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二十二、あやかしへの誘い

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「いつも付き合わせて悪いな」

「その顔は説得力に欠ける」

 整った顔立ちに嬉しそうな笑顔を浮かべられては口先だけにもほどがある。

「そうかい? なにせ手元には美味い酒が、天には極上の月が、そして隣には君が居る。満たされていれば表情も緩むさ」

 私には理解が難しい理屈だった。

「しかし君は退屈か?」

「退屈とは違うけど」

 月を見るという行為自体は嫌いではない。影のない私を見ていてくれたのは夜空の月だけ、親近感も湧くというものだ。
 いつだったか、朧は私が凛としていると言ってくれた。しかも月のようだとも。あの時は『緋月』の話で有耶無耶になってしまったけれど、朧の目は節穴だ。凛としている? 月のよう? そんなわけがない。

 本当に、あの月のように在れたなら……こんな感情に戸惑うこともなく、迷うこともなく、ただ凛としていられたら良かったのに。

 そして今、私の隣には月の名を持つ美しいあやかしがいる。
 退屈している暇なんてない。気を抜くことは許されない。酌をしながらも、いつになったら朧が酔いつぶれるのか機会を窺っているのだから。

「だが、口寂しくはあるだろう? ああ、月見といえば団子でも用意させるか」

「団子……」

「甘味は口にしたことがないか?」

 放っておけば山盛りの菓子を用意しそうな朧を止めるためも首を横に振った。

「団子はわかる。野菊がくれたから」

「ほう」

 ありふれた、というか間の抜けた会話だ。命を狙っている相手に団子の話をしているなんて滑稽。

「三色の団子で、人気の店だと言っていた。私のために買ってきてくれたと、いつかその店に案内してくれるとも……」

「そうか」

 深い意味なんてない。ただなんとなく話したいと、そう思った。

「野菊の言う通りだった。とても美味しかった」

「君は団子が好物か?」

「好物も何も、食べたことがないから。だから美味しくて驚いたの」

「そうか」

 まるで自分のことのように朧は嬉しそうに微笑む。

 一つ零れれば、次いで私の口からその日の出来事がぽつぽつと零れていく。
 野菊が買ってきてくれた団子、一緒に飲んだ濃い目の茶が美味しかったこと。
 藤代が褒めてくれたこと。
 庭に咲く、今日習った花のこと。
 遮っても構わないのに、楽しい話でもないのに、黙って耳を傾けてくれる。それどころか楽しげに口元を緩めていた。

 両の手では足りないほどに共有してしまった時間。
 ひとしきり話し終え、私はまた空になった分だけ酒を注ぐ。

「なあ、椿」

 私なんか見ても面白いことはないと、何度反論したかわからないのでその点に関しては触れなかった。

「君はあやかしをどう思う?」

「狩るべきもの。私の敵」

「相も変わらず、ぶれないことだ」

「変えていい、ことじゃない」

 何を期待していたのか知らないし訊くつもりもない。訊いたところで呆れるか取り乱すのは恐らく私だから。

「変えられないではなく?」

「あ……」

 この屋敷にきてから以前とは比べ物にならないほど話すようにはなったけれど、相変わらず言葉というものは難しい。私は言葉を選び間違えたのだ。変えられないと強く否定するべきだった。これではまるで変えたくないと言っているように聞こえてしまう。

「これは違っ――」

「椿、あやかしにならないか」

 心でも読めるのか、なんて時に囁きかけるのだろう。朧の言葉は私の胸の深いところにまで届いてしまった。
 風が髪を揺らし、草木は音を奏でているはずなのに、私の周りだけ時が止まっている。取り残された私だけが……惑わされている。

「あやかし、に?」

 ようやく紡げた言葉は酷くかすれていた。

「馬鹿を、言わないで。私は人間、そんなことできるはずない」

「それは人があやかしになれるはずがないという意味か、それとも君が人でいることを望むという意味か?」

「もちろん、両方で……」

「では君の憂いを払おう。人があやかしに転じた前例がないわけではない」

「嘘!」

「特に君は半分こちら側、望むは君次第ということだ」

「違う」

「半分あやかしだからこそ見えるし、斬れもする」

「それは!」

 あやかしを斬れる理由なんて考えたこともなかった。この目に映るのも、あまりに馴染みすぎて当然だと思っていた。

「心こそ、その者の在り方だ。君は人、そう思っているからいけない」

「いけなく、ない。お前はまるで私が望むと言いたげ。でも私は望まない!」

「俺の妻になるには都合がいいぞ」

「得な要素が見当たらない。その自信はどこからくる? 急にこんな……。こんな話を持ち出すなんて変。まるで――急いでる?」

 指摘すれば心当たりがあるのか朧がわずかに息を呑む。

「……そう、だな。ははっ、君の言う通りか」

「朧?」

「すまない。指摘されて気付いたが、俺は焦っていたようだ」

 屈託なく笑う朧に今度は私が困惑する。

「明日、緋月の元へ出向く」

 朧が緋月のことを話すのはこれが二度目。滅多に聞くことのないその名に不安を覚えた。

「わざわざ宣言する必要はないこと。お前はいつも勝手に行動しているのに……」

「俺たち二人のことだ。君にも知っていてほしい」

「え?」

「妻に手を出されて黙っていられるものか」

「は?」

「先日の件に関して抗議の文ならとっくに送っているが謝罪の一つもない。本来なら即日屋敷に乗り込み火を放っていてもおかしくないのだが、君を一人にするのが心配で今日まで耐えていたが。さて、俺の妻に手を出したこと後悔させてやろう」

「何を言っているの? 私を心配する必要はないし、私は子が親に会うことを止めたりしない。でも、何をしに行くつもり!?」

「俺の妻は椿ただ一人。余計な手出しはやめろと伝えてくる」

 朧は簡潔にまとめてやったがどうだとでも言いたげだ。ああ、緋月という顔も知らないあやかしの気持ちが少しだけ理解できてしまった。

「緋月というひとが心配するのも分かる」

「なに?」

「朧は恵まれている。地位があって、大切にされて、愛されて」

 悔しいから声には出さないけれど、朧は優しい。美しく強さも併せ持つ、そんな彼の隣を望むあやかしはたくさんいるだろう。

「お前はたくさんのあやかしに慕われている。選び放題のくせに、それが急に、こんな人間の女を囲いだせば焦るに決まってる。どうかしてる……」

「心外だ。俺が軽薄のような言い方は納得できんな」

「出会い頭に求婚された。どう判断しても軽薄」

「俺は愛情深い男だぞ」

「そんなこととっくに――……」

 知っている。傍にいて気付かないはずがない。朧が多くのあやかしに慕われているのは愛情深い証。同じだけのものを彼らも朧に返している。

「性質が悪い! お前はこんな人間を選んでいいはずがない!」

「それがどうした」

「それがとうした!?」

 頭に血が上ったのがわかる。どうして朧は諦めないのか、理解してくれないのか。

「抗議なんて必要ない。緋月が認める相手を見つければいい!」

 わかっているくせに。私でもわかるのだから朧にわからないはずがない。

「……ああそうだ。だからこそ俺は急いていた。君があやかしであれば、君を否定する理由が減るからな」

「私は……」

 このところ直ぐに言葉を返せないでいる。そんな自分に歯がゆい思いをしてばかりだ。

「さて、即答されなかっただけ進歩かな?」

「ふざけないで」

 違う、違う! 否定する前に朧が打ち消しただけ。勢いに呑まれただけ!

「……もう空。戻る!」

 私の役目は終わったのだ。空いた器を急いでまとめ勢い任せに走り去る。優雅の欠片もない仕草は藤代が見ていたら怒っただろう。

 朧からの誘い。それが私にとってどんな意味を持っていたのか、部屋へ戻っても答えは出なかった。

「私が、あやかしに?」

 思った以上に朧の誘いは私の心を揺さぶっている。

「違う! そんなことないあり得ない!」

 早く忘れてしまえ、聞き流してしまえ!

 この身体を浸食するそれは毒?
 わからない。わからないけれど……それは確かに私を蝕んでいる。

 翌朝、朧と顔を合わせることはなかった。
 朝早くから緋月の元へ向かったらしく、藤代からは聞いていないのかと不思議がられた。
 まさかこんなに早く立つとは思っていなかった。もし私があの場に留まっていたら、朧は出立の時間も話してくれたのだろうか。
 もしもを考えても仕方ない。最後まで聞かずに逃げたのは、愚かなのは私だ。
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