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三、闇夜の求婚

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「いや、そいつは俺の酒に手を出してね。むしろ仇をとってくれた君に礼を言おう」

 男の言葉からは真意が掴めず、迂闊に声を発することは躊躇われた。

「黒衣に、黒い刃。なるほど、この辺りで暴れている女というのは君のことか」

 いつもなら問答無用で斬りかかっている頃だというのに男は平然としゃべり続けている。私だって本当は斬り捨ててしまいたいけれど、相手は妖狐。これまで私が斬ってきたあやかしとは格が違う。

「しかし驚いた。まさか半分こちら側とは、何故人間の肩を持つ?」

「何を言うの。私は人間、お前たちとは違う」

 同じ存在のように扱われるのは不愉快だ。

「気の強いことだ。なかなか好ましい」

 距離が詰められ愉快そうに唇が歪む。はっきりと嫌悪を露わにしたというのに何故嬉しそうにしているのかわからない。

「っ!」

 気押されたなんて認めたくないのに、不覚にも身を引いてしまった。
 けれど私は逃げるわけにはいかない。私の後ろには倒れた人間がいるのだ。

『人でいたければ人の役に立て、あやかしを狩れ』

 相手がどれほど強大だろうと引くわけにはいかない。私はこの人たちを守らなければいけないのだから。
 そもそも逃げる場所などないのに、どこへ行こうとしたのだろう。勝つか負けるか、生き残るか殺されるか。どちらかしか許されないのだと思い知らされる。
 どんなに強いあやかしが立ち塞がろうと今日まで生き残ってきたのは私。だから今日も――
 そう思うのに勝てる気がしない。距離を詰められるたびに絶望が忍び寄る。これが格の違いというのだろう。だとすれば呪われた身とはいえ今日まで生きてこられたことを幸運だったと改めるべきか。今更改めたところで人生はもってあと数秒、長くて数分だろうけれど。
 妖孤の手が迫り、せめて一太刀浴びせてやろうと刀を振り上げた。しかし抵抗むなしく二本の長い指が黒い刃を受け止める。

「このっ!」

 もう一方の手が私の顎を掬う。月明かりに照らされたあやかしの顔は美しく、不覚にも魅入られてしまった。女性のように長い髪、けれど触れているのは確かに男だと意識させる力が宿っている。

 刀から手を離せ!

 距離を取れ!

 懐に忍ばせた短刀を抜け!

 何度も命令を下したけれど、身体は金縛りにあったように動かない。形の良い唇が動く様子をじっと見つめることしか出来ないことが悔しい。その唇で私に噛み付くのだろうか。

「君、俺の妻にならないか?」

「…………は?」

 私の目はさぞ見開かれ、丸くなっていたことだろう。たっぷりの間を開けてからようやく声が出た。それも自分が発したものかあやふやだ。こんな呆れた音を発したのは初めてかもしれない。

「顔もそれなりとは益々気に入った。近頃は嫁の一人も娶れと周囲がうるさくてね」

 嫁?
 それは……もしかして、妻のこと?

「……妻!?」

 もちろん言葉の持つ意味は理解している。斬新かつ衝撃の展開に思考が追いつかないだけだ。
 渾身の力を込め自由な左手で妖狐の手を振り払えば刀と共に意外なほど呆気なく解放される。

「断る! 馬鹿にしてっ――誰があやかしの妻になど、なるものか!」

「俺とて人間相手に求婚などしない。だが、君は半分こちら側。このままあやかしになれば問題ないだろう」

「侮辱するのはやめて」

「何が気にくわない?」

 やれやれと呆れられるが私は呆れを通り越して憤慨している。

「何もかも全部! 求婚にしろ、あやかし扱いにしろ、全部に決まってる!」

 けれど私の意見などまるで無視する妖狐は益々満足そうな微笑を向けてくる。

「良いことだ。それくらいでなければやっていけない。君の名は?」

 私は無言を貫いた。

「では勝手に名付けて呼んでしまうぞ。そうだな……」

「話を聞きけ!」

 やはりあやかしには言葉が通じないのか頭が痛くなる。

「椿、というのはどうだ? 美しい名だろう」

「……私の名前じゃない」

「不満があるのなら名乗れ。その名で呼んでやる」

 悔しいけれど、名無しの私では挑発に乗ることもできない。私が答えないのをいいことに、何事もなかったかのようにその名で呼ばれようとしていた。

「椿、あやかしになれ。俺と永遠の契りを結ばないか?」

「勝手に決めないで。私は人間、あやかしは狩るべき存在」

「どうしても、か?」

 意図して艶を増し、強請るように訪ねられた。
 あやかしは私を惑わそうとしている。惑わされてなどやるものか。

「構えて。私には、ここで刃を交えて生きるか死ぬかの道しかない」

「やれやれ、困ったものだ」

 困らされているのは私だ。早く止めを刺せばいいものを、何を悠長に求婚などして戯れているの?
 後悔させてやろうと私は攻撃を放った。

「おっと」

 渾身の一撃は最小限の動きでかわされた。しかもこちらの力不足を指摘するような余裕を感じさせる。
月光を受けた刃が輝き、場違いにも美しいと思った。行く末を見守る欠けた月がただ憎い。
 刀を握った手を掴まれると引きずられ、微かに花の香りがする。けれど私はその香りの正体を知らない。

「何をっ!!」

 見開いた瞳に妖狐の顔が迫り、抵抗する暇もなく口付けられていた。
 ほんの一時。けれど私にとってそれは永遠のように長い。触れた唇に熱が宿り私の身体を蝕んでいく。
 妖しく光る黄金色、妖狐の瞳には私だけが映っている。それがあやかしであることを知っているはずなのに、まるで人間のようだと思った。

「君は椿だ。それでいいだろう?」

 聞きわけのない子どもを諭すように優しく言い聞かせるように告げる。それでいて鋭い眼差しで射抜くのだから萎縮して刀を落としてしまった。
 熱に浮かされ始めた体が痺れていうことを聞かない。薬か術の類を使用されたのだろう。

 どこまでふざけるつもりなの? 馬鹿にするのも大概にして!

 悪態を吐いたつもりが音にならず、意識は朦朧としていく。足がふらつき始めると、名も知らぬ花の香りに包まれた。まだ地面に崩れ落ちる方がましなのに、妖狐の腕がそれを許してはくれない。

 抱きとめる腕の温かさなんて知りたくなかった。

 どんなに強いあやかしを倒そうと褒めてくれる人はいない。深い傷を負い、命からがら望月家へ戻ったこともある。力の入らない足を必死で動かし、地を這いながら自力で部屋まで戻ったこともある。そこに差し伸べられる手はなかったのに、それなのに!

 ここはなんて温かい――

 まるで血の通った人間のようで、心地良いなど知りたくなかった。最悪だ。
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