3 / 31
二話・グレスデンからの招待状
(1)
しおりを挟む握られたペンはいくら時間が経っても動かない。書類の山に頭を抱えても減るわけではないのに、全然集中出来なくて仕事は時が経つに連れて増えていく一方。
デスクの上にある書類の山を見る度に情けなくも泣きたくなった。原因は言わずもがな、私の背後で常に控えている赤髪の男の所為だ。サインするだけなのにゼンの一挙一動が気になって手が動かない。微かな息遣いだとか、動く気配だとか、そんなどうでもいいことに神経を尖らせてしまう。
「あの、あのー、レイラ王女?聞いてます?」
「あ!はいはい!大丈夫!」
危ない危ない、ぼーっとしすぎて話を聞いてなかった。
「ではそういうことでお願いしますね」
はーい、と適当な返事をして部屋から人を追い払うと、ゼンが突然私の手の中にあった封筒をガッと掴んだ。
「え!?何!?」
「何って、お前大丈夫かよ」
「は?何が?」
「これよく見てみろ」
ゼンが取り上げた封筒を目の前に掲げられて、私はそこに書かれている小さな字に目を凝らす。
―――グレスデン王国マリア王女の結婚披露宴招待状
はい?はいいいいいいいい?
「そんな大口開けてたら顎外れるぞ」
「ま、マリア王女って相手はまさか・・・」
「パトリックに決まってるだろ」
「ですよね」
なんてこった!と頭を抱えて唸ると「さっきの話ちゃんと聞いてなかったのか?」とゼンに責められた。うん、全く聞いてなかったのよ。
「なんで私なの?父様は国を離れられないから無理だとしても、ドローシアの代表は母様か兄様でいいじゃない!」
「王妃様はその日は別の遠征で留守、殿下はご旅行中で音信不通だってさっき言ってただろ」
「冗談じゃないわ」
パトリックの結婚を祝福に行けと?しかもドローシアの王女としてどんな顔をして彼と会えと?
両親にパトリックとの関係を話していなかった私にも非があるけど、なんて血の涙もない展開・・・。
「行きたくないのか?断ればよかっただろ」
「それはっ・・・」
上の空だったのはゼンがキスしてきた所為じゃない!と言いかけて、慌てて口を塞いだ。そんなこっ恥ずかしいこと言えるわけがない。
「今から断ってこようか」
「えっと、うーん・・・そうねえ」
いったん引き受けた手前やっぱり嫌ですとは言い辛いけれど元彼の結婚を祝福に行くよりはましか。でも母様か兄様が無理なら王家の代表としては私が出向くしかない。グレスデンは私の双子の弟が婿に行った重要な国だから王家の人間を一人も寄越さないわけにはいかないし・・・やっぱり私が行くしかないか。
「しょうがないわ。行きましょう」
「レヴィナ様に頼めばいいだろ?」
「他国に嫁いで行った姉様を駆り出すのは可哀そうだもの。いいわ、別に」
パトリックとの恋愛も婚約も過去のもの。今更会ったところでどうなるわけでもないし、むしろ格上として堂々と名乗ってやるわよ。
覚悟を決めた私とは対照的にゼンは渋い顔をする。
「でも揉めたらやっかいだろ。陛下に事情を話して別の奴を融通してもらった方がいい」
「やめてよ。先の二回の婚約破棄でどれだけ父様たちに心労をかけたことか」
また婚約破棄しました、なんて知らせてこれ以上両親を泣かせたくなかったため、パトリックとの婚約はギリッギリまで両親には内緒で話を進めていた。案の定またまた婚約破棄となり、結果的には両親に事の顛末を知られずに終わったのだ。せっかく娘の不幸を知らずに済んだのだからわざわざ教えることはない。
「そういえばゼンにも苦労をかけたのよね」
婚約破棄をしたタイミングはちょうど両親へ婚約を知らせる早馬を出した直後のことだった。そしてゼンが急いで早馬を追いかけるはめになったんだっけ。
「そんなことはいい。本当に行くのか?」
ゼンの神妙な面持ちに苦笑いが漏れる。なんで私じゃなくてゼンが小難しい顔をしてるのよ。
「行くわよ。これは仕事、あれはプライベート。ちゃんと分けなきゃ」
さあさあ、どんな格好をして行きましょうか。どのドレスや靴にするか考えているとパトリックの顔を思い出してモヤモヤする。やっぱりあんまり会いたくはないわ。過去の恋愛を掘り返すのってすごく辛いし目を背けたくなる。パトリックとは婚約破棄から時間もそう経っていないから余計に思い出すのが辛い。
