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二十四、対峙の時

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 どうか野菊が戻ってきませんように――

 心優しい彼女を危険に巻き込みたくない。
 当主様のあやかし嫌いは私以上、それはもう憎悪と言っても変わりないほどだ。ここに彼女がいれば間違いなく斬れと命じられてしまう。

「てっきりあやかしに食われたと思っていたが、健在とは驚いた。では何故戻らない?」

 あれから何度夜を繰り返したと当主様は私を責めている。

「夜明けまでに戻れと、日が昇れば、決して戻ってはいけないと……」

「どうした? まさか迷子になって戻れなった、などと無様なことは言うまい」

 私の発言はまるで無かったことのように扱われてしまう。

「お役目の、途中です」

 そう返す以外の選択肢はないということだ。

「そうかそうか、さすがお前は良い子に育ったものだ」

 当主様は笑った。褒められるなんて初めてのことだ。それなのにどうして、私は怯えている?

「では一度戻るがいい」

 怖れていた言葉を告げられてしまった。私にとって当主様の命令は絶対、唯一人で在り続けるための道。逆らえばどうなるかなんて、考えてもいけないことだ。

 朧と出会う前なら迷わなかったと思う。けれど今の私には朧との約束があった。それは私が私であるために必要なもの。たとえ命を危険にさらしてまで守りたかった約束が私をこの場に縫いとめる。

「当主様、私はまだ」

「影無しの意見など誰も求めておらんよ」

 最後まで聞いてもくれない。当主様にとって私はあやかしを狩るための道具。道具に意志は必要ないのだから。
 でも朧は、いつも私の話を聞いてくれた。楽しい話でもないのに穏やかな表情で、その度にあやかしだということを忘れそうになった。朧だったらと、狩るべき相手に希望を抱き縋ろうとしているなんて、私はやっぱり浅ましい。

 朧、私は朧に……会いたい、のかもしれない。

「遅いと思えば、こんなところで寄り道かい?」

 これは幻聴? 耳までおかしくなった?
 だって、私はこの声を知っている。艶やかで憎たらしくて、でも聞くと安心するこの声は――

「どう、して……」 

 声のした方を見上げれば、屋根の上から見下ろしていたのはやはり朧である。危うく叫びそうになるのを堪えた。私と朧に繋がりがあると知られてはいけない。
 帰ってきた? 違う、そんなことはどうでもいい。どうしてここに?

「決まっている。帰りが遅いので迎えに来た」

 どんな場面でも朧は変わらない。相変わらず呆れるような理由を述べてくる。

「お前、あやかしか」

「答える義理がるかい?」

 そっけなく答えると朧は当主様のことなど目に入っていないように私の前に降り立つ。

「ほう……。影無しよ、勤めを果たせ」

 私の勤め、それはつまり……
 当主様は朧があやかしであると認識したようだ。投げ捨てられたのは初めて貰った『贈り物』だった。

「これは私の!」

 失くしたと思っていた残酷な『贈り物』は再び当主様によって与えられた。

「落ちていたそうだ。刃が黒く呪われているのではないかと、町の者が不気味がって納めてきおった。さあ、もう二度と落とすでないぞ」

 逃げ場はない。私が死ぬか、朧が死ぬか……
 覚悟を決めてそれを拾う。久しぶりにの感触。毎日毎日、これを手にしてあやかしを狩った。感触だって忘れようがない、はずなのに……私の刀はこんなに重かった?

「君……」

 朧は特に驚くこともなく受け入れてくれた。彼は敏いあやかし(ひと)だから、こうするしかないことを理解してくれたのかもしれない。そうであってほしいというのは都合の良い願望だ。

 言葉なんていらないと思った。語り合うなら刃で、初めて出会った日のように刀を振り下ろせ! 全力で斬りつけようと私は刀を振り上げた。
 けれど朧は指一本すら動かさない。

 どうして反撃しないの?
 いつもならとっくに私の腕は拘束されている。もしくは刀を弾かれている。このままだと朧の肩を切り裂いてしまうのに!

「どうして避けない!」

 刃が肩を切り裂く寸前、私は怒鳴っていた。

「何故? 避ける必要があるのか?」

 朧が肩先で震えたままの刃を掴んだ。

「何をしている! 早く狩れ!」

 当主様の怒声が私を揺さぶる。

「私、私は……」

「さあ、早う。お前が人だという証を見せておくれ」

 耳朶に絡みつく言霊が私の手までを震わせる。できなければ今度こそ立派な反逆者だ。
 すると朧はあろうことか切っ先を己の首筋へと導いた。そこを突けば息の根を止められる場所へ。

「やっ、やめて!」

「どうした? 八百四番目は俺なのだろう?」

「それは……だって、私……」

 そうだ、これが正しい関係。何度となく朧の首を狙ってきた。だからできるはずなのに――
 私は刀から手を放していた。
 刀だけが虚しい音を立て転がる。できないと言っているも同然だ。当主様の前で、なんて無様な失態だろう。

「何をしている! 愚図な影無しめ。絶好の機会ではないか」

「も、申し訳ありません!」

 当然の叱責だ。自分でも訳がわからない。

「君、どうした?」

 それなのに朧だけが優しい言葉をかける。私たちだけが遠い場所にいるようだ。

「どうも、しない」

「そんな顔で何を言う」

 滴が私の頬を濡らす。雨は振っていないのに、一つまた一つと落ちて行くそれは私の涙。

「……こんなの、こんなのおかしい! 私じゃない!」

 朧が拭うけれどその度に止めどなく零れていく。

「なあ、帰ったらまた付き合ってくれないか? こないだの続きをしよう」

 きっと月見の話だ。さっきまで私も同じことを願っていたけれど――

「もう遅い。なにもかも……無理に決まっている」

 訳が分からなくて、とにかく朧から離れなければと思う。

「違うの、だめ……私っ……」

 後ずさる私を朧は黙って見逃してくれる。本当にどこまでも優しいあやかしだ。
 気付きそうになる度、見ないふりをしてきた。顔を合わせる度、不安になって。攻撃を仕掛ける度、私はまだ朧を憎んでいると安心していた。
 今だって、心のどこかでは朧に敵わないとわかっていたから攻撃出来た。朧なら避けてくれると期待した。だから身じろぎ一つしない朧に焦りを感じて手を止めてしまった。朧を傷つけたくないと思っていたから。
 私の気持ちなんて、とっくに見透かされていたけど……。

「裏切るのか。影無しよ」

 背後から伸びた手が私を絡めとる。首筋には冷やりとした感触が押し当てられた。

「当主様、何を? 私は当主様に、人にあだなすつもりはありません!」

「黙れ」

 蜘蛛の巣に囚われたように私は逃げられないことを悟る。でも朧は逃げられる。朧が無事ならそれだけで良かったと思えた。

「お前になくても、あやつは知れぬだろう?」

 どうして朧のことを言うの? 私は逃げないのに、朧は関係ないのに?

「のう、あやかしよ。これが傷つくのが嫌なら黙って従え」

 長いやりとりの間に私たちは囲まれていた。恐らく望月家に関わる人間たちだ。

「こんな女の何がいいのか」

「君らに彼女の良さが解るとも思えん」

 朧は軽口を叩くだけで否定をしてくれない。

「馬鹿にしてっ、お前が従う必要はない。私はお前を狩る! 当主様お願いです! 離しっ――」

 直後、強い衝撃が私の脳裏を揺さぶった。

 いつからだろう。
 とっくに手遅れだった。
 私に朧を殺すことは出来ない。薄れゆく意識の中、彼の無事を願ってしまったのだから。
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