上 下
24 / 108
episode2 原住民を懐柔しろ!

23. 絶体絶命

しおりを挟む
 ピリピリとした殺気がほとばしり、感じられる魔力が一段と強くなった。私は反射的にそちらへと手を伸ばす。

「そこっ!」

 前方に現れた禍々しい闇の魔力の塊へ触れようとした時、背中を思いっきり蹴られるような衝撃を受けた。

「──くはっ!?」
「さすがに五年も戦闘から離れてたんじゃ、勘が鈍ってるなぁティナちゃん? キミが魔力の変換しかできなくて物理攻撃に弱いこと、僕が知らないわけないでしょぉ?」

 たまらず地面に倒れこんだ私に、ライムントは声をかける。頭の上から降ってくるような声は、近くからも遠くからも聞こえてくるようで、全く距離感が掴めなかった。

(まずい……とてもじゃないけど私が敵う相手じゃない……)

 今のは、魔力の塊を囮にして私の不意をついた一撃。ライムントであればそのまま私の命を奪うことすらも容易いだろう。だが彼はそれをしない。手を抜いているのだろうか?
 とはいえ逃げることもままならず、助けが来ることを祈るも、誰かが来たところで状況が好転するとも思えない。

「立てよティナちゃん」
「……?」
「立て。生憎僕は無抵抗の相手を一方的に殺るのは趣味じゃなくてねぇ。チャンスをやろうと思う、どちらにせよ──ちゃんと殺してあげるからせいぜい精一杯足掻いてみせてねぇ?」

 ライムントの声に促されるようにして痛む身体を起こす。彼は私の目の前に立っていた。幻惑魔法ではない、恐らく本体だ。五年前よりも二回りくらい高くなった長身。闇夜に紛れる漆黒のローブと背中に担いだ大鎌のシルエットはさながら死神のようだが、いかんせん暗いので細部や表情はよく見えない。

 手を伸ばせば触れられそうなその距離、しかし私にはそれが何百メーテルにも感じられる。私が手を伸ばしたとしてもその前に彼は何十回も私を殺すことができる。その手は絶対に届かない。近くて、果てしなく遠い距離だ。

 ライムントは右手で、宙に浮かぶ魔力の塊を指さす。先程私が触れようとしたものだ。それは禍々しいエネルギーを放ちながら地表1メーテルくらいの距離にゆらゆらと揺らめいている。

「それ、使いなよ。五年前の続きといこうかぁ!」

 挑発的な口調で告げるライムント。私は少し逡巡した。もし私が魔力の塊に触れれば、魔力変換で自由に魔法を使うことができる。しかし触れたが最後、ライムントも本気で私を潰しに来るだろう。そうなればいくら私が魔法を使えたとしても生き残れる可能性は低い。

(でも、ゼロじゃないなら……やるしかない!)


「五年前、僕はキミに負けた。──魔法学校を退学することが決まっていたティナちゃんに、最強の僕が負けたんだよぉ。嘘みたいだろぉ? あの時はまだティナちゃんの能力とかわかっていなかったし、僕も今ほど強くはなかったけれど、最高の屈辱──唯一の汚点なんだよぉ! いつか殺してやるってねぇ! ヒヒヒッ! ──そう誓ったんだ。だから今不意打ちで勝っても気が収まらないんだよねぇ!」

「……あの時喧嘩を売ってきたのはそちらでしょう? それで逆恨みされるなんて──」
「うるさいんだよぉ! 抵抗して死ぬか、抵抗せずに死ぬかさっさと選べ!」

 逆上して声を荒らげたライムントから並々ならぬ殺気が溢れ出たので、私は反射的に魔力の塊に手を伸ばしてしまった。塊に触れると私の全身に闇の魔力が駆け巡る。底知れぬ力とどこか孤独で悲しい、そんな感じの魔力だった。

 と同時にライムントが動いた。闇の魔力を四方八方に放出しながら、霞のように消える。魔力は私を欺くための囮だとしたら──。

(闇から……光!)