ゼンは私から取り上げていた招待状をゆっくりと私へ返した。その時ふと彼と目が合って慌てて逸らす。さっきも思っていたけれど、普通に接するって難しい。あの唇に口づけされたのだと思うと顔がカッと熱くなって、自分でもどうしたらよいのかわからなくなってしまう。
「レイラ?」
「だ、大丈夫よ、頑張る」
「無理するなよ」
「うん」
そういえばゼンも一緒にグレスデンに行くのよね。どんな旅になるのか、考えるだけでやはり気は重かった。
これはどう?と差し出された靴に足を入れると微妙にサイズが合っていないのか踵が少し痛かった。
「合わないわ」
「これで全滅。まあしょうがないか。レイラの足に合わせて作られたものじゃないからねえ」
シージーは最後に合わせた靴を持ってため息を吐く。気難しい客で申し訳ない。
「でもさあ、持ってるものでいいじゃない。わざわざ新調しなくたって」
「商売人とは思えない発言ね」
「いつもありがとうございます、お客様。―――じゃなくって」
一人でノリ突っ込みしながら彼女は顔を上げて人差し指を立てる。
「行先はグレスデンなんでしょう?新調しなくたって皆レイラの衣装なんてほとんど見たことないわよ。仮に昔着たのを見てたとしても覚えてないでしょうよ」
「そりゃあそうだけど」
でもゼンは全部見たことあるし、そう言いかけて口を閉ざした。騎士のために見た目に気遣うのはなにか違うと私もわかってる。
「そうね、ちょっと気分を一新したくって」
「それはわかるかも」
テンション上げなきゃやってらんない。元彼と顔を合わせる大一番に、未だキス事件を引きずっているゼンの同行。本当に考えるだけで気が重いのだから。
別の物を用意するシージーを待っていると、コンコンとノック音がして返事をした。
「失礼いたします」
「ええどうぞ」
入って来たのは騎士補佐役のフィズ。てっきりゼンだと思っていた私は驚いて先に声をかける。
「ゼンはどうしたの?」
「陛下の遠乗りについて行ってしまいました」
「あー・・・」
わんこのように尻尾を振ってついて行ったんだろうな、とゼンが父様について行く姿を想像して遠い目をした。なんといってもゼンは国王である父様を崇拝している。それはもうこっちが引くくらい崇め奉っている。主人であるはずの私の命令を無視してでも父様を優先するのではないかと思うほど、何においてもゼンの一番は昔から父様なのだった。
フィズは私の沈黙を怒りだと捉えたらしく、さりげなくフォローを入れる。
「お止めできずすみません。ただ、ゼン様はこのところずっと休みもありませんでしたから息抜きになるかと・・・。私もおりますし仕事に支障は出ませんので」
「問題ないわ」
よく考えればゼンはずっと休んでなかったな。ドローシアに帰ってきてからは仕事が溜まっていたため私も働き詰めだったもの。主人に休みがなければ騎士にも当然休みはないし、護衛のために四六時中気を張っている騎士の方が疲れも多いだろう。騎士って本当に大変な仕事だわ。
「では私が部屋の外に待機しておりますので」
「ええ、よろしく」
フィズは大きく頭を下げてから部屋を退出した。
ゆっくり閉まる扉を見ながら苦笑いするのはシージー。
「急きょ付いて行っちゃったのね、ゼン様。相変わらず陛下大好きみたいね」
「そうねえ。そんなに好きなら騎士じゃなくって軍人になればよかったのに」
私にべったり張り付く護衛業よりも将軍職の方が父様と仕事をする機会は多かっただろう。私自身父様と会うことはあってもその時は騎士は部屋の外で待機するのが常だし、せっかく憧れの人が部屋の中にいるのに自分は入れないなんて切ないのではないか。
「軍人ねえ。確かにゼン様は騎士にならなかったら軍人になってたでしょうね」
シージーが新たな靴の山を地面に下ろしてその中から赤いヒールを取り出した。促されるままに足を入れてみたら一応サイズは問題なさそうだ。
「戦闘馬鹿だものね。もう少しヒールが低いものない?」
「そこまでは言ってない。デザインが問題ないならこれ加工しましょうか。それなら1日あればできるわよ」
「じゃあそれでいいわ」
難航した靴選びがようやく終わって、私は大きく息を吐きながらソファに背を預けて深く座る。
部屋の外で待機しているゼンを呼ぼうとして、すぐに気が付いた。そうだ、今ゼンはいないんだった。ゼンがいないって・・・すごく久々だわ。
