レイラ王女は結婚したい

伊川有子

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二話・グレスデンからの招待状

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 握られたペンはいくら時間が経っても動かない。書類の山に頭を抱えても減るわけではないのに、全然集中出来なくて仕事は時が経つに連れて増えていく一方。

 デスクの上にある書類の山を見る度に情けなくも泣きたくなった。原因は言わずもがな、私の背後で常に控えている赤髪の男の所為だ。サインするだけなのにゼンの一挙一動が気になって手が動かない。微かな息遣いだとか、動く気配だとか、そんなどうでもいいことに神経を尖らせてしまう。

「あの、あのー、レイラ王女?聞いてます?」
「あ!はいはい!大丈夫!」

 危ない危ない、ぼーっとしすぎて話を聞いてなかった。

「ではそういうことでお願いしますね」

 はーい、と適当な返事をして部屋から人を追い払うと、ゼンが突然私の手の中にあった封筒をガッと掴んだ。

「え!?何!?」
「何って、お前大丈夫かよ」
「は?何が?」
「これよく見てみろ」

 ゼンが取り上げた封筒を目の前に掲げられて、私はそこに書かれている小さな字に目を凝らす。

 ―――グレスデン王国マリア王女の結婚披露宴招待状

 はい?はいいいいいいいい?

「そんな大口開けてたら顎外れるぞ」
「ま、マリア王女って相手はまさか・・・」
「パトリックに決まってるだろ」
「ですよね」

 なんてこった!と頭を抱えて唸ると「さっきの話ちゃんと聞いてなかったのか?」とゼンに責められた。うん、全く聞いてなかったのよ。

「なんで私なの?父様は国を離れられないから無理だとしても、ドローシアの代表は母様か兄様でいいじゃない!」
「王妃様はその日は別の遠征で留守、殿下はご旅行中で音信不通だってさっき言ってただろ」
「冗談じゃないわ」

 パトリックの結婚を祝福に行けと?しかもドローシアの王女としてどんな顔をして彼と会えと?
 両親にパトリックとの関係を話していなかった私にも非があるけど、なんて血の涙もない展開・・・。

「行きたくないのか?断ればよかっただろ」
「それはっ・・・」

 上の空だったのはゼンがキスしてきた所為じゃない!と言いかけて、慌てて口を塞いだ。そんなこっ恥ずかしいこと言えるわけがない。

「今から断ってこようか」
「えっと、うーん・・・そうねえ」

 いったん引き受けた手前やっぱり嫌ですとは言い辛いけれど元彼の結婚を祝福に行くよりはましか。でも母様か兄様が無理なら王家の代表としては私が出向くしかない。グレスデンは私の双子の弟が婿に行った重要な国だから王家の人間を一人も寄越さないわけにはいかないし・・・やっぱり私が行くしかないか。

「しょうがないわ。行きましょう」
「レヴィナ様に頼めばいいだろ?」
「他国に嫁いで行った姉様を駆り出すのは可哀そうだもの。いいわ、別に」

 パトリックとの恋愛も婚約も過去のもの。今更会ったところでどうなるわけでもないし、むしろ格上として堂々と名乗ってやるわよ。

 覚悟を決めた私とは対照的にゼンは渋い顔をする。

「でも揉めたらやっかいだろ。陛下に事情を話して別の奴を融通してもらった方がいい」
「やめてよ。先の二回の婚約破棄でどれだけ父様たちに心労をかけたことか」

 また婚約破棄しました、なんて知らせてこれ以上両親を泣かせたくなかったため、パトリックとの婚約はギリッギリまで両親には内緒で話を進めていた。案の定またまた婚約破棄となり、結果的には両親に事の顛末を知られずに終わったのだ。せっかく娘の不幸を知らずに済んだのだからわざわざ教えることはない。

「そういえばゼンにも苦労をかけたのよね」

 婚約破棄をしたタイミングはちょうど両親へ婚約を知らせる早馬を出した直後のことだった。そしてゼンが急いで早馬を追いかけるはめになったんだっけ。

「そんなことはいい。本当に行くのか?」

 ゼンの神妙な面持ちに苦笑いが漏れる。なんで私じゃなくてゼンが小難しい顔をしてるのよ。

「行くわよ。これは仕事、あれはプライベート。ちゃんと分けなきゃ」

 さあさあ、どんな格好をして行きましょうか。どのドレスや靴にするか考えているとパトリックの顔を思い出してモヤモヤする。やっぱりあんまり会いたくはないわ。過去の恋愛を掘り返すのってすごく辛いし目を背けたくなる。パトリックとは婚約破棄から時間もそう経っていないから余計に思い出すのが辛い。

 ゼンは私から取り上げていた招待状をゆっくりと私へ返した。その時ふと彼と目が合って慌てて逸らす。さっきも思っていたけれど、普通に接するって難しい。あの唇に口づけされたのだと思うと顔がカッと熱くなって、自分でもどうしたらよいのかわからなくなってしまう。

「レイラ?」
「だ、大丈夫よ、頑張る」
「無理するなよ」
「うん」

 そういえばゼンも一緒にグレスデンに行くのよね。どんな旅になるのか、考えるだけでやはり気は重かった。













 これはどう?と差し出された靴に足を入れると微妙にサイズが合っていないのか踵が少し痛かった。

「合わないわ」
「これで全滅。まあしょうがないか。レイラの足に合わせて作られたものじゃないからねえ」

 シージーは最後に合わせた靴を持ってため息を吐く。気難しい客で申し訳ない。

「でもさあ、持ってるものでいいじゃない。わざわざ新調しなくたって」
「商売人とは思えない発言ね」
「いつもありがとうございます、お客様。―――じゃなくって」

 一人でノリ突っ込みしながら彼女は顔を上げて人差し指を立てる。

「行先はグレスデンなんでしょう?新調しなくたって皆レイラの衣装なんてほとんど見たことないわよ。仮に昔着たのを見てたとしても覚えてないでしょうよ」
「そりゃあそうだけど」

