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十八、襲撃後

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「椿、すまないが握ってくれないか」

 痛みのない右を動かし、いつものように刀を握る。鏡のように透明な輝きを放っていた刃は、瞬く間に黒い闇色へと変貌した。それを皮切りに部屋の前で様子を窺っていたあやかしたちも口を挟む。

「私も見たことあるわ」

「確かに。椿様の稽古姿は何度か目にしているが、刃は黒かった」

 そんな野次馬たちをかきわけ、飛び込んできたのは野菊だ。

「椿様はこんなことをなさる方ではありません!」

 野菊が叫んだ。あの淑やかでお手本のような存在としていた野菊が……

「初めは私も戸惑っていました。朧様に刃を向けてばかり、怖ろしい方だと。でもそれは朧様にだけ、容赦がないのは朧様にだけです! 絶対に私たちに手を上げるようなことはありませんでした。本当はお優しい方なのです。こんな、怖ろしいことをなさる方ではありません」

 ありがとう、野菊。そう思う反面、あやかしに庇われて複雑だ。

「朧、ひづきというのは誰?」

 瞬時に辺りがざわつく。よほど有名なのか、その名を口にしたとたん視線を集めた。特に朧からの視線が痛く、彼にとって良く知る相手なのかもしれない。

「なるほど。これで椿の無実は証明されたな。まだその名は教えていない。あいつの手先か……。藤代、もういい連れて行け」

 最後に朧は低く殺すなと命じる。けれどその表情、視線だけで今にも相手を殺せそうだと、何度も(一方的に)戦った私には感じ取れた。

「承知いたしましたので、その目はお止めください。みなが怯えてしまいます」

 命令の意味がなくなってしまいそうだと窘める藤代に、私も心中では深く同意していた。


 騒ぎを聴きつけて集まっていたあやかしたちには厳重に口止めを施し、会場の手伝いへと戻らせる。こうしている間にも宴は続いているのだ。むしろこれからが本番だと言う。それなのに朧は私の傍から動こうとしなかった。

「朧?」

 じきに野菊が手当の道具を持ってきてくれる。だから早く宴へ戻るべきだと促しているのに、朧は聞いているのかいないのかわからない反応ばかり。

「痛むか?」

「少し切れただけ。心配されることはない」

「嘘をつくな。血が出ているだろう」

「じきに治る。でも……」

 普通の人間よりは治癒能力は高い方だと思う。そうでなければ毎夜狩りには出られない。それよりも気になったのは視界を霞める着物の成れの果てだ。

「どうした?」

「着物に血が。汚れてしまった」

「そんな物より君の方が大切だ」

「でも私のせい。私が未熟だったから、迂闊に誘い出されてしまった。まだ宴の途中でしょう。こんなところにいていいの?」

 朧の返答は変わらないずこの場に居座るつもりのようだ。いずれしびれを切らした藤代辺りが呼びに来るのではないかと思う。

「でも、藤代は困ると思う」

「勝手に困らせておけばいい」

 ここに本人がいなくて良かったと安堵しているのは私だけ。朧は「それよりも――」と宴のことなんて頭にない様子で話し続ける。

「椿。ああいう時は抵抗しろ」

 ああいうときとは、生命の危機を指すのだろう。何故刀も抜いていないのかと問い詰められた。愛刀がすぐ傍にありながら鞘に収まったままではもっともな疑問だ。

「でも、それは……」

「なんだ、ちゃんと言え」

 朧にしては強い物言いで、追求してまで私に言葉を求めるのは珍しかった。

「屋敷の者に危害は加えないと、誓った」

「そんなことのために命を危険に晒したのか?」

「そんなことじゃない。私にとっては重要なことだった!」

 でなければ今、こうして面と向かって朧と顔を合わせていられない。それくらい私にとっては意味のある行為だ。

「何?」

「もう約束を、朧との約束を破りたくなかった」

「君は……俺のために?」

「え?」

「ん? 違うのか?」

「ち、違う! 私は、ただ、もう誰かとの誓いを破るのが嫌で! お前がどうとか関係ない!」

「なるほど……」

「何!?」

「いや。今回は俺の落ち度だ。追及は止そう。謝罪の印に一太刀くらいは受けて構わないが?」

 いつでも良いぞと言われたのに私は動けない。こんな機会、二度とないかもしれないのに。潔く権利を行使して首を跳ねてしまうのが正しい行動のはず。

「お前が何かしたわけじゃない。気にしていない」

 気にしなくていい? あやかし相手に自らの発言を疑う。

「いいのか、絶好の機会だぞ」

「こんなことで機会をもらえても嬉しくない」

 私は殺るなら自分の実力でなければ納得できないだけ。朧は騙し打ちのような形で幕を引いていい相手ではない。

「命を狙われたんだ。こんなことで済ませていいのか?」

「別に、日常だったから。それに死ぬことは――」

「怖くないと、本当にそう言い切れるのか?」

 朧が私の手を取る。何がしたいのかと不思議に思い視線を向ければ唖然とするしかない。

「私……」

 自らの手が震えていることに初めて気付く。

「強がる必要はない」

 お前に強がらずして強がりとは誰に見せつければ良いものか、そう思った。だからそんな風に優しいことを言わないで。
 初めてあやかしと対峙した時、怖ろしいと感じた。こんな怖ろしい生き物がいるのかと身がすくんだ。けれど感情を麻痺させて対峙する。怖いと呟いたところで意味はないから、だから蓋をしてきたのに……朧がこじ開けようとする。

「うるさい。余計なことを、言うな」

「おや、言葉を封じられてしまったか。ではこうするとしよう」

 抱きしめられると優しい香りに包まれる。あの怖ろしい女の顔が薄れていく。恐怖から守るように囲いこまれ戸惑う。これは私を甘やかし、私を駄目にする優しい腕だ。

「朧、痛い」

 誤魔化すように言い訳を口にする。だが、全く嘘というわけでもない。すまないと小さな謝罪が聞こえれば腕の力が弱まった。
 この温もりは生きている証、そして朧がそばにいる証。
 こわかったか? 怖かったに決まってる。恐怖を感じた時、誰かが傍にいてくれることの安らぎはなんて心が落ち着くのだろう。

「朧、血が移るから」

 とっさに理由を見つけて離れようとしたけれど、朧の腕から逃れることは出来なかった。もう少しだけという朧にしては頼りない囁きに反論する意思を奪われてしまう。

「動くと傷が痛いから、このままでいる」

 そう、動くと傷が痛むから……。
 結局野菊が戻ってくるまで私たちは抱き合っていた。
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