アルマン伯爵と男装近侍

早瀬黒絵

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# The eleventh case:Banquet of the insectivore.―食虫植物の宴―

蔦、十二葉。

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 二度目の訪問から二日後の七月下旬。

 まだ暑さは増しつつあり、今日も今日とて空はよく晴れ渡っている。

 そんな中を馬車に揺られて移動していれば、当然ながら、動く個室とも言える箱型の馬車の中は熱気がこもって暑い。窓を開けていても通り過ぎる風も温くて涼を取ることも難しい。

 それでも湿気が少ないので蒸さないだけマシだろう。

 伯爵もわたしも少しだけクラヴァットをズラしてシャツの襟を寛げ、少しでも体の熱を下げようと努力してみたがあまり効果はないような気がした。

 服は夏用の生地の薄いもので作られてはいるものの、下着にシャツ、ジレ、アビと重ね着していては生地の薄さなど関係ない。体に沿う形の衣装は風通しも悪くて熱がこもる一方である。

 開けられた窓の隙間から流れていく景色を眺めていれば伯爵が口を開いた。



「先ほどから気になっていたが、それは何だ?」



 椅子に腰掛けるわたしの横に立てかけられたものが指差される。

 そこには庭師頭ヘッド・ガーデナーより借りたシャベルが二本あった。



「何って土を掘る道具ですよ。真実を掘り起こすと申し上げたでしょう?」

「……あれは比喩ではなかったのか?」

「はい、言葉通りの意味合いです」



 恐らく、今回活躍する大事な道具なのでわたしはそれが倒れないように立てかけ直した。

 伯爵が微妙な顔をしていたが、本当に必要なので仕方がない。

 まあ、貴族の馬車にシャベルなんて持ち込む人間はまずいないだろう。普通の貴族ならばそもそもこんなものを手にする機会もないから当たり前なのかもしれないが。

 ガタゴトと揺れの感覚が広がって、速度が落ちていく感覚がする。

 目的地が近いことに伯爵も気付いたようだ。

 一言断りを入れてから伯爵の襟元を正し、クラヴァットを整え、次に自分の方も直す。

 こんなものかと首元から手を離すのと馬車が停まるのはほぼ同時だった。

 わたしが先に降りて、次に伯爵が降りる。御者台から従僕のアルジャーノンさんも降りてきた。

 目の前には庭付きの乳白色の一軒家がある。夏の日差しを浴びて鮮やかなに色づく庭先の緑に家の白が生えて、二階建てだがこじんまりとした可愛らしい雰囲気を醸し出している。



「此処が?」



 伯爵が家を見上げて呟いた。



「ええ、ここがそうです」



 それに返事をしつつ、家の玄関へ向かう。

 扉を叩き、家の主の名前をやや張り上げた声で呼んだ。



「こんにちは、ディアドラさんは御在宅でしょうかっ?」



 前回、前々回と同様に扉の向こうから「はい、今開けますよ」と声がする。

 わたしがこれから行うことは正直に言って褒められたものではない。

 他人様の家に土足で上がり込んだ上に荒らすのだ。

 それを正当化する気はないし、責められたとしても受け入れるつもりだ。

 いつだってそうだ。事件解決のためならばわたしはわたしの出来ることをする。

 小さく、細く、息を吐き出して、カチャリと鍵の開く音に目を閉じる。

 そして扉の開く音に瞼を押し上げた。



「あら? セナさん、今日もいらしてくれたの?」



 玄関の扉を開けたディアドラさんがわたしを見て微笑を浮かべた。

 しかし、わたしの背後にいる伯爵とアルジャーノンさんを見て小首を傾げる。



「そちらの方々はどなた?」

「わたしがお仕えする方でございます。先日はサンドウィッチをありがとうございました。とても美味しかったです。それでこちらをお返ししようと思い、主人にお願いして立ち寄らせていただきました」



 わたしが頭を下げると伯爵が横に並ぶ。

 その後ろでアルジャーノンさんは黙って会釈をしていた。



「クロード・ルベリウス=アルマンだ。うちの使用人が世話になったそうで、礼を言う」

「まあまあ、私は大したことなんてしておりませんのでお気になさらずに。……セナさんも、お口に合って良かったわ。返しに来てくれてありがとう」



 サンドウィッチを包むのに使っていた布を手渡すとディアドラさんは目尻を下げて笑う。

 横で伯爵がディアドラさんや開いた扉の奥を観察しているのが分かった。

 そうと悟られないように伯爵が会話を続ける。



「この辺りでは珍しいくらい綺麗な庭だな。手入れは誰が?」



 そう伯爵に聞かれたディアドラさんの表情がパッと明るくなる。



「私が自分でしております。貴族の方のお庭に比べたら地味でお恥ずかしいですが……」

「そんなことはない。良ければ少し見せてもらってもよろしいか?」

「ええ、ええ、狭い庭ですが好きなだけ御覧になってください」



 庭を褒められたのが余程嬉しいのかディアドラさんは機嫌が良さそうだ。

 玄関を出て、家の脇から庭へ入って行く小柄な背を追いかける。

 庭は二十畳くらいで、小さな一軒家についた猫の額ほどの広さであったが、季節の花や植物が植えられており、年中何かしら見て楽しめるように考えられているようだった。

 その中をディアドラさんが進み、わたし、伯爵、アルジャーノンさんの順に歩いて行く。

 確かに伯爵家の庭のような美しさではないが、ディアドラさんが手塩にかけて育て、整えた庭は貴族の屋敷の庭とはまた違った可愛らしさと美しさがある。

 そして庭先は植物の青と花の甘い匂いが淡く漂っていた。

 その中には前回来た時に嗅いだ臭いもほんの僅かに混じっている。



「……とても綺麗ですね。何か特別なことをしているのでしょうか?」



 足元に咲いている花を屈んで眺めながらアルジャーノンさんが問う。

 彼は畑仕事だけでなく、庭師の仕事にも興味を示していたので気になるのだろう。



「いいえ。毎日欠かさず水をあげることと、肥料を使って土を良くするくらいはしているけれど、それだけよ。あとは雑草との戦いね」



 どこか冗談めかして言うディアドラさんの声は楽しげだ。



「そうなんですか。肥料はどのようなものを?」

「殆どは食べ残しや野菜くずなんかの要らないものよ。それを適当に掘った穴に枯葉を少し入れて、水気を切ったゴミをそこへ捨てるの。最後に土をかけて、上に雨除けの板を置いておくと自然に肥料が出来上がるの。……肥料になるまで、ちょっと臭いけれどね」



 言いながら、庭の一角を指差した。

 そこには植物がなく、地面に木の板が敷かれていた。

 それへ近付いてみれば確かに臭い。



「あまり近付くと服に臭いが移ってしまうわよ。こちらにいらっしゃいな」



 ディアドラさんがそう言ってわたしの手を取り、離れようとする。

 その手を逆に掴み返して問いかける。



「肥料にしてあるのは食べ残しや野菜くずだけですか?」



 ディアドラさんが小首を傾げ、それから頷く。



「ええ、そうよ」

「肉などは入っていないと?」

「それは、食べ残しの中に少しは入っているかもしれないけれど……」



 戸惑う様子のディアドラさんから手を離す。

 わたしはそのまま地面に置かれている板を持ち上げた。

 途端に腐臭の混じった臭いが辺りに広がった。

 思わず、といった風に伯爵が眉を顰めて片手で口元を覆う。

 この仕事を始めてから何度も嗅いだことのある臭いが鼻を刺激する。

 野菜などが腐った時の臭いと肉が腐った時の臭いは全く同じではない。肉の方が甘みと酸味のある、ねっとり吐き気を催すような生臭い腐敗臭がするのだ。アンモニアの臭いも混ざっている。

 野菜や果物を肥料にするならば発酵させなければならない。

 このような臭いがしている方がおかしいのだ。

 板を開けた拍子にハエが何匹か飛んでいく。

 板を横の壁に立てかけて振り返る。



「肉が腐った時、このような腐敗臭がするんです。……野菜くずなども混じっているのでしょうけれど、これでは肥料には向かないと思いますよ」



 水気が多かったのか、発酵ではなく腐敗の方に傾いてしまっている。

 これを植物の肥料にしたら枯れてしまうだろう。

 ディアドラさんが「あら、そのようね」と残念そうに呟いた。



「……最初から気付いていたの?」



 静かな問いに首を振る。



「気付いたのは二度目の訪問の後です。トリスタンさんから、微かにですがこの臭いがしたので。でもこの臭いがそうだと思い出したのは、ここを出てからの話ですが」



 ディジャールさんを探している時に見つけた仔猫。

 あの死体に触れた手に残った臭いと、ここで嗅いだ臭いはよく似ていた。

 生き物が腐った時の、この臭いである。




「そう……」



 目を伏せたディアドラさんに問う。



「掘り返してもよろしいですね?」



 チラと視線を向ければアルジャーノンさんが頷いて庭を出て行く。

 伯爵へも目だけで問いかけ、頷き返される。



「ええ、好きになさってちょうだい。……言い逃れはしませんわ」



 手にシャベルを持ったアルジャーノンさんが戻って来る。

 二本あるうちの一つを受け取り、腐敗臭のする地面へ突き立てた。

 固められていない土の中にシャベルの先端がザクリと沈み込む。根本の広くなっている部分に足を乗せ、体重をかければ更に深く入って行く。柄をしっかり持ち、土を抉るように掬い取った。

 それだけで腐敗臭が増す。

 無口なアルジャーノンさんも眉を寄せて土を掘り返す。

 わたしも黙って土を掘った。

 そして地面より四十センチほど掘り下げると土ではないものに先端が当たる感触があった。

 アルジャーノンさんと顔を見合わせ、慎重に表面の土を退かしていく。

 腐敗臭が一際強くなり、息をするのもつらい。



「……旦那様、ございました」



 土にまみれた小間切れの死体が顔を覗かせた。

 酷い腐敗臭で、変色した死体は所々骨が覗き、最低でも死後数ヶ月は経っているだろう。

 どうしてもバラバラに出来なかったのだろう頭部と、明らかに人間のものである指がなければ、それが本当に人間の死体かどうかすぐに判断するのは難しかったかもしれない。

 伯爵が穴の中を覗き込み、アルジャーノンさんを警察署へ向かわせた。

 わたしは穴から出て、そこへ板を戻すと一歩離れて大きく息を吸う。

 ここも腐敗臭はするけれど側にいるよりかは幾分マシである。

 近くの地面へ適当にシャベルを差して手を払う。



「私は逮捕されるのね」



 ディアドラさんが悲しそうな表情でわたしを見つめていた。



「決定的な証拠もありますので、そうなるでしょう」



 庭先から死体が出たのだ。言い訳のしようもない。

 ……いや、ディアドラさんは言い逃れる気はないと言っていたっけ。



「もう支援も続けられないわね」

「……それについては非常に残念です」



 バイロンさんやディアドラさんのように他者を思いやれる人ばかりではない。

 『小鳥の止まり木』の支援者だってそう多くはなく、活動資金も、常にギリギリである。

 そんな中でも利益を求めずに誰かの助けになろうとする人はとても貴重だ。

 でも、それも今日で終わりだ。



「これは誰だ」



 伯爵がフタ代わりになっている板を目で示してディアドラさんへ問い質す。



「……」

「黙っていても何れ分かることだ」



 僅かに言い淀んだディアドラさんに伯爵は冷たく言った。

 『小鳥の止まり木』に問い合わせれば身元は判明するだろう。

 恐らく、ここに埋まっているのは元浮浪者なのだから。

 ディアドラさんもそれに気付いているようで、小さく息を吐いた。



「家の中に入ってもよろしいかしら。……ずっと立っているのがつらいの」



 伯爵が暫し逡巡したが、頷いたので、ディアドラさんを家の中へ入れることにした。

 玄関へ戻り、そこから入ってすぐの居間まで歩くディアドラさんの足取りは重い。

 ソファーに伯爵とわたし、ディアドラさんの三人で腰かける。



「……あの人は、半年くらい前までここにおりました。名前はダニー=サムソンさんといって、大柄でよく食べる人で、『小鳥の止まり木』の紹介で来たけれどあまり性格は良くありませんでしたわ」



 まるで昔話を語るようにディアドラさんは訥々とつとつと話し出した。

 当時のことを思い出してか深い溜め息を零す。



「一緒にここに住んでいる他の人とも争いが絶えなくて、気分屋なのか仕事を勝手に休んだり洗濯をしなかったり、食事が不味いと言って外で食べてくることも多かった」

「だから殺したと?」

「これだけ歳を取ると、それくらいで怒りはしませんわ」



 伯爵の言葉にディアドラさんは微笑を浮かべて首を振る。



「でも、そうね、積もり積もったものが私にもあったのでしょう」



 そう意味深に言って目を細めた。そこに後悔の色はない。

 全てを受け入れた瞳が少しだけ困った風に目尻を下げてこちらを見た。



「彼を殺して、あそこに埋めたのは私です」



 それはとても静かな声だった。

 それ以上の質問を拒絶するか如く、力強い声でもあった。

 けれども伯爵もわたしも追及の手を止めるわけにはいかない。



「いいえ、それはあなたには出来ません」



 わたしがそれを否定すればディアドラさんに鋭い眼差しを向けられる。



「先ほど仰った通りであれば、あなたは自分よりも大柄の男性を殺して、解体し、埋めたことになります。あなたのような女性が一人で行うには無理があるのですよ」



 先日訪ねた時には腰が悪いとも言っていた。

 それがここ半年以内のことなのか、以前よりそうだったのかは分からないが、目の前に座る細くて小柄な女性が己よりも体の大きな成人男性を殺して、バラバラにして、地面に埋めたという証言を信じるのは難しい。

 誰か協力者がいたか、犯人は別にいると考える方が説明がつくのだ。



「そうかもしれないわね。けれどね、ガーデニングは力仕事も多くて、こう見えてわたしだって体力があるの。自分でも驚いたわ。……人間、いざとなれば何だって出来るものよ」



 穏やかに、噛み締めるように、ディアドラさんが言う。

 そこには事実と嘘とが入り混じっている気配がした。

 全てが嘘というわけではなく、しかし真実だけを話しているわけでもない。

 ただ静かに微笑んで座っている彼女は何かを決意した風だった。


 
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