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第19話 立場逆転?

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 目の前の餌を前に結の心も蝕まれたか、案の定頭が錆び付きだしていたような気がしたが、もはや事ここに至っては後退など有り得ない。
 結は乃慧流の顎を指でくいと上げ、そのまま顔を近づける。
 そして──

「んっ」
「んむっ」

 結は乃慧流にキスをした。それも、唇同士を触れさせるだけの軽いキスではない。舌と舌を絡ませる濃厚なディープなやつだ。普段の結からはかけ離れた淫行に祖父や御幣島が目撃したら卒倒するに違いないだろう。

「ん……ちゅ……はぁ……」

 結の思いがけない反撃にも乃慧流は一切慌てず、恍惚とした表情のまま結の舌を受け入れていた。

「ん、ぷはっ……はぁ……」
「あら、もう終わりですか?」
「……っ」

 乃慧流は余裕綽々といった様子で、むしろ結の方が息を荒げて顔を赤くしている。

「まだまだですわ」

 結はそう言うと再び顔を近づけて乃慧流と至近距離で見つめ合うような格好で呟く。

「わかってくださるまでやりますから」

 ふたたび舌を絡ませ合いながらキスを交わしているうちに二人は少しずつ興奮を覚え始めていた。先ほどまでとは逆で今度は結が離れようとする動きを見せた時に、乃慧流がそれを追いすがるように舌を動かしてくる。

「ん、ちゅ……」

 乃慧流の動きからは、まるでもっと結の舌を味わわせて欲しい、とでも言っているかのようで、結は自分の選択が明らかに間違っていたことに気づいたのだ。乃慧流に手を引かせるどころか、これでは逆効果になってしまっている。

「ぁん……ちょっと……」

 そしてついに耐えられなくなったように結は乃慧流から離れるが、乃慧流はというとまさに幸せの絶頂といった表情で、蕩け切っているのだった。
 そんな様子を尻目に、半ば意固地になりながら結は強引に話を進めていく。

「今日から三日……いえ、一日に一度の割合でこうやっていちゃついてあげますわ」

 それを聞いた途端に乃慧流の表情には舞踏会にでも出演しているかのような花が開いた。

「まあ! 素晴らしいですわね! できれば毎秒いちゃつきたいですわ!」
「あの、私はあなたが想像しているような純粋で御しやすい女ではないと──」
「そんなこと、重々承知していますとも!」
「えっ……?」

 結の考えなしだった交渉は最悪の相手を刺激してしまっていたのだ。

(にしても、ここまで器量が大きいと皮肉ですわね。本当にロリコンなことくらいしか欠点がないのでは……?)

 乃慧流は結のそんな思考などつゆ知らずといった様子で、結に抱きついてくるのだった。

「ああ、結さん。やっとわたくしを受け入れてくださる気になられたようで、嬉しいですわ! 早速結婚式の日取りを決めなければ!」
「どういうメンタルですの?」

 乃慧流は抱きつきながらとんでもないことを宣っていた。なんと不幸なことだろうかと自分の性格を呪った瞬間である。

「権力もダメ、お金もダメ、策を弄してもダメ。本当に強敵ですわねこの神尾乃慧流という方は……」
「……? 何かおっしゃいましたか?」
「こちらの話ですわ」
「そうですか。……では結さん、早速わたくしの家に来て先程の続きを!」
「は?」

 乃慧流はそう言うと、結の手を引いて屋上から出ようとする。結はそんな乃慧流を慌てて制止した。

「ちょっと、待ってくださいまし! 午後の授業は──」
「そんなものサボればよかろうなのですわ!」
「不真面目にも程がありましてよ!」
「結さんとの情事は何事にも優先されますので!」
「そんなわけないでしょう!」

 結のツッコミもなんのその、乃慧流は結を引きずって校舎へと戻る。
 そして、そのまま昇降口に結を拉致して行ったのだった。


 ☆ ☆


「あぁ……気が滅入る……」

 結局、結の必死の抵抗によって乃慧流は諦めてくれたものの、精神力と体力をかなり消耗してしまった。放課後も乃慧流のアプローチは続き、逃げるようにして御幣島の車に乗り込んで家に帰ったものの、結はほぼ放心状態だった。

「あの方は間違いなく私が今まで出会ってきた方々と比較しても頭一つ抜けてバケモノですわね」

 自室で、疲れた身体に少し優しい一口サイズのマドレーヌを口にしながら結はため息をついた。

「でも、このままではどんどんエスカレートしてしまいますし……本当にどうしたものかしら」

 乃慧流が潔く諦めてくれるものならば結はとっくにそうしていただろう。だが、乃慧流は結がどんな抵抗をしようとも決して諦めることはない。むしろ、結の抵抗がさらに乃慧流を興奮させているのではないかと疑心暗鬼になりつつある状況だ。このままでは結が性的な辱めを受けることを余儀なく求められてしまうのではないか? そんな思考が頭によぎったが、すぐに振り払い否定した。
 そして、結の脳裏にふと『転校』の二文字が浮かぶ。

「いえ、いけませんわ! お爺様からの使命を遂行するまでは……! そして、皆から一人前だと認めてもらわなければ! 途中で投げ出すなんて有り得ませんわよ」

 結は気を取り直し、再び椅子に座りなおしてから高級茶葉で淹れられた紅茶を一口、口に含む。その芳醇な香りを存分に堪能しながら彼女はこの件を熟考していた。
 入学前にちらりと忠告めいたことを言い残した祖父の顔を思い出し、少々情けなく感じる。今更祖父に助けを求めるわけにはいかないし。かと言ってこのまま乃慧流のいいようにされるのも癪だった。

 気分を変えるため、読みかけだった本を開いてその中の世界に思いを馳せる。大好きな作家の心温まる物語に夢中になっている間は彼女の心が満たされる気がしていたからだった。
 これはすべてフィクションである、と自分に言い聞かせるようにして気にしないように努めようとしていたのである。
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