いて乱れた髪を手で直した。

 心臓の音がまだ耳に響いてる。

 動揺している自分に、また動揺する。ゼンに抱きしめられるなんて日常茶飯事だったのに、今日の私はどうしてしまったんだろう。
 胸に迫ってくるような不安を覚えて誤魔化すようにハンカチを強く握りしめた。

 私、態度おかしくなかったかな。ゼン、変に思ってないといいな。

「レイラ」
「びっ・・・・!」

 びっっっくりしたああああ!

 鏡の端からにょっきりと現れたのはゼンではなく青い髪の持ち主で・・・。心臓がさっきとは違う意味でバクバクと大きく鳴り響く。

「ってかここ女性用の・・・」

 化粧室なんですけど。え?変態なの?

 なんてこの状況では言葉に出て来ず、ただ現れた人物に唖然とした。いくらなんでもこんなところまで会いに来るなんて貴方そんなに行動力のある人だったかしら。

「すまない。ただ、どうしても話しておきたかったんだ。こんな所まで押し掛けて悪いがあの赤い騎士が居ると邪魔されるから」

 ゼン?あなたパトリックは納得して引き下がったとか言わなかった?当の本人はすごく不満ありありの顔してるんですけども。

 文武に秀でる青の貴公子。他国に名を知られるほど有名な元私の恋人は、改めて見ると確かに中性的な美しさのある優れた容姿だった。今は全くときめかないけど。っていうか、ときめくどころか心臓が違う意味でバクバク鳴っている。

 なにこれ修羅場?修羅場ってやつなの?助けてシージー。

 遠く離れた故郷にいる友人が喜びそうなシチュエーションに今すぐ彼女と入れ替わりたい願望のあまり心の中で叫ぶ。

「・・・久しぶりね。元気?」
「なんで黙ってたんだ。なぜ教えてくれなかった。そうしたら君と結婚できたのに・・・!」
「他の女性とのお目出度い日にそういうことは言うものじゃないわ」
「はぐかさないでくれ。僕を試したんだろう?」

 眉間に皺を寄せて悔しそうに言うパトリック。

「試すって?」
「縁談のことだ!グレスデンとの縁談を僕に持ち掛けて、国を選ぶか自分を選ぶか試しただろう!?」
「なんのこと?」
「誤魔化さないでくれ!マリア姫との縁談を仲介した赤い騎士、君の部下だろう!君が仕組んだんじゃないか!」
「ゼンのこと?ゼンがそんなことするわけ・・・」

 ないでしょ?だってゼンは私の騎士なのよ。私の意志に何より忠実で、私のために働いてくれていた。今までずっと私の意志を裏切ることなんてなかった。なのに私の婚約者に縁談を持ち込むなんてあり得ないじゃない。

「嘘じゃない!ずっとおかしいと思ってたんだ。なんの利もないドローシアがグレスデンとの間に縁談を持ちかけて来るなんて・・・!君があの部下にやらせたんだ!」
「何かの勘違いよ」
「嘘なわけないだろ!あの赤い髪見間違うわけがない!縁談を持ちかけて来たのはあいつだった!」
「ぜ・・・・」

 「ねえゼン、パトリックが可笑しなこと言うのよ」パトリックの後ろに現れたゼンに、そう声をかけようとして硬直した。―――見たことのないほど恐ろしい顔をしてパトリックを睨んでいたから。

「あっ、君は・・・」

 私の視線の先に気付いたパトリックもゼンを見て硬直する。

「パトリック殿下、主役がこのような場所にいるのはよろしくないかと。すぐ会場へお戻りください」

 ゼンの言葉にパトリックは私を振り返ることもなく早足でゼンの横を通り過ぎて化粧室を去って行った。

 呆然としているうちに身体から力が抜けその場に座り込む。

「レイラ!?まだ気分が悪いのか?」

 私に駆け寄ってくるゼンはいつものゼンで、私は思わずホッとしてしまった。伸ばした手を掴むと上に引き上げられる。

「大丈夫よ」
「じゃあ部屋に戻ろうか」

 そう言って私に向けられるのはいつもの笑顔で、ゼンの目を見ることができなかった私は俯いたまま小さく頷いた。

 

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