 でもゼンは全部見たことあるし、そう言いかけて口を閉ざした。騎士のために見た目に気遣うのはなにか違うと私もわかってる。

「そうね、ちょっと気分を一新したくって」
「それはわかるかも」

 テンション上げなきゃやってらんない。元彼と顔を合わせる大一番に、未だキス事件を引きずっているゼンの同行。本当に考えるだけで気が重いのだから。

 別の物を用意するシージーを待っていると、コンコンとノック音がして返事をした。

「失礼いたします」
「ええどうぞ」

 入って来たのは騎士補佐役のフィズ。てっきりゼンだと思っていた私は驚いて先に声をかける。

「ゼンはどうしたの?」
「陛下の遠乗りについて行ってしまいました」
「あー・・・」

 わんこのように尻尾を振ってついて行ったんだろうな、とゼンが父様について行く姿を想像して遠い目をした。なんといってもゼンは国王である父様を崇拝している。それはもうこっちが引くくらい崇め奉っている。主人であるはずの私の命令を無視してでも父様を優先するのではないかと思うほど、何においてもゼンの一番は昔から父様なのだった。

 フィズは私の沈黙を怒りだと捉えたらしく、さりげなくフォローを入れる。

「お止めできずすみません。ただ、ゼン様はこのところずっと休みもありませんでしたから息抜きになるかと・・・。私もおりますし仕事に支障は出ませんので」
「問題ないわ」

 よく考えればゼンはずっと休んでなかったな。ドローシアに帰ってきてからは仕事が溜まっていたため私も働き詰めだったもの。主人に休みがなければ騎士にも当然休みはないし、護衛のために四六時中気を張っている騎士の方が疲れも多いだろう。騎士って本当に大変な仕事だわ。

「では私が部屋の外に待機しておりますので」
「ええ、よろしく」

 フィズは大きく頭を下げてから部屋を退出した。

 ゆっくり閉まる扉を見ながら苦笑いするのはシージー。

「急きょ付いて行っちゃったのね、ゼン様。相変わらず陛下大好きみたいね」
「そうねえ。そんなに好きなら騎士じゃなくって軍人になればよかったのに」

 私にべったり張り付く護衛業よりも将軍職の方が父様と仕事をする機会は多かっただろう。私自身父様と会うことはあってもその時は騎士は部屋の外で待機するのが常だし、せっかく憧れの人が部屋の中にいるのに自分は入れないなんて切ないのではないか。

「軍人ねえ。確かにゼン様は騎士にならなかったら軍人になってたでしょうね」

 シージーが新たな靴の山を地面に下ろしてその中から赤いヒールを取り出した。促されるままに足を入れてみたら一応サイズは問題なさそうだ。

「戦闘馬鹿だものね。もう少しヒールが低いものない?」
「そこまでは言ってない。デザインが問題ないならこれ加工しましょうか。それなら1日あればできるわよ」
「じゃあそれでいいわ」

 難航した靴選びがようやく終わって、私は大きく息を吐きながらソファに背を預けて深く座る。

 部屋の外で待機しているゼンを呼ぼうとして、すぐに気が付いた。そうだ、今ゼンはいないんだった。ゼンがいないって・・・すごく久々だわ。

「ねえ、シージー。ゼンがいないわ」
「だからどうしたの?」
「だってね、ずーっとずーっと一緒にいるのよ。よくよく考えたら普通じゃないわ」
「それが騎士の仕事じゃないの」
「でも息が詰まらない?疲れない?」
「今更?あんたたち何年一緒に居ると思ってんのよ」

 それはそうなんだけど、あの時から私は普通に接することを頑張っていたので気が休まることはなかった。言わずもがな、全てはゼンの所為だ。

「ねえシージー、普通ってなんなの」
「哲学かよ」
「毎日毎日、しんどい」

 ゼンの前で私は以前どんな表情をしていたんだっけ。どんな話をしてどんな風に笑ってたっけ。目が合うだけで動揺して顔を合わせるのも緊張するなんて絶対以前の私じゃない。普通にしなきゃいけないのに。

「ゼン様はどうなの?」
「なーんにも変わってない」

 それがまた腹が立つ。人を竜巻に巻き込まれたかのようにグルングルンに振り回しておいて、自分はけろっとして何もなかったかのような態度。
 頭を抱えて唸っていると、シージーがじーっとこちらを無言で見つめていた。

「え、何よ」
「いや、レイラが可愛いなあと思って」

 いつもの彼女のようにニヤリと笑うのではなく、しみじみと感心したかのように言うものだから混乱した。からかっているわけじゃないらしい。

「可愛いのは生まれつきよ」
「容姿の話じゃねえよ」

 あ、いつものシージーだわ。

「そうじゃなくって。レイラの恋愛は一通り見守って来たけどさあ、いつもあんたは自信満々で余裕そうだったからこういうのは珍しいなあと思って」
「そう?」

 自信満々と言われてもよくわからないけれど、余裕があるというのは分かる。だって向こうが私に惚れて口説いてくるんだから、そりゃ多少余裕はあったわよ。私はその誘いに乗るか断るかの選択権があったんだから。

「自信満々でも最後は悲惨だったけど」
「悲惨なんて言わないで・・・」

 確かに悲惨だけども。

 シージーは突然何か思いついたかのようにニヤニヤして私を見始めた。何?って聞いても「別に」とそっけない返事。

「面白いことになってきた」
「?」

 なんなの、もう。


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