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大好き
しおりを挟む絆先輩に促されて、私は心羽先輩の隣を離れる。そしてそのままリビングを出されて、別の部屋に案内された。私の手を引く絆先輩の手は小刻みに震えていて、怒っているようでもある。
私、なにかまずいことしてしまったのだろうか。絆先輩を怒らせてしまったのだとしたら、と考えて心臓がドキドキとしてきた。
「ごめんね玲希ちゃん、いきなりこんなところに連れてきて」
絆先輩の部屋と思われる一室。可愛らしいベッドや机などが並んでいるが、あまり女の子っぽい感じはしない。きっと絆先輩は、ぬいぐるみなどはあまり好まないのだろう。
「いえ……、あの、私何かしてしまいましたか?」
「ううん、違うの。ただ、玲希ちゃんには謝らなくちゃいけないと思って」
「なんのことでしょうか。全然心当たりがないんですけど」
「えっ、だって……」
絆先輩は言いづらそうに視線を落とす。
「心羽と私の関係に玲希ちゃんを巻き込んじゃったから……」
「……どういう意味ですか?」
私は、絆先輩の言葉の意味が理解できず聞き返してしまう。
「実はね……。心羽、最近様子がおかしくて。玲希ちゃんのことで悩んでたみたいだったから、もしかしたら玲希ちゃんが心羽のことを唆したんじゃないかと思ったの。でも違ったんだね」
「唆すなんて人聞きの悪い!」
「ふふ、冗談よ。……それにしても、玲希ちゃんは心羽のこと大切にしてくれてるのね。ありがとう」
絆先輩は、優しい笑みを浮かべて頭を下げる。
「そ、そんな! 私は別に……」
「玲希ちゃんはさ、心羽と付き合ってみてどう思った? 正直に教えて欲しいな」
「それは……もちろん嬉しかったです。憧れの先輩と恋人になれたわけですし。……でも、だからこそ不安になることもあって」
私が素直に胸の内を打ち明けると、絆先輩は優しく相槌を打ってくれた。
私は絆先輩に、自分の気持ちを全て打ち明けることにした。自分が本当に絆先輩のことが大好きな心羽先輩の一番になっていいものか。どう転んでも心羽先輩を悲しませてしまうのではないだろうかと。
心羽先輩と恋人になった以上、隠し事はしたくない。絆先輩に嘘をつくのは、妹である心羽先輩に嘘をつくのも同じだと思ったからだ。
「……なるほどね。そういうことだったんだ」
絆先輩は、私が話し終えるまで黙って耳を傾けてくれていた。そして全てを聞き終えた後、静かに口を開く。
「じゃあ玲希ちゃんは、心羽にずっと気を遣ってくれていたことになるね」
「はい。……まぁ、確かにそうですね」
絆先輩は苦笑いを浮かべると、小さくため息を吐く。
「はー。心羽も大概だけど、玲希ちゃんも相当なお人好しなんだね」
「そ、そうなんでしょうか……」
「そうよ。──正直、めんどくさいでしょう? 私たちの関係」
「いいえ、姉妹で仲がいいのはいいことだと思いますけど」
「度が過ぎているのよね。心羽の場合は」
「……そうかも、しれませんね」
心羽先輩は、最近いつも私に対して好意を伝えてくれる。その度に恥ずかしくなるけれど、嫌ではない。むしろ嬉しいくらいだ。
だが、それが度を越しているということは薄々気付いていた。
心羽先輩が私に対する想いが強いのは、絆先輩に対する想いの裏返しなのだろう。溢れんばかりの絆先輩への想いを無理やり押さえつけているから、その分私にぶつけてくるのだと思う。だとしたらちょっと複雑な気持ちだ。
「だからね、玲希ちゃんには本当に感謝してるの。心羽を救ってくれてありがとう。心羽が選んだ相手なら間違いないわ。玲希ちゃんが心羽を支えてくれたら、私も安心できる」
絆先輩は、とても綺麗で純粋な笑顔を私に向けてくる。
この人は、こんなにも素敵な笑顔ができる人だったのか。まるでお姉さんのように私を見守っていてくれたのだな、と改めて感じることができた。
「はい、頑張ります!」
私は力強く返事をするが、絆先輩は困ったように眉を下げた。
「……でもね、あんまり無理しないで欲しいの。心羽は玲希ちゃんを束縛したりしないと思う。でも、もし心羽が暴走しそうになった時は助けてあげて欲しいかな」
「……分かりました。その時は必ず私が止めますから!」
「うん、よろしくね。それともう一つだけ」
「なんですか?」
ふと、絆先輩はいつになく険しく真剣な顔をした。困惑する私の肩を掴んで、低い声で囁く。
「心羽を幸せにしないと許さないから」
「……っ!?」
私は思わず身を引いてしまうが、絆先輩は逃してくれるつもりはないらしい。さらに強く私の肩を掴み直すと、今度はゆっくりと口を開いた。
「心羽は、あなたがいなければ生きていけないのかもしれない。心羽にとってはもう玲希ちゃんは生きる希望みたいなものなの。……分かる?」
「はい……」
「玲希ちゃんは、心羽のこと好き?」
「えっと……好きです」
「大好き?」
「──っ! だ、大好きです!」
「ほんと? 天に誓って? 私に誓える?」
「誓いますっ! タマ、心羽先輩のことが大好きで大好きで仕方がないです!」
