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二話・グレスデンからの招待状
(2)
しおりを挟む馬車に揺られ続けていると、いくらソファに布を敷き詰めようともお尻が痛くなってくる。これが思い出したくもない元彼に会うために行くのだと思うと気分もよろしくない。しかもゼンと馬車の中で2人きりなので気まずさも2倍だ。
ただし、今はお尻よりも気分よりも胃の中が修羅場。
「おええええええ」
「レイラ、袋。袋」
「だいじょうぶよ・・・ぐっ」
ギリギリ内容物は逆流せずに済んだ。ふう、と深呼吸しながらハンカチを口に当てる。やばいわ、明らかに昨晩飲み過ぎた。
ゼンは向かい側に座ったままえづく私を眉を寄せて見守る。
「だからあれほど酒は控えろと・・・」
「わかってるわよ」
でも飲まずにはいられなかったのよ、ゼンの馬鹿。
かつての婚約者、パトリック。青色の髪と瞳で私も認めるくらいには容姿も整っていた。身分もよろしく一国の王家の次男で真面目で野心家であり、真面目ゆえに国民に対して真摯で政にも余念がなかった。国民からしてみれば正に理想の王子像を地で行くような人だった。
私よりもマリア姫を選ぶような男なんだけどね。
「ハア」
重い溜息をついたのは何度目だろうか。考えるのが嫌でついアルコールに走ってしまう。
「ゼン、喉が渇いたわ。ワインちょうだい」
「ダメ」
一刀両断。
「・・・けち」
ちらりと一瞬だけ彼の方を見たけれど、視線が合いそうだったのですぐに俯いた。ここは上目遣いでもしておねだりするべきなんだろうけど、今の状況でそんなことできるほどの強心臓ではない。
「一杯だけでいいの」
「水なら」
「・・・じゃあいらないわ」
移動中にトイレが近くなるのは嫌だもの。しばらく水は我慢する。ただしワインのためならばトイレが近くなっても構わないけれど。
「行きたくないなあ」
身体を捻って背後にある窓の外を眺めながら言う。今から戦争に行くと言っても違和感がないほどたくさんの隊列を組んだ兵士たち。ただの結婚祝いでこんなに連れて行く必要もなかったんだけど、道中の安全を心配した父様が勝手に手配してしまった。パトリックに会うために行った時はゼンと二人きりの旅だったのに。
「心配すんな。好きなようにすればいい」
「好きなようにって?」
「例えば、パトリックを巡ってマリア姫と取っ組み合いの大喧嘩」
「ないない」
「披露宴でパトリックとの過去の関係を吹聴して一騒動」
「いくら性格悪いからってそこまでしないわよ・・・」
「じゃあパトリックに婚約破棄の慰謝料を求めて国際問題」
「なんでそんなに修羅場にしたがるの?」
穏やかに仕事を終えてドローシアに帰る案はないのか。
ゼンはぶはっと笑って謝ってきた。
「ごめん、ちょっとふざけ過ぎた」
「もう」
冗談でも笑えないわ。何事もなく祝福の言葉を述べて、それで私の仕事は終わり。それ以上の揉め事は御免だ。
「つまり、例え大揉めしても俺たちがレイラを守るから心配するなってこと」
私はその言葉につい顔を上げてしまった。見慣れていたはずのゼンの顔は、懐かしくも全く知らない人かのようだった。琥珀色の瞳は優しく細められていて、すっきりとした鼻と薄い唇に視線が吸い寄せられる。・・・ゼンってこんな顔をしてたかしら。
「レイラ?」
ゼンの不思議そうな声色に我に返った私は慌ててそっぽを向いた。危ない、少し見つめ過ぎた。
「な、なんでもない。じゃあ私が暴れた時はよろしくお願いします」
「レイラが暴れるのかよ」
ゼンが口を大きく開けて笑うから、私もつられて少しだけ笑ってしまった。
到着した。ついに到着してしまった。
ここに来るまでの一週間はそれなりに楽しかったわ。温泉に入ったり観光したりして充実してた。だけどここには着きたくなかったのに・・・。
「ゼン!ゼン!どうしよう!」
「そんなになるなら断っておけばよかったのに。「仕事とプライベートは分けるわ」なんて大見得を切るから・・・」
「そんなドヤった言い方してないわよ!」
グレスデンの城は目の前にあるのに足が震えて馬車から降りられない。なんで私こんなに動揺してるの?と自分に問いかけてもよくわからなかった。元彼といっても円満に別れてるのだし、大した時間を過ごすわけでもないのに。
「お姫様だっこしましょうか?お姫様」
「嫌よ!」
語気強く言ってしまい後悔した。ゼンがビックリした顔をして固まってたから。
違うのよ!そうじゃなくってー!