 突如背後から首を狙って振るわれた大鎌。私はそれを右手に実体化させた光の剣で間一髪で防いだ。腕には確かな手応えを感じる。気を抜いたら押し切られてしまいそうだった。

「同じ手は通用しませんよ?」
「……アイツの魔法かぁ。僕に対する当てつけのつもりかぁ? ──つくづく気に入らねぇなぁ!」
「ただ、闇には光が有効なので光の魔法を使っただけですよ。──それに、これなら暗闇に紛れられるというあなたの有利もなくなります」

 私が実体化させた光の剣によって、辺りは明るく照らされており、敵の姿もしっかりと視認できる。するとライムントはクククッと愉快そうに笑った。

「いくつか有利な条件を消したところで、僕とティナちゃんの実力差は如何ともし難いよなぁ!」
「……ぐっ!?」

 腹部に重い衝撃を受けた。私はライムントと咄嗟の蹴りに反応できなかったのだ。体勢を崩したところで手首に衝撃、そして剣を落とした私の右足のふくらはぎ辺りを焼けるような痛みが駆け抜けていく。

 私を地面に押し倒したライムントは、無惨に地面に落下した光剣に照らされて、ニヤッと笑った。


「はい、おしまい! あ、そうだ。一つ言っておくねぇ? ──アイツはキミよりも何倍も強かったよぉ?」
「あの人を殺したのは……あなたでしたか!」

 私には──私たちには昔、大切な人がいたのだ。魔法学校で共に学んでいた『七天』のうちの一人──『七天』で『最強』と言われていた人物が。

「おっといけない! 最近口が滑りやすくて困るなぁ……まあ、どうせキミは殺すんだから別にいいよね?」


 しかし──。大鎌が私の身体を切り裂く寸前、ドスッという鈍い衝撃と共に、ライムントの胸に氷の刃が突き刺さった。


「──あぁ? ……はっ、ヒヒヒッ? ヒッヒッヒッ……な、なんだこれぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 自分の胸から生えている氷を不思議そうに眺めているライムントはやがて悲鳴を上げる。

「せっかくできた後輩ちゃんですもの。あなたのようなすっとこどっこいに殺らせるわけがないでしょうこのぼっけなすー! ですわ!」

(……夜のヘルマー領に響くこの耳障りなハスキーボイスは!)

「先輩!」
「遅くなりましたわね! わたくしが来たからにはもう安心ですわよ! こんな雑魚、一捻りにしてやりますわ!」

 近くから聞こえてきたのは間違いなくミリアム。ミリアム・ブリュネの声だった。そちらに目を向けると、数メーテルほど離れたところに腰に手を当てながら仁王立ちするミリアムの姿があった。
 私は初めてミリアムの声を聞いて泣きそうになった。
 そして、駆けつけてきてくれたのはもう一人……。

「ライムント・タイ殿これはどういうことか、説明して下さいますかな?」
「……チッ。ヘルマー伯爵のお越しとは……」

 ミリアムとは反対側の、城から現れたのはなんとユリウスだった。ミリアムとユリウスでライムントを挟むような位置取りになる。いくらライムントといえども三人を相手にするのは些か骨が折れるだろう。

「残念ながらヘルマー伯爵はまだ生かしておけとのことなんだよねぇ。──面倒だし、僕は一旦退くねぇ?」
「わたくしが逃がすと思いますか? それ、致命傷ではなくて?」
「はっ、まさかぁ! ちょっとヒヤッとしたけど、そんな魔法じゃあ僕を仕留めるには百年早いね!」

 ライムントは胸から氷の刃を生やしたまま不敵に笑うと、その身体がもやのように消えた。幻惑魔法だ。刺さっていた氷の刃だけがそのまま落下して私の傍らに落ちてきた。


『いやー、久しぶりに楽しかったよぉ! いつかキミたち、まとめて始末してあげるから楽しみにしててねぇ!』


 虚空からそんな声が響いたと思ったら、次の瞬間にはあんなに禍々しかった闇の気配は綺麗さっぱり消え去っていた。ライムントは転移魔法で逃げたのだろう。
 その場には私とユリウス、ミリアムの三人が残された。


「気づくのが遅くなってすまなかったなティナ」
「いいえ、ユリウス様こそわざわざ私なんかを助けに来なくても……」

 私がふくらはぎの痛みに顔を顰めながら身を起こすと、ユリウスとミリアムが駆け寄ってきた。

「大変! 後輩ちゃん怪我してますわ! すぐに城で手当をしないと!」
「いや、むしろあのライムント相手にこの程度の怪我で済んだだけでも奇跡的です。ユリウス様と先輩が来てくれなかったらきっと今頃……」

 ユリウスは首を横に振った。

「俺がティナを見捨てるわけないだろ? ──まだまだティナには美味しい飯を作ってもらわないといけないんだからな!」

 気恥ずかしそうに顔を逸らしながら口にしたユリウスの言葉に、私は再びうるっときてしまったのだった。
しおりを挟む

処理中です...