「それならいいの。……玲希ちゃんが心羽のことを好きなのは十分伝わってきたから」
表情を緩めた絆先輩は、労うような私の頭をぽんぽんと叩いた。
「玲希ちゃん、これからも心羽のことお願いします。心羽を大事にしてあげてください」
「はい、任せてください」
私は自信を持って答えると、絆先輩は満足そうに微笑んだ。
☆☆☆
私はリビングに戻るなり、すぐに心羽先輩に声をかけようとした。先程の絆先輩とのやりとりで、私の中で迷いのない気持ちが生まれていた。
でも様子が変だ。
心羽先輩は鞄を持って出かける準備をしていた。
「心羽先輩?」
「行こう玲希。これ以上ここにいても仕方ないよ」
「で、でも……」
「わたし、もうどうしたらいいのかわからなくなっちゃったよ……」
心羽先輩は今にも泣き出しそうな声色で、手で顔を覆いながら呟く。
今までの心羽先輩からは考えられないような痛々しい姿に、私は言葉を失った。
これほどまでに、先輩は悩んでいたのだ。──私がもっと早く気付いてあげられればよかったのに……。
後悔しても遅いけれど、そう思ってしまう。気づいたとして、私になにかできるとも思えないのだけれど。
「玲希……」
「な、なんですか?」
「もう別れようわたしたち……」
「えっ……」
まるで地獄に突き落とされたかのような絶望。でも、私は先輩の言葉を待った。全部受け止めてあげないとと思ったから。
「玲希のせいで、わたしの心は乱されるの。ねーねが一番なのに、そうじゃなくなっちゃう。ずっと当たり前だったものが壊される。──玲希にはこの気持ちわからないでしょう?」
「わかりませんよ。でもそんなこと、あるわけないじゃないですか。心羽先輩はもう自分の心に嘘をつかなくていいんです」
「だって、現にこうなってるもん! このままだとわたし、おかしくなっちゃう。だから、だからね玲希……」
「……」
「バイバイしよう?」
「……嫌ですよ。絶対嫌! タマ、心羽先輩となら上手くやっていけると思ってたのに!」
「上手くいかないよわたしたち。わかってたの、わたしには」
「じゃあなんで!」
私は気づいたら叫んでいた。
絆先輩は様子を見ているのか、部屋に入ってくる気配はない。でも、なぜかこれは私たちで解決しなきゃいけないと強く思った。絆先輩の言うとおり、私が心羽先輩の生きる希望なのだとしたら、本人に拒絶されようとも離れるわけにはいかない。大切なものを失う辛さは私にもよく分かる。──だから私も諦めない。
「じゃあなんで心羽先輩は私と付き合おうなんて言ったんですか! こんなことになるって知ってて、どうして昨日キスしてくれたんですか!」
すると心羽先輩は肩を竦めた。
「やっぱり玲希は何も分かってないのね」
「何も分かってないのは心羽先輩の方です!」
この時、私は不思議とお腹の底から力が湧いてくるのを感じた。私が何とかしなきゃ、私が心羽先輩を助けなきゃって、心の底から思ったのだ。以前文化祭の時に羚衣優を励ました時のような感覚だった。
──それに、絆先輩にも「心羽をお願い」と言われた。だったらなにがあってもやるしかない。私は心羽先輩の腕を掴むと、そのまま自分の方に引き寄せた。先輩は抵抗するような素振りを見せたけれど、私は構わずに彼女を抱きしめると、耳元で囁くように告げる。
「大丈夫です。きっとうまくいきます」
「……」
「さっき絆先輩が言ってました。心羽先輩を幸せにしてあげて欲しいと。心羽先輩を幸せにしないと許さないって、何度も念を押されたんですよ」
「……玲希?」
「大丈夫、絆先輩は心羽先輩のこと、どうでもいいなんて思っていません。誰よりも大切な妹だって、そう思ってます。これからもずっと」
「……」
「私は心羽先輩と一緒にいるだけで幸せなんです。昨日、そう強く思いました。もちろん今もそうです……私を信じてくれませんか?」
「……」
私の胸の中で、心羽先輩はしばらく黙り込んでいた。そして、しばらくしてから顔を上げると、弱々しく笑みを浮かべた。
「わたしってほんとバカだなぁ」
「……?」
「ねーねにも玲希にも、こんなに心配させて、そんな相手を捨てようとしてた。わたしのことを誰よりも考えてくれる相手を蔑ろにしてた」
「でもそれは私のせいでもあると思います。私の態度が煮えきらなかったから……」
「違うよ。わたしが弱いだけなんだ。ねーねも玲希も強いよ。わたしなんかよりずっと……」
「そんなことないです。私だって心羽先輩がいてくれたから頑張れたんです。心羽先輩のおかげで変われたんですよ。心羽先輩がいたから、私は……」
「……ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」
心羽先輩は少し落ち着いた様子で微笑むと、私にぎゅっと抱きついた。私はその背中をさすってあげると、先輩は静かに涙を流す。今まで溜め込んできたもの全て吐き出すかのように、大粒の涙を流していた。私はそんな先輩を優しく見つめながら、先輩が落ち着くまで抱きしめ続けた。
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