「恥ずかしいじゃないの、こんな人前で」
グレスデンの人々が私を出迎えるために出入り口へ続く扉まで頭を下げて待っているのだ。この中をゼンに横抱きされて通るなんてとんでもなく恥ずかしい。それに後で絶対にヒソヒソされるに決まっている。
「足が震えて馬車から降りれない方が恥ずかしいと思うぞ」
「わかってるけどー!」
ヒールなの?ヒールが悪いの?と足が震えるのを新調したヒールの所為にしつつ、差し出されたゼンの手に縋りつくようにしながら一歩を踏み出した。グレスデンの風はドローシアよりも強く冷たくて、束ねていない私の長い髪は簡単に煽られる。
少し前へ出ると、頭を下げて私を出迎えている人達の中から一人の男性が近づいてきた。
「長旅お疲れ様でございました、レイラ王女様。陛下がさっそくお会いしたいとのことでご案内させていただいてもよろしいでしょうか」
「悪いがレイラ王女は馬車酔いでご気分がよろしくない。すぐに休める場所へお連れしたいんだが」
「・・・かしこまりました。すぐに」
ゼン、グッジョブ。
これで堂々と半日はサボれるわあ、と少し気が楽になった私は先導する男の後を馬車酔いでフラフラしているかのような演技をしつつ付いていく。横から私をチラリと見たゼンの顔には「お前演技どんだけ下手なんだよ」と書いてあったけれど当然無視。
部屋で昼寝でも、と考えていたら廊下の向かい側からやって来た黒髪の青年の姿に私達は足を止めた。
「姉さん!」
穏やかな笑顔で駆け寄ってくるのは懐かしくもよく見知った顔だ。
「ルイス、久しぶりね。元気そうでよかったわ」
私の双子の弟、ドローシアのルイス王子。グレスデンの姫と結婚して婿養子に行って以来、会う機会が少ないので顔を見たのは久しぶりだった。
「姉さんこそ変わりないみたいでよかった」
「どうせ私はまだ未婚よ」
「いや、そういうことじゃなくって・・・」
苦笑しながら挨拶の抱擁をしてくるルイス。
「相変わらず美しいねってこと」
「あら、ありがとう」
にこっと笑う人畜無害そうな彼は色モノの多いドローシア王家の中では至って普通で、中にはふざけて"ドローシア王家唯一の良心"なんて言う人も居たっけ。お互いにタイプが違うのでそこまで親しくなかったけれど、ずっと一緒に育ってきたので他の兄弟よりは仲が良いと思う。
「お嫁ちゃんはどうしたの?」
「今つわりでちょっと・・・」
「あらおめでた?」
まあ、私おばさんになるのねえ。なんて頭の中で考えて、次の瞬間には弟に先を越されたという事実に落ち込む。せめてルイスの子が産まれるまでには結婚しなければ。
「早く知らせてくれれば良かったのに」
「まだ安定期前だからさ。正式な発表はしてないんだ」
「そうだったの」
父様と母様が知ったら喜ぶだろうな。
ルイスは申し訳無さそうに言う。
「気分が悪くなければ披露宴には参加するだろうから。挨拶はそれまで勘弁してやって」
「別にいいのよ、挨拶なんてどうでも」
真面目なんだから、と笑うとルイスも笑って頷いた。ところで、と彼は私を先導していた男性に視線を寄越した。
「どこに行くの?陛下とすぐお会いする予定だって聞いてたんだけど・・・」
「そう!今、私、馬車酔い中なの!」
おえええ、と急にえづき出す私。ぺちゃくちゃ元気に喋っておいてこの変わり身は無理があるとわかっていたけれど、焦った私は急に思い出したかのように演技を再開した。背中に突き刺さるゼンの視線が痛い。
やらかしたわ、グレスデンの陛下と会う予定をわざと蹴ったのがバレるなんて。せっかくゼンが気を利かせてくれたのに。
「・・・へえ」
ルイスも反応に困っている。先導の男性は見て見ぬ振りをしてくれた。さすがグレスデン、優秀なスタッフを揃えているなと感心する。
「えっと、じゃあ落ち着くまでゆっくり休んでね」
「ええ、ありがとう」
ルイスと別れて部屋へ向かう間、何度もゼンのため息が聞こえてきて心の中で何度も彼に謝った。
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