「ねえ、シージー。ゼンがいないわ」
「だからどうしたの?」
「だってね、ずーっとずーっと一緒にいるのよ。よくよく考えたら普通じゃないわ」
「それが騎士の仕事じゃないの」
「でも息が詰まらない?疲れない?」
「今更?あんたたち何年一緒に居ると思ってんのよ」
それはそうなんだけど、あの時から私は普通に接することを頑張っていたので気が休まることはなかった。言わずもがな、全てはゼンの所為だ。
「ねえシージー、普通ってなんなの」
「哲学かよ」
「毎日毎日、しんどい」
ゼンの前で私は以前どんな表情をしていたんだっけ。どんな話をしてどんな風に笑ってたっけ。目が合うだけで動揺して顔を合わせるのも緊張するなんて絶対以前の私じゃない。普通にしなきゃいけないのに。
「ゼン様はどうなの?」
「なーんにも変わってない」
それがまた腹が立つ。人を竜巻に巻き込まれたかのようにグルングルンに振り回しておいて、自分はけろっとして何もなかったかのような態度。
頭を抱えて唸っていると、シージーがじーっとこちらを無言で見つめていた。
「え、何よ」
「いや、レイラが可愛いなあと思って」
いつもの彼女のようにニヤリと笑うのではなく、しみじみと感心したかのように言うものだから混乱した。からかっているわけじゃないらしい。
「可愛いのは生まれつきよ」
「容姿の話じゃねえよ」
あ、いつものシージーだわ。
「そうじゃなくって。レイラの恋愛は一通り見守って来たけどさあ、いつもあんたは自信満々で余裕そうだったからこういうのは珍しいなあと思って」
「そう?」
自信満々と言われてもよくわからないけれど、余裕があるというのは分かる。だって向こうが私に惚れて口説いてくるんだから、そりゃ多少余裕はあったわよ。私はその誘いに乗るか断るかの選択権があったんだから。
「自信満々でも最後は悲惨だったけど」
「悲惨なんて言わないで・・・」
確かに悲惨だけども。
シージーは突然何か思いついたかのようにニヤニヤして私を見始めた。何?って聞いても「別に」とそっけない返事。
「面白いことになってきた」
「?」
なんなの、もう。
0
お気に入りに追加
74
あなたにおすすめの小説
【完結】あなたから、言われるくらいなら。
たまこ
恋愛
侯爵令嬢アマンダの婚約者ジェレミーは、三か月前編入してきた平民出身のクララとばかり逢瀬を重ねている。アマンダはいつ婚約破棄を言い渡されるのか、恐々していたが、ジェレミーから言われた言葉とは……。
2023.4.25
HOTランキング36位/24hランキング30位
ありがとうございました!
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
【完結】もう辛い片想いは卒業して結婚相手を探そうと思います
ユユ
恋愛
大家族で大富豪の伯爵家に産まれた令嬢には
好きな人がいた。
彼からすれば誰にでも向ける微笑みだったが
令嬢はそれで恋に落ちてしまった。
だけど彼は私を利用するだけで
振り向いてはくれない。
ある日、薬の過剰摂取をして
彼から離れようとした令嬢の話。
* 完結保証付き
* 3万文字未満
* 暇つぶしにご利用下さい
【完結】初恋相手に失恋したので社交から距離を置いて、慎ましく観察眼を磨いていたのですが
藍生蕗
恋愛
子供の頃、一目惚れした相手から素気無い態度で振られてしまったリエラは、異性に好意を寄せる自信を無くしてしまっていた。
しかし貴族令嬢として十八歳は適齢期。
いつまでも家でくすぶっている妹へと、兄が持ち込んだお見合いに応じる事にした。しかしその相手には既に非公式ながらも恋人がいたようで、リエラは衆目の場で醜聞に巻き込まれてしまう。
※ 本編は4万字くらいのお話です
※ 他のサイトでも公開してます
※ 女性の立場が弱い世界観です。苦手な方はご注意下さい。
※ ご都合主義
※ 性格の悪い腹黒王子が出ます(不快注意!)
※ 6/19 HOTランキング7位! 10位以内初めてなので嬉しいです、ありがとうございます。゚(゚´ω`゚)゚。
→同日2位! 書いてて良かった! ありがとうございます(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる