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二十七、呪われた子の選ぶ道
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「ところで君、手が震えていないか?」
視線を辿り納得する。言われてみれば、朧の無事を確認したというのに震えが止まっていなかった。
「よく閉じ込められていたから、ここは少し苦手、かもしれない」
離れに隔離される前、粗相があれば何日も暗い牢に閉じ込められていた。忘れてしまいたい記憶だったけれど、自分が思う以上に身体は憶えているのかもしれない。
「長居は無用だな。少し離れてくれないか」
「わかった」
「それと、続きは後で聞かせてくれ。それとも素直なのは今だけか?」
言われた通りに牢から離れ、けれどその問いには首を振った。伝えたいことはたくさんある。
「もっと朧と話したい。許されるのならたくさん聞いていてほしい」
「本当に別人のようだ」
今度は驚きではなく嬉しそうに言ってくれる。そのことに胸を熱くしていたのだが、はてと気付いてしまった。朧は笑みを浮かべている。何度も目にしてきたこれは……彼にとっては普通でも、私にとっては不穏なことを考えている表情で。
「おぼ――」
瞬いたほんの一瞬、閃光のように炎がはしる。
次いで轟音を捉えていた。
朧の手から放たれた炎は新たな炎を生み鉄格子を焼き尽くす。風のように階段を這い、火の勢いで扉まで吹き飛ばしてしまう。わずかながら明かりが差したように感じた。
「朧!? な、お前、何を!」
何をしたか? 明白だ。私たちの間に格子なんてもの存在していない。景気よく破壊してくれたのだ。
「こんなことして、早く逃げないと!」
おそらく手遅れだろうけど。
なのに朧は焦るでもなく、優雅な動作で牢のあった場所から出てくる。
「妻の親族に会いに来ただけだ。やましいことがあるわけでもない」
いっそ清々しいほどの物言いである。だからといって牢を破壊するのはどうかと思うけれど。もっと穏便に行動してもいいのではと思わずにいられない。
「なら、堂々と出ていくだけさ。清々したろう?」
してやったり、そんな顔だと思う。少し意地悪くも見えて、でも優しそうに瞳を細めている。
「もしかして、私が苦手と言ったから?」
疑問を向ければ大破壊犯は平然と手を差し伸べてくる。
「ほら、行くぞ」
闇に閉ざされていた牢は外へと続き、かつて私を閉じ込めていたものは消えた。もう怯える必要はない。それはなんて、なんて……朧の言葉を借りるなら、これが清々したということ?
だんだん狼狽えているのが馬鹿らしくなってきた。朧に習って開き直ったほうが良いのだろうかと、少しの自棄が混ざりつつ握り返す。
朧はいつも私を導いてくれるけど、今回は違う。私が望んでこの手を取った。彼の隣にいたいと願って選んだ。だから、少しだけ強く引っ張ろう。そこには私の意志があると伝えるために。
「ありがとう。私も清々した」
さあ行こうと決意を新たに前を見据えたところ予期せぬ強い力に体制を崩す。とはいえ原因を作った張本人が受け止めてくれたので大事には至らなかった。
「朧――え?」
頬に何かが触れた。今の……何?
破壊行為とはうって変わって事態を呑みこむのに時間がかかる。近すぎる朧との距離。湿った感触が頬に……朧の舌が、私の頬に、触れてっ!?
あろうことか流した涙の痕を丁寧に辿っていく。
「俺のために流れた涙というのは甘いな。癖になりそうだ」
舌なめずりも様になるけど、その舌が憎らしい!
「あ、甘くない!」
流れるような動作は突然なくせに、あまりにも自然で抵抗も忘れていた。
「君が俺のために泣くのも悪くないと、そう思ったら引き寄せられていた」
さもわけがわからないと言いたげだが、それは私の立場と台詞。取るな!
「も、もう行く!」
今度こそ私が引っ張っていく。人が覚悟を決めている瞬間に、このあやかしはっ!
「そう急く必要もないだろう」
「早くっ!」
今度こそ問答無用で地上を目指した。
朧が危険を承知で派手な破壊を選んだ理由には当主様を呼び出すという目的もあるのだろう。あれほど派手にやらかせば気付かれて当然、彼らはようやくかという言わんばかりに待ち構えていた。
「何をしている」
当主様は静かに告げ、こうなることがわかっていたのかもしれない。その瞳に私を映し愚かだと語る。怒りというより失望を感じた。その失望は確かに私へと向けられていて……ああやっと。
「やっと私を見てくださいましたね」
当主様はいつも、私を前にしても別のことに気を取られているようだった。けれど今この瞬間は確かに目の前の私へ感情を注いでくれる。たとえ失望されようと、長年望んできたものが与えられる喜びが勝った。
「これが最後だ。影無しよ、裏切るのか?」
けれどもう、当主様の望みに応えることは出来ない。
「そう思われても構いません。私は、当主様の望むようには生きられない」
「ほう……」
顔色を伺って生きてきたからこそ、機嫌を損ねたことはすぐにわかった。
「一つ、昔話をしようか。なに、私が生まれるよりもずっと昔のことよ……」
人ではない何かがいた。それはあやかしだったのだろう。
言葉もしゃべれず無力にも等しいそれは、おぼろげに人の形を真似ていた。黒く揺らめき、何をするでもない。ただそこに在り、ひたすら我々を眺めていたという。
得体が知れないというのは怖ろしいことだ。なればこそ、先祖様はそれを斬り殺した。
言葉を理解していなかったはずのそれは、だが確かに呪いを吐いた。
消えゆく寸前、酷く怖ろし気な声だった。
叫ぶでもなく、血を吐くでもなく、ただ一言だけにすべてを乗せ――
呪いあれ、と。
先祖様は呪われた。名を変え、住処を変えようと、この血筋は呪われたままよ。奴の存在を忘れそうになるたび、忘れるなとその血に刻むように呪われた子が生まれる。
「お前を産んだ者は確か、盲目だったか」
「私を産んで、すぐに亡くなったと」
「影の無い娘、新たに産まれた呪いを引き継ぐ者。あ奴は役目を終えたとばかりに息を引き取った」
「その方の名は……」
「あるわけなかろう」
名も無き母は幸せだったのだろうか。それを知る術は無いけれど、願わずにはいられない。
「お前の隣にいるそれも憎むべきあやかしよのう。そのような輩のせいでお前は呪われたのだぞ」
だから考え直せとでもいうのだろうか。
「罪深いのは我らではない。浅ましきあやかしよ! 何故、我らが怯えねばならぬ? なればこそ、一匹でも多くのあやかしを消し去れと、それこそが望月に生まれた者の使命だと先祖様はおっしゃられた!」
この人たちは何度でも繰り返す。たとえ私が死んでも、また私の代わりが生まれる。母も、私も、次に生まれるであろう誰かも同じ運命を辿り続けるの?
そんなくだらない決め事のために私たちは――
「くだらぬ家だ」
朧が吐き捨てる。まるで心を読まれたようで驚かされた。
「何故、彼女一人があやかしを狩り続けねばならない」
「なんだと?」
「彼女は大切な家族だろう」
「家族? 笑わせるな。これはあやかしを狩る道具よ! 貴様らが生み出したものが貴様らを滅ぼす。なんと滑稽なことか!」
「俺もいずれは一族を背負う身だが、こうはなりたくないものだ」
私の胸に巣くうものは怒りと形を変えていた。朧が代わりに怒ってくれたから、もう十分。
「朧、もういい。ありがとう、代わりに怒ってくれて」
「君……」
感謝を告げて当主様に向き直る。これは私が決着をつけるべき問題で、甘えるわけにはいかない。
「影無し、それを斬れ。そ奴の首と引き換えならば、特別に望月の人間と認めてやろう! 健気に頑張っていたではないか。そうだろう?」
「……その通り、でした」
こんな人たちに認められたくてあやかしを狩り続けた私も罪深い。
「夜ごと狩に出ることもない。あやかしの数を数え、孤独に怯えることもない。ああ、名もくれてやろう!」
「それは出来ません」
あれほど憧れていたはずなのに迷うこともない。私の心はちっとも揺れなかった。
「なんだと?」
「私はもう影無しでも名無しでもありません。椿です」
当主様は困惑しているけれど私は冷静だ。あれほど当主様に感じていた感情が全て薙いでしまった。激高も動揺も全て牢に置いてきたみたいだ。
「馬鹿な。そのような名に意味があると? 血迷うたか」
「命令されるまま、傀儡のようにあやかしを斬っていた頃とは違う。これからは自分で考えてしたいことをします。これが私の意思です」
朧は何も言わないけれど、だからこそ私を信じているのだと感じられて嬉しかった。
「そこのあやかしなら受け入れてくれると? お前は同胞を斬り殺したというに、受け入れられると本気で思うのか!?」
「確かに私は何度もあやかしを斬りました。あやかしからも怨まれる存在なのでしょう」
「それみたことか!」
「でもこれが私です」
それでも良いと朧は言ってくれた。
呪われていても罪を重ねていても、それが私という存在を形作っている。今日まで生きてきた私を否定されたくはない。
呪われて産まれてきたから朧に会えた。こうして寄り添うことができた。
たくさん斬った。
たくさん殺めた。
この感情を後悔と呼ぶのなら、これからはたくさん守りたい。殺めた数だけ、それ以上に助けたい。生かしたい。あやかしも人も、私が助けたい。
「勝手なことを、ふざけるな!」
「二度と戻りません。死んだものとお思いください」
「育ててやった恩を忘れたか!? そんな勝手がまかり通ると思うのか!」
「通るさ。彼女は俺が攫わせてもらう」
朧はふわりと私を抱き上げる。安心させるように腕で囲い、ぴたりと胸にくっつけさせた。朧の香りが私を満たす。刀を抜いて威嚇する人間たちを嘲笑うように易々と飛び越えた。
「たとえ影を従えようと当代の呪い子は私。私は彼と共に長い時間を生きるでしょう。私が生きている限り望月家に次の呪いは訪れない。この呪いは私が引き受けます。それがせめてもの育てて頂いた恩返しです」
「貴様ら……!」
もう聞く必要はないと朧が視界を遮ってしまう。激高する当主様の声が遠ざかり、これまで怯えていた存在の小ささを知った。
あやかしと人――
当主様は頑なにあやかしを否定し続けた。違うことに怯え拒絶する。そんな当主様を非難する資格は私にはない。望月家を軽蔑することも出来ない。形はどうあれ、彼らが長年あの地で人を救っていたことは事実だ。
でもきっと、当主様は知らない。私だって初めは朧が大嫌いで、あやかしが憎かった。ひとたび気持ちを理解してしまえば同じ存在に落ちてしまうようで怖かった。
私は朧がいてくれたから知ることが出来たけど、当主様には教えてくれるあやかしがいなかった。私が変わったように、当主様と歩み寄る未来があったのかもしれない。
けれどこの場で距離を縮めることは難しい。思想を強要するのも都合が良すぎる。解決にはきっと時間が必要で、永遠にこの場に留まることは出来ない。だとしたら二度と会わないことがお互いのためになる。
幼い頃から生まれ育った屋敷が遠くなというのに私の胸には悲しみが存在していない。朧と共に翔け、小さくなる望月家を眺め思う。
「今日まで育てて下さったこと、感謝しています」
別れの挨拶にしてはあまりにも一方的なものだ。それでも言わずにはいられなかった。
私はこの人と生きていく。だからもう、この家が呪われることはないだろう。新たな怨みをかわない限り……
視線を辿り納得する。言われてみれば、朧の無事を確認したというのに震えが止まっていなかった。
「よく閉じ込められていたから、ここは少し苦手、かもしれない」
離れに隔離される前、粗相があれば何日も暗い牢に閉じ込められていた。忘れてしまいたい記憶だったけれど、自分が思う以上に身体は憶えているのかもしれない。
「長居は無用だな。少し離れてくれないか」
「わかった」
「それと、続きは後で聞かせてくれ。それとも素直なのは今だけか?」
言われた通りに牢から離れ、けれどその問いには首を振った。伝えたいことはたくさんある。
「もっと朧と話したい。許されるのならたくさん聞いていてほしい」
「本当に別人のようだ」
今度は驚きではなく嬉しそうに言ってくれる。そのことに胸を熱くしていたのだが、はてと気付いてしまった。朧は笑みを浮かべている。何度も目にしてきたこれは……彼にとっては普通でも、私にとっては不穏なことを考えている表情で。
「おぼ――」
瞬いたほんの一瞬、閃光のように炎がはしる。
次いで轟音を捉えていた。
朧の手から放たれた炎は新たな炎を生み鉄格子を焼き尽くす。風のように階段を這い、火の勢いで扉まで吹き飛ばしてしまう。わずかながら明かりが差したように感じた。
「朧!? な、お前、何を!」
何をしたか? 明白だ。私たちの間に格子なんてもの存在していない。景気よく破壊してくれたのだ。
「こんなことして、早く逃げないと!」
おそらく手遅れだろうけど。
なのに朧は焦るでもなく、優雅な動作で牢のあった場所から出てくる。
「妻の親族に会いに来ただけだ。やましいことがあるわけでもない」
いっそ清々しいほどの物言いである。だからといって牢を破壊するのはどうかと思うけれど。もっと穏便に行動してもいいのではと思わずにいられない。
「なら、堂々と出ていくだけさ。清々したろう?」
してやったり、そんな顔だと思う。少し意地悪くも見えて、でも優しそうに瞳を細めている。
「もしかして、私が苦手と言ったから?」
疑問を向ければ大破壊犯は平然と手を差し伸べてくる。
「ほら、行くぞ」
闇に閉ざされていた牢は外へと続き、かつて私を閉じ込めていたものは消えた。もう怯える必要はない。それはなんて、なんて……朧の言葉を借りるなら、これが清々したということ?
だんだん狼狽えているのが馬鹿らしくなってきた。朧に習って開き直ったほうが良いのだろうかと、少しの自棄が混ざりつつ握り返す。
朧はいつも私を導いてくれるけど、今回は違う。私が望んでこの手を取った。彼の隣にいたいと願って選んだ。だから、少しだけ強く引っ張ろう。そこには私の意志があると伝えるために。
「ありがとう。私も清々した」
さあ行こうと決意を新たに前を見据えたところ予期せぬ強い力に体制を崩す。とはいえ原因を作った張本人が受け止めてくれたので大事には至らなかった。
「朧――え?」
頬に何かが触れた。今の……何?
破壊行為とはうって変わって事態を呑みこむのに時間がかかる。近すぎる朧との距離。湿った感触が頬に……朧の舌が、私の頬に、触れてっ!?
あろうことか流した涙の痕を丁寧に辿っていく。
「俺のために流れた涙というのは甘いな。癖になりそうだ」
舌なめずりも様になるけど、その舌が憎らしい!
「あ、甘くない!」
流れるような動作は突然なくせに、あまりにも自然で抵抗も忘れていた。
「君が俺のために泣くのも悪くないと、そう思ったら引き寄せられていた」
さもわけがわからないと言いたげだが、それは私の立場と台詞。取るな!
「も、もう行く!」
今度こそ私が引っ張っていく。人が覚悟を決めている瞬間に、このあやかしはっ!
「そう急く必要もないだろう」
「早くっ!」
今度こそ問答無用で地上を目指した。
朧が危険を承知で派手な破壊を選んだ理由には当主様を呼び出すという目的もあるのだろう。あれほど派手にやらかせば気付かれて当然、彼らはようやくかという言わんばかりに待ち構えていた。
「何をしている」
当主様は静かに告げ、こうなることがわかっていたのかもしれない。その瞳に私を映し愚かだと語る。怒りというより失望を感じた。その失望は確かに私へと向けられていて……ああやっと。
「やっと私を見てくださいましたね」
当主様はいつも、私を前にしても別のことに気を取られているようだった。けれど今この瞬間は確かに目の前の私へ感情を注いでくれる。たとえ失望されようと、長年望んできたものが与えられる喜びが勝った。
「これが最後だ。影無しよ、裏切るのか?」
けれどもう、当主様の望みに応えることは出来ない。
「そう思われても構いません。私は、当主様の望むようには生きられない」
「ほう……」
顔色を伺って生きてきたからこそ、機嫌を損ねたことはすぐにわかった。
「一つ、昔話をしようか。なに、私が生まれるよりもずっと昔のことよ……」
人ではない何かがいた。それはあやかしだったのだろう。
言葉もしゃべれず無力にも等しいそれは、おぼろげに人の形を真似ていた。黒く揺らめき、何をするでもない。ただそこに在り、ひたすら我々を眺めていたという。
得体が知れないというのは怖ろしいことだ。なればこそ、先祖様はそれを斬り殺した。
言葉を理解していなかったはずのそれは、だが確かに呪いを吐いた。
消えゆく寸前、酷く怖ろし気な声だった。
叫ぶでもなく、血を吐くでもなく、ただ一言だけにすべてを乗せ――
呪いあれ、と。
先祖様は呪われた。名を変え、住処を変えようと、この血筋は呪われたままよ。奴の存在を忘れそうになるたび、忘れるなとその血に刻むように呪われた子が生まれる。
「お前を産んだ者は確か、盲目だったか」
「私を産んで、すぐに亡くなったと」
「影の無い娘、新たに産まれた呪いを引き継ぐ者。あ奴は役目を終えたとばかりに息を引き取った」
「その方の名は……」
「あるわけなかろう」
名も無き母は幸せだったのだろうか。それを知る術は無いけれど、願わずにはいられない。
「お前の隣にいるそれも憎むべきあやかしよのう。そのような輩のせいでお前は呪われたのだぞ」
だから考え直せとでもいうのだろうか。
「罪深いのは我らではない。浅ましきあやかしよ! 何故、我らが怯えねばならぬ? なればこそ、一匹でも多くのあやかしを消し去れと、それこそが望月に生まれた者の使命だと先祖様はおっしゃられた!」
この人たちは何度でも繰り返す。たとえ私が死んでも、また私の代わりが生まれる。母も、私も、次に生まれるであろう誰かも同じ運命を辿り続けるの?
そんなくだらない決め事のために私たちは――
「くだらぬ家だ」
朧が吐き捨てる。まるで心を読まれたようで驚かされた。
「何故、彼女一人があやかしを狩り続けねばならない」
「なんだと?」
「彼女は大切な家族だろう」
「家族? 笑わせるな。これはあやかしを狩る道具よ! 貴様らが生み出したものが貴様らを滅ぼす。なんと滑稽なことか!」
「俺もいずれは一族を背負う身だが、こうはなりたくないものだ」
私の胸に巣くうものは怒りと形を変えていた。朧が代わりに怒ってくれたから、もう十分。
「朧、もういい。ありがとう、代わりに怒ってくれて」
「君……」
感謝を告げて当主様に向き直る。これは私が決着をつけるべき問題で、甘えるわけにはいかない。
「影無し、それを斬れ。そ奴の首と引き換えならば、特別に望月の人間と認めてやろう! 健気に頑張っていたではないか。そうだろう?」
「……その通り、でした」
こんな人たちに認められたくてあやかしを狩り続けた私も罪深い。
「夜ごと狩に出ることもない。あやかしの数を数え、孤独に怯えることもない。ああ、名もくれてやろう!」
「それは出来ません」
あれほど憧れていたはずなのに迷うこともない。私の心はちっとも揺れなかった。
「なんだと?」
「私はもう影無しでも名無しでもありません。椿です」
当主様は困惑しているけれど私は冷静だ。あれほど当主様に感じていた感情が全て薙いでしまった。激高も動揺も全て牢に置いてきたみたいだ。
「馬鹿な。そのような名に意味があると? 血迷うたか」
「命令されるまま、傀儡のようにあやかしを斬っていた頃とは違う。これからは自分で考えてしたいことをします。これが私の意思です」
朧は何も言わないけれど、だからこそ私を信じているのだと感じられて嬉しかった。
「そこのあやかしなら受け入れてくれると? お前は同胞を斬り殺したというに、受け入れられると本気で思うのか!?」
「確かに私は何度もあやかしを斬りました。あやかしからも怨まれる存在なのでしょう」
「それみたことか!」
「でもこれが私です」
それでも良いと朧は言ってくれた。
呪われていても罪を重ねていても、それが私という存在を形作っている。今日まで生きてきた私を否定されたくはない。
呪われて産まれてきたから朧に会えた。こうして寄り添うことができた。
たくさん斬った。
たくさん殺めた。
この感情を後悔と呼ぶのなら、これからはたくさん守りたい。殺めた数だけ、それ以上に助けたい。生かしたい。あやかしも人も、私が助けたい。
「勝手なことを、ふざけるな!」
「二度と戻りません。死んだものとお思いください」
「育ててやった恩を忘れたか!? そんな勝手がまかり通ると思うのか!」
「通るさ。彼女は俺が攫わせてもらう」
朧はふわりと私を抱き上げる。安心させるように腕で囲い、ぴたりと胸にくっつけさせた。朧の香りが私を満たす。刀を抜いて威嚇する人間たちを嘲笑うように易々と飛び越えた。
「たとえ影を従えようと当代の呪い子は私。私は彼と共に長い時間を生きるでしょう。私が生きている限り望月家に次の呪いは訪れない。この呪いは私が引き受けます。それがせめてもの育てて頂いた恩返しです」
「貴様ら……!」
もう聞く必要はないと朧が視界を遮ってしまう。激高する当主様の声が遠ざかり、これまで怯えていた存在の小ささを知った。
あやかしと人――
当主様は頑なにあやかしを否定し続けた。違うことに怯え拒絶する。そんな当主様を非難する資格は私にはない。望月家を軽蔑することも出来ない。形はどうあれ、彼らが長年あの地で人を救っていたことは事実だ。
でもきっと、当主様は知らない。私だって初めは朧が大嫌いで、あやかしが憎かった。ひとたび気持ちを理解してしまえば同じ存在に落ちてしまうようで怖かった。
私は朧がいてくれたから知ることが出来たけど、当主様には教えてくれるあやかしがいなかった。私が変わったように、当主様と歩み寄る未来があったのかもしれない。
けれどこの場で距離を縮めることは難しい。思想を強要するのも都合が良すぎる。解決にはきっと時間が必要で、永遠にこの場に留まることは出来ない。だとしたら二度と会わないことがお互いのためになる。
幼い頃から生まれ育った屋敷が遠くなというのに私の胸には悲しみが存在していない。朧と共に翔け、小さくなる望月家を眺め思う。
「今日まで育てて下さったこと、感謝しています」
別れの挨拶にしてはあまりにも一方的なものだ。それでも言わずにはいられなかった。
私はこの人と生きていく。だからもう、この家が呪われることはないだろう。新たな怨みをかわない限り……
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