42 / 56
42、
しおりを挟む
「……て、もう聞いていませんね。片付けまでしてほしかったんですけど。これ片付けるの私なんですよ!」
戦闘が行われていた厨房は至急掃除の必要がある。
「とにかくまずはこの始末をつけないと。兵士を呼んで……」
この人は勝手に棚にぶつかって、上から物が落ちてきて気を失った。そういうことにしておこう。状況証拠は完璧だ。
「それから部屋の片付けね……」
軽く目眩がする。とんだ時間外労働だ。
「随分と派手に暴れてくれたな」
「そうですよね……」
一瞬にして背筋が凍る。
誰かに見られていた? しかもこの声は……
人間は嫌な相手ほど忘れないものだ。感心するような響きだが、とても聞き覚えがある声なので振り返るのが怖い。
「陛下!?」
即位したばかりのセオドア殿下が立っている。
私の姿を改めて目にしたセオドア殿下は僅かに目を見張いた。
「お前、レモンか」
それは私の名前ではありません。かといって名前を記憶してほしくもありませんけど!
「陛下、何故このような場所に!」
「水をもらいに来たら取り込み中のようでな。お前、本当に厨房で働いているのか? とても料理人の動きには見えなかったが」
見てたんですか! そして聞いていたんですか!
どこに国王陛下自ら水をもらいに来る人がいるんです! そういうことは人に頼んで下さい。切実にっ!
「随分と散らかしたものだな」
「申し訳ございません! すぐに片付けます」
「いや、責めているわけではない。良くやった」
え……いま、もしかして、褒められた?
現実が身体に染み渡ると、心が盛大に拒絶していた。どうしてこの人に褒められないといけないの?
「どうした。複雑そうな顔をして」
もしかして、国王に褒められて嬉しくないのか、とでも思ってます?
嬉しくないに決まってるじゃないですか!
断じて嬉しくありません。どうせ褒めるのなら主様の方でお願い致します――とは間違っても言えない私は恐縮という演技で取り繕う。
「申し訳ありません、感激のあまり!」
「喜べと強制しているわけではない。だが、後日褒美は取らせよう。この件も私から料理長へ進言しておく。お前は何も心配せず休むといい」
昏倒する女性は兵士に連行され、ひとまず私は部屋へ戻ることを許された。
翌朝はいつも通りに出勤すれば、多くの注目を浴びることになる。
料理長には良くやったと褒められ、先輩からは興味深そうに事情を訊かれ、はぐらかすのも一苦労だ。副料理長は傍観を決め込んでいるけれど、私を見る目は明らかに昨日までと違う。
厨房だけではなく、城中が侵入者を撃退した私の話題で持ちきりとなっていた。正直に言えば困る。これまで密偵として影に徹してきた私は慣れないことばかりだ。
セオドア殿下にさえ見つからなければ偶然の事故で処理するはずだったのに!
すべてはあの人の罪。そしてセオドア殿下からのお呼び出しをくらうこともなかった……。
「お前、何者だ?」
開口一番、仕事を終えた私を待っていたのはセオドア殿下――改め陛下の尋問だ。
侵入者は向こうなのに、むしろ私の方がこの人の関心を引いてしまったらしい。即位したばかりで多忙のはずが、こんなところで時間を割かなくてもいいんですよ!?
「もう一度聞く。お前は何者だ?」
それ、貴方に言われたくない台詞堂々の一位なんですけどね!
何者か?
語るべき役職を失ったのはこの人のせいだ。
「恐れながら、私が厨房勤務であることは陛下もご存じのはずですが」
「料理長もそのように答えていたな。だが、侵入者の話ではとても常人の動きではなかったと供述している。私も同意見だ」
「身体能力には自信があります」
とても納得したとは言えない表情だ。
「昨日もお話したとおり、道に迷ったという彼女を案内したところ、突然襲われたのです。運良く棚の荷物が落下し、窮地を切り抜けたることができました。陛下が来て下さらなければどうなっていたことか!」
「お前が捕らえたあの女だが」
私の演技はスルーですか、そうですか。ですから私が捕らえたわけではないと何度言えば……
「他国の密偵だった。現在は寝返って私の側についたが、懸命な判断だな」
あの人は寝返ってでも生きる道を選んだ。他人の生き方に口を出す権利はないけれど、自分は同じ生き方を選べはしないだろうと考えてしまう。
戦闘が行われていた厨房は至急掃除の必要がある。
「とにかくまずはこの始末をつけないと。兵士を呼んで……」
この人は勝手に棚にぶつかって、上から物が落ちてきて気を失った。そういうことにしておこう。状況証拠は完璧だ。
「それから部屋の片付けね……」
軽く目眩がする。とんだ時間外労働だ。
「随分と派手に暴れてくれたな」
「そうですよね……」
一瞬にして背筋が凍る。
誰かに見られていた? しかもこの声は……
人間は嫌な相手ほど忘れないものだ。感心するような響きだが、とても聞き覚えがある声なので振り返るのが怖い。
「陛下!?」
即位したばかりのセオドア殿下が立っている。
私の姿を改めて目にしたセオドア殿下は僅かに目を見張いた。
「お前、レモンか」
それは私の名前ではありません。かといって名前を記憶してほしくもありませんけど!
「陛下、何故このような場所に!」
「水をもらいに来たら取り込み中のようでな。お前、本当に厨房で働いているのか? とても料理人の動きには見えなかったが」
見てたんですか! そして聞いていたんですか!
どこに国王陛下自ら水をもらいに来る人がいるんです! そういうことは人に頼んで下さい。切実にっ!
「随分と散らかしたものだな」
「申し訳ございません! すぐに片付けます」
「いや、責めているわけではない。良くやった」
え……いま、もしかして、褒められた?
現実が身体に染み渡ると、心が盛大に拒絶していた。どうしてこの人に褒められないといけないの?
「どうした。複雑そうな顔をして」
もしかして、国王に褒められて嬉しくないのか、とでも思ってます?
嬉しくないに決まってるじゃないですか!
断じて嬉しくありません。どうせ褒めるのなら主様の方でお願い致します――とは間違っても言えない私は恐縮という演技で取り繕う。
「申し訳ありません、感激のあまり!」
「喜べと強制しているわけではない。だが、後日褒美は取らせよう。この件も私から料理長へ進言しておく。お前は何も心配せず休むといい」
昏倒する女性は兵士に連行され、ひとまず私は部屋へ戻ることを許された。
翌朝はいつも通りに出勤すれば、多くの注目を浴びることになる。
料理長には良くやったと褒められ、先輩からは興味深そうに事情を訊かれ、はぐらかすのも一苦労だ。副料理長は傍観を決め込んでいるけれど、私を見る目は明らかに昨日までと違う。
厨房だけではなく、城中が侵入者を撃退した私の話題で持ちきりとなっていた。正直に言えば困る。これまで密偵として影に徹してきた私は慣れないことばかりだ。
セオドア殿下にさえ見つからなければ偶然の事故で処理するはずだったのに!
すべてはあの人の罪。そしてセオドア殿下からのお呼び出しをくらうこともなかった……。
「お前、何者だ?」
開口一番、仕事を終えた私を待っていたのはセオドア殿下――改め陛下の尋問だ。
侵入者は向こうなのに、むしろ私の方がこの人の関心を引いてしまったらしい。即位したばかりで多忙のはずが、こんなところで時間を割かなくてもいいんですよ!?
「もう一度聞く。お前は何者だ?」
それ、貴方に言われたくない台詞堂々の一位なんですけどね!
何者か?
語るべき役職を失ったのはこの人のせいだ。
「恐れながら、私が厨房勤務であることは陛下もご存じのはずですが」
「料理長もそのように答えていたな。だが、侵入者の話ではとても常人の動きではなかったと供述している。私も同意見だ」
「身体能力には自信があります」
とても納得したとは言えない表情だ。
「昨日もお話したとおり、道に迷ったという彼女を案内したところ、突然襲われたのです。運良く棚の荷物が落下し、窮地を切り抜けたることができました。陛下が来て下さらなければどうなっていたことか!」
「お前が捕らえたあの女だが」
私の演技はスルーですか、そうですか。ですから私が捕らえたわけではないと何度言えば……
「他国の密偵だった。現在は寝返って私の側についたが、懸命な判断だな」
あの人は寝返ってでも生きる道を選んだ。他人の生き方に口を出す権利はないけれど、自分は同じ生き方を選べはしないだろうと考えてしまう。
0
お気に入りに追加
124
あなたにおすすめの小説
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
気まぐれな婚約者に振り回されるのはいやなので、もう終わりにしませんか
岡暁舟
恋愛
公爵令嬢ナターシャの婚約者は自由奔放な公爵ボリスだった。頭はいいけど人格は破綻。でも、両親が決めた婚約だから仕方がなかった。
「ナターシャ!!!お前はいつも不細工だな!!!」
ボリスはナターシャに会うと、いつもそう言っていた。そして、男前なボリスには他にも婚約者がいるとの噂が広まっていき……。
本編終了しました。続きは「気まぐれな婚約者に振り回されるのはいやなので、もう終わりにします」となります。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。
ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。